エワに出していた作品です。歳を重ねた鋼君が、SEの処理能力と記憶の容量が釣り合わなくなり、どう過ごすことにしたか
付き合っている二人のお話です





 オレの家は、三門より少し外れた防風林の向こう、市の中心より一時間ほど車に揺られてたどり着く場所にある。風が強く吹く土地柄で、駅からは歩くとかなりかかってしまうので、住む人は徐々に減ってきている。洗濯物がよく乾くのでそこが気に入っているが、近所の人にはそんなものはあんまりメリットにならないらしく、おおかた不評らしい──不動産の人がそう言っていた。売り手にとって損な情報をくれるだなんて、ずいぶん開き直った人だなと思っていたが、どうせ買わないと思ってあけすけに話してくれたらしい。オレが「ここにします」と言うと、心底驚いた顔をしていた。
 昔で言う長屋、とも呼べる平たい一階のみの家をぐるりと回ると、草の伸びきった前庭、小さな畑を作れる場所、木造の崩れかけた物置、まえの住人が置いていったであろうネズミ捕りの罠などがあった。人が住まなくなって久しいここには、もうネズミすら期待を持たず離れてしまった。だからと言って悪臭や腐敗の恐れもなさそうな、良質な木材で作られた家は、広い窓ガラスからさんさんと光を取り込んで、まだまだ生きていたいと思っているように見えた。
 オレは家具がなにも置かれていない部屋を見回し、
「よろしくな」
 と伝えた。

 ◇

 この家に住んですぐに直した物置で、畑に使う肥料を選んでいると、遠くから車の音が聞こえた。道路は家よりも離れたところに位置していて、この家に来るには土ぼこりと砂利の音を立てて来なければいけない。それを平気そうに車で入ってくるのは一人か二人だ。
「カゲ、久しぶり」
「おう、車、ここ停めるぞ」
 返事を待たずに慣れた手つきでハンドルを回す。カゲのジープが家の脇にある広いスペースに停まると、緑と石ころだらけの中で、黒光りする車は異様に目立った。
「カゲみたいだな、車も」
「なんだそりゃ」
 降りてきたカゲは首を傾げながら、ビニール袋をガサガサと何個も取り出してこっちへ歩いてくる。
 あれには、なにが入っていたんだっけ。
 たしか、まえにもカゲはああやってうちへ来るときに物を持ってきていた。
 カゲが履き慣れたブーツを脱ぐ音で、我に帰る。オレはあわててうしろに続いた。居間へ続くきしんだドアを開けば、決して広くはないがじゅうぶんなスペースのあるリビングがカゲを招く。二人がけのソファ、ストーブ、古いテレビと、長年鈴鳴支部の自室で愛用していたローテーブル。キッチンはシステムキッチンではなくて、ただの真横に伸びた古いタイプだが、それでもオレには贅沢すぎる作りだと思っている。
 キッチンの横の勝手口から庭へ出られる。カゲはそのドアの近くに、持ってきたビニールをどさどさと置いた。
「鉄板は?」
「ここだ」
 そうだ、思い出した。オレはよく手入れをしておいたオイルプレートを取り出して、テーブルの上に置く。何度も使っているのにつやつやと光っている表面には、カゲの満足そうな顔が映った。
 今日は、カゲがお好み焼きを作ってくれる日だ。

