清春
2024-09-20 23:52:37
10117文字
Public BL
 

ヤスチハ

まとめ


熱浮上

 バシャッと。飲みすぎていた客にお冷を出したところ、それはもう盛大に水をかけられた。
 コップ一杯とは言え満遍なく頭にかかったため毛先から雫が滴り落ちる。客は何やら叫んでいるが笑みは貼り付けたまま対応する。マスターは今他の客の対応をしているから、俺しかいない以上仕方ない。
 財布から適当に金を出してフラフラ歩き出すものだから、べろんべろんになっている相手の肩を持ち、外に出る。あとは来ていたタクシーに丸投げだ。
「箕田くん、早く中に入って頭拭こう。風邪引くよ」
 マスターが慌てて店を出てきて、俺の背中を押す。確かに、初夏が近づいてきたとはいえ夜は肌寒く、風が吹けば体が震えるほと凍えた。
「大丈夫ですよ。このくらい平気です」

 ​────とまぁ、強がったが風邪をひいた。
 敷布団と掛け布団に挟まって狭い1LDKアパートの天井を見つめる。寝室として使っている五畳程度しかない部屋は殺風景で、布団と、雑多にものが置かれた棚、ハンガーラックに俺とチハルの分の服がかかっていること以外目立った物はない。
 頭はボーッとしている。少し咳があり、食欲はあまりない。医者には見せていないが、どう考えても風邪を引いた。軽度とはいえ風邪をひくのは久しぶりで、この感覚は懐かしさが芽生える。
 ……最後に風邪を引いたのはいつだったか、中学生くらいだった気がする。虚ろに考えている時。
「ヤス……熱、しんどい? 何かいる?」
 珍しく体調を崩してダウンした俺を見ておろおろするチハルが俺の顔を覗き込んでくる。
 眉尻を下げて、上手く散髪できず斜めった少し長い前髪がかかるのは、濃いめのミルクティー色のツリ目。寝不足故に目の下にはうっすらくまが出来ている。胸元まで真っ直ぐ伸びている髪は下の位置で適当にまとめられており、可愛らしい顔立ちも相まって一見女にも見える。俺からしたら誰よりも可愛い容姿のチハルは、タッパが百八十を軽々越える俺と目線がだいぶ近い。普段は猫背のせいでわかりにくいが百八十ほどある痩せぎすで、抱きしめたら折れてしまいそうな体。
 精神面は水の溢れだしそうなコップのように不安定で、自己評価は低く、でも自己承認欲求があって、それを上手く得られなくてひっそり泣いて、笑顔が下手くそで、俺が密かに友情以上の思いを寄せる相手。
 具合の悪い俺を見て狼狽える可愛いチハルが見れただけ風邪を引いて良かった。あの客にも感謝だ。もちろんそんな思いを悟られるわけにもいかないため、ヘラッとした笑みを浮かべて誤魔化す。
「ちょっと熱高いだけだから気にすんな。ほら、チハルに移っちまうから離れる離れる」
「でも……
……じゃあ、なくなりそうだからスポーツドリンク買ってきてくれるか?」
「わ、わかった。行ってくる」
 俺がそう言えばチハルが財布を持って、忙しなく家を出た。チハルは優しいから、珍しく弱っている俺を放っておくことが出来ないのだろう。そういうところも可愛い。
 声はいつもよりかすれるし、喋るのも正直しんどい。それでもチハルがいつもより不安げに喋るのが見れるから、つい口が開く。
 そういや、チハルはあまり風邪をひかないな。目の下にくまを作って、俺がいなきゃ飯もまともに食べてないような不健康な生活だと言うのに。あのひょろひょろな体は実はかなり病原菌に強いのかもしれない。真相は神のみぞ、というやつだろう。
 とりとめのないことを考えていると、チハルが帰ってきた。コンビニで買ったものが入ってるであろうビニール袋をガサガサ揺らしている。
