不破
2024-06-17 21:08:30
5687文字
Public 空戦
 

#20




「それで? ベガ隊の初陣はどうだったの?」

 ケーニヒスベルク。大摩天楼の上層階に位置する、カノープス隊の談話室。軍学校時代からの親友であるニオが隊長を務める隊の談話室は洒落たバーのようだ。どの隊の談話室も間取りはそう変わらないはずだが、帝都の夜景を望む大きな窓を背景にバーカウンターやソファーが置かれており、高い天井から吊るされたエジソンランプの間接照明が瀟洒な雰囲気で部屋を照らしている。革張りのソファーやシックなカウンターはニオの趣味だろう。
エヴゲーニヤは持参したウォッカを氷を落としたグラスに注ぎ入れながら、隣に座るニオの言葉に頬杖をついたまま口を開いた。

「まあ、戦果としては別に悪くなかったんじゃない? 新兵は怖がってたけど」

 言いながら、ロックグラスのウォッカをぐいと煽った。
 新兵。ソニア・ハーディという、軍学校を卒業したばかりの二等兵だ。初陣で命を落とさなかったのは幸運だが、如何せんなにも知らぬ平凡な新兵だ。自分の力で生き延びられるような逸材ではない。

「ソニア・ハーディ二等兵だったかしら?」

 言いながら、ニオがワイングラスに注いだシェリー酒を傾けながら端末を開いた。

「成績は……平凡ね。良くもなければ特段悪いわけでもない」

「首席で卒業したあんたが言うと嫌味に聞こえるね」

「その首席より白兵戦の成績が良かった貴方に言われてもね」

 冷やかすように口にした言葉に、同じような口調でニオが返してきた。「これは失敬」と短く口にして再度ウォッカを口へ運び、くすりと笑った。
 軍学校時代からニオの負けず嫌いは変わらない。当時から些細なことでも誰より優れていないと気が済まない性格をしていた。お陰で、軍学校時代は何度も模擬戦に付き合わされたものだ。白兵戦に置いては自分の方が優れていたし、戦術指揮に置いてはロザリンドの方が上ではあったが、ニオは諦めなかった。だからこそ総合的なバランスの良さで上回り、首席となったのだ。
 その努力も、出した結果も理解しているし、称賛もしている。それはロザリンドも同じだろう。だからこそ、自分もロザリンドもニオを認めている。

「ま、預かった部下だし、しっかり面倒は見るけどね」

 さすがに、まだ20にも達していない新兵の命を戦争などで散らせたくなどない。始まってしまったからには腹を括る他ないが、戦争など本来ならばない方が良いことは誰もが承知している。ならばせめて、この戦いを生き残れる程度には鍛え上げなくてはならない。

「あら、イェーニャにしては真面目じゃない」

「いくら私でも流石にそこまで無責任じゃないわよ」

 言いながら、残り少なくなったグラスにウォッカを注ぎ足す。本当なら煙草に火をつけたいところではあるが、カノープス隊の談話室この部屋に灰皿の用意はないらしい。

「っていうか……あんたの方こそ、例の伯爵様とはもう寝たわけ?」

 冷やかすように問いかけると、グラスを口へ運んだところだったニオが吹き出し、咳き込んだ。

「と、突然なんてこと言い出すのよ……

「なによそんなに狼狽えちゃって。処女だったっけ? あんた」

 アザレア色の目にうっすらと涙を浮かべるニオの言葉に笑いながら返す。
 ニオは軍学校時代から噂の絶えなかった人物だ。自分とニオ、ロザリンドはよく3人で行動していたが、ニオは自分やロザリンドよりも噂の立ちやすい立場であったように思う。いや、自分もそれなりに悪評はあったのだろうが、ニオのそれとはジャンルが異なる。
 ロザリンドは当時から家の私設部隊である亜人達を従えていた上、絵に描いたような令嬢で、そもそも伯爵家の出身である。軍内でそんな噂が立つ理由がない。自分は子爵の家の出身だが、軍学校に入る以前は民間の軍事会社に籍を置いていた変わり者であるし、長身であることも相まって、どちらかと言えば力づくで脅したというような噂が立つ方が多かった。ニオが自分と違うのは、伯爵の爵位を持つ者が多い組織の中でニオは侯爵家の出身であるにも関わらず、軍学校を首席で卒業し、正式な配属後も通常より速いペースで昇進している。その事実は、そういう・・・・噂の種としては上出来だ。まあ、当人はまるで気にしていないようだったし、実際のところ、このお嬢さんは自分が女であるということを武器に出来ないような人物ではない。

