氷紀
2024-09-22 02:09:40
3862文字
Public とある息子たちの話
 

水の底から、ただ祈る

ゲ謎派生パラレルワールドの〓×6期の👹 『とある~』シリーズの続き。
近いからこそ、の話。

 まるくて青白い光が、遠くに揺れていた。
 熱くも冷たくもない、ゆるい温度の水の中を、ゆっくりと沈んでいく。息をしている感覚もないけど、時折、白い泡がのぼっていくのが見える。遠くの光を弾きながら、一つ、二つ、三つ、また一つ。絡まり合うような軌跡を描きながら、水底から水面へ、惹きつけられるように駆けていく。

 水面からの距離も、水底までの距離も、分からない。でも沈んでいくのだけは、はっきり分かる。他の生き物の気配はなく、水の流れも感じない。遠い光と、水と、かすかな泡だけが、この場所の全てらしい。
 僕の心を満たすのは、ただ安堵だけだった。
 静かで、誰もいない。優しいだけの水と、何も暴こうとしない暗闇と、遠くから包んでくれるちいさな明かり。これと似た何かを知っている気がするけど、思い出す気にはならなかった。今はただ、このままゆっくりと沈んでいたい。

 どれだけ沈んでも、まるくて青白い光は小さくならなかった。その光にも不思議な心地よさを感じる。のぼっていく泡は、どこまで行ったら弾けるんだろう。そんなことを思った瞬間、沈んでいく全身が止まった。ただ止まったんじゃない、下から湧いてくる水に、背中をふわりと抱き留められたような――沈んでいけないことが、すこしもどかしく感じた。でも、体を全部預けていて大丈夫だと信じられるのは、どうしてだろう。目を閉じる。湧いてくる流れだけを、感じる。
 体に馴染む水の感覚が、ひたすら甘くてきもちいい。
 この水に溶けてしまえたらいいのに、とつい思ってしまうくらいに。

「そこから下は、だめだヨ」

 囁く声が聞こえた。
 体に重さの感覚が戻って、意識が水底から一気に浮上する。一瞬だけ、自分の居場所が分からなかったけど。
 目を開けたら、黒いTシャツに包まれた、細身でも強い体が見えた。もう馴染みになってしまった煙草の匂い。髪の一束を絡め合う感触。そして僕の体を包む、白い髪の隙間から、場末のアパートの風景が覗いている。
 それで僕は、全ての状況を思い出した。

 買い物に出て、トラックの事故現場に居合わせて、それで僕が少しだけ調子を崩したけど、そのひとが助けてくれて――ドライフルーツを食べたあと、僕が抱いてくれってねだった。回復するための霊力が欲しいから、っていうのは決して嘘じゃないけど……そろそろ、何かが言い訳じみてきた気がする。
 そうしていつものように眠って、そう、僕は夢を見ていた。

「夢……だったんですね、今の」
「あれで、水底にたどり着いちまったら。……魂が本当に混ざっちゃうんだヨ」
 また同じ夢を見ていたんだ、とそれで理解した。髪をつないで眠ると、ほぼ確実に同じ夢を見る――起きて忘れることもある、でも今みたいに、ひどく現実感の濃い夢は、だいたい二人とも覚えてる。
「僕とお前は近すぎる。混ざっちまったら、もう二度と、元の形には分けられない。きっと混ざったことさえ、お互いに分からなくなる。……だから、だめだ。これだけは」
「うん……
 そのひとの声はとても優しくて、どこか悲しそうでもあった。前にも似たようなことを言ってた、髪をつないだまま交わったら自制が危ない、って。
 だから髪をつないで眠るのは、終わったあとだ。
……このまま溶けてしまえたら、って少し思いましたけど」
「お願いだから、僕の自制を無にしないでくれヨ……
 冗談めいた、ちいさな声音。
 その冗談に混ざった一片の本音を、僕の耳を聞き取っていた。それはつまり、本当は――
「あなたも、溶けてしまえたらいいのに、って思った……?」
「思わなかった、って言ったら嘘になっちまうナ。だけどだめだヨ、絶対やらない。僕とお前の為に」
 遠回しな肯定だった。
 それと同時に、背中をそっと撫でる手のひらを感じる。
「だから……かわりに、体できもちいいことしてる」
……そういう、こと、だったんですね」
 吐息を感じる距離から囁かれて、息が揺れる。まだ熾火のように残っていた、甘くて重い感覚が、腰の奥でうずいた。
 そのひとは、絶対に乱暴なことはしない。いたわるような気持ちや、甘い感覚だけ選んで、僕に渡してくれて――その裏側ににじむ、そのひとの抱えた苦くて重い感情も、僕には深いなぐさめだった。だって、僕も同じだから。

