エワに出した作品。荒船隊結成の道のりと、二人が付き合うまで
二人が高校一年5月入隊と仮定していて、入隊式、結成後、転向後の話です



 オレと荒船は、中学時代、奇しくも同じことを言われた。
「私のこと、本当に好きって思ってる?」
 違う場面、違うところ、違う時間帯ではあったが、お互いに中学でできた初めての彼女とは、そのセリフを最後に別れた。卒業を間近に控えた冬、寒さがきつかったのと、指先が気温のせいで冷たかったのを覚えている。彼女の後ろ姿を見て、オレは寂しいと思うよりも、仕方がなかったかとマフラーに顔をうずめるほかなかった。
 仕方がなかった──これと同じことを、中学のときの荒船も思ったらしい。けれど、そこからのオレたちの考えは逆をいった。
 これをきっかけに、オレは「モテたいかな、せめて理解をしてくれる人には」と思った。
 荒船は「別にモテる必要なんてない」と思ったらしい。
 オレは付き合う以上は大事にするし、約束を守り、なるべくそばにいるようにした。それが「義務感から来ているんじゃないの?」とまえの彼女に言われ、わからなくなった。そのときはちょうどボーダーの入隊資料を受け取ったばかりで、義務や責務といった内容は、あの資料の二枚目か三枚目に書かれているものを彷彿とさせる。
『市民の安全を最優先とすること』
 たしかに、彼女の気の向くように動いていた。安心を与える、という言い方にはなってしまうが、今思えば偉そうだったんじゃないかと思う。だから彼女に「義務感」と言われ、引き下がる他なかった。
 だから義務でも、責務でも、なんでもなく、本当に好きだと思う気持ちを、オレはまだ知らなかった。

 ◇

 入隊式の日、不慣れなC級隊員の服にやはり居心地の悪さを感じた。そもそも白という色が、自分には合わない。同い年ですぐに仲良くなれた当真が、
「俺たち似合わねぇな」
 と同調してくれたからまだいいが、一人だったらなんとなく腹のわりが悪いまま、初日を迎えていた。
 入隊式の会場に入るまえに、高校でも見かけたやつらがちらほら様子を見にきていた。今年はどんなのがいるんだろうと興味津々で見ているのもいれば、くだらなさそうにそっぽを向いているのもいた。特に今回は入隊の人数も多くて、とにかくやたらと人がいる。
 徒党を組む気のない当真といるのは、気持ちが楽だった。これだけの人数がいる中、当真も自分も人付き合いはそこそこ得意だけど、無理に自らいこうとは思わない。気になるやつがいれば、それとなく話す機会もいつかくる。思っていることが一緒だと、変に互いを知ろうとしゃべる必要もない。
「移動だ、行こうぜ」
 当真に連れられてざわめいている会場をあとにすると、オレの真横を、やや明るい髪色の男が通った。
 そのときはまだ、横顔が端正だと思うくらいだった。シャープな顔に、やけに印象に残った藤色の目が、ちらっとこっちを見た。目線が意外にも鋭いから、オレはなにかまずいことでもしたかと勘繰った。相手はすぐに目をそらしたし、オレも当真のあとを追ったから、それきりなにが理由で見られたのかはわからなかった。それが相手が人を見るときに、睨むつもりはないのに鋭い眼光になってしまう癖があるんだと知るのは、ずいぶん後になってからわかったことだ。
 男──荒船の第一印象は、「きれいなやつ」だった。

 ラウンジでコーヒーを飲みながら座っていると、さっきのきれいなやつが女子隊員数人に話しかけられているのを見た。
「すげぇな、もう勧誘?」
 当真が口笛を吹いて、コーヒーの中に砂糖を入れる。サラサラと砂糖が落ちる音がする間も、彼女らの黄色い声は響いていた。他にも別の隊員が女子に気に入られて話しかけられていたり、ラウンジの賑わいはきっといつもよりすごいんだろう。通りすがるB級やA級の隊員であろう人たちが、しげしげと眺めて驚いていた。
 大抵の隊員はそつなく話してかわしていたり、やんわりと断っていたり、さまざまだったが一様に同じ対応だった。
「せっかくだけど」
「今はちょっと……
 そんなやさしい断り文句が出ている中、さてあいつはどう出るんだろう、とオレは頬杖をついて見守っていた。
 ──しばらくして、彼女らの声がきれいなやつを中心にシンと静まった。オレの位置からはなにを話しているかまでは聞こえない。きれいなやつが二、三言なにかを話しただけで、女子隊員たちはちょっとうしろに引き、戸惑いながら女子同士互いに顔を見合わせていた。
 冷たいことを言ったのだろうか? 断り方にとげがあったとか?
