めぐみ
2024-06-25 20:24:59
28027文字
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HERO/HEROINE(轟百)

支部で3話にわけたやつ
今読むと恥ずかしい
3年生なふたり




2.轟焦凍の思うところ




 轟焦凍は茫然としていた。

 その日は八百万に誘われて映画に来ていた。自分は映画を自主的に観るような質ではないが、友人たちからの評判も良く、少し興味が湧いたところに誘いを受けた。迷いはしたがこの3年間隣席で過ごしチームを組むことも多かった彼女は居心地の良い人であったし、新境地を開拓する気持ちで誘いに乗った。
 映画の内容は前評判通り面白く、八百万との感想戦がそれを一層深めさせた。友人と映画に来るのも良いものである、なんて呑気に思っていた矢先、八百万から「好きだ」と告げられた。

 初めは「人として」の好意であるのか、とも思ったが彼女の表情が雄弁にその気持ちの意味を語っていた。先ほど観た映画のヒロインと同じような顔をしていたから、恋愛事に疎いと友人から言われる自分でもすぐに気が付いた。

 顔を真っ赤にして少し俯く八百万の姿に轟は言葉が詰まった。それは彼女が普段見せる気丈な態度とは全く異なっていた。それまですっかり気にしていなかったが、自身が彼女の腕を掴んでいることに轟は体温がグッと熱くなるのを感じた。
 そして、あまりに細く弱弱しい彼女の腕に、轟はなぜか母親の姿を思い出した。そう、父に粗末に扱われ、心を壊した母を。

「...轟さんは、私のことどう思ってらっしゃるんですか?」

 そう問われて、轟は意識を目の前の彼女に戻す。好きかと問われれば、好きだと思う。だが、それが八百万と同じ気持ちか分からなかった。彼女の真っすぐな人柄とトップを目指し一心に努力する姿は轟が尊敬するところであり、好ましいとも思うところだ。しかし、轟は今の今まで恋だの何だのに全く関わってこなかったから、それが自分が緑谷や飯田に対して思う好意と同じなのか異なるのか見当がつかなかった。

 沈黙が長く続いた。この気持ちをなんと表現したら良いのか、ぴったり合う答えが見つからない。しかし、これ以上待たすわけにはいかないだろう。八百万はこちらが心配になるほど顔を真っ赤にして自分の答えを待っている。

「......クラスメイトとして、ヒーローとして尊敬している。ただ、俺は好きだとかそういうのさっぱり分からねえ。考えたことないんだ。お前に限らず、好きだとか惚れたとかが分からねえ。八百万がそう想ってくれる気持ちは嬉しい。ただ...、悪い」

 この気持ちに名前が付けられない轟はその胸のうちを正直に明かすことにした。彼女を悲しませたくない、とは思ったが嘘をついて適当に答えてしまおうとも思えなかった。真っすぐな彼女の想いに対してなるたけ誠実に応えたかった。彼女を不必要に傷つけたくなくて慎重に言葉を選んだが、上手くできたかは分からない。拙いそれは彼女に届いただろうか。


「.........いいえ、こちらこそ突然戸惑わずようなことを言って、申し訳ありません。これからも変わらずクラスメイトとして接してくださると嬉しいです。では、用事を思い出しましたので私はこれで。今日はお付き合い頂き、ありがとうございました。また学校で。」

 八百万は笑顔でそう言った。いや、笑ってはいたがその目からは涙が溢れんとしていた。振り返りざまに涙がこぼれて、その姿に轟は目を奪われた。笑顔も涙もあまりに美しかった。掴んでいた手からするりと抜け出して、八百万は走って行ってしまった。





 さて、どうしたものか。走る彼女の背が見えなくなったところで、ようやく轟は思考を再開させる。こんなことは轟にとって初めての経験で、考えがまるでまとまらなかった。

 仕方のないことだ。轟は今まで恋愛事を遠ざけてばかりだったから、なんと答えるのが正解だったのか分からない。自分は幼いころから父親への憎悪ばかりに目を向けてきたから、誰かを恋い慕うだとかそういう気持ちにとんと疎かった。

