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wt村来
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庭
エワに出していた作品です。歳を重ねた鋼君が、SEの処理能力と記憶の容量が釣り合わなくなり、どう過ごすことにしたか
付き合っている二人のお話です
1
2
3
4
「鋼、この付箋
……
」
「すみません、忘れないとは思ったんですが、その、嬉しくてつい
……
」
「ううん、いいんだよ」
当然、一昨日貼った付箋は来訪した来馬先輩にも見られることとなった。オレは基本的にこういうのはきちんと剥がしたりして、リストをきれいにしておくタイプなんだけど、どうしてもこれはずっと貼っておきたかった。
明るい日の差す玄関に並んだ靴は、少しまえに先輩にオレが送った靴だった。
高級店やブランドはよくわからないけれど、どうしてもこれが先輩に似合いそうで、一緒に出かけたときに提案してみた。靴を合わせるときに入った店は、最後まで真摯に靴選びをしてくれて、ここにして良かったと接客を受けながら二人でほほえんだ。
そういう細かな光景も、いまだにオレの頭には色濃く残っている。脳が少しずつ衰えていってるとはとてもじゃないが考えられない。けれど、対策するなら早いうちがいいと考えて出した結論だ。ボーダーと、鈴鳴のみんなと、なにより来馬先輩と。
──鋼はやさしいから、きっと覚えていないことに責任を感じてしまうだろう?
今も、色あざやかに覚えている先輩の言葉だ。オレがこの家に住むと決まる直前に、話してくれた。
そうだ、きっとオレは、自分の記憶を頼りにしなければならない場面で、それが活用できないとき、悔しいし、苦しい。
近界民の侵攻も穏やかになってきているこの世界で、急遽自分の力が試されることはもう起こらないのかもしれない。それでも未来視という特殊な能力を持つ迅さんと、脳に直接影響のある能力を持つオレは、いつでも備えられるようにこうして体を案じてもらっている。
「古い家だけど、とても良い雰囲気だね。ぼくの祖父の家に似てる」
「え、先輩のおじいさんですか?」
「この家みたいに庭も畑もあってね。小さいころに遊びにいったの、懐かしいな」
それはきっと、古民家と呼べるレベルじゃないほどの広い邸宅なんだろうけれど、オレは「そ、そうなんですか
……
」と言うに留まった。オレの買ったここなどは比べ物にならない。絶対にそうだ。ニコニコと話す先輩の思い描いているおじいさんの家が、一体どのくらいのお宅なのか。
それでも、似ていると言ってもらえたことは心がくすぐられる。先輩の懐かしむ気持ちや過去の情景を思い出す中に、少しでも入れているのなら光栄だった。
先輩は案の定、庭に興味を持ってくれた。手入れだけはまめにするようにしていたが、いざ人に見せるとなるといささか気恥ずかしさはある。それでも、先輩が一歩足を踏み出した途端、「わあ
……
」と感嘆の声をあげたのを聞いて、胸を撫で下ろした。自分で思うほど、ひどい出来ではないようだ。
「花も自分で植えたの?」
「はい。苗は近所の人が譲ってくれました。余ったり、増えすぎたりして困るって言ってて」
「どの土でどう育つかって選ぶのが難しいから、ずっと住んでて詳しい人に譲ってもらえるのはありがたいね」
──いつか、三軒先の人に「バラの苗はいらないかい?」と言われたことがあったっけ。
この庭にバラか、と考えて、しばらく保留にさせてもらったけれど、結局断った。そもそもバラはかなり高価な苗で譲っていただくのは申し訳なかった。それに今、先輩に庭に立ってもらって改めてわかる。バラよりも、小さな花やおとなしい枝ぶりの花の方が、家にも、オレ自身にも、そして先輩にもよく似合っていた。
(一緒に住んでいるわけではないんだけどな)
そんなのは、贅沢な望みだと思う。
一時期、先輩と共に暮らしていくことを望んだことがあった。相手も、同じ思いを抱いてくれていた。そんな夜に本部に呼び出され、オレは自分の身が思った以上に慎重に案じられていることを知った。転居やこれからの行動を言い渡され、交渉し、自分なりの納得を
