氷紀
2024-06-19 17:05:56
10783文字
Public 迷い込んだ彼らの話
 

響く夜雨の隙間で

『言葉にはならないこと』の続き。CPは高沢+若干ゲタ←墓。
雨の夜に。



 そろそろ深夜と言える時間になっても、雨は続いている。
 きっと今頃、ちいさいのはゲタ吉に張り付いているだろうなと思いながら、僕は手元の紙束をめくった。何度見返したか知れない、楔の術の技法メモだ。異次元の魂をこの世界に留めるために、どういう要素が必要になるかを一覧にしただけの、文章ですらないただの羅列。書いたのは僕だ、その気になれば上から暗唱だってできる。
 にも関わらず、僕が自分の部屋に、この紙束だけはずっと置いたままなのは、あまり意味のない感傷という奴に違いなかった。たった今、部屋に漂っている煙草の煙に、甘いバニラが混ざっている理由と同じ。

 かつて僕の養い親だった人間も、確か煙草は吸っていた気がする。しかし銘柄は良く覚えていない。というか、当時の僕は煙草の銘柄なんて大して気に留めていなかった。煙草は煙草、まあ重かったり軽かったりはするけれど、くらいの感覚だったのだ。だから、墓場で拾ったゲタ吉がこの煙草を持っていて、同じモノが手に入らないだろうかと訊かれて、それはそれは驚いた。それでわざわざ調達してやったのは……思えばあの時点で既に、僕はあいつに絆されていたンだろう。

 ゲタ吉が持っていたのは、下半分は健康被害の注意書きで埋まっていて、上半分には金色の鳥と『平和』を意味する単語が刻まれた、紺色の箱だ。この世界で手に入ったものは、注意書きの内容が少々違った。しかし火を付ければ、煙草の苦味に混ざってバニラの甘味が広がる煙草で、同じ味だとゲタ吉は喜んだ。その甘ったるい匂いに若干辟易している僕を余所に。

 そしてちいさいのが来たとき、その手の中にも、ゲタ吉が持っていたのと似たような箱があった。そちらの箱は下半分の注意書きがなく、中身も空っぽだったけれど、刻まれた単語と金色の鳥の意匠は同じ。それでやっと僕は、その煙草の意味を理解したのだ。あいつらにとって、そしておそらくは沢城にとっても、親の形見。

 水木、というその名は、僕の養い親と同じだ。しかし人格は全然違う。僕が知っている水木という男は、妖怪の赤ん坊を殺すつもりで墓石に叩き付けておきながら、結局見捨てられずに育ててしまった、あのぼんやりした男だ。最後は水に呑まれて居なくなったのは一緒だけれど、僕はそれで心を病んだりはしなかった。ああ、いなくなったな、と納得して――何しろ父さんから、人間は僕らよりずっと脆くて早死にだと聞かされていたから、本当にそうなったな、くらいの感慨しかなかった。

 でもあいつらの語る水木は、違った。別人だ。
 酷い境遇から『鬼太郎』の母を救い出し、父さんとも手を携えて、深い情をもって妖怪の赤ん坊を育てたらしい。だからこそ、その死があいつらにとって特別の意味を持つんだろう。それくらいの推測はできる。でも、その深さ重さが、どうしても僕には分からない。
 ゲタ吉がその人間と一緒にいた期間なんて、人生の十分の一以下くらいの期間でしかない筈だ。それでも煙草を手放せない程度に、その人間のことを慕い続けている、なんて――お陰で今やすっかり、僕もこの煙草に慣れちまった、というわけだ。

「お前の所為ですよ、ゲタの……

 聞く者のいない呟きが、雨音に溶けて消えていく。
 ともに過ごしたのはせいぜい十年程度だというのに、死んでから三桁年も残る愛なんて、一体どれだけ強烈なものなのか。僕が父さんを探し始めてからも結構経つけれど、それは僕が、長い時間を父さんと暮らしてきたからこそ、であって――もう居なくなった相手のことを、百年以上想い続けてるなンて、情が深いにも程があるだろう。

 ……僕はもう、父さんを連れ戻したいとは思っていない。
 父さんの所業が推測できた時点で、もうほとんどあきらめている。
 でも、父さんが『したこと』の証拠は掴みたかった。
 父さんが僕を生かそうとした、その意志の証が欲しいと――それだけ、は。

 ゲタ吉もちいさいのも、高山も沢城も、結局は父さんの意志の巻き添えだ……と、僕は見ている。その中から、ゲタ吉とちいさいのをここへ縛り付けてしまったのは、あいつらの望みと僕のワガママがかみ合ったから。はっきり言えるのはそれだけ。
 そう、ワガママ。

 ……僕が本当に欲しいのは。
 ちいさいのを抱きしめる横顔は、脳裏に焼き付いたままだ。

 誰も聞いていないと分かっていても、言葉にしたらオシマイのような気がして、僕はまた黙って煙を吐いた。前は甘ったるいとしか思わなかったこの匂いが、今は、僕の気分に酷く似合いのような気がしてならない。
 その気分の源が、術師としては明確に『弱味』になる感情だと分かっていても――捨てるのは余りに惜しい、そんな気がする。こんな甘いのが似合いだと思う日が来るなんて、つくづく、長生きをすると何が起こるか分からない。

 次々とどうでもいいことが頭に浮かぶのは、きっと高山とあんな話をした所為だろう。執着と不安、あまり明るくはない感情だ。今の僕にも、そう呼べる感情があるのだとすれば、その焦点がゲタ吉とちいさいのであることは否定し難い。……そこまでは、認めてもいい。だからこその、楔の術式だ。

 世界の理を曲げたことは、愛の証になるだろうか。
 たとえ、自分自身以外の誰一人、その本当の意味を理解できないのだとしても。