「とまあ、そういうことになったんだけど」
膝の上で眠っているちいさいのの背中を撫でながら、俺は高山の話を聞き終えた。それなりに長い話ではあったけど、まあ、おおむね納得はいったというか
――沢城の強情具合が、まるで他人事に思えなくて、つい笑ってしまった。そりゃアそうだよ、だってあいつは『あの頃の僕』だもの。
「それから沢城くんと墓のが、なんかいろいろと
……こう、込み入った話始めちゃってさ。取り付く島もない」
「それでこっちに逃げてきたのか。でも後々、高山の出番もあるだろ」
唇を軽く尖らせて、高山は不満そうな顔をした。マア確かにいい気はしないかもしれない、いきなりつまはじきにされてしまったら。でも話を聞く限り、そのうち高山も引っ張り出されるだろう。きっとまだ、照準云々のところまで進んでないだけだ。
「だから聞きそびれちゃったんだよね。
……ねえ、あらざるの地、って何なんだ? ゲタ吉なら、何か知ってるはずだよな」
「んー
……そいつは
……まあ、そう、だなあ
……」
高山から飛んできたのは、知らないからこその、率直な問いだった。即答できずについごまかしてしまう。俺と沢城は、全く同じ形であの地を踏んだんだろうか? 確認してみればいいようなものの、
……その重さが俺のときと同じなら、気軽に掘り返していい話題ではないのも、確かだ。
だったら、俺が答えてやったらいいだろう
――と、思ってはみたものの。
「この宇宙にあり得る世界の中で、最も無に近い世界、かな。地獄みたいな裁きも、罰も、救いもない。熱くも冷たくもない。苦痛すらない。そこには本当に、なにもない」
めちゃくちゃ抽象的な言葉でしか表現できない。案の定、高山は疑問の表情を浮かべたままだ。
「そこに踏み込んだら、
……自分の意識が、止まるんだ。全てのつながりを断たれて、独りだけの世界で静止する。時間の意味も消失する。幽霊族にとっての『魂の終わり』は、たぶん、あそこにある
……と、俺は思ってる」
「じゃあ、沢城くんがそこに行った、ってことは
……」
「俺とどれくらい『同じ』なんだろうなァ
……、俺のときは、妖怪を殺す銃で撃たれて体を失って、魂だけになったとき、心に残っていたのが失望だけで
……捨てたい、って思った結果だったヨ」
眠るちいさいのの頭に、視線をやった。沢城と同じ色の髪を、そっと指先で梳いてやる。俺よりだいぶ高い体温、手で感じ取る骨の形は、沢城より一回り小さい。
「俺が、自分の全てを世界から抹消したい、なんて感じたのは
……後にも先にも、あのとき一回だけサ。今まで生きてきた中でも屈指の、苦しい記憶」
高山が息を呑むのを、気配だけで感じ取る。ちいさいのの温度を感じながら、俺は敢えて苦笑するような声音を作った。
「最終的には、友だちが呼びかけてくれて、水木さんのこと思い出して、父さんが引っ張り出してくれて、俺は戻ってこられたんだけどネ。たぶん独りじゃ無理だった。
……ここに飛ばされてきたときだって、あのときほどじゃアなかったヨ」
「
……ごめん、ゲタ吉」
「謝ることじゃないサ、知らなかったんだろ?
……まあでも、ウカツに触れていい言葉じゃないってのだけは、覚えといてくれよナ」
膝の上のちいさいのに、起きる気配は全くない。きっと昨日、あまりしっかり眠れなかったんだろう。力の抜けきった背中を掌で包んでやる。ヘタすると二世紀くらい過去の話だけど、俺は未だに覚えてる。怖い夢を見て、ひきつけを起こしそうなくらい泣いていたときに、背中を温めてくれた水木さんの掌。
それで、すごく安心したこと。
「俺の勝手な想像だけどサ。ちいさいのは、あそこに飛ばされる代わりに、この世界に飛んできたんだと思う。こいつが抱えちまった痛みと絶望は、それくらいのやつだ」
「うん
……」
高山の視線が、眠るちいさいのに注がれている。高山の目には、このちいさな姿がどう映っているんだろうか。弟のようなものか、前に話していた横丁の仲間に近い存在なのか、それとも、沢城の過去に近しいものとして、捉えているのか。
「ちいさいのは、それだけ、父さんと水木さんを愛してるから。本当に特別
……だから」
「
……そう、なんだ」
応じてきた声は、いつもよりずっと静かで、何か強い芯が通っている気配がある。ちいさいのに視線を向けたまま、高山は呟いた。
「僕も少し、分かるようになっちゃったな
……好きになった分だけ、なくしたら痛いとか。正しくない方が正解、ってことがあるとか」
「そういうことだヨ、高山。
……妖怪の価値観からすると少し複雑だけど、覚えといた方がいい。お前、元の世界で妖怪の街の親玉なんだろ」
「いや、その親玉って言い方
……、まあ、そんなに間違ってはないけどさぁ」
唇を尖らせる高山に向かって
――余計なお節介かと思ったけれど、俺は自分の言葉を止められなかった。
「全部が全部、分かンなくてもいい。でも、一つだけ。
……沢城を、『仲間』と同列にするな。絶対にだ」
一拍の沈黙。
ちいさいのの寝息を確かめる。ちいさいのにはあまり聞かれたくない話だけれど、この分なら大丈夫そうだ。
何か考え込むような顔をした高山は、やがてぽつりと呟いた。
「
……うん、やっぱり、分かるようになっちゃった、な
……」
「そりゃ良かった。元の世界に戻った後も、妖怪の親玉をやりながら沢城と付き合い続けるつもりなら、
……沢城の為の『特別』は、父さんにもねこ娘にも、ねずみ男にも、ええと、蒼兄さん? にもだ、絶対に、絶対に譲っちゃいけない」
根拠は
――と言われると、他ならぬ俺がそうなので、だ。
我ながら、重い性分だと思う。でもそ物心ついたころからこうだった。二世紀近くの時間が経って、生きた場所が水木さんの墓標ごと砕け散って、二度と故郷には帰らないと決めた今でも、僕の一番深いところには水木さんのくれた愛がある。
その愛を、つまり、お互いに『特別だ』って気持ちで愛をくれた相手が、その『特別』を、他の誰かに差し出してしまったら?
……そういうときの感覚は、きっと、沢城も一緒のはず。
「ほんの少しでも『特別』を譲った瞬間、あいつはお前に背を向けて、二度と戻ってこなくなる。
……そうなってから後悔しても、遅いヨ」
確信を込めて言い切ったら、高山はどこか遠くを見るような表情になって、深い息をついた。
「もしかして、僕、とんでもない相手に
……惚れ、ちゃった?」
おそるおそる、という口調だったけど、惚れたって認めてるならマア、大丈夫か。ちいさいのの寝息を守るように、沢城と同じ色の髪を撫でながら、俺は口元だけで笑った。
「覚悟しろとだけ言っとくヨ。もしかするとあり得たかもしれない、『未来の沢城』から
……ネ」
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