以
もっ
て先輩に伝えにいった。すぐに先輩は「鋼の今後のためなら」とその後の手続きも準備も手伝ってくれた。
手伝ってくれている間、荷物を段ボールにしまう先輩の手つきは五分ごとに止まった。どうしたんだろうと横目で見れば、手に持っているオレの所持品一つ一つに、なにか思いを重ねているようだった。それは先輩と一緒に購入したり、どこかへ行ったときに先輩からもらった物だったり。
「すみません」
とオレは謝った。謝って、なにが解決するともわからず、けれど謝るしか方法を知らなくて、オレはこぼした。
本当は一緒にいたかった。
本当は記憶のことなんて考えずに、来馬先輩のそばにいたかった。
別にこれは、別れではない。ただ物理的な距離の
隔
へだ
たりは、これまでに経験したことがほとんどなかったから、二人の間には少し堪えた。
いいんだよ、と笑って、その笑顔にわずかに眉根が寄り、まぶたが伏せられる。
「寂しくなるね」
先輩はいつだって、本心をくれる。その日もあいかわらず、本当に思っていることを伝えてくれた。オレの心臓は痛んで、痛んで、仕方がなかった。
離れるのが寂しい。先輩とは付き合ってもう長いのに、恋愛を覚えたてのころを思い出す。たった数時間、夜会えないのも惜しいときもあった。遠征中に、夢に見たこともある。遠征艇から見えた星に、こんな大きな星の中で出会えたことを奇跡だとなんとも壮大に考えて、「何考えてんだ」と額を小突いたこともあった。でもそれほど、会いたいといつも思っている。
もう一度謝ろうかと顔を上げたら、先輩の顔が近くて、目を閉じて受け入れた。唇同士が触れ合うのは何度も経験があるのに、初めてキスをしたときと違うかさついた音を感じて、言葉でも体温でも、先輩が寂しいと思ってくれていることを知った。思い知った。
その夜はとても長かった。先輩がベッドで果てても、
「まだいてほしい」
と言われ、
「
……
わかりました」
と返す。そんなわがままを言われたことは今までなかった。体に負担をかけないようにやさしく労って、指で涙をすくった。先輩は、弱音を吐いて泣いてしまうような人ではない。あれは生理的に流した涙だった。それでも、こぼれたものをすくって、地につけたくはなかった。どうしてかはわからない。先輩の流すものを一滴も、今は失いたくなかったのかもしれない。とうとう涙を舐め取ると、くすぐったさに先輩が笑った。苦しそうな笑顔ではなかった。どこか、満ち足りていた。オレはほっとして、そんなやわらかい笑顔にさえ反応してしまう自分の下半身がひどいもののように思えて顔を赤くした。先輩は驚いていたけれど、
「あと一回しか、無理だけど」
とこんなオレを受け入れてくれた。
──次の日からは、もう先輩は物思いにふけながら準備をすることはなくなった。全てに封をした段ボールの山が運ばれていくのを見ながら、なにもなくなったオレの部屋を眺めながら、
「必ず時間を作って、会いにいくね」
と力強く言った。
宣言通り、どんなに多忙でも先輩は会いにきてくれた。本部に行くとき、オレも必ず数分であろうと先輩のいるところへ会いにいくようにした。けれどそれも少しずつ時間が減り、日々に追われ、オレ自身の脳に負担をかけてはまずいからとメッセージだけを送り合って終わる日もあり。
だから今日は、本当に久しぶりに会えたのだ。嬉しさの中に、憂いもある。庭に彩られた花々は先輩の目を、一体いつまで癒すことができるだろうか。咲き誇った花弁が風に揺れた。風はそのまま、家の脇を通り抜け、周りの林をざわめかせて去っていった。
夜になると、この辺りは一気に静まり返り、この間荒船が来たときよりもさらに星が近く落ちてきそうなほどだった。木と木が葉をこすり合わせる音が窓から聞こえ、オレは今さら窓が開けっ放しだったことに気づく。
「閉めてきますね」
立ち上がって窓辺へ寄ると、地面いっぱいに木の葉が落ちていた。庭を埋めつくす勢いで葉が大地を覆っている。もう秋も終わり、冬になるのだ。この家で過ごす初めての冬だった。
頑丈な家は隙間風を通しづらいから、ストーブの必要性を今のところ感じないが、「寒くはないですか?」と先輩の方を振り返る。
