氷紀
2024-06-19 17:05:56
10783文字
Public 迷い込んだ彼らの話
 

響く夜雨の隙間で

『言葉にはならないこと』の続き。CPは高沢+若干ゲタ←墓。
雨の夜に。



 雨が降り続く夜。
 隣の布団で幾度も続く寝返りの気配に、僕はとうとう耐えきれなくなって、声をかけた。
「眠れないのかい」
……はい」
 ぱたんと転がるように、彼の顔がこちらを向いた。片方だけの目が、髪の隙間から覗く。
「いろいろ、考えてしまって」
「帰れるのか、ってこととか?」
「そう、……ですね。それもあるんですけど……
 ふつりと言葉が途絶える。僕は黙って待ち続けた。
 沢城くんがあまり多弁な方でないのは、分かっているから。
 数秒の沈黙を雨音が埋めて、ざあざあというその隙間を縫うように、沢城くんの声が届く。
「墓のに、言われたんです。どうするべきかじゃなくて、どうしたいか、って」
 いかにも、墓のの言いそうなことだった。僕も、あの卵と戦う前に言われた――沢城くんをどうしたいのか考えておけ、って。
 僕は248年待てば帰れる身で、沢城くんはいつかどこかで『確実に帰れなくなる』身だ。沢城くんが何を望むにしろ、僕は見届けると決めたから、あまり迷う余地もない。だから、聞くべきはまず沢城くんの意志だろう。
 これは好機と言っていいんだろうか。僕は探る気持ちで問いかけた。
「きみは、帰る手段があるなら、帰りたいんじゃないのかい?」
「帰らなきゃいけない、帰るべきだ、と……ずっと思ってました。でもそれじゃ、道は開かないんだそうです。僕が“帰りたい”ってはっきり決めないとだめなんだ、って……あと、決めなかったら、いずれ僕は必ず、帰れなくなるときが来る……とも」
「そっか。墓のには、いろいろ見えてるんだな」
「先輩についても、地獄の鍵が手がかりになりそうだって言ってましたよ。ただ、帰れるとしても、現状だったら百年単位で向こう側だろう、って」
 僕が戦いの前に聞いたのとほぼ一緒の内容だった。ただ、話を微妙にぼかしている気配がある――墓のの内心を推し量りつつ、僕はさらに言葉を重ねる。
「確かに地獄の鍵って、元が時空の壁を破って力を喚ぶ道具だから……やり方さえ分かれば、って感じなのかもしれないな。だとすると、僕はいずれは帰れそうだけど……でも沢城くんは、早く決めないと、そもそも帰り道がなくなるのか」
「そう、みたいです……
 浮かない声だった。
 暗闇と雨音の中、小さな吐息が聞こえる。また、あの妙な気分がざわついた。
 その気分をごまかすように、問いかける。
「帰れなくなったら、きみはどうする?」
「この世界で暮らす方法を見つけるか、それか……先輩の世界に行くこともできる、って墓のは言ってました」
 墓のはそこまで話してるのか。じゃあもう一歩、踏み込んでいいだろう。
……僕の世界、来てみたい?」
「それも面白いかな、とは……ちょっとだけ、思ったんですけど」
 また、言葉が途絶える。沢城くんの本音が雨音の向こうに掻き消えた気がして、焦りに似た何かが湧いた。続けた言葉は、少しだけ早口になる。
「妖怪横丁できみと暮らすのも、楽しそうなんだけどな。といっても百年単位で向こう側じゃあ、あそこだってどうなってるか分からないけど……でもそうだな、少なくとも砂かけ婆とぬりかべは、五百年くらいはあそこにいそうな気はするかな。自前で家、構えてるし」
「そう、ですよね。先輩の世界では、先輩の帰りを待ってる仲間が大勢いるんでしょう? ……そこに僕が混ざったら、先輩の仲間たちから見て、僕はどういう存在になるんでしょうか」
「大丈夫、横丁はあちこちの妖怪が流れ着いてきてできた里だから、きっと皆歓迎してくれるよ。父さんなんか、倅が増えたって大喜びするんじゃないかな」
「ですよね、きっと……
 穏やかな苦笑が、沢城くんの声に混ざる。何かあきらめようとしてる声――それで、僕が何かまずいことを言ってしまったことに気がついた。
「沢城くん、僕は」
「いいんです、僕が決められないのは、先輩のせいじゃない。帰らなきゃいけないとは思えても、帰りたいって心から言えない、僕の問題」
「待って、それって……きみは、帰りたくないの?」
 長い長い沈黙。雨音に紛れてぎりぎりの声が、耳に届いた。
……うん」
 息を呑む。沢城くんにだって、帰りを待っている父さんと仲間がいるはずだ。元の世界を事実上失っているゲタ吉や、家族も仲間もいないちいさいのとは話が違う。
 それでも、帰りたくないって――そう言えるってこと、は。
 二の句が継げないまま黙っていると、沢城くんの言葉がぽつぽつと続く。
「やっぱり、帰らなきゃいけないのは、……分かってます。僕の世界では、きっと今頃、父さんもみんなも、僕を探してるだろうってことくらいは、想像できるし……でも、仮にもし今のまま、元の世界に帰ったら、……僕はずっと先まで、きっと」
……きっと?」
「先輩」
 音もなく、沢城くんが起き上がった。身を乗り出して、僕の顔をそっと覗き込んで――鼓動が跳ねる。頭の奥で警報が鳴る。
……覚えてますか、先輩が僕の前で、武器を落としたあの日」
「う、……うん」
 ちいさいのがさらわれて殺されかけて、犯人を捕まえようとしたら予想外に強くて、でも沢城くんの前で人間を殺せば、彼は僕に二度と笑ってくれないだろう、って思って――それで僕が少しだけ深めの怪我をした一件。忘れる訳がない。僕と沢城くんが、友だちの範囲からはみ出したのは、あの直後だ。
「僕の世界に、あのときの先輩と同じことをしてくれる誰かは、いません。……妖怪も人間も、それ以外も、誰ひとり、何一つ」
 沢城くんの声が震えている。
 頬に落ちてきた水の感触で、彼が泣いているのを知った。
……帰れば僕は、また独りだ。先輩に出会わなかったら、……きっとこんなこと、思いもしなかったのに」
 掠れた声で、涙を拭う手――見ていられない。
 僕は下から腕を伸ばして、思いっきり沢城くんを抱きしめた。息の引きつる音が、雨音の中に紛れて響く。
「元に戻る、だけなのに。僕が、あきらめればいいこと、なのに……
 悲しい呟きが聞こえる。僕はだまってその言葉を聞き届けた。
 だって、どうしようもないから。

