あつき
2024-07-23 00:50:12
14275文字
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退治人は吸血鬼に泡沫の恋をするか

片思いのロくんが三十年後の未来に唆される話。安心安全のハッピーエンドです。

初恋は、予想していたものとは全く違うものだった。恋した相手から予想外過ぎて、きっと脳が処理しきれていない。漫画のような燃える激しい恋とは対極にある、ゆるく燻るこの恋を、ロナルドは至極冷静に認めていた。

同居の吸血鬼、ドラルクに恋心を抱いていた。

ドラルクにこの想いは、ばれていないと思っている。ロナルドは自分でも意外だった。もっと恋とは取り乱して、動揺を隠せず見抜かれるか、抑えられないくらい熱い想いを堪えきれずぶつけてしまうものかと思っていた。ましてや好きな相手と一緒に暮らしてるのだから、気もそぞろになるかと思えば案外普段の感情は凪いだもので、時折忘れていた熱が静かに疼くのみ。
普段は好きな事なんて思い出さないくらい、一緒に生活する日々は当たり前の日常になっていた。ドラルクとの新横浜での日常の全てを、等しく愛していると言ってもよかった。

何で初恋で、こんな達観したおっさんのような恋をしなければならないのか。おっさんに恋したからか。

触れたい。そう思うことはある。だからこそ、ドラルクに抱いている感情が、家族のような情ではないことに気がついた。距離が近いことはあれど、それは親しみからくるパーソナルスペースの近さに過ぎない。ロナルドが求めるのは、もっとお互いの心に、身体に、踏み込んだもの。
近いだけではじれったい。直にふれて、人よりも低いひんやりしたその体温を感じたい。骨張った細い腰を抱き締めたいし、その細い腕に抱き留められたい。普段はロナルドと同じ土俵に立つ大人げないドラルクが、たまに見せる年上らしい優しさに素直になって甘えたい。

ロナルドは誰かと一夜を共にした経験はないが、ドラルクは二百年以上生きているし、多分あるんだろうなとぼんやり考える。
顔も知らない相手と二人きりの夜を過ごすとき、どんな風に触れて愛を囁き、相手を悦ばすのか。そしてドラルク自身はどんな風に乱れて、見つめてくるのか。あいつでも興奮を隠せず余裕のない瞳を向けることはあるのだろうか。その瞳に写るのが自分だったらなんて、絶対にあり得ないことを思ってしまう。
自虐にも似た妄想が止まらず、昂った体を持て余し、同居人に邪なことを考えてしまう罪悪感に苛まれる。

凪いだ心から時に思い出したように頭をもたげる焦れる気持ちは、その度にそっと握りつぶす。日常を壊したくなければ、多くは望まない方がいいだろう。
ロナルドはこの想いを、表に出す気はさらさら無かった。きっと時が解決してくれると、気持ちが風化することを望んでいた。

***

「これ、万華鏡か」
ドラルクとロナルドは、予備室の一角に積まれた段ボールを整理していた。御真祖様からもらった数々の珍妙な品を選り分けながら、気になったものをロナルドは手に取り、中を覗き込んだ。目に眩しいキラキラしたスパンコールやビーズが鏡に反射して、独特の世界を創る。大人になってから見る機会は少なく、どこか懐かしくなりくるくると筒を回す。
「それね、五歳児にしてはお目が高い。御祖父様秘蔵の、未来が見える万華鏡さ」
ドラルクは整理する手を止めずに返事をする。
この日、ロナルドは予備室の片付けに駆り出されていた。事務所が休みにくわえて脱稿したばかり、雨で退治人としての仕事も閑古鳥で、それに目敏く気付いたドラルクに暇なら整理に付き合えと、物が溢れてきた予備室に引っ張り込まれた。
「未来? そんな、まさか。お前のじいさんがいくらすごいとはいってもそれはねぇだろ」
「気になる未来がある時、覗けばその未来が見えるかも知れないって。確定じゃなくて、あくまで可能性の未来ってことだったけど」
なんて胡散臭い品なんだ。現に今、ロナルドが見ても何も起こらない。
「ドラ公は何が見えたんだ」
享楽主義で押したらいけないボタンを片っ端から押しまくる吸血鬼だ。絶対覗いたことはあるはずだ。
「残念ながら普通の万華鏡としての世界以外、何も見えなかったな。少しでも見えたら楽しかったのに。まあ御祖父様がくれたものに、真っ当な効果など期待してはいけないのさ。見えたら見えたで、どんな副産物を産むか分からんし」
玉石混淆の品々を、要るものと要らないものに選別して次々に片付けていく。必要なものはドラルクが家の適した場所に片付けているらしいが、ロナルドが収納の場所を覚えられないので、必要に駆られるまでは再び目にすることはないだろう。
「それで、これどうするんだ」
万華鏡から目を離して、軽い筒を振って見せる。
「うーん。ただの万華鏡なら取っておく必要もないけど、効果が謳われている以上捨てるわけにもいかないしな」
「なら、俺が貰ってもいいか?」
何故だか心惹かれて、不思議な紋様が描かれた筒を見つめた。
「流石、五歳児。おもちゃ気に入ったんでちゅね~~いいでちゅよー。ゴリラの握力で握りつぶさないよう、気を付けるんでちゅよ?」
「殺した。五歳児にしたいのかゴリラにしたいのか絞ってから煽れや」
「ゴリラで五歳児だろ」
決まりきったやり取りでドラルクが塵になる様は、もはや流れ作業かといった有り様だ。

