氷紀
2024-08-18 23:56:19
8649文字
Public とある息子たちの話
 

その両腕にかかえるものは?

ゲ謎派生パラレルワールドの〓×6期の👹 『とある~』シリーズの続き。
どれだけ力があったとしても、全てを守れるわけじゃない。



 アパートに戻ってきたのはいいものの、食欲は全く湧かなかった。そのひとは仕方ないネと笑って、さっき買った惣菜パンを冷蔵庫にしまい込み、ついでにあの桃のパッケージを取り出した。
「これだけでも、食っとけ」
 いつものように布団を座布団代わりにして、卓の前に座る。空腹感はあるのに食べる気にならなくて、少しおっくうだけど、食べた方がいいのは本当だ。……そう思って中身を取り出して、一口かじってみたら、桃の香りとはっきりした甘さが伝わってきた。
……おい、しい」
「だろ? いつの現場だったかなァ、差し入れでもらったことがあって。それからたまに、なんか甘いモノ食べたいときの候補にしてるやつなんだヨ」
 そのひとは粉の緑茶を湯のみの二つに淹れて、その片方を僕に差し出した。少し濃いめで、甘いドライフルーツにはよく合う味になっていた。
 不意に、リンゴの香りがふわりと漂ってくる。そのひとが自分用に買った方を開けて、無造作にかじっていた。
「うん。旨い」
 満足そうに笑う声。ほっとする。
 緊張の糸が切れたのか、どっと眠気が押し寄せてきた。
――、」
 湯のみは何とか卓に戻した。ぐらつく体でこらえることはせず、そのひとの体に寄りかかる。染みついた煙草の匂いだけじゃない、今日はドライフルーツの甘い香りが一緒だ。
 ごく自然に、肩を抱き寄せる手を感じた。いつもなら特に何も言わないのに、ごめんナ、というためらいがちな声がした。
「え……?」
「あの犬っころ追いかけるより、お前を連れて逃げるべきだったか、って思って」
「いや、でも。放っておいたら、あの飼い主の子供が、トラックに巻き込まれてたかも……僕があなたの立場なら、やっぱり、犬を助けてたと思います」
「そうだけど……ンー……難しいな。とっさに体が動いちまった、とはいえ」
 何となく、納得いっていないような声だった。僕にもよく分かる、やっぱり僕とそのひとは、大元が『同じ』だから。
 あの犬と子供は、放っておいたら死んでしまったかもしれない。でも、僕は確かに少し弱ってるけど、すぐに死んでしまうような状態じゃない。だったら、どちらを助けるべきかは明らかだろう。
 ただその結果として、僕がちょっとおかしな状態になった、だけで。
「少し、混乱しましたけど。……そのあと、ちゃんと僕も助けてくれたでしょう? だから、大丈夫……です」
「そっか。お前、やっぱり強いなァ」
 褒め言葉と、自嘲と。確かにそのひとから見たら、僕は『過去』のそのひと自身と言っていい。近すぎるくらい近いところから聞く褒め言葉と自嘲は、心の中に複雑な波紋を描いた。
「本当はサ、ちょっと悲しかったんだ。あの子、……僕のこと、化け物見るような目で見てて」
……そう、だったんですか。僕、見えてなかったから」
「うん。助けた奴に怯えられて逃げられる、なんて……そんなの、今に始まったことじゃないけどサ」
 それは分かる。僕もそうだからだ。
 ましてそのひとはもう、大人の男の体だ。相手が人間でも妖怪でも、怯えられる確率は、子供の姿の僕よりずっと高いだろう。
「見ず知らずの犬と子供を助けたけど、怯えられて、逃げられて……その間にお前があんな風になってるの、一瞬だけど、気づかなくて」
 肩を抱き寄せる力が強くなる。目を閉じているから、顔と姿は見えない。だけど、触れる体の感触が、今は何より正直だった。
「それで、……やっちまった、ってことと。あと、やっちまった、って思ったことと。そのあと助けてって、お前が言って――ああ、くそ。みんな平等になんて、僕には無理だ。できない、ヨ」
 混乱気味の言葉だったけど、やっぱり、分かってしまう。見ず知らずの子供と、僕と。天秤にかけたと思う間もなく、子供の方を助けたけど、その後ろで僕がおかしくなっていて――子供に感謝もされないまま、おかしくなった僕だけ残ったとしたら。何も分かってなかった僕は、そのひとに『助けて』って言ったけど、それをそのひとはどう感じたか。

 どう答えたらいいんだろう。父さんだったらなんて言うだろう? ……沈黙の中で考えてみたけど、うまい答えが見つからない。
 だから、ぎりぎり思いついたことを、何とか言葉にしてみた。
「お義父さんなら、きっと、……今日のあなたのこと、ほめてくれると思います。だって、みんな無事に済んだんですから。子供を助けられるのに助けなかったら、そっちの方が怒るでしょう」
「そう……かな。でもお前は」
「僕が勝手に自爆しただけ、です。あなたのせいでも、あの犬や子供のせいでもないし、あのトラックだって……事故を起こしたくて起こしたんじゃ、ないでしょうから。誰も死なずに済んだなら、もう、それでいいって……お義父さんなら、言うんじゃないかな、って」
「そう、かな。……そうだと、いいナ」
 そのひとの声が微かに震えている。僕はそっと目を開けた。床に放りっぱなしの白いビニール袋が見える。あのとき落とした衝撃で、横が少し裂けていて――破れた細い隙間から、紺色の箱の煙草が覗いていた。

 結局その夜、そのひとは煙草を吸わなかった。
 煙草を吸う隙を、僕が全部唇で奪ってしまったので。


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