 中学までは人を遠ざけるように生きて来て、高校になってようやく友人付き合いが普通にできるようになった。だが、時折クラスメイトが彼女が欲しいだとか言うことには共感出来なかった。お前はそう思わないのかと問われたときも、そもそも自分が誰かと恋仲になっていずれは家庭を持つということがさっぱりイメージ出来なかった。だから、八百万に対してもああ言うほかなかったのだと思う。

 それから、彼女に母の姿を重ねたことを思い出した。あのとき、どうしようもなく彼女は女なのだと示された気がした。轟はそもそも男女の仲というものに良いイメージを持っていない。もちろん世間一般に、恋人や夫婦という仲は睦まじいもので素晴らしいものだと言われていることはわかっている。だが、自分の父と母の関係を見る限り、どうしてもそうは思えなかったのだ。自分がそういった恋愛について考えられないのもそれと少し関連しているのかもしれない。

 自分は父のようにはならない。しかし、女性というものはひどく壊れやすく繊細なもので、触れるのが恐いのだ。

自分は誰かを愛して寄り添い生きていくことが出来るだろうか。今の轟にはさっぱり分からなかった。


 ふと時計を見ると、17時を少しまわったところだった。最近は日も短くなってきたから、陽もまもなく沈み始めるだろう。

 そういえば、八百万は大丈夫であろうか。彼女は普段は冷静で頭脳明晰であるが、その育ち故かどこか危なっかしいところがある。泣いている彼女をひとりにすべきではないのではないか。

 オールマイト引退後、治安は良いとも言い切れない。最近では子どもや女性を狙った犯罪がこのあたりで増えていると父が愚痴っているのを聞いた。それを思い出して轟は急激に八百万のことが心配になった。彼女は強い。それはわかっている。目前に迫ったプロデビューを果たせば、きっとすぐにその力で多くの人を救け出すだろう。しかし、いくら彼女が強いといえども、女性である。掴んだ腕の細さを思い出す。男と近接戦闘になればパワーでは劣ってしまう。なにより彼女自身が単独での戦闘を不得手としていると言っていたではないか。

 追いかけよう。そう思い至って轟は八百万が消え去った方へ走り出した。会って何を話そうかとか一切考えられなかったが、彼女の身がただただ心配であった。




 追いかけ始めたは良いものの、八百万がどちらへ向かったかは分からない。走り出した方向は駅と反対側だった。彼女と別れてから一時間は経っただろうか。彼女の足で行けそうな範囲を探し回るもいっこうに彼女の姿は見当たらなかった。

 八百万に連絡をしてみても繋がらなかった。しかし、気づいていないかそれとも応答し辛かったためかもしれないし、それだけで八百万が無事かどうか判断がつかなかった。すぐに追いかければ良かったと轟は舌打ちした。



 案外八百万はもう駅に行って帰っているのかもしれないそう思って踵を返そうとしたそのとき、建物の間に見覚えのあるものを見つけた。薄暗い道にはひどく不釣り合いなものに、不思議に思って近づいてみる。

 手に取ってみると、確信にかわる。見覚えがあるどころではない。
 「それ」は八百万が創ったマトリョーシカである。ロシアの人形だと言っていたか。八百万のヒーロースーツに、長い前髪のような模様のそれに轟は懐かしくなった。1年の初めての期末試験のときに創っていたし、その後の演習でも何度か見たことがあった。

 何故これがこんなところにあるのか。この先に八百万がいるのかと轟は人がふたり入ればよいほどの狭い細道へ足を踏み入れた。もうすっかり陽も落ちてしまって、常でも薄暗いであろうそこはさらに暗くなっていたため目を凝らして慎重に進む必要があった。そこにはゴミが少々落ちているくらいで、他には何もない。ただ、こういった場所は統計的に犯罪率が高い。轟は警戒心を強めた。

 しかし、一通りその路地裏を調べたが幸か不幸かそこには誰もいなかった。他に八百万の持ち物が落ちていないかよくよく探してみたが、それも見当たらなかった。

 されば仕方がないと思って、轟も帰宅することに決めた。落ちていたマトリョーシカをどうしようか少し迷ったが、彼女かその知り合いが落としていったことには間違いないだろうと思って持ち帰ることにした。次に会ったときに八百万に渡せばよいだろう。少し気まずい思いをしそうであるが自分と彼女はこれからも変わらずクラスメイトなのだから、それが当然のことだ。最後にもう一度携帯を開いて、「心配だから家に帰ったら連絡してくれ」とだけメッセージを送った。さすがに夜には返信してくれるだろう。





