氷紀
2024-07-20 02:37:12
10752文字
Public 迷い込んだ彼らの話
 

やがて明けゆく

『響く夜雨の隙間で』の続き。CPは高沢+若干ゲタ←墓。
明け方の話。



 ――ちいさいののの呼吸が、完全に寝息になった頃。

「先輩、もう出てきて大丈夫ですよ」
 雨音を透かして、静かに響いた沢城くんの声が、僕の耳を打った。
「あはは、バレちゃったか。……お邪魔します、っと」
 一応、気配は消してたつもりだったんだけど――やっぱり沢城くんは鋭い。古い板敷きの廊下から、僕はゲタ吉の部屋に踏み込んだ。
「雨音で足音は隠れても、床の重みが揺れる気配は消えませんよ。あと襟元よれてます。……何でそんな、盗み聞きみたいな真似」
……あんなことした直後に、いきなりいなくなられたら、さ?」
 沢城くんの隣、ちいさいのの頭の上側に座って、そっと距離を詰める。
 寝間着の浴衣の襟元は一応直しつつ、ほんの少しだけ抗議の意志を込めて、沢城くんの頬に口づけを一つ。くすぐったそうに受け止めてくれるのが、やっぱり、愛しい。
「一体いつからそこに」
「きみが、ちいさいのの布団を叩きだしたあたりから。……ゲタ吉に何かあった、ってことだよね?」
「聞いた話ですけど、傷が痛むらしくて。だから手当てする間だけ、僕にちいさいのを見ててくれ、って墓のが」
 そんなことだろうとは思った。僕たちの部屋に術の痕跡が残ってた、つまり墓のが沢城くんだけ連れ出した、って時点で――僕とちいさいのは、時々一緒に遊んだりはする。でもちいさいのにとって僕は、日頃面倒を見てくれる墓のや、元々根が一緒の沢城くんに比べると、やっぱり、『手放しで信頼する』ところまではいかないだろう。雨の夜に一緒にいるなら、僕よりは沢城くんの方がいいに違いないのだ。
「そうなのか。ってことは今、墓のとゲタ吉は離れか?」
「はい。あの瘴気の傷、ゲタ吉が妖力動かしたせいで、痛みが出たんだって……だから手当ては離れで、ってことみたいです」
「ふーん……ゲタ吉、何してたんだろうな、一体」
「さあ、そこまでは」
 ちいさいのが深く眠っているのを確認して、沢城くんはそっと手を引っ込めた。雨はまだ降り続いている。雨音に紛れて響く寝息は、きっと、小さい頃の沢城くんと同じなんだろう。ついでに姿勢も。
 ちいさいのを起こさないように、小さな声で言ってみる。
「寝顔、きみとそっくりだ。うつ伏せなのも一緒」
「まあ、大元が『同じ』ですから……やっぱりちいさいの見てると、思い出しますね。昔のこと」
 口元に浮かぶ笑みは穏やかだけど、ちいさいのを見つめる視線は少し悲しそうでもある。
「寝付くまでずっと、不安がってました。ちいさいの」
「ゲタ吉が側にいないからか?」
「そうです。……僕がこれくらいの年だった頃は、父さんと水木さんがいなくなるなんてこと、考えもしませんでした。その二人が目の前で消されて、しかも自分は違う世界に飛ばされた上にうまく喋れない、って……そこに、絶対的に守ってくれる誰かが現れたら、必死にしがみついて当然でしょう?」
「確かに。一回、安心できる場所を壊されてるんだ。また同じように壊れてしまったら……って想像がはっきりできる分、余計に怖いんだろうね」
 うつ伏せで眠るちいさいのの左手首が、布団の端から少しだけ覗いている。白と黒の組紐、そこから感じるのはゲタ吉の、執着というか執念というか、もはや呪いと見分けが付かなくなってる域の愛情というか、まあそんな感じのナニかだ。
 執着されないと不安、というゲタ吉の言葉を思い出す。それはちいさいのも、沢城くんも一緒なんだろう。……激烈に重い情がこもった組紐でも打ち消せないくらい、その不安は強いものなのか。
「それでも、……ちいさいのは、ゲタ吉を選んだ……
 沢城くんの呟いた声が、僕の耳に届いてしまった。
 声の大きさも、言い方からしても、ほとんど無意識に出たであろう一言。僕の心がざわついた。だから、聞かなかったことにはできなかった。
「選べたのが、うらやましい?」
「え、っ……
 動揺した声に、続きはない。ちいさいのの境遇を思えば、とてもうらやましいだなんて言えないんだろう。でも、――彼が言えないのは分かっていたから、僕は答えなくてもいいという気持ちを込めて、沢城くんの手を捉えて握った。
「僕たちも、ちいさいのとゲタ吉みたいに、ずっと一緒に居られたらいいのにね」
 さっきまでちいさいのの布団を穏やかに叩いていた手は、一瞬だけびくりと震えた。僕の言った言葉は間違いなく本音で、その本音が沢城くんに確実に響いたんだと感じる。
 心の中が異様にざわついて止まらない。
「先輩、」
「こんな出会い方じゃなかったら。こんな状況じゃなかったら。……考えてもしょうがないことだって、分かってるけど」
 かなうなら、きみを僕の世界に連れ去ってしまいたい――その一言を、僕は辛うじて呑みこんだ。これだけは絶対に言っちゃいけない。言ってしまったら、沢城くんは心を引き千切って、元の世界を捨ててしまうから。僕にできるのは、彼が選ぶまで待つことだけだ。いつか来る時間切れは、248年より長いだろうか、短いだろうか。妖怪にとっては非常に微妙な、その年数。
 僕の内心を知る由もなく、沢城くんは続ける。
「そう、ですね……僕も、何度も考えました。でも、何か一つ掛け違っていたら……こんな風に、なったかどうか」
 手を握り返す力を感じる。今はただ静かな温もりがあるだけだけど、僕はついさっき、彼の肌が桜色に燃え上がるのを知ってしまった。
 彼が帰る道を選ぶなら、いつか別の誰かが、あの桜色と甘い匂いを知るんだろうか。……ちりちり焦げるような錯覚が胸に宿る。といっても、地獄の鍵が暴走している訳ではなく。
「本当に、……きみも、きみの世界にいるきみの仲間たちも、僕の世界のみんなも、全部大事にできたらいいのに」
 後ろめたい気持ちをごまかす為に、叶うはずのない、半ばやけっぱちの理想を唇に乗せた。
 生まれた場所、生きた場所、やってきたこと、ここに飛ばされてきたこと。何が欠けても、今の僕たちにはたどり着かない。だから、いつか終わるって分かっていて、それでも触れることを選んだのは僕なのに。
 知らない方が楽だった気がする、でも知ってしまったのが運の尽きだ。
「それができたら、……僕はきみの手を離さずにいられるのに」

 だから――沢城くんがそこで目を見開いたとき、僕には訳が分からなかった。
……そうだ。それだ」
「さ、沢城くん……?」
 ぐい、と腕を引かれる。
 されるがまま抱き留められ、更に耳元に囁かれたのは、やっぱりよく分からない言葉。
「ちいさいのにできて、僕にできないはずがない……ですよね」
「う、うん?」
「僕はあきらめが悪いんです、高山先輩。ついでに、ちいさいのよりずっと強欲なンです、……多分」

 どういうこと、と問い返そうとした一言は、沢城くんに食べられてしまった。
 ちいさいのの寝息は変わらない。