 そのひとの手のひらが腰までおりてくる。柔らかく包まれただけなのに、僕の体はぴくりと跳ねた。
「ん、……っ」
 僕の正直な反応を受け止めて、そのひとは複雑な音で笑った。
 ほとんど反射的に、眠る前のことも思い出す。唇を交わして、お互いの肌に触れて、くすぐって、絡め合って、指先でころがして――僕の体がぐずぐずのどろどろに熱くなって、今夜覚えてる範囲では二回、大きな波を越えた辺りでやっと、そのひとは熱いものをくれた。そのあとも唇を交わしながら、何度も揺さぶられて、また大きな波に身を任せて、最終的に何度注がれたのかは、数えてもいない。
 霊力を分けるのだけが目的なら、ここまでする必要はない。というか、僕をここまでどろどろにする理由は、元々なかったはずだ。僕がねだりさえしなければ。

 そう、僕が欲しがったんだ。
 最初の最初、あんな夢を見たから。
 甘くてきもちいい夢の続きを欲しがって――

「いいんだヨ。他にどうしようもないもの」
 絡めた髪から、僕の心を読み取ったんだろう。そのひとは相変わらずの優しい声で、僕に囁きかけてくれる。
 手のひらの感触が、また腰から背中へ戻ってくる。二度、三度、肩甲骨のあたりをさすって、そのひとは安堵の息を吐いた。
……よかった」
「何、が……
「今日出かけたとき、あんなことあったろ。……逆戻りしてたら辛いな、って思ったんだけど」
「逆戻り……?」
 まるで覚えがない。弱った証の戻せない髪は、まだ背中と腰の境目あたりだし――と思ったそのことも、やっぱり伝わったらしい。髪のことじゃないヨ、と前置きして、そのひとは続けた。
「僕も、最初から気づいてたわけじゃないんだけどサ。……お前、ここにきたばっかりのとき、背中も肩も首のあたりも、ほんとにガチガチになってたの。上半身の奥の方、まるで心臓を守ろうとしてるみたいに、力が入りっぱなしで」
 言われてみれば、と思った。
 来たばかりのときに比べて、体は確かに楽になってる。霊力が少しずつ回復してるから、だと思ってたけど――それだけじゃ、ないのか。
「妖怪を殺す弾丸で頭蓋骨ブチ抜かれた記憶があったら、そりゃそうだ、と思うヨ。傷が治っても、治ったって頭で分かってても、……お前は心と体の深いとこで、ずっと怖くて、自分を守ろうとしてたんだ。僕も足やられたとき、随分長いこと、そんな感じだった」
 穏やかな言葉と共に、背中を柔らかく撫でる手が、心地いい。そのひとはいつも、布団の中で僕を抱きしめるのと一緒に、そうしてくれる。お義父さんの真似なのは間違いない、あの大きくて温かな手に安心した記憶は、僕にも深く刻まれている。
 でも、今の僕の体が感じるのは……安心感、だけじゃない。
 とても大っぴらには言えない、あの甘い感覚を知ってしまったから。
 大人とはいえない体では、まだ知ってはいけなかったのかもしれないこと。でも、もう知ってしまった。戻りようも、戻しようもない。
「体の深いところに入っちまった記憶、どうにかしようとしたらサ。……全部忘れるまで酒でもかっ食らうか、そうでなけりゃ……
「です……ね」
 敢えて言葉にはしないまま、僕はうなづいた。
 同時に、あまり良くない方向の喜びが湧いてくる。お酒の酔いの代わりに、まだ知っちゃいけなかったはずの強烈な快楽を使って、そのひとは僕をつなぎ止めてくれた。あのままでは、何もかも崩れてしまいそうだった僕を――やっちゃいけないことって、分かっていながら。
「だからサ、責められる筋合いなんか、どこにもないヨ。……もう、ないんだ」
 最後の一言が、心の水面を大きく揺らした。
 もうない、……つまり、前はあったってこと。それが誰のことなのかは、言われなくたってわかる。つないだ髪から、流れ込んできたから。

 もしお義父さんが生きていて、今の僕たちのことを知ったら――きっと、怒鳴る程度じゃ済まないだろう。理解できないものを見る目で、僕たちを見るかもしれない。想像するだけでざわざわした罪悪感が湧いてくる。
 だけど――それでもいい、蹴られようが殴られようが構わない。一目でいいから会いたい、声が聞きたい。髪から流れ込んできた、どれだけ求めても得られない虚しさと悲しみは、僕が抱えているのとおなじもの。
 ああ、やっぱり、『鬼太郎』なんだ。

「責めるんでもいい、……置いてかないで、ほしかった」

 その一言をつぶやいたのは僕なのか、そのひとなのか。どちらでも良かった、きっと、どちらの言葉であっても真実でしかない。
 髪を伸ばして、僕はそのひとを抱きしめた。まだ戦うような力は戻ってないけど、伸ばして動かすだけなら大丈夫だ。……子供の体では、とてもそのひとを包めなかったから。二色の髪が入り交じる繭の中で、そのひとは何も言わないまま、ただ僕を抱き寄せる。
 僕も何も言わないまま目を閉じた。
 絡めて混じり合う髪に、祈りを乗せて。

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