「まだ起きてたんですか」
「ん、
……まあ、ね」
部屋に戻ってきた沢城くんがそう言うのも、当然の話だった。
壁の時計は、長針と短針が十二を指して、ぴったり重なる位置だ。いつもならもう、とっくに寝ている時間。それでも僕が起きて待っていたのは、少しでも彼と話したかったからだ。
ここ最近、沢城くんはちいさいのと一緒に、墓のから術の手ほどきを受けていることが増えた。代わりに僕とゲタ吉が、今まで墓のがやっていたアレコレ
――主に妖怪たちからの相談事の対応や、『仮構の地獄』を乱そうとする連中への対策なんかをやることになったのだ。
だから、同じ場所で寝起きしているのに、すれ違うときは徹底的にすれ違ってしまう。僕はそれが少し寂しい。
……そう思うように、なってしまった。今夜のささやかな夜更かしも、せめて彼の声を聞いてから寝たいって思ったからだ。
「最近、あんまり話せてないなって思って。
……沢城くんが頑張ってるのは、知ってるけどさ。何だかきみの声が聞きたくなっちゃったんだ」
「確かに、そうですね。僕も
……」
素っ気ない言葉だけど、その表情はすごく柔らかくて、小さな笑みが本当に嬉しそうで
――ゲタ吉やちいさいのに向ける表情とは、明らかに違う種類の笑顔。それだけでもう、本当に僕が好きなんだ、って分かる顔だった。
引きずり込まれそうに、なる。
気がつけば、僕は彼の髪に手を伸ばしていた。
「
……先輩?」
「ごめん、僕が
……おかしい、んだろうな。沢城くんは、僕と一緒にいたいって気持ちで、頑張ってくれてるのに。
……今ここで、一緒にいられないのを寂しいって思っちゃうのは、良くないね」
沢城くんの目が、軽く見開かれた。まるで僕の一言が、完全な不意打ちだったと言わんばかりに。指先で触れた、金糸混じりの栗色の髪は、さらりと僕の指の間を流れていく。
「そんな、
……先輩」
「あの約束、まだ有効だよね
……?」
『互いに、互いの世界へ帰る方法が見つかるまでは、一緒にいること』。
沢城くんの帰る方法が見えてきたってことは、つまりこの約束にも終わりが見えてきた、と言ってもいい。誰も傷つけないまま願いを叶えたい、っていう沢城くんの意志のお陰で、きっと、そのまま『別れ』にはならないんだろうけど
――
僕は、地獄の鍵を抱えている以上、沢城くんほどは『自由』になれない身だ、とも言える。最近墓のにも言われたことだ、元の世界に帰るだけならばともかく、その鍵をもったままあちこち時空を移動したら、少なくとも閻魔大王からはひんしゅくを買うだろう、と。
だから
――僕は一度帰れば、そのまま、沢城くんが会いに来てくれるのを待つしかなくなる、ってことだ。それは仕方のないことだけれど、もどかしい。これも、沢城くんに会って初めて、知った気持ちだ。
この半年と少しの間に、僕は一体どれだけ、知らなかったことを知ったのか。
沢城くんに出会わなかったら、きっと知らずにいたことだ。
「
……ねえ、先輩」
耳の辺りで、栗色の髪に触れている僕の手を、沢城くんが捕まえた。外から指を絡めて、僕の手を逃がすまいと握る力を感じる。
「約束、増やしてもいいですか。帰る方法が見つかるまでは、ってだけじゃ
……もう、僕にはとても足りない」
正面から見つめられて、僕は思わず息を呑む。
覚悟しろ、というゲタ吉の言葉が脳裏を掠めた。沢城くんの為の特別は、譲っちゃダメだって忠告も。
「先輩も僕も、お互いの世界があります。僕が行き来できるようになったとしても、その事実は変わりません。ずっと一緒に暮らす、っていうのは
……多分、できないことですし、止めた方がいい」
「そう
……だね」
「でも、僕はどうしてもあきらめられない。ほんの少しでもいいから、この先も、先輩と過ごす時間が欲しくて
……僕が会いに行ったら、一緒に過ごすって、約束してくれますか」
沢城くんの声は、ひたすら真摯だ。
その気持ちをそのまま受け取るように、僕は笑った。
「
……うん、約束だ。僕もきみと一緒にいたい。だから僕からも、ひとつ約束してほしいことがあるんだ」
「何、ですか
……?」
少しだけ不安そうになった沢城くんの顔も、やっぱり愛しい。
沢城くんの想いに、僕はどうしても応えたくなった。
「一度元の世界に帰れば、僕はどれだけ会いたかったとしても、きみを待つことしかできなくなる。だから
……もし、きみが僕に飽きて、会いに来る気がなくなったら、そのときはちゃんと言って欲しい」
「そんなこと、どうして今
……」
確かに、少し分かりにくいかもしれない。でもどうにか伝わってほしい
――いずれ僕からは、会いにいけなくなるときがくる。選ぶのは沢城くんなんだ。
……だから。
「そうでなかったら、僕はきっと、来ないきみを永遠に待ち続けることになるから。そんなの、
……苦しすぎる、から」
沢城くんの頭を引き寄せて、両腕で体ごと抱きしめる。
言葉では足りないところを少しでも補いたくて。
「永遠、なんて
……そんな、大げさな」
「大げさなこと言ってるつもりはないよ。
……僕はきみのことを永遠に忘れない。生きてる限りは、ずっと。だって、僕が知らなかった気持ちをいっぱい教えてくれたのは、きみだよ。だから、もし終わりが来るなら、その終わりの記憶も全部、欲しいから」
どうか、伝わって。
――この約束が、きみに差し出せる、ぎりぎりいっぱいの『特別』だ。
「
……それって、つまり
……僕が、終わりにしない限り、」
「そう。きみがもういいって言うまで、僕はどこまでもきみを待ち続けるよ」
腕の中の体が、一瞬大きく震えた。
僕の背中に腕が回るのを感じて、引き倒される力に逆らわず、身を任せる。
布団に転がって、ぎゅうと抱きしめる力と一緒に、掠れた声がした。
「先輩、ずるい」
「ずるい?」
「そんな、そんなこと、言われたら。うなずくしかないじゃ、ないですか」
「じゃあ、
……約束、してくれる?」
耳元で囁いたら、唇の少し先で、かっと熱くなる気配がある。
見てはないけど、きっとあのきれいな桜色をしているんだろう。
「
……します」
小さな、ちいさな声だったけど。沢城くんは確かにそう言った。
口下手な沢城くんから、言葉はもう返ってこなかったけど
――僕の浴衣の背中側をひっぱる感触はあの夜と同じ。浴衣の帯が解けて、肩からもするりと抜けて。
「ありがとう。
……嬉しい、な」
あの雨の夜と同じように、肌に触れる。
受け止めた沢城くんの唇は、あのときよりもっと熱くて、甘くて
――
沢城くんと出会わなかったら、きっと僕は知らないままだった。
欲望って言葉の、本当の意味なんて。
<終>
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波箱
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