「ただいま」

 轟は久方ぶりに実家へ戻った。1年の後期から雄英高校は全寮制となり、外出には許可を要する。焦凍は母の見舞いに毎週出掛けるから許可をとることも珍しくないが、実家に帰ってくることは少なかった。クラスメイト達は焦凍ほど頻繁に外出許可を取らない。雄英生は授業だけでも忙しいが、休日も予習復習や個人訓練に励む者が多いからだ。八百万もその口で、せっかく外出を申請するのだから帰省すると言っていたから焦凍も偶には実家に顔を出そうと思い至ったのだ。

「おかえり、焦凍。ごはんもうすぐ出来るから待ってて。お父さんもなるべく早く帰るって」

「何か手伝おうか」

「ふふ、大丈夫よ。ありがとね」

 帰宅すると珍しく姉の冬美が既に帰宅していた。彼女は教師として多忙を極めているため、この時間に家にいることは少ない。加えて、父も仕事人間であったし兄は独り立ちして家に寄り付かないから、姉が就職してから焦凍はこの広い家で1人で過ごすことのほうが多かった。

 きっと姉は焦凍の帰宅連絡を受けて無理をして帰ってきてくれたのであろう。焦凍はとりわけ実家が好きというわけではなかったが面倒見の良いこの姉のことは嫌いでなく、こういった気遣いが素直に嬉しかった。

 焦凍は姉に礼を告げて自室へ向かう。轟家は日本家屋の造りであり、焦凍の部屋も例外ではない。必要なものは寮へ移してもらったから些か殺風景であるが、それでも自室は落ち着いた。数少ない家具のひとつである机の上に、今日拾ったマトリョーシカを置いてその傍に腰を下ろす。自分に似せた人形を創るあたり、大人びて見える八百万も案外子どもらしいところもあると少し笑ってしまった。

 焦凍は今日の出来事に思いを馳せた。何故彼女は自分を好きになってくれたのだろう。
 クラスメイト曰く、自分の見目はよいらしいが彼女がそういうところで人を判断するタイプだとは思えない。

 八百万は、自分の隣でならもっと強くなれる。そばで支えたいと言ってくれた。
 強くなれるというのはどういうことだろうか。ヒーローとしての強さだろうか。確かにA組でコンビを組むなら八百万とやるのが一番心強いと焦凍は思っている。個性の相性もそうだが、何より安心出来るのだ。彼女と一緒なら切り抜けられる。そう思った場面はこの3年間で幾度となくあったし、実際にそうであった。
 彼女が言っていた「強くなれる」というのも、こういうことだろうか。



「焦凍~、ごはんできたよ!」

 冬美が呼ぶ声が聞こえたので、焦凍は考えるのを切り上げてリビングへ向かった。夕飯を食べ終わるころには、八百万から連絡も来ているだろう。



 夕食は焦凍の好物ばかりだった。姉に積極的に好みを教えた覚えはないが、流石に知られているらしい。

「ごめんね、お父さんもう少しかかりそうだって」

「いや、その方がいい。仕事なんだろ」

 父との確執は以前に比べれば随分軟化したと思う。未だ許せないことは多いが、父の仕事ぶりは確かにトップヒーローの名に相応しいものであるし、強さを追い求める姿に「エンデヴァー」という名は似合いであった。

 久方ぶりに姉と食卓と囲む。轟家は食事中にテレビは観ないから、自然と姉弟で話すことになる。冬美はいつも学校や焦凍の友人の話を聞きたがった。焦凍のほうもそういった話をするのは楽しかった。話すことでそのときの記憶が思い出せるし、何より姉がいたく楽しそうな顔をするからつい話してしまうのだ。

「ねえ、今日は友だちと映画観てくるって言ってたけど、どうだったの?」

 しかし、今日ばかりは別である。その話題は焦凍にとって今最も話しづらいものだ。

楽しかった、よ」

「なあに? 随分間があったじゃない。何かあったの?」

「いや、何でもねえ」

 流石に八百万との一件を姉に話す気にはなれなくて焦凍は口を噤んだ。映画を観て楽しかった、そこまでしか語ることが出来ない。冬美もそんな焦凍の様子を見て何か察したのか、それ以上追及することはなかった。

