二.思惑が交差する島
ドレークが拠点としていたのは、山中を流れる川の上流だった。湧き出ている水は清らかで、飲み水としても利用できるだろう。食料はよりも水分は確保しようという賢さに、感心した。
また、辺りを見渡すが、獣の気配は薄い。道中向けられていた強烈な視線の数々は、急激に減っている。わけを聞けば「島に入って真っ先に、ここのナワバリを奪った」からだと言った。
ここに辿り着いた時点で人の形に姿を戻した男は、水を手で掬い上げて飲んだ。ごくりごくりと動く喉元が、よく見える。ふぅと一息つき、濡れた唇を乱暴に拭った。
ローも、自分の荷物を置き、同じように水を飲む。天然の水は、とても冷たかった。キンと身体の芯へ染み込んでいく。気づかぬうちに喉が渇いていたのだろう。数回源泉に手を伸ばして、口に運んで、という流れをくり返した。
はぁ、と息をつく。流れる水に向けていた視線を上げると、ドレークが自分のことを見ていた。どうやら一息つき終わるまで待っていたらしく、「それで」と尋ねてきた。
「本当にここで寝泊まりするつもりか」
「それが1番身のためだろうからなぁ。おまえの話じゃ、夜には活発になるようだし
……あの
……」
先ほど見た不可思議な獣のことを思い浮かべ、けれどなんと言えばいいのかを考えあぐねていると、男はその名を教えてくれる。
「あれは『二足化獣種』に該当するライオンだ」
「二足化獣種?」
「この島でのみ観測される、本来は四足歩行の動物が二足歩行へと変態した種のことを指す。動きこそ人間に近いが、知性はあくまで動物。人語は解し得ない獣だ。そして獣だからこそ、強いナワバリ意識がある。あそこはあいつのナワバリだった。そこにおまえが不用意にも入り込んだから、敵と見做して攻撃を仕掛けてきたんだ」
腰を上げたドレークは、自分の荷物に近づくと中を探りながら、ぶつぶつと宣った。整然とした言い方にはどことなく棘があり、それを聞いているローの眉間にはみるみる皺が寄る。
「
……なんだか、おれが悪いみたいに言うじゃねぇか」
「そう言っている。ナワバリというのは、あいつらがつくった自然のルールだ。あとからズカズカと踏み込んでいくおれたちに非があるのは、当然のこと」
男はぼやきを一蹴した。ローの眉間の皺はさらに増えた。自分だってやってるくせに、と言い返してやろうかとも思った。
しかし、ふと視線を落とす。先ほど飲んだ湧水はそのナワバリの恩恵で、自分もそれを受けてしまっている。どの口が、と言い返されたらローは負ける。負けるのは嫌いだ。
そのため、不満の言葉は飲み込んでやった。
「だったら、
……おまえはどうしてそんな、獣だらけの島に?」
代わりに、一番聞き出したかったことをローは切り出した。ローよりもこの島の異質さや危険性を理解していながら、わざわざやって来た目の前の男の心理が分からない限り、ローの探索には支障が生まれる。
彼の存在は障害となるか、ならないか。今のローにとって、とても重要なことだ。
「おれに答える義理はないと思うが」
「無理に吐かせることもできる。さっきは助けてもらった手前納めたが、この間合いならおまえをすぐにバラバラにできるぞ」
肩に立てかけた鬼哭の鞘を撫で、カチンと鯉口を鳴らす。先ほどと同じ二の轍を踏むつもりはなかった。ローが目を細めて窺えば、相手もまた目を細める。
静かさの中、続く無言の睨み合いに終止符を打ったのは、ドレークの方だった。ローの質問に答えたのである。
「
……悪魔の実の、『覚醒』というものを知っているか?」
男の言葉に、ローは片眉を上げて答えた。それが否を意味していると正しく受け止めたドレークは、朗々と説明を続ける。
「悪魔の実の能力を格段に飛躍させた、新しい領域に至ることを『覚醒』と呼ぶ。ごく稀な事例だ。事情通であれ、知らぬ者も多い」
事情通すら知らぬことをどうしておまえは知っている。そう問いかけたが、想像に難くなかった。世界政府と繋がっている海軍にいた彼なら、そのような事例の話が耳にしていてもおかしくはない。
では、なぜ今その話をローにするのか。
「
……まさか、その領域に至るために?」
予想は的中していた。男はただ頷く。彼がこの島を訪れたのは、『覚醒』をものにするためだと言うのだ。
「おれの能力は使うとなると人目につきやすい。だから人の来ない、この島に来た。自然だけの世界なのも、ちょうどいいと思ってな」
「それが『覚醒』に至るための条件なのか?」
「いや。通常『覚醒』は、能力に使用者の心身が追いついたときに至ることができるものだとしか分かっていない」
「
……曖昧だな」