ロナルドはその万華鏡を貰ったことを、事務所机の引き出しにしまいしばらく忘れていた。

*

その日、ロナルドは行き詰まっていた。原稿がちっとも進まず、そうなるとテスト前に遊びたくなる学生のように、意識が集中せず今やらなくても良いことをやってしまうものだ。
整理でもしようかと無駄に机の引き出しを開けると、そこに数週間前に貰った万華鏡が転がり、その存在を思い出す。
「そういやこんなのあったな。未来が見える万華鏡? だったかな」
見える訳が無いと思っても、そう言われれば知りたい未来に想いを馳せてしまうものだ。
「三十年後とか、俺たちどうなってんのかな」
ロナルドは常々、期待して傷付かないように今の同居は仮初めの生活だと自分に言い聞かしている。出ていけと言ったときは意地でも出ていかないくせに、きっと飽きたらあの吸血鬼は構わず居なくなるのだろう。そう思えば、ちくんと心が痛みだす。遠くの未来も、せめて友人として繋がりがあれば御の字だろうと、万華鏡を右目にかざせば……
最初に一瞬見えた色とりどりの世界が、光に包まれて真っ白になった。眩しくて目を瞑り、再び開けると、見慣れた事務所の生活スペースが視界に広がった。
「は?」
突然のことに映し出された光景を身じろぎもせず見つめていると、事務所へと続く扉が開き、赤い退治衣装を着た壮年の男性が入ってきた。
「俺?」
年月に見合うシワや髭をたたえてはいるが、老けたらこんな感じであろうとすぐ分かる、渋みを携えた壮年のロナルドの姿だった。
それに近づく影がひとつ。
「ドラ公?」
こちらはシワなどの変化は乏しいが、長く伸びた髪が年月を彷彿とさせる。ひとつに束ねられ、揺れる黒髪を思わず目で追う。
声は聞こえないので映像のみだが、ドラルクの口元がおかえり、と呟くのが分かった。今の若いロナルドには滅多に見せない、からかいを含まない優しい笑みをしている。ジョンへ向ける愛しさに、熱を込めたような微笑みで、ロナルドの心臓が早鐘を打つ。それはロナルドが見たことのない、とびきり優しいドラルクの表情だった。
対する壮年ロナルドも、それに応えるように目を細めてただいまと唇を動かす。
ロナルドはたったそれだけの光景に、胸が締め付けられたように苦しくなる。半信半疑ではあるが、本当にこれが三十年後の未来ならばと願わずにはいられない。年を重ねてもドラルクと変わらずに生活していることは諦めていた未来だった。高鳴る胸を押さえながらロナルドが続きを見ていると、二人はお互い腕を広げ流れる様に抱き締めあった。
「はあ!?」
予期しなかった展開に、思わず声をあげてしまう。
親愛としてのハグというには絡まる二人の視線は熱く、お互い愛おしげに抱き合う姿は友人とは言い難い。
そこでまた視界が白くなり、堪らず瞬きをすれば何の変哲もない万華鏡の景色に戻っていた。
……まじかよ。本当に未来なのか?」
今の自分達にはただの同居人という以外、何もお互いを縛るものなどない。今ある生活は保証されたものではなく、このなし崩しの同居生活はいつ解消されても不思議ではない。
しかしあの未来が本当なら、もういつ訪れるか分からない別れに怯えることはない。それどころか未だ消化できない想いを隠さず打ち明けて、ドラルクと恋人になれる未来があるのだろうか。
足が地に着かないような心地でロナルドが呆けていると、生活スペースから声がかかった。
「ロナルドくーん」
びくっとして、咄嗟に万華鏡を引き出しに戻した。
「な、何だよ」
動揺を隠しきれていない、上擦った声で返してしまう。
返答を待ってドラルクが扉を開けて入ってくる。その手にツヤツヤとしたアップルパイが載った皿が見えた。
「やっぱりサボってたな。どうせ進まんなら休憩したらどうだ。ジョンに焼いたアップルパイを分けてやろう。ドラちゃんの広い心に感謝して頂くように」
なんだかんだで毎日の様におやつを提供してるくせに、相変わらず前置きが長い。ロナルドも常套句となった台詞を軽くいなすくらいは出来るようになった。
「おう、せんきゅ」
動揺を悟られないように、簡潔に答える。
薄切りのリンゴが放射状に載った見た目に美しいアップルパイの時もあるが、今日はパイ生地が交差して編まれたよく見る王道のアップルパイ。前に作るところを見た時は、器用に迷うことなく生地が編まれていく様に感心したものだ。
「ちょっと待ってて。紅茶でも淹れてこよう」
ケーキをロナルドの前に置くと、踵を返して生活スペースに戻ろうとするドラルクの手首を、思わず掴んでいた。
「ドラ公」
……何?」
ドラルクは怪訝な顔で掴まれた手を見た後、ロナルドを見つめる。
同居人といういつ瓦解してもおかしくない関係に、もっと確かな名前が欲しかった。
人は関係性に名前を付けたがる生き物だ。ラベリングに何の意味があるのだと、そんなものがなくても揺るぎない関係だと、自信を持てれば違うのかも知れない。しかし言葉で枠にはめなければ曖昧な輪郭では形を保てず、いつ溶けて無くなってしまうか不安でたまらない。形ない心を言葉に出来たら、人はそれに安心する。
「俺たち、付き合わないか」
「はい?」
口走った言葉に、我ながら何を言っているのだろうと思う。先程見た未来に浮わついた心と高ぶった感情に、今日は仕事で床下にヒナイチが居ないことも後押しして勢いに任せて言ってしまった。
「えっと、君と言葉の認識に齟齬があるかも知れない。ちょっと意味のすり合わせをしようか」
硬い表情のドラルクに、ロナルドは目の前のパソコンの検索エンジンに『付き合う』と文字を打った。