 ガタンと音がして、オレは弾けるように当真を見た。当真の椅子の鳴った音だ。
「あ〜ごめん! そいつ、こっちで勧誘したんだわ」
 当真が突然立ち上がり、女の子たちに声をかける。そんなに声を張ったわけでもないのに、彼女らにはよく聞こえたようで、あからさまにほっとした顔をしていた。きれいなやつは少し驚いたが、当真にこっちこっちと手招きされると、大股でテーブルに寄ってくる。
「悪い、助かった」
 周りに聞こえないよう、落とし気味のトーンでそいつが当真に礼を言う。
「あとで組んでないってわかったら、怒られるんじゃないか、あの子たちに」
「別に仕方ねぇよ。あの場を収められたし、ひとまずは傷も浅いだろ?」
 当真が彼女たちにひらひらと手を振った。会釈をして去っていく女子の横顔は些細な非日常的できごとに紅潮していて、たしかにあのまま放っておいたら赤い顔が青ざめるのも時間の問題だったかも、と思う。
「断り方、きつかったんじゃねぇの? 怯えちゃってたじゃん」
 向き直った当真がそう聞くと、
「そういうつもりはなかったんだがな」
 ときれいなやつは本当にそういうつもりがなかった、というような顔をした。
 軽く互いに自己紹介をして、オレはそいつが初めて荒船だということを知る。
「なんて言ったんだ? あの子たちには」
 疑問を尋ねると、荒船はきまりが悪そうに口を尖らせる。表情はそんなに豊かではないが、なんとなく「きまりが悪そう」というのはわかった。
「ポジションを聞いたんだ。攻撃手と、射手らしい。俺も攻撃手だから、今の俺にはそのポジション取りで作戦を立てるほどの技量がないし、バランスが悪いって話した」
 オレは頬杖をついていた手をずるりと落としてしまい、当真は吹き出した。そして腹の底からおかしい様子で、けれど声を立てないように笑う。
「そりゃあ〜……災難だったな、いろいろ、その、お前も相手も」
「まったくだ」
 と肩をすくめる荒船は、当真が言葉に含んだ意味をわかっているのだろうか。涼やかな顔つきで、目元をまっすぐにまえに向けたままうなずいている。オレは余計なことを言わないように、当真のこの場に任せていた。
「当真はもう誰かと隊を組むのか決めているのか?」
「いや、俺はしばらく組まねぇんだ」
 頭の上で手を組んで、当真が飄々と話す。オレは耳を澄ませる。こいつ曰く、しばらくは一人でぶらぶらとするらしい。あてもなく隊を組まずにいる隊員は珍しい、んだろう。隊員たちが二から四名から成る隊を組んでいるのは入隊まえに情報としてあった。
 当真なら、まだ実力はわからないがきっと大物のなりそうな気がする。そういう予感がした。自分の予感が当たったことは生きてきた十数年で数えるほどしかないが、気休めくらいにはなるだろうと口を開く。
「お前ならやっていけそうだな、一人でも。というより、声がかかる気がする」
「へえ、それって占い?」
 ニヤリと笑う当真に、オレは同じように笑い返す。確証なんてない空っぽの言葉だが、当真は気を良くしていた。
「そうだったらいいんだけどな、迅さんみたいに」
 未来が見えるという人物を引き合いに出して、とてもそうはなれない自分の能力のなさをまた笑う。
 すると、荒船が身を乗り出した。
「俺は?」
 真剣なニュアンスを含む荒船の表情は、しかし元々真剣に見えやすいのかもしれない、と改めてきれいな顔を眺めた。占いや予感なんかを気にするようなやつにはとても見えなくて、オレは目を見開いた。当真も面白そうに荒船を見ている。
「俺は、どう見える?」
 二度聞かれて、オレは荒船の瞳をじっと見た。ライトに照らされて揺れる紫ががった色が珍しくて、一瞬見惚れた。ざわざわとしている周りの音が遮断され、心臓がひとつ高鳴る。
 中学のころ、誰かと一緒にいて、こんなことがあっただろうか?