 野菜を切るのを手伝いながら、カゲは手際良くオイルプレート(カゲ曰く、「こんなもん鉄板って呼びゃいいだろ」とぼやかれる)をセットする。取っ手のついているそれは扱いやすいみたいで、表情には一つも出さないけれどカゲは気に入っていた。
「できたか?」
「うまくいった」
「へえ、だいぶ細く切れるようになったじゃねーか」
 初めてカゲがこの家でお好み焼きを作ってくれた日、手伝いを買って出たくせにキャベツの切り方が散々で、カゲが包丁を持って手ずから教えてくれた。「さすがにこれは手癖でできるようになれよ」と呆れられ、いかに今まで料理をしてこなかったかが丸わかりだった。こんに頼りすぎていたな、と反省した日でもある。
 今も鈴鳴支部で働く彼女は、あの美味しい料理を隊員に振る舞っているんだろうか。気が抜けた笑いを漏らすと、想像の合間を縫ってカゲが「できたらこっち持ってこい」と指示をくれた。
 千切りになったキャベツをボウルに移した。まな板を軽く洗い、豚肉を用意する。
「この間、ゾエが来たがってたぜ」
「そうか」
「軽トラ動かしてみたいんだとよ」
「はは、それはありがたい。野菜とか、道具を運ぶのに手間取ることもあるからな」
「また太っちまったらしいから、手伝わせて痩せさせるしかねーな」
 健康診断に引っかかり、泣く泣く日々の食事を減らしているらしいと聞いた。穂刈が筋トレを勧めたり、絵馬もランニングに付き合ったりするそうだ。
「オレも横で並走しようかな」
「おめーと穂刈のランニングじゃダメだろ、すぐゾエがバテる」
 なるほどそれはそうかも、とオレは相づちを打ち、包丁を持ち直して豚肉を半分に切った。
 見上げれば、キッチンの正面にある横長の細い窓には、無数の赤とんぼがひしめいていた。今はちょうど繁殖シーズンで、そのうちつがいになって群れて飛ぶようになる。水たまりのできやすいこの土地は、ぬかるんだ場所に必ずとんぼたちが羽を休めていて、邪魔をしないように歩くのが大変だ。とんぼの影がうっすらまな板に映り込む。なんとなく、その影を一緒に切ってしまわないように気をつけた。
 火のよく通ったプレートをまえに、カゲが「よし」と腰に手を当てる。
「鋼、作んのは──」
 そこまで言ったカゲは、まるで見えない壁に当たったようにビタリと止まった。
 オレが、以前カゲが残していってくれた、作り方のメモを見ていたからだ。
 豚肉を敷く。ボウルから、ちょっとずつ液を垂らす。絡まっていた具が落ちて、プレートの表面に広がった。滲み出すようにじわじわと面積を拡大し、カゲが家から持ってきたコテをそばに置いた。粗く、しかし細かい指示もあるカゲのメモは、わかりやすくて丁寧だ。癖のある字は、長年の付き合いがあるから読める。
 それなのに、カゲは書かれている本人の文字よりも何倍も、複雑そうな顔をしている。
……オレ、なにか間違えていたか?」
 苦渋の表情をゆるめない友人に、オレは恐る恐る尋ねた。けれど、カゲは口を尖らせたまま、オレからコテをひったくるように奪うと、「あとはやる」と言い放たれた。
「カゲ、」
 言いたいことがあるのなら、と言おうとすると、強く遮られた。
「お前は、んなもん見なくていい」
 伸びた前髪のせいで、うまく表情が読めない。けれど声が震えている。
「でもカゲが書いてくれたものだ」
「いいから」
 カゲは、やさしい。オレがそう言いすぎて、本人は否定する気力も失せているらしいが、それを幸いとばかりに、やさしさに助けられていることを常日頃から伝えている。
 その友人に、黙って言うことを聞け、と言われているようで、胸が締めつけられるように切なくなる。
 カゲは、決してそんなことを強要する男ではない。特別な事情、仕方のない理由、最終判断としてそういう言い方をすることもあるかもしれないが、戦闘以外で聞いたことはない。ましてやこうした友人同士の時間に発動されたなんて。
 つまり、今のオレには特別な事情があるのだ。オレはありすぎる心当たりに、ぎゅっと拳を握って相手の言葉を待った。
 後ろ頭をかきながら、小さな声でカゲは言う。
「忘れていい、いつでも作ってやっから」
 ──オレは、そうか、と一言つぶやいた。
 お好み焼きがジュウジュウと音を立てる。鉄板の上で、かつおぶしがひらひらとまかれて踊った。いつか、これを空閑が珍しそうに見ていたっけ。お好み焼きの作り方は忘れてしまっても、あの表情はちゃんと覚えている。
 カゲが皿に盛ってくれた量は予想より多くて、
「こんなに食べきれないな」
 と笑った。
 ビニール袋の中身は半分以上も材料を残しているらしく、
「まだ持ってきてんだからな、ちゃんと食えよ」
 とカゲは半ば押しつけるように皿を置いた。
 袋の中身は、きっとカゲがこれから作る作り置き料理でなくなる。カゲはいつもそうしてこの家に、大量のタッパーに入った食事を置いていってくれる。オレは熱々のお好み焼きを頬張りながら、まえに来たときのタッパーを返さなきゃな、と思い出す。
 台所に模様のように浮かんでいた赤とんぽの影は、いつの間にかいなくなってしまった。