 彼にこっちの世界へおいでと言えばいいのか? ……それは違う。帰りを待っている仲間がいるのは、彼も一緒だ。それに沢城くんが、元の世界をすっぱり捨てられる性格じゃないのは分かってる。
 逆に、僕が彼の世界へ行けたらいいのか? ……でも、僕には帰る先がある。それに、地獄の鍵を抱えたまま向こうに行けば、きっと少々どころではなくマズいことになるだろう。
 じゃあ、二人でこのまま、この世界に永遠に留まれば……二人して自分の世界を捨てることができたら? それこそ一番ダメだ。僕の地獄の鍵が厄介なのは変わらないことだし、沢城くんも“帰らなきゃいけないのに”って気持ちがずっと続くことになる。

 ここまでは、普通に考えていられた。それ以上は危ない、って声がどこからか聞こえたけど、でも考えるのは止められなかった。今考えられるうちで、僕にとって最高の道が何か、って。
 ――沢城くんが迷ったまま、帰る先を失うこと。
 そうしたら僕は、彼を堂々と連れて行ける。帰る先がないならこっちへおいでと手を伸ばせば、沢城くんだって拒みはしないだろう。都合のいい、卑怯すぎる夢だ。でも、その夢の甘さを否定できない。だから言えない。だって、沢城くんが何かを捨てなければ開かない、八方塞がりだから。僕が何を言っても、辛いのは沢城くんだ。
……約束は守るよ。それ以上は、僕には言えない」
 だから辛うじてそれだけ、口にした。帰る方法が見つかるまでは一緒にいようってあの約束は、沢城くんが僕に求めてくれたこと。
「高山先輩、……
 何か、堪えるような呟き。揺れる吐息に掠れて消えそうな声だった。その声に誘われて、ゲタ吉に言われたことが脳裏にちらつく。好きな相手に執着されないと不安、って。

 ――ああ、そうか。
 僕はここにきてやっと、沢城くんの心の、ほんのひとかけらを理解した。

 お互い、いつかは別れなきゃいけないことは、分かってはいるんだ。
 だから僕は、いつか来る別れのときに後悔しないためには、って考えながら、沢城くんの側にいた。でも、彼は僕と『同じ』じゃない。沢城くんは、別れたくない気持ちがすごく大きくて、それはそのまま、……好きで、一緒にいたいってこと。できないと分かっていても、どうしても願ってしまうんだろう。それが執着で、不安の源。どう考えたって、明るい感情じゃないだろう。
 でも、沢城くんのその気持ちは僕が受け取るべきだし、受け取りたいって思う。そのためにはきっと、正しいだけじゃダメなんだ。
 だから、抱き寄せる腕に少しだけ力を込めて、僕は彼に囁いた。
「何も捨てずに済む道が、あればいいのにな。世界を出し抜くような方法が」
 自分の気持ちと彼の気持ちと、捨てられない『帰る場所』のことを考えて――僕に言えるのは、ギリギリ、ここまでだった。
 腕の中、一瞬だけ沢城くんが息を詰めるのを感じる。続く声は、あからさまに震えていた。
「先輩も、一緒にいたいと思ってくれてるって……信じて、いいですか」
「当たり前だろ」

 一拍の沈黙。
 ごめんなさい、と呟く声が聞こえて、もぞりと動く気配があった。
……、」
 唇が触れあう。
 どちらのものともつかない吐息と、舌を絡める水音が、耳の奥で響く。もっと深く、と彼の頭を引き寄せたら、二人でもつれ合うように転がることになった。
「っ、……ん、」
 どこか上擦ったような、甘い音。唾液に混ざる彼の妖力を感じたら、僕の腹の奥にじわりと熱いものが湧いた。ああ、欲しいのは、離したくないのは、……僕もそうなんじゃないか。
 思うさま唇をむさぼっていたら、そのうち痺れてきてしまって、やっと唇を離すことができた。
 暗闇の中、沢城くんの熱をもった唇が、微かに動く。
「ごめんなさい、でも、……同じ気持ちなのが、嬉しくて」
 泣き笑いの顔と、熱い吐息。
 僕の背中の上、回された彼の指先が、寝間着の浴衣を掴んで引っ張るのが分かって、頭の奥で何かちぎれた気がした。

 そうして、もう言葉がすっかりもどかしくなってしまった僕たちは――
 雨音に紛れるように、お互いの肌に触れた。


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