「荒船、は、」
 呼び慣れない名前を口に出して、それが意外とこぼれるようにスムーズに生まれたから、あとに続く言葉も自然と流れる。
「やりたいことがあるんだろ、そう見える、オレには」
……よくわかるな」
「じゃなかったら、さっきの女子にああは言わないだろ、あんな具体的な断り方は」
「そりゃ言える」
 当真が相づちを打った。荒船はふむ、とうなずき、腕を組む。自己開示を防ぐために人は腕を組むと聞くが、荒船の場合はゆったりと構えているようにも思える。別に防衛本能でもなんでもなく、あれはただの荒船の癖だ。オレはどうしてかわかった。
「今はまだ、はっきりとは決まっていない」
 荒船が口を開く。
「ただ……ボーダーを客観的に見ていてかなり思うことはある」
 その声は平たいようでいて、少し重たい。荒船の中の重りを預けられたようだった。一言一言に散りばめられた思いの丈は、オレ程度では到底理解できないだろうと感じた。
 だから、オレは荒船とはここまでの関係だと思っていた。この三人でしゃべったラウンジでの一幕だけの。

 ◇

 同じ高校のやつで、両親が店をやっていると聞いてやってきた。六月の、梅雨が奇跡的に抜けた日だった。
 商店街のそば、日当たりのいい路地に面した広い道路沿い。室外機の風を感じ、「かげうら」と大きく書かれた布地を見かけてのれんをくぐると、ソースの匂いがすぐに鼻をくすぐる。そのわりに油臭すぎない店内は、好感が持てた。ニュースを告げるテレビの音がBGMだ。
 そして横には、どうしてか荒船がいた。
「おう、二人か?」
「ああ」
 ひょっこり顔を出したカゲが、白いタオルを巻いて、サロンをつけた痩せ型の体を揺らして近づいてくる。
「じゃあ奥行け、今日は団体来て賑やかになっから」
 ぶっきらぼうなようで気遣われた発言に二人で口元をゆるめると、「やめろその感情」と眉間にしわを寄せられた。

 ──カゲが感情受信体質だと知ったとき、ふうん、とだけ返した。カゲは驚いて、まじまじとオレを見ていた。
「お前、話聞いてたか?」
 と呆れられる。
 聞いていたし、ちゃんと意味もわかった。ただ、そうか、と思っただけなのだ。
 昔から、今いち感情に上下のない自分だから、そこまでこいつを悩ませることもないだろう。カゲはそれを聞いてガリガリとうしろ頭をかき、以来オレたちは打ち解けた。
 だから、仲が良くなったからって、オレがそのあとに口を開くことはなかったのだ。
「攻撃手にいるか? 荒船ってやつが」
 と聞いてみるなんてことは。
「いる、しかもうちの常連だぜ」
「常連」
 おうむ返しをすると、カゲはまた頭をかいて、つけていたマスクをいじった。そこでオレは「かげうら」の存在を知る。
 そして、かげうらに来るのに、
「どうせならあいつと来いよ。荒船は大抵高校のやつらと来るけど、あいつ以外頼むもんショボいんだよ」
 お前なら、ちゃんと食いそうだし。と、ちゃっかり経営上手なことを言われ、そのまま荒船の連絡先を教えられる。
 荒船哲次、という文字が自分のスマートフォンの連絡先に増えたとき、奇妙なまどろみを感じる。
 自分からかけることがあるだろうか、通話を、メッセージを。
 しかしその機会は案外早く訪れて、むしろ荒船から連絡が来た。カゲから聞いたが、という出だしから始まり、本部での用事が終わる時間を聞いて、
『じゃあかげうらでな』
 という締めくくりを迎えた。
 簡単なやりとりしかしていないのに、熱を持ったスマホを置くと、急に心臓が離れてベッドの上に投げ出されたように感じた。客観的に、自分の心を見ている気分だった。それはドクドクと高鳴っていて、オレはこんなに感情を出すことができるのか、と驚いた。
 だから、荒船と一緒にいる間の感情の持ちようをどうすればいいのかわからないまま、当日を迎えた。カゲに向けない限りこういう気持ちを持っていることは気づかれないだろうが、どうだろう。そんなにうまいことをオレができるとは思えない。
 なぜなら今までの人生の中で、それこそ感情に上下のない生活を送ってきたから、慣れていないのだ──

 奥の席へつくと、荒船は壁ぎわに鞄を置いて、制服の袖をまくった。鉄板の熱気を受けて体感温度が高いから、オレもそれに倣う。
「穂刈は初めてか?」
「そうだな。いつもはなにを頼むんだ? 荒船は」
 メニューを開かずに座っているから、きっともう頼むものは決まっているんだろう。オレだけが開くと、上から荒船の細長い指が現れる。切り揃えられた白い爪の先を見つけて、そこに目線を置かないように少しそらす。