「そういう問題じゃないでしょ」

 口元を拭いながら言うニオが狼狽えたようにこちらを睨むも、慣れたものだとエヴゲーニヤは笑む。

「じゃあどういう問題よ? 人を手玉に取るのは上手くやってたじゃない」

「人聞きの悪いこと言わないで下さる? 自分の容姿を武器にしてただけよ」

 ムッとした表情で言うニオに「変わんないわよ」と返しながらウォッカを口へと運び、ぐいと煽る。
 実際、ニオの容姿は優れたものだ。凛とした雰囲気を纏い、艶のあるショコラブラウンの髪に白い肌、整った顔立ち、すらりとしているが、出るところは出て、細いところはきっちりと細いスタイルも見事だと言って差し支えない。武器としては十分成立している。敢えてケチを付けるのなら、平均よりも少しばかり小柄であるということぐらいなものだろうか。

「彼は……そういうのが通用する類じゃないのよ。私の言うことなんて聞かないもの」

「へぇ? ついにニオお嬢様に靡かない朴念仁が登場ってわけ?」

 冗談めかして言いながら、ウォッカのグラスをニオの前に翳して見せる。

「うるさいわね。良いわよ、必ずものにしてやるんだから」

 拗ねたような調子で言うニオに微笑ましいものを見ながら笑み、ウォッカを一口飲んだ。
 と、そこまで話してエヴゲーニヤは、「そういえば……」と切り出す。

「その伯爵様は留守なの?」

 時刻はもう23時を回っており、カノープスは夜警の当番に当たっているわけではないらしい。故にこうして飲んでいられるわけだが、噂の伯爵ことフュゼ・ナイトレイの姿がない。

「そうね。夜にふらっと居なくなることがあるのよ、彼」

「副官の居場所を把握してないの?」

「当番でもない夜にどこにいようと自由は自由だから。それでなくとも、ルールに従うような男じゃないわよ」

 ややうんざりしたようなニオの返答に少し意外さを覚えながら、ウォッカをまた口へ運んだ。
 直属の上官であるニオが動向を把握していないとは、余程詮索を嫌う人物なのだろうか?軍に身を置くのならば、自らの属する隊の仲間とぐらいコミュニケーションを取るのが常ではあるのだが。まあ、プライベートまで知らせる義務などはないわけだが。

「なるほど。伯爵様は秘密主義ってわけだ」

 言いながらウォッカを飲み干し、空になったグラスをカウンターへ置いた。と、氷がからりと音を立てた瞬間、背後から鼻で笑う声が響き、淡白な言葉が続いた。

「てめえ等の知ったことじゃねえよ」

 低い、ざらざらとした声色で響いた言葉に振り返ると、件の伯爵、フュゼ・ナイトレイが談話室を横断して行くところだった。
実際に会うのは初めてだが、この男、いつの間に部屋に入って来ていたのだ?足音などはもちろん、軍事会社で実戦経験もある自分が気配すら感じないとは。不自然な形でナイトレイの名を継いだ辺り、訳ありというのはわかるが、腕利きの暗殺者かなにかなのだろうか?

「噂のナイトレイ伯爵じゃない。ニオがお世話になってるかしら?」

 茶化すように問うた言葉に。隣でニオが「こら」と口にしながら咎めるような目をこちらへ向けるのがわかったが、エヴゲーニヤはフュゼへ視線を向けたまま彼の言葉を待ったが、フュゼは下らないと言いたげに鼻で笑い、談話室の奥にあるドアへと消えて行った。

……あらまツレない」

 閉ざされたドアを眺めながら肩を竦めたエヴゲーニヤは、そら見たことかとこちらへ呆れたような視線を向けるニオを一瞥し、空になったグラスへウォッカを注ぎ入れた。