「スポーツドリンク以外にもカットフルーツあったから買ってきたよ。あとグミ、は俺ので……みかんゼリーとカスタードプリンもあるんだ。どっちがいい?」
 一個一個丁寧に袋から出して、顔を横にした俺が見やすい位置に並べていく。グミはしっかりチハルの傍らによけていた。色鮮やかで、チハルなら喜びそうなラインナップだが生憎俺はそうでもない。
「んー……俺あんま食欲無えし、チハル全部食っていいわ。ごめんな」
 本心のままに謝れば、チハルは少しふくれっ面になる。珍しく怒っている。可愛いことに変わりはないが。
……じゃあせめてプリン食べて。このプリン、コンビニクオリティと侮ったらダメだから。本当に美味しいんだよ。すごく滑らかで濃厚だし、しかもゼラチンっぽさはないんだ。風味もすごく良くて」
「わ、わかったわかった。プリンは食べる」
 熱弁され思わず圧倒される。本当にチハルは甘いもの好きだ。食にここまで好みを示せるのは良い事だと思う。俺には特に好きな物はないし、嫌いな物もない。良くも悪くもこだわりがない。
「じゃあゼリーは俺が食べるとして……あ、ヤス、カットフルーツも食べてね。色々入ってて美味しいよ」
「結局全部食わせるのかよ」
「だってヤスに早く良くなって欲しい」
……わかったよ。ちゃんと食うから。でもチハルも手伝ってくれよ?」
 こうなったチハルはなかなか強情だ。俺が諦めて妥協案を出すと頷いてくれた。
 起き上がって一息ついた後、プリンの蓋をめくる。プラスチックのスプーンですくって食べた。チハルの言う通り、コンビニスイーツとは思えない美味しさだ。普段甘いものはあまり食べないが、こういう時はやっぱり甘いものは体に染みる。
 プリンを掬う匙が止まらないのを見てるチハルの表情は明るく、優しかった。母親に看病された記憶なんてないが、もし優しい母親ならこういう、むず痒い感覚になるのだろうか。
「ヤス、あーん」
 いつの間にかカットフルーツが入ってる容器のフタを外して、プラスチックのフォークにリンゴを刺して俺の口元に近づけていた。
「一人で食えるって」
「あーん」
……あーん」
 チハルの圧に負けて大人しく口を開けてみるとリンゴが入ってきた。瑞々しくて甘い。久しぶりにフルーツ食べたな、と咀嚼する。
「他にもあるけど……みかん、いる?」
「んー……キウイがいいな」
「わかった。はい、あーん」
「あー」
 ……思わず顔が綻びかけるほど、幸福な時間だ。好きな相手にこうやって看病されるのも悪くない。普通のフルーツも、プリンも、チハルと一緒だとこうも特別なものになる。
 食べ終えるとチハルが空になった容器を片付けて、俺の熱を測った後柔らかく笑う。
「下がった……かな? でもまだ熱いし、寝ててね。おやすみ」
 押し込めるように俺を布団に入れるとそのまま居間へと立ち去ろうとする。物書きの仕事があるし、当然と言えば当然だろう。俺もだいぶ楽になってきたし、さっさと寝てしまおう。
「チハル」
 だが、俺の思いとは裏腹に、呼び止める声掛けをする。チハルはきょとんとした顔で見つめてくる。
……や、なんでもねえ。おやすみ」
「? じゃあ、またあとでね」
 居間と寝室を区切る引き戸で遮断され、チハルの姿が見えなくなる。
 天井をまた、見つめる。さっきはつい「ここにいて欲しい」なんて言いかけたが、さすがにチハルに引かれる。熱に浮かされた戯言と思ってくれればまだいいが、そうならなかったらガキ臭いと呆れられるところだった。俺の熱、移したら悪いし。
 目を瞑る。とにかく今は煩悩を払い除ける意味も込めて、寝る。寝てしまえばこの熱もなくなるし、チハルにありがとうの意味を込めてハグができる。今もきっと寂しい気持ちになって仕事をしているに違いない。
 やっぱ風邪なんか、引くもんじゃねえや。