―――付き合うとは、恋人同士としてふたりが交際することを意味します。 どんなに仲が良くても、友達同士なら付き合うとはいいません。 ―――

検索結果が表示された画面を指し示し、ドラルクに見せたら時が止まった気がした。しばしの間のあと、ドラルクは平坦な声で訪ねる。
……ちなみに理由を聞いてもいいかな?」
「理由……? 理由ね? うんうん……ちょっと待てよ」
「うっそノープラン?」
「うるせえお待ち下さい」
「えぇ……うん……
衝動的に口から滑り出た言葉を、自分でも上手く説明が出来ないでいた。どうすればドラルクは納得してくれるだろうか。もどかしい感情を、言葉にするのは難しい。
……いや、ほらさ、俺たち同居して長いだろ?成人男性二人が何年も同居してると、色々詮索されるだろ?分かりやすい肩書きを付けてもいいんじゃないだろうか。例えば、"恋人"とか」
……なんか取って付けた様では?」
「そんな訳あるか真剣です」
ドラルクはほとほと困り果てたようすだった。しばらく顎を撫でたり額を押さえたり、視線を彷徨わせて唸っていたが、遠慮がちにおずおずと切り出した。
「そういうことなら、ごめん。私は愛のない交際は出来ないよ。偽りや誤魔化しもごめんだ。君の言うことは分からなくはないが、言いたいやつには言わせておけばいい。他人がどう言おうと、私たちは相棒で、コンビ。それでいいだろう?」
ロナルドは反論しようがなかった。ドラルクの言うことはもっともだ。しかしそれが胸に刺さった。ドラルクからは愛がないと、通告されたも同然だった。
……すみません原稿が行き詰まっておかしくなってました。忘れろ下さい」
そう言い訳すれば、ほっとしたようにドラルクは頷いた。
「うんうん、君は疲れているね。アップルパイ持っていって、あっちでジョンと食べたら?」
……うん。一緒に食べる」
ジョンとダイニングでアップルパイを頬張れば可愛い丸に癒されて、紅茶と共に悲しみを飲み込んだ。