「これと、これだな」
「見ないでもわかるのか、メニューを」
「大体は覚えたからな」
 そんなにここに通っていたのか。同年代で、外食をよくするほどまだ金も経験もないから、オレは相手がちょっとばかり大人に見えた。
 荒船が水の入ったグラスに口をつける。大きな氷が三個入ったタンブラーグラスは、すぐに空になった。
からいの平気か?」
「いける。そういえばここで頼んだことねぇな」
「じゃあ荒船のいつものと、それで」
 いつの間にか席の近くに立っていたカゲが、伝票にメモをした。直立したボールペンがサラサラと慣れた様子でオーダーを書く。びりっと小気味良い音がして、破られた伝票をテーブルに置いていった。
 用意されたお好み焼きの具材を広げるために取ったコテを、荒船が左手に持っているのがふと見える。
「左利きか?」
「ああ、珍しいか?」
「いないな、うちの家族には」
 左手で物が扱われるのは、見ていて不思議な気分だった。運ばれてきたボウルから流した生地を、ひょいひょいと鉄板の上で器用にコテで操る。
「ひっくり返すのって、難しいよな」
 いつもうまくいかねぇ、と荒船は、二つのコテを手首を使って動かした。端の方が少しばかり折れたが、オレから見れば上出来だと思うし、きっとオレは同じようにできない。せめて自分の分はやってみるかとコテを借りて、辛味のきいた生地をひっくり返せば、奇跡的に荒船のよりもうまくできた。
「へえ、器用だな」
 悔しがるのでもなく、ただ感心して褒められる。荒船からの素直な賛辞はむずがゆい。
「次からお前に作ってもらった方が、うまく食えそうだ」
 そう言って箸を割り、荒船はきれいに切られたお好み焼きを口へ運んだ。違う皿にオレが辛い方を乗せて渡し、しばらく無言で食事を続ける。
「大変か?」
「ん?」
「攻撃手は」
 まるで親が子に聞くような言い方だが、オレは攻撃手のことはなにも知らないので仕方なくこうなった。荒船が口元を拭いながら口を開く。
「大変……かどうかは、これからだろうな。上には上がいるし、オレはあそこの境地に到達するのが難しいとは思っている」
「あそこって?」
「太刀川さんや、風間さんだ。けたが違う」
「なるほど」
 最初から諦めている、というよりも、最初から算段をたてている、という方が正しい言いぶりに、オレは食べながら耳をしっかり大きくする。
「レイジさん、知ってるか?」
「知ってる、玉狛の」
「ボーダー唯一のパーフェクトオールラウンダー、って響きはもちろんかっこいいが、どうして一人なんだと考えてな」
 それは……たしかに。オレは最後の一切れを飲み込んで、水を飲む。喉仏が上下に一度動いて、口の中はきれいさっぱりからになる。
「なりたいのか荒船は、レイジさんみたいに」
「ああ、あくまでポイントと、技術面ではな」
「トリオンは?」
「六だ」
……難しくなってくるな、習得した全てをトリガーにセットするのは」
「だな。ただ、戦闘状況に応じて使い分けはできる」
 オレはもう一度、なるほど、とつぶやいた。
 自分のトリガーホルダーを思い浮かべる。イーグレット、シールド、バッグワーム。いたってシンプルな作りだ。荒船の場合であれば、今なら弧月が入っている。そこにイーグレットやガンナートリガーが入ることを想定する。
 異質で、異色で、面白い。
「荒船は、作らないのか。隊を」
 目の前の男は、食べようとして開きかけた口を閉じた。皿の上にお好み焼きを戻す。
 ──ざわざわと、人の声が増え出した。カゲがさっき言っていた、団体客が入ってきたようだ。店の入り口にたむろする人々が、店内を見渡して珍しそうにしている。カゲの母親らしき人が通路を歩き、彼らに席を案内した。カチリ、カチリと鉄板のスイッチを回す音。ボウルが複数、次々とテーブルに置かれる音。カゲが常連らしい客の一人に声をかけられ、無愛想に対応をしている音。それに慣れた客が、笑っている声。
 いろんな音がここまで届くはずなのに、荒船が静かに箸を置いた音がオレの耳にははっきり響いた。
……ここまで話して、隊を作るかどうかを聞かれたのは初めてだ」
 そこまで大勢に話したわけじゃないが。
 そう荒船はつけ足し、ようやく食事を再開する。オレもなんと返答をしていいものかわからず、荒船が食べた物を嚥下するまで、じっとその端正な顔を見つめることしかできなかった。
「だって、そうだろ」
 気まずくなったのか、荒船が口を開く。
「この話をしたあとで隊を組むってことは……つまりは俺の計画のための隊になる。上を目指すことに直接的にはつながらない」
