吾妻
2024-10-10 00:44:59
7359文字
Public アークナイツ
 

Short Story log06

SNSなどに投げ込んでいた短い話のまとめです。
基本的にイチャイチャしています。
今回は白铁博♀と流博♀と史都博♀が入っています。


つなぐ指先


 スチュワードは、風の音で目を覚ました。
 亡霊の啜り泣きのような風のうねりは、壁や窓を容赦なく揺さぶり、叩く。子どもの頃なら家が壊れそうだと泣いたかもしれないが、風雪に慣れ親しんだイェラグ流のロッジの頑丈さをスチュワードはもう知っていた。
……でも、今夜は随分と風が強いな)
 日暮れから降り始めた雪はいつしか吹雪となり、真夜中をすぎても弱まる気配を見せない。今日はなんとか宿泊予定のロッジに辿り着けたものの、明日の予定に支障が出ないか心配だ。
(まぁ、こればかりは考えたって仕方がないけど)
 天候を案ずるのがどれほど非生産的なことなのか、イェラグ育ちのスチュワードは身に染みて理解している。それでも奇妙な焦りを拭い切れないのは、今回の仕事に気負いを感じているからなのだろう。

 喉の乾きを覚えてベッドを降りる。水でも飲んでもう一眠りしようと、あてがわれた寝室から共用部のリビング兼キッチンに出ると――
……ドクター?」
 照明が落とされたリビングに人影があった。
 スチュワードの上司であり、今回の仕事の責任者でもあるドクターが、窓際にひとり、佇んでいる。
 すでに一度ベッドには入ったのか、普段の防護服ではなく薄手の夜着姿だ。普段は防護服に隠されている華奢な体のラインが際立って、スチュワードは小さく息を飲んだ。見てはならないものを目の当たりにしてしまったような、居心地の悪さがある。
 ドクターからの返事はなかった。
 意図して他人の呼び掛けを無視するような人ではないから、何か考え事をしているのだろう。こんな夜中に? しかも、決して暖かいとは言い難い部屋で。
 一度物思いに耽ってしまうと時間を忘れてしまう人でもある。体が頑丈とも言い難いのだから、声をかけてあげた方がいいかもしれない。
「ドクター」
 今度は少し大きめの声で呼び掛け、わざと足音をさせて歩み寄る。流石に聞こえたと見えて、ドクターは細い肩を僅かに跳ねさせた。
「スチュワードか」
 どこかぼんやりとドクターが振り返る。透き通るほど白い肌は、寒さで青ざめているようにさえ見えた。
「考え事の邪魔をしたならごめん。でも、今日は特別寒いし、そんな薄着だと風邪をひいてしまうよ」
 我ながら、気安い口の聞き方だと思う。これでも対面当初は立場相応の口調を心がけていた。しかしある時、うっかりA4 友人に話すような言葉で話しかけてしまい、慌てて謝罪と訂正をしたところ、ドクターは楽しそうに笑って、こう言ったのだ。

――いいね。距離が縮んだみたいで嬉しい。

 以降、少しずつ口調が崩れていき、今ではこの有様だ。
 自身の家系を誇りに思うのなら、立場を弁えぬ振る舞いは避けるべきなのだろう。しかしスチュワードは、この距離感が嫌いではない。
 上司としても女性としても、尊敬し、憧れている人に近づけている。そんな気がするからだ。

「考え事……というわけでもないんだ。こんなに強い吹雪は久しぶりだから、つい色々と思い出してしまって」
「久しぶり? ドクターは、前にもこんな吹雪に遭遇したことが?」
……うん」
 曖昧に頷いて、ドクターは再び窓の外に視線を向ける。
「あのときは、友人をひとり亡くしてしまった」
 独白じみた呟きに、スチュワードはそれ以上訊くのをやめた。おそらく旅先で荒天に見舞われたなどの和やかな話題ではないのだろうと思った。
 ちらりと過ぎる予感があったが、確証はなかった。チェルノボーグから龍門まで続いたレユニオンとの攻防において、予備隊は最前線を任されたわけではなかったからだ。
 だからスチュワードは、当時ドクターが味わったであろう喪失感を理解することができない。言葉ばかりの同情を寄せるのも違う気がして、口を噤んでドクターの横顔を見つめた。
 ドクターはじっと、窓の外を眺めている。
 だが、その瞳が見つめているのは風雪が叩きつける窓でも、その向こうで荒れ狂う吹雪でもない気がした。もっと遠くの、過ぎ去った何か。それに近しいもの。
「こんな激しい吹雪の中を歩いたら、すぐに迷子になってしまいそうだな」
 眼差しを遥か遠くに向けたまま、ドクターがぽつりと呟く。
 まただ、とスチュワードは思った。
 すぐ傍にいるはずなのに、手を伸ばしても触れられない幻のような。
 ドクターを見ていると、そんな錯覚に囚われる瞬間がある。
 多くの人々に慕われ、常に輪の中心にいるように見えて、ドクターの纏う気配は静謐だ。
 彼女が他者を拒絶しているわけではない。自分を慕う人々に、ドクターは親愛と信頼を隔てなく差し出す。けれど、どれほど近づいても、次の瞬間には跡形もなく消え去ってしまうような危うさが、彼女にはあるのだ。
 今も、まるでこの吹雪にさらわれてしまいそうな――
……大丈夫」
 思わず、手が伸びた。
 隣に立つドクターの、グローブに覆われていない指先に、触れる。
 折れそうなほど細いそれに、自分の指を絡ませて、握る。
「迷子になっても、絶対に僕が見つけるから。吹雪には慣れているんだ」
 ドクターの眼差しが、窓の遥か向こうからスチュワードの元に戻される。
 澄んだ双眸が想定よりずっと近い位置にあり、スチュワードは自分が腕と腕が触れ合うほどドクターに近づいていたことに気がついた。
 ドクターは、ふっと口の端を緩めて笑顔を作る。
「君の手は温かいな」
 小首を傾げるような仕草でドクターが呟く。続いて、絡めた指を握り返されて、スチュワードは小さく息を飲んだ。
 今更になって気恥ずかしさが込み上げてきた。どうして自分は彼女の手を握ってしまったのだろう? 許しも得ずに女性の体に触るなんて、普段の自分なら絶対にしないのに。
「ごめん、ドクター……
 そんなつもりじゃなかったんだ、と喉元まで出かかったが、言葉にできずに飲み込んだ。今にも消えてしまいそうな彼女を引き止めたくて手を伸ばした。触れたいと思ったから、触れたのだ。
「いいんだ。君が来てくれなかったら、朝までこうしていたかもしれない。お陰でちゃんと眠れそうだよ」
……それなら良かった」
 手を解こうにも、向こうから握られていて解くタイミングがわからない。
 はじめは冷え切っていた彼女の指先も、握り合わせているうちに同じくらいの温度に変わっていた。
「ドクター――
「もう少しだけ」
 部屋に戻って寝たほうがいいと促そうとしたら、予想外に食い下がられた。
 そこまで言われては、抗うのも野暮というものだ。元々はこちらが伸ばした手なのだし。
……もう少しだけだよ」
 口から出た言葉は、彼女に対してのものか、それとも自戒か。
 ドクターは返事をしなかった。その代わり、つなぎ合わせた手にもう一度力を込めてきた。


【おわり】