**

おやつを食べ終えて事務所側へ戻ると、ロナルドは先程の万華鏡を取り出し、手のひらに置いてしばらく眺めた。生活スペースへ聞こえないように小さな声で怒りと羞恥が混ざった声を絞り出す。
「~~~っつ!!! だめじゃん!!!」
ドラルクから貰ったときに握りつぶすなよとたしなめられたことを忘れ、怒りに任せてぎりぎりと万華鏡を握りしめる。万華鏡に映し出された未来に焚き付けられ、つい告白紛いのことをしてしまったが結果は散々だった。
ロナルドのただならぬ様子を察知してメビヤツが不安そうに見つめていることに気がつき、「大丈夫だよ。心配かけてごめんな」と帽子ごと撫でてロナルドも心を落ち着かせる。

あくまで可能性、そうは分かっていたが今まで諦めていた反動からか止められなかった。
未来の二人はハグはしていたけれど、本当に恋人同士なのかも定かではない。
仮にあれが本当の三十年後で二人が恋人だとしても、どのタイミングで関係を構築したかは分からない。もし十年後や二十年後だったら? 今でも同居して数年経っているのに、この状態で待つのはロナルドにとって生殺しに近かった。

何年後に叶うか分からない、途中で未来が変わってしまえば叶いすらしない恋を待つなんて馬鹿げている。
ロナルドが欲しいのは、今なのだ。
ならばどうするか。新たな恋を探して、見た未来もドラルクへの恋心も忘れてしまえばこの苦しみから解放されるのではないか。そんなことを考えても、ちっとも心は晴れはしない。

情熱的な恋がしたかった。愛し愛されて、互いを求め合うような、激しい恋を。でも無理だ。だって気付いてしまった。今も静かに胸に宿るこの想いは、簡単には消えてはくれないし、ドラルクに恋する限りただの一方通行の恋でしかなかった。
一度くべられた小さな薪はじりじりと燃え上がり、ロナルドの燻った心を焦がしていった。

**

その日の夜、夢を見た。薄ぼんやりした空間で、ドラルクとロナルドだけが立つ。ここを出ていくと、ドラルクは言う。ロナルドは寂しさに、ここにいて欲しいと泣いて縋る。
「君は、側にいてくれたら私じゃなくてもいいんでしょ?」
そう言って、ドラルクは去ってしまう。

はっと目が覚めると、暗闇で赤く灯る瞳と目があった。冷たい手が、ロナルドの髪を優しく撫で付けている。
「ドラ公」
ドラルクはソファベッドに腰をおろし、こちらの様子を伺っていた。涙で張り付く髪が不快で鬱陶しく、心臓がばくばくと煩い。合せ鏡には悪魔が潜むと言うが、件の万華鏡はロナルドにとんでもない悪夢を見せてくれる。
「君のうなされる声が気になってゲームに集中出来やしない。どうした? 悪い夢でも見たか」
夢のドラルクと違って、目の前の吸血鬼の声音と仕草は優しい。そのか細い体を、夢のように逃さぬよう抱き締めたくなる。思い出し、また涙か滲んでしまう。
「ああもう泣くな泣くな。そんな泣いたらジョンも起きちゃうぞ。君は本当の五歳児だったのか」
そう言うと頭を撫でて、寝かしつけるように胸をぽんぽんと叩いてくる。それでは五歳児どころか赤ん坊扱いだ。日頃からロナルドを五歳児と揶揄するこいつに好きになって貰うなんて、土台無理な話だと改めて思ってしまう。ジョンが寝ているということは、夜明けが近いに違いない。ドラルクも棺桶に戻る時間だろうに、こうやってロナルドを気に掛けてくれる。
夢のドラルクの言葉に胸が痛かった。自分は都合よくドラルクにすがっているだけなのかもしれないと、血の気が引いた。でも目の前の吸血鬼を見れば、すぐにその考えは否定できた。
ロナルドが追い求めているのはドラルクしかいない。時折見せる優しさに、こんなにも胸が苦しくなる。
気が抜けたのか、本当に眠気がきてうとうとと微睡めば、そっとブランケットをかけ直してくれる。

―――泡沫の夢でもいい。今度はこいつと、幸せな恋をする夢が見たい。

目蓋が重くなり、そのまま深い眠りについた。