 そう言って最後の一口を放り、奥歯で噛んだ。咀嚼が小さく収まるまでオレは待ち、低い声で告げる。
「そうだろうな、上にいきたいやつにとっては」
「あくまで実践をするための部隊になるからな……それにパーフェクトオールラウンダーになったら、隊は解散するかもしれないし」
 オレは、グラスの水を飲み、薄い透明なグラスの端に唇をつけたまま考える。氷の溶ける音がして、水が揺れた。
「俺の話ばっかりしすぎたな」
 荒船が肩をすくめて遮る。隊の話はここで終わってしまった。
 荒船の目尻に、ほんのわずかに涙が滲んだ。辛い生地で作ったお好み焼きを食べたからかと半歩遅れてわかり、テーブルに備え付けてあったピッチャーから水を入れ、荒船に差し出す。感謝をされて、しばらく滲んだ涙は引っ込まなかったが、やがてそれは乱暴に袖口で拭われた。
「結構辛い」
「いたずらかもな、カゲの」
「あいつ……
 そう言って遠くにいるお好み焼き屋の次男坊を見れば、ニヤリと笑っていたが本当のところはわからない。劇的に辛すぎたわけではないようで、荒船も水を飲めばすぐに落ち着いた。
「もう一枚食うか」
 とオレが決めて、荒船はメニューを渡してくれる。今度は海鮮が入っているのを頼んだ。カゲは団体客の対応に追われていて、ぶっきらぼうにボウルを寄越した。けれど、用意されたお好み焼きの海鮮は、他のテーブルよりも多く入っていた。
「水っぽくなってないか?」
「こんなもんだろ、ひっくり返すのは難しくなるがな」
「さすが常連だな」
「ソース、多くするか?」
「いや、このままでいい」
 向かい合い、話しながら、お好み焼きを構築する。利き手も違うから物を取るときに交差してぶつかることもない。皿を出し、海鮮がたっぷり入った生地を乗せられ、箸をつかんで食べる。束の間、二人でふたたび無言になる。
 オレは荒船と、無言でいることが苦ではなかった。二人でここへ来たのは初めてで、二人で出かけることだって初だ。
 こういうとき、そこそこ気が知れた知り合いであっても、他人とであればなにか話題を振ることが多い。興味のありそうな話を見つけて、相手がしゃべり出し、それを聞く役割を担う──たぶんこれが、以前彼女に言われた「義務感」というやつなのかもしれない。
 荒船には、それを感じなかった。素直になれた。男同士だからかと最初は思ったが、そんなことはなく。
 だから、義務感だと思わないオレの感情を信じ、荒船のテリトリーに一歩乗り込んでみた。
「楽しそうだ」
「なにが?」
「荒船が隊長なら」
 笑みを作ろうと、鼻筋にシワを寄せる。正しくは理解されないであろうオレの感情を、まだ知り合ったばかりの二人でときほぐすのは難しい。誤解されないようにオレは言葉を重ねる必要がある。
「試験的になにかを学んで実践するのは好きだ、それが未知のものなら余計に」
「実践するのは俺だし、隊員には負担を最小限にできるようにするつもりだぞ」
「最小限なんて、考えなくていい」
「穂刈」
 なにが言いたい? と荒船は、目で訴えた。珍しい聞き方だ。この男なら真っ向から相手を見定めて、どういうつもりだ? くらいは聞きそうなのに。
「やりたいことが制限されるだろ、そうすると」
 回りくどいか。オレは荒船に改めて言い直そうとした。けれど荒船は理解したようで、居住まいを正す。
「穂刈。その結論は、よく考えたのか?」
 オレは、数秒戸惑った。
 ……よく考えた、と言えば嘘になる。この考えは、今この場で、ふつふつと湧いてきた感情だったからだ。それは恋にも似た感覚だった。今はもしかしたら心に一本だけの綱をかけた吊り橋を渡っていて、勘違いを起こしているのかもしれない。けれどオレはその嘘を貫き通すためにうなずいて、足から頭までその偽りで塗り替える。
 よく考えた、お前の理論を推進するために。
 よく考えた、己の義務感ではない正直な気持ちとともに。
……明日、本部に申請しにいくか」
 荒船が、コテを置いて握手を求める。オレは自分よりちょっとだけ小さい、けれど固さや骨張った部分は自分となんら変わらない手を握り返した。
 恋であれば、手が触れて、相手にほほえまれ、「よろしくな」と言われ、心臓が高鳴るはずだ。けれどオレの心は不思議と凪いでいた。まるでこうなることがわかっていたように落ち着いていた。
 ──もしかしたら、恋をしていたのは実はもう少しまえからで、だからなんのためらいもなく、荒船のそばになるべくいられるような選択肢を進んでいるのかもしれない。