mishiadd
2024-06-17 18:08:42
9673文字
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ザ・ショーストッパー

サムレムがミュージカルになった俳優パロ。ビッグナンバーを一手に引き受けさせられて異常ストイック性を発揮して舞台で歌い死ぬ勢いの宮本伊織と何百回の通し稽古で可惜夜を疑似体験させられて精神衛生が常にやばいセイバー、差し入れ魔の柳生宗矩、K-Pop出身舞台俳優のカヤちゃん、過労死寸前の演出家兼舞台監督兼俳優の若旦那など胡乱極まるドタバタコメディ。


2. The Big Number(s)

伊織の養父もまた高名な舞台俳優であったが、狭い業界において伊織の名が出されるとき、養父の名が引き合いに出されることは滅多になかった。
伊織自身が特にそうなるようにと仕向けたわけではない。養父の手を借りず単身マンハッタンに渡り、実力でブロードウェイの舞台を踏んで戻ってきた。その経歴において、もはや養父の名などはWikipediaの人物基本情報に添えられる程度でしか観衆の需要はなかった。伊織自身が勝ち取った若いファン層には、一昔前の実力派俳優の名前よりも、ブロードウェイや帰国してから演じた役名の方が余程よく響いた。

端正な顔立ちに舞台映えのする体格、ダンスやアクションの才覚、そして圧倒的な歌唱力。ミュージカル俳優として伊織のパラメーターは非の打ち所がなかった。
そして何よりも同業者に評価されているのはそのストイックさであった。仕事への姿勢、打ち込み方の真摯さは、伊織とわずかにでも時間を共に過ごした者ならばその全員が容易に認めるだろう。
あまりにも自らに厳しく課す修練に、伊織と同じカンパニーの一員となった者の中には「自分にも同等レベルの献身を求められるのでは」と警戒する者もいる。が、その誤解もすぐに解ける。――良くも悪くも、伊織が他者に何かを求めることは滅多にない。
伊織のストイックさにあてられて――もとい、影響を受けて、伊織のルーティンに付き合いだすメンバーは多かれ少なかれ毎回いる。しかしそれは本人たちの自由意思であり、殊更に伊織がそうするように仕向けたわけではなかった。

そんな折、カンパニー側から声がかかったのが今回のミュージカル作品だった。
所謂2.5次元と呼ばれるジャンルであり、原作は慶安四年頃の江戸を舞台にした伝奇アクションRPGゲームであるという。本作自体は一本完結の単発作品であるが、ベースとなるのは二十年来の歴史を持つシリーズ作品であり――とにかく。

その主演に抜擢された、というわけである。







ミュージカルにおける楽曲を往々にして「ナンバー」と言いならわす。例文としては「あのミュージカルにはお気に入りのナンバーがある」などがあるだろう。
そのうち、観客すべてが「それこそを聞きにここへ来ているのだ」と期待するような、そのミュージカルを代表するようなみんなのお気に入りのナンバー ――これを、「ビッグナンバー」と呼ぶ。
ミュージカルを制作する上で「これがビッグナンバーになるといいな」と願いながら作曲をしない作曲家などいないだろう。だが、何がビッグナンバーなのかを決めるのは作曲家ではない。観客オーディエンスである。
作曲家には、作詞家には、そしてそれを歌い上げる役者には――「これがビッグナンバーになるといいな」と願いながら最善を尽くすことしかできないのだ。



――とはいえ、だ。



なんというか、作曲家も、作詞家も、演出家も、役者も、根っこの部分はきっとただの一個人のミュージカルファンなのだ。でなければきっとこんな仕事などしていないのであるからして。
だから――わかるのだ。正直、それができてしまった時には、なんとなくわかるのだ。ああ、できてしまった――これこそが『究極の一曲』であると。

問題はそれが正しく真価を発揮できるかということで、即ち正しく歌い上げてもらうことができるのか。ただそれだけである。



楽譜スコアを受け取り、ぱらぱらとめくる音が稽古場に響く。昨日滑り込みで書き上がったばかりであるというそれを事前に受け取ることは叶わず、現場に集められた役者は皆その場で初めて自分の担当楽曲に目を通した。
早速ひとところに集まったアンサンブルが小さな声でコーラスを合わせ始めている横で、受け取った楽譜を伊織がぱらぱらとめくる。表情に乏しい真顔に、ほんの少しだけ変化が生じる。
その隣に、ひょい、と顔を出したのがランサー陣営マスター役の地右衛門であった。興味本位で伊織の手にした楽譜を覗き込み、「げ」と低い声をあげて飛び退く。「……え?」とパニックに陥りながら、楽譜と伊織の顔を交互に見遣った。