「大丈夫だよ」
笑う目尻には赤くこすれた跡がある。もしかしたら、あくびを噛み殺していたのかもしれない。
「先輩、もしお疲れでしたら寝る場所を
……
」
「ううん、せっかく鋼の家に来られたのに、まだ眠るのはもったいないよ」
オレの心がじんと熱くなる。もったいない、と思っていてくれるのか。
落ちた木の葉に、吹く風の冷たさに、もしかしたら、もしかしたらこのまま先輩とは、と感じてしまった自分もいた。冬や秋が別れの季節だと
謳
うた
われるのと同じように、自分も切なさと
寂寞
せきばく
を感じていた。それらも、たった一言自分を惜しむ声を本人から聞けただけで引き出しにしまわれ、気分は舞い上がってしまう。
ただ、思いはあくまで引き出しにしまわれただけなのだ。再び開ければ、また蘇る。
「もったいない、と言ってくれるのが、嬉しいです」
正直に明かすと、先輩は首をかしげた。
「たしかに最近は特に忙しくてなかなか会えなかったから、今は貴重な時間だとぼく自身は思っていたよ」
一つ一つの言葉が丁寧に紡がれる。心地よい響きにオレはうなずいた。
自分が想像していたよりも、はるかにオレは先輩に愛されているのかもしれない。
けれどそれを、この頭は忘れていってしまうんだろうか──それがオレには恐ろしかった。
「あなたのことは、全部覚えていたいのに」
誰かに締めつけられたような声を出した。ついうっかり、出してしまった。先輩は驚いてこっちを見ている。昼間、庭で花を愛おしそうに見つめていた瞳は、黒目を揺らしていた。動揺しているのだとはっきりわかる。
みっともない、とオレは己を叱咤する。覚えていたい、という、誰もがどうすることもできないことで相手を困らせている。でも言ってしまった言葉も、声音も変えられない。
やがてオレは顔を伏せた。先輩の表情をチラリとも窺えない。顔を見るのが怖かった。
先輩のまえで弱音を吐いたのは、いつ以来だろう。倉庫の中でひとしきり涙を流した、十七のあの日以来か。あんな大事な日の記憶が、先日荒船が来た夜に、薄れてしまっていたことに恐怖を覚えた。
先輩のことを覚えていればいいと言ってくれた荒船の力強い言葉は、まだちゃんと思い出せる。たしかに荒船の言う通りだと思う。しかしそう望んでいても、昔だったら確実に大丈夫だと言えたことが、今では叶えられるかどうか危ういのだ。そのことが今はとても
煩
わずら
わしくて、歯痒くて、
辛
つら
い。
……
ずいぶん長い間、先輩は黙ったままだった。困らせてしまっている。謝ろうとオレが口を開きかけた途端、「そうだ」と先輩は手を打って、オレに向き直る。
「ぼくのことを、真っ先に忘れる
……
っていうのはどうかな?」
思いついた、という表情に一切の悪意はない。ないが、オレは驚いて思わず身を固くしてしまった。
今まさに、あなたを覚えていたいと言ったばかりなのに。忘れる、という選択肢の出現は、想定外だった。
「ああ、ごめん。ええと、勘違いさせちゃう言い方だね」
先輩は頬をかいて、穏やかに訂正する。
来馬先輩がこうやって、今思いついた、とばかりに発言をするのは珍しかった。いつもなら必ず一拍呼吸を置いて、思慮深く、整理した内容を話してくれる。こういったセンシティブな内容であれば特に。
それを焦ったとしても、言い方に語弊があるものだとしても、すぐに言わなければと思ってくれたのには、きっと理由がある。そしてその理由は全て、オレを思ってのことなんだというのは、もう長い付き合いで身にしみてわかっている。
わかっているから、続きを待てた。期待と不安で喉が鳴る。
先輩が咳払いをした。
「ええと。つまり
……
鋼と過ごす時間がね、とても少なくなってきているだろう?」
「
……
はい」
「ぼくは、それをちょっと、いやかなりかな、寂しく思うこともあって」
そうなのか。オレは年上のこの人が、なにかに寂しく思ったりするようなことがあるのかと失礼ながら思った。もちろん先輩だって人間で、そういった気持ちを持ち合わせるのは当たり前なのだが、なんというか、大人なのだ。オレでは到底敵わない、大人。それが別に嫌なわけでも、不快なわけでもない。見下ろされているかと言われれば断固として違う。尊敬すべき大人、と言ったらいいのか。