 かわりに焦凍はふと思いついた質問をぶつける。

「なあ、姉さんは結婚とかしねえの」

「っ!! え!? 何突然!」

「いや、親父も仕事人間で家じゃ姉さんも1人でいること多いだろ。俺も卒業したら独り立ちするつもりだ。姉さんは今まで家のことをしてきてくれたけど、もうそういうのから解放されても良いんじゃないか」

「えー、焦凍がそんなこと言うなんて。うーん、そうねえ。結婚かあ」

姉はそこで初めて思い至ったかのように考える素振りを見せた。姉は父に厳しく当たられた自分に何か負い目を感じているようだったが、焦凍も冬美に対しては同じような想いを抱いていた。優しく気量の良い姉は、母が入院してから家のことを一手に引き受けていた。それは冬美が学生の頃からずっと続いている。焦凍からすれば姉こそ家に縛られているように見えた。

「そうねえ、いつかは出来たらいいなあって思うよ。一応私もそういうのに憧れるしね。だけど、この家を出ることはないと思う。お父さんとお母さんのこと、放っておけないもの」

姉さんは、嫌だと思ったことないのか」

「何が?」

「そうやって家のことするの」

「ああ、そうね。小さい頃は嫌だったよ。でも今はそうでもないかな。2人とも色々あるけど私たちのこと愛してくれているし、私だって2人のこと好きだから。お父さんもひねくれたところあるけど、それでもあの人が私のお父さんであることにはかわりないもの」

 弟のアンタもかわいいしね、と最後に冬美は笑いながら付け加えた。その表情に嘘はなかった。

「...ふふふ、焦凍はそうでもないのかな。意味が分からないって顔してる。あの人たちも案外"夫婦”なところあるのよ?」

……そうは、見えないが」

「ははは!まあ、今じゃ2人で並んでることもそうかないからねえ。焦凍、ひとつ教えてあげるわ。お母さんの部屋に毎月大きな花が届くでしょう?」

「ああ、あれ姉さんが用意してるんだろう?」

 焦凍は時折母の病室に飾られる花を思い出した。その季節に合わせて毎月違った色とりどりの花が飾られる。焦凍は毎週見舞いに行くが、それが飾られている週は母も嬉しそうに眺めていた。てっきり姉が用意したものだとばかり思っていたが、違ったのか。

「ううん、違うわ。あれ、お父さんが毎月送ってるのよ。会えない代わりに毎月の結婚記念日にね」

……あいつが」

「 そうよ。ああ、あと、お母さんがいつも見てる家族写真。あれにお父さんも写ってるの知ってるでしょう?子どもたちだけの写真だってたくさんあるのにね」

…………

「まだ納得いかないって顔ね。大体、本当に愛が全くないならとっくの昔に離婚してるわよ」

姉さんにはあのふたりが想い合ってるように見えるのか」

 焦凍にとってそれは今まで考えもしたことのないことであった。少なくとも母は父を憎んでいるとばかり思っていた。

「ええ、もちろん。なんだかんだでお互いのこと大切だと思ってるわよ。だから私はお父さんとお母さんのこと嫌じゃないよ」

そうか」

「...っていうか、焦凍が私に結婚を勧めてくるなんてねえ!まあ、暫くはないわよ。今は仕事が楽しいしね」

 冬美は神妙な空気を吹き飛ばすように笑って言った。確かに姉も父に劣らず仕事好きだからそういう話はまだ先なのだろう。

「ねえ焦凍、あんた高校入ってから随分私やお母さんのこと考えてくれるようになって嬉しいけど、あんただってちゃんと幸せになんなさいよ。恋人の1人くらいいないの?」

いないし、そういうことはよく分からん」

「あらあら、折角キレーな顔してんのに」

 焦凍は気まずい思いをしながら八百万に告げた「分からない」という答えを繰り返した。
 はは、と冬美が軽く笑ってその話は終いになった。




 夕飯を取り終わって自室に戻る。携帯を開いても八百万から連絡は来ていなかった。心配は増すばかりであるが、単に今自分と連絡をとりたくないだけかもしれない。恋愛に疎い轟でも、告白の後にその人と連絡を取りづらいことくらいは容易に想像できた。
 あまりに遅いのでもう一度連絡すべきか。しかし、時刻は既に8時をまわったところだった。流石にもう帰宅しているだろう。