「『マスター』、早速ですがこのデュエットのところを簡単に合わせましょう。メドレー曲ですから私たちの出番はほんの8小節程度ですが……どうしましたか」

早く役柄に入り込むため早速地右衛門を「マスター」と呼びながら近づいてきたジャンヌが、ただならぬ表情の彼に気付いて怪訝そうに尋ねる。ぐぎぎ、と軋む音がしそうな程不自然に首を回して振り向いた地右衛門が、ジャンヌを見つめたまま伊織の手元を指さした。
ほう、とジャンヌもなにげなく伊織の楽譜を覗き込む。数秒ののち、「うええ!?」と間抜けな声をあげて『マスター』同様に飛び退いた。「み、宮本さん」と上擦った声で呼びかける。

「大丈夫ですか」
……ああ」

伊織がジャンヌと地右衛門を振り返る。表情は乏しいままだったが、もともとよいとは言えない血色がすっかり退いており、わずかも「大丈夫」には見えない。
ジャンヌが恐る恐る続けた。

――その、曲は」
……ああ、わかる。楽譜スコアを見ただけでわかる。これは――これこそは――究極の一曲ショーストッパー』たりえる曲だ」
「いや、まあ、そりゃそうでしょうけど」

「いや、まあそりゃそうでしょうけど!」とジャンヌが繰り返す。やがて、隣で全身を強張らせて固まっていた地右衛門が、ゆっくりと体勢を整えた。「宮本さん、」と低い声で呼びかけた。

「それは――人に歌えるようなシロモンじゃねえ、ように見える」
「かもしれないな」

伊織が地右衛門を見る。月夜のような不思議な色をした瞳の、その瞳孔が開き切っているのを、地右衛門は見た。――あ、だめだこれ、と咄嗟に思う。

「俺は――このナンバーを歌うためにここに呼ばれたのだろう。――いや、俺がこの曲を歌うためにここに来たのかもしれない
「宮本さん」
「まさかここで出逢えるとは。あの究極の一音ハイノート――超えるための、究極の一音――
「宮本さん、前の公演で稽古し過ぎて寝るの忘れてぶっ倒れかけたのもう忘れたんですか」
「あれは本当にすまなかった」
「その前は飯食うの忘れて実際ぶっ倒れてましたよね。本番じゃなくてよかったですね」
「実に申し訳ない」

沈黙が落ちる。――はあ、と地右衛門がこれ見よがしに深く溜息をついた。

「俺も別にこんなこと言いたくて言ってないんで。
宮本さん相手だと皆言えなくなっちまうみてえだから仕方なく俺が言ってるだけなんで。――本当に、やめてくださいね」
「はい」

所謂マジトーンの冷え切った口調でそう言い放った後、地右衛門はジャンヌを伴って近くのスツールに腰かける。残された伊織は、ぽり、とバツの悪そうに頭を掻いたあと、再び楽譜に目を落とした。――叱られはしてしまったが、とはいえやはり滾るものは滾るのだ。読めば読むほど素晴らしい楽曲ナンバーだ。――まるで月にも届きそうな――

「伊織! なにをぼさっとしとるかたわけ! 呼んでいるのだからさっさと来んか!」

急に怒号を浴びせられて伊織が顔を上げる。見ると、台本を丸めてメガホンのようにした若旦那が軽く肩を叩いてこちらに手招きをしていた。――この公演の演出家兼舞台監督兼俳優兼――なんでも兼務の若旦那である。
すぐに駆け寄ると、ん、と突き出されたものがある。――楽譜、であった。

「貴様は主演だぞ。そんなものをたった一曲歌って満足するつもりだったのか?」

ぱら、と楽譜を受け取った伊織が視線を落とす。すぐにその目が見開かれる。その様子を遠くから盗み見ていた地右衛門が立ち上がり、スツールが転げてガタンと音を立てた。

「ばっ――あっ――ああ!?」
さっきの一曲だけじゃないんですか!?」

ジャンヌも立ち上がって素っ頓狂な声をあげる。その声に耳を塞ぎながら、煩わしそうに若旦那がジャンヌを見遣った。

「たわけ。二曲歌って終わる主演がどこにいるというのだ」
「二曲――って……ええっまだあるんですか!?」
「ばっ――おい誰か宮本さんに見張りをつけやがれ! このままだと歌い死ぬ! 死人が出るぞ!」

伊織自身の意識改革を諦めた地右衛門は声を張り上げて周囲を見遣る。ざわめく