そんな先輩が、寂しいと感じてくれているなんて。
「だからね、もしも鋼が良ければ、ここに一緒に住むのはどうかなと考えたんだ」
「一緒に、ですか?」
でも、とオレは口ごもる。
一緒に住めることは飛び上がるほど嬉しい。けれど、それは本来先輩が受け持つべきではない負担が増える。本部までの通う距離、環境の違い、手続きも含めてさまざまな。
「嫌かな」
「嫌ではないですが
……
」
座ったひざの上に置いた拳をぎゅっと握る。手の甲に白い筋ができるほど握る。
一緒に住むことと、真っ先に先輩を忘れることと、なんの
因果
いんが
を持つのだろう。先輩の考えが見えなくて、オレはようやく相手の顔を見た。
鈴鳴に入った当初、右も左もわからないオレを迎え入れてくれた表情と同じまま、先輩はほほえんでいる。
「もしも一緒に住んだら、」
先輩は一度唇を結ぶ。そして、息を吸った。
「たとえぼくと話したことを忘れてしまっていても、そばにいるから何度でも言えるよ」
先輩はもう一度、呼吸をする。
「たとえぼくとのことを思い出せなくても、一緒にいれば、すぐに同じことができる」
そして首を傾げて、
「
……
どうかな?」
結構いい提案をしたと、思うのだけど。そう先輩は締めくくった。
オレは、暗いはずの部屋がチカチカと光の粒が反射するみたいにまぶしく感じられた。それはまばたきをするたびにまぶたの裏に残像みたいに留まって、それがやがて滲んだ雨の日のライトみたいにぼやけてくる。先輩の姿がかすんでしまって、どうしてなんだろうと目をこすれば、指先が湿っていて生ぬるい温度も感じた。その湿り気が頬を通り、あごから落ちるころ、先輩が慌てた顔でハンカチで拭ってくれる。
「ごめん、鋼は覚えていたいって言っているのに、ちょっと考える視点が違ったかな」
本当なら先輩に涙を拭われるなんてことをさせたくなかったのに、オレの体は痺れたみたいに動けなくなって、座ったまままだ自分で涙を拭き取れずにいる。
「いえ、そんなことは、なくて」
思ったより強く握りしめていた拳をようやくゆっくりほどいたころには、オレの涙は収まっていて、結局先輩が持っていたハンカチは半分ほど濡れてしまった。いつもならすぐに「それ、洗います」と言えるのに。不甲斐ないなと思いながら、オレはどうにか誤解を解きたくて声を絞ろうとする。絞れば絞るほどうまくいかなくて、とうとう恥じらって「すみません」と笑えば、先輩は首を横に振った。
そしてハンカチを持ったまま、オレと目線を合わせる。
「ぼくは、鋼は鋼のままでいいんだよってまえに言ったけど、今でもそうだと思っているんだ」
つまりね、と先輩は、照れたように崩した笑顔を見せた。
「おまえがおまえのままでいられるように、ぼくも力を貸していきたいんだ
……
支部にいたころと変わらずにね」
少し伸びた襟足の髪をかきながら、先輩ははにかんだ。まっすぐな視線はやわらかで穏やかなのに、やさしくオレの心臓を射抜いてゆっくり深く浸透する。
もう一度先輩が「どうかな?」と尋ねる。オレはとてもいいと思って、一度うなずいた。
「もっと早く、こうしていれば良かったね、お互いに不安にならなくて済んだ」
「
……
離れたから、改めてわかったこと、でもあります」
「ぼくもそう思う。大人になったのに、離れるってこんなに寂しいんだなって思ったよ」
──窓の外の濃い藍色の空は、片田舎のこの街に星の光をもたらしてくれる。先輩はそれを見るのが好きだった。運が良ければ川沿いに蛍が見える。先輩へ連れられて、オレは庭へ出て腫れそうな目を冷やした。
花はやはり夜だから花弁を閉じていて、夜露の湿り気が靴や靴下を濡らす。けれど、先輩は気にしていないようだった。むしろ「濡れちゃったね」とか「星があんなにある」とか、まるでこの環境の一つ一つに挨拶をするように話している。
そして先輩は最後に家の方を向いて、
「これからよろしくお願いします」
と一礼した。オレは息を漏らして笑って、その白い横顔を見つめていた。
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