 じっと携帯を見つめた後、焦凍はそれを机の上に置いた。八百万が連絡して来ないということは、連絡したくないということなのだろうと思ったからだ。

 畳にだらしなく横になって焦凍は先ほどの姉との会話を思い出す。冬美はあんな父と母でも想いあっていると考えているらしい。ますます男女の愛なんてものがさっぱり分からなくなる。一体全体どうしてあの二人が想いあっていると姉には言えるのだろうか。父はオールマイトを越えるために自身と真逆の氷結と言う個性の母を選んだだけでそこに2人の気持ちなど何もないと思っていた。
 事実焦凍は炎熱も氷結も大きなリスクなく打つことが出来る。炎熱のみの父とは違いすぐに体温調節すれば良いのだから、半燃半冷の焦凍には極めて容易であった。

 しかし姉の言うことにも言い分があるだろう。焦凍にとっても二人が別れないのは不思議であった。メディアはヒーローゴシップが好きだから、その餌食にならないために離婚を避けているかとも考えたが、父と母の関係はもう致命的で母が離婚を申し立てないことのほうが不思議であった。いくら生家に金を渡されているといえども、焦凍が生まれた後関係を続ける意味があると思えなかった。

 大切に想う。一種の情のようなそれが愛なのであろうか。焦凍には母に、そして姉に愛されて育ったという自覚がある。二人とも自分を思いやり、大切にしてくれたと思うからだ。2人がいなければ今の焦凍はない。それを愛と呼ぶのなら自分だって母や姉を愛している。

 では、自分を好きだと言ってくれた八百万はどうか。

 焦凍は八百万をある種特別視していることは自覚していた。博識で努力家な彼女のことをヒーローとして尊敬している。それに加え、彼女はいつだって自分を認めてくれる。それが焦凍にとってくすぐったかった。


 幼い頃から父に目を掛けられて育てられ、兄たちや級友からは嫉妬と善望の入り混じった目で見つめられた。それは焦凍にとって仕方のないことだと思っていたし、父と比べられ評価されることはっすっかり慣れてしまっていた。

 しかし、八百万はいつもさらりと自分を褒めてみせる。父のことは関係なしに、まっすぐに焦凍自身を褒め、信頼を寄せてくれることが嬉しかった。

本当に大事なのは自分である!と認識すること。
血に囚われることなんかない。なりたい自分になっていいんだよ。

 オールマイトのインタビューと、母に言われた言葉だ。幼いころ言われたそれを思い出してから焦凍はもう二度と忘れなかった。父のことが憎くとも、炎熱も自分の力なのだ。焦凍の夢はヒーローになること。オールマイトのように多くの人々を救う人になりたい。そのために左の能力が必要ならば、使わなければならない。自分の全ての力を以てヒーローになりたい。

 いつの間にか忘れてしまっていたこれを思い出させてくれたのは他でもない緑谷である。本当に感謝してもしきれない。しかし、思い出しても受け入れることは容易ではなかった。

 母と話して、父の背中を見て乗り越えてきたが、それでも時々不安になるのだ。本当にこれで良いのか。自分は母を泣かすような人間から受け継いだ力を使ってよいのか。
 そういうときに、八百万がくれる言葉は自分をひどく安心させてくれた。彼女の言葉は、自分が自分であると再認識させてくれる。

支えになりたいって思うんです。
 今日の八百万の声がよみがえる。そう、そんなふうに自分を真っすぐ認めてくれる彼女が傍にいてくれたらどんなに心強いだろう。



 ブブブ、と音を立てて携帯が震えた。表示は耳郎からの着信で、何事かと焦凍は不思議に思った。彼女とは特別親しいわけでもなかったから、こうして連絡が来ることは初めてだった。

『あ、もしもし轟?』

「なんだ」

『あのね、いまウチ寮にいるんだけど、寮母さんに百から連絡なかったかって聞かれたんだ。なんでも、百がまだ家に帰ってきてないっておうちの人から連絡があったんだって。今日は轟と会うって聞いてたんだけど、轟、あんたなんか知らない?』

「あいつ、まだ帰ってないのか?」

 驚いた。てっきり彼女は帰宅しているとばかり思っていたからだ。

『そう。連絡もしないなんてあの子らしくないじゃない。ウチも連絡してみたけど返事ないし...』

「あいつと別れてからどこ行ったかは分からない、が...」

 そのとき、机の上に置かれたままだったマトリョーシカが目に入った。

まさか。あの薄暗い細道で彼女の身に何かあったとしたら?