「能力と使用者の関係による、としか言えないのだろう。だが自然系や超人系が至る『覚醒』と動物系が至る『覚醒』は、性質が違う。前者が周囲への影響を強めるものであるのに対して、後者は動物の本能をより高めるものだ。下手を打てば、能力に呑まれてしまうこともある」
つまり、できる限り能力に対する耐性を高めておくことに越したことはない、と言うことなのだろう。そして、動物系だからこそ、獣が跋扈するこの島の環境は、その本能をより刺激し得るだろう、というのが彼の目論見らしい。
そのように解釈しながら、ローは自分の手のひらを見下ろす。オペオペの実の能力にもまだ可能性がある、ということだ。
それを知れたドレークとの遭遇は、嬉しい誤算とも言えるだろう。
グッと拳を作った。そして顔を上げる。すると、荷物を漁っていたドレークが近づいて来て、何かを差し出してきた。
「
……なんだ、これ」
「ブランケットだ。使え。食事は自分でなんとかできるか。おれは自分の分しか待ち合わせていないから、分けてやることはしないぞ」
ローがいつまでも手を伸ばそうとしないため、男はそれをポイと投げて寄越した。肌触りのいい、柔らかな生地でできた濃紺のブランケットは、長身のローのことを包めるだけの大きさがある。それと、ドレークの顔を交互に見やってから、なぜ? と聞いた。
食事の準備をしているのだろう、またしてもリュックの中を探っている。視線は上げぬまま、言った。
「なぜって
……ここで寝るんだろう? 標高が高い分、夜は気温が下がる。寝袋だけだと寝れんぞ」
拍子抜けした。裏表を感じさせない、さっぱりとした口調に、ローはハハと笑う。ここまで嬉しい誤算が重なるとは、数刻前までの自分も思うまい。
突然笑い出した男を、ドレークは訝しむように眉を上げて見た。
「失礼、サー・ドレーク。いい上官について来たと、嬉しく思っただけだよ」
「
……おまえは嫌味だな。しかも陰湿なタイプだ」
苦々しげな顔をまた笑ってやれば、ドレークはさらに不機嫌を露わにした。シャボンディ諸島で会った時は帽子に隠れて伺えなかった表情は、思っていたよりも豊からしい。分かりやすい、というのは、駆け引きにおいてとてもありがたいものである。
あの人も。出会って一年ほどは何を考えているか分からない人間だったが、共に過ごせば過ごすほど、顔に出やすい方だと気づかされた。
赤旗という男が見せてきたお人好しぶりに、ローは昔のことを思い出していた。船の旅のなか、小さな自分にタオルケットを譲り続けた大きな男のことを。
そして、自分がここにいる意味を改めて思い出す。目的を果たすために、シーザーを探し出さなければいけない。
一日目の進捗はあまりよくなかったが、明日以降挽回するしかない。ローは一先ず、腹ごしらえをすることにした。
陽が完全に沈み、ドレークは枝葉を集めて火を起こして、それを灯りとした。その焚き火で沸かした湯を分け合い、それぞれの食べ物で飲み食いをする。
男の忠告通り、冷え冷えとした空気が漂い始め、借りたブランケットは身を包み込むのにちょうどよかった。そのくせ、目の前のドレークは何も着ようとはしないのでいいのかと問えば、「おれは鍛えているから問題ない」と答えた。少しだけムカついた。
腹も膨れたところで、ローはドレークに聞く。
「それで、おまえの修行とやらは、いつまでやるつもりなんだ?」
「
……変に長居すると、ここにいたという痕跡を残しすぎるからな。そうなれば海軍からの監視の目も厳しく
…」
「まどろっこしい言い方をするな。端的に言え」
「
……あと三日だ。明日から数えて」
男の答えに眉間を顰めた。それはローがこの島の全容を調査するために必要と想定した期間と同じである。つまり、自分が滞在する間、どう足掻いても目の前の男の存在がこの島の中にはあるということだ。
同様に尋ね返されたので、ローは渋々と答えてやった。「おまえと同じだ」と。すると同じような、渋い反応をされた。互いに、互いの存在を『邪魔だな』と思ったに違いない。
──なのでローとドレークは互いに干渉しないことを約束した。それ以上も、以下もない。シンプルだが、はっきりとした協約である。
「雑過ぎやしないか」
ドレークは一度苦言を呈したものの、ローがそれ以上を考えることを放棄し応じなかったため、何も言わなくなった。
そのまま夜は更けていき、頃合いを見た男が焚き火を消したため、ローも横にならざるを得なくなる。
瞼を閉じると、森の音がした。風が吹き、木々が騒めく。その遠くに獣の気配が薄っすら感じるが、近づいてくる気配はない。
もともと放浪癖があるローは、わりとどこでも寝れるタチだった。微かな音に耳を傾けているうちに、そのまま、眠りについて行った。
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