『そっかー。どうしちゃったんだろ、』
「いや、待て。心当たりあるかもしんねえ」

 急速に思考が回り始めて焦凍はがばりと立ち上がった。そのはずみに机とぶつかって、マトリョーシカが落ちる。



それは床にぶつかって、かぱりと開いた。



 中から出て来たのは、いつか見たことのあるものだった。これはいつ見たのかそう、1年のとき爆豪の救出に向かったときだ。あのときは無茶を言って八百万を付き合わせた。「それ」は、受信機だ。彼女が創造した発信機の場所を示す。さあっと体温が急激に下がる。その割に心臓はどくどくと嫌な音をたててうるさかった。

(なんで気づかなかったんだ!)

「耳郎!悪い、また連絡する」

『えっ、あ、轟!?』

 耳郎には悪いが電話をすぐに切って、受信機入りマトリョーシカを拾い上げた。ついでに上着を引っ掴んで玄関へ向かう。走りながら受信機を操作すると、ある住所が示しだされた。最悪だ。何故自分はすぐに気づかなかったのか。
 八百万がマトリョーシカの中に別の物を入れて創造しているのを自分は見たことがあったではないか。しかも彼女がその手を使ったのは一度だけではない。三年間共に過ごしてきて、彼女からのSOSサインすら見落とすのか。八百万と別れてからもう随分時間がたってしまっている。彼女は無事だろうか。

 適当に靴を履く。走ることが出来ればなんでも良かった。受信機が示す彼女の居場所は少しここから離れている。家の奥から姉の驚く声が聞こえたが、振り返る余裕はない。

 扉に手をかけたそのとき、不意にがらりと扉が開いた。焦凍が開けたのではない。
 轟炎司焦凍が最も嫌う、そして尊敬もし始めたトップヒーローがちょうど帰って来たのだ。

「! 焦凍、こんな時間にどこに行く」

「どこだっていいだろ、急いでるんだ」

「待て、手に持ってるのはなんだ。まさかまた厄介事に手を出してるんじゃないだろうな」

「と...大切な奴のピンチなんだ。行かせてくれ!」

 友達、と言おうとして焦凍は辞めた。友達なんて言葉じゃ彼女はおさまらない。大切な人、と言うのがぴたりと合う気がした。傍にいてほしいと思うほどに、大切で特別な人なのだ。

「...お前はまだ学生だろう。プロ(俺)に任せなさい」

 そう言って炎司は焦凍に手を伸ばした。それ(受信機)を渡せ、そういう意味なのだろう。

「...………分かった。だが頼む、俺も一緒に行かせてくれ。アイツがいないと俺は駄目なんだ。もう資格は持ってる。お前が一緒なら俺の個性使用も問題にならないだろう!?」

 そこで焦凍は生まれて初めて父に頭を下げた。ヒーローとして個性の使用が自由に認められるには、ヒーロー科卒業資格と国家試験への合格が必要だ。3年になってすぐヒーローの国家資格は取得していたが、学生のうちは活動できないのが原則。例外は緊急事態とプロの帯同だ。いくら全国屈指の名門・雄英の生徒であっても、そこらのヒーローよりも実力があると言われる焦凍であってもそれは揺るぎなかった。
 ただ、焦凍はこのときどうしても自身が彼女の元に向かいたかった。彼女の身に何かあったらそう考えるだけで焦凍はたまらなかった。

 しかし、自分1人で無茶出来ないことはもう知っていた。そうやって人に迷惑を掛けるのはヒーローの所業ではない。
 父に頭を下げることなど一生ないと思っていた。しかし、事態は一刻を争う。八百万のためならば、焦凍は頭を下げることをいとわなかった。

 頭を下げたままの焦凍の肩に暖かい手が触れる。

「お前がそこまで言うなら、分かった。行くぞ焦凍ォ!」

 父はバッと背中を翻した。父は走りながら相棒たちにも連絡を送っている。彼らの協力が得られるならば心強いだろう。一瞬ホッとするも彼女の身を案じて気を引き締め、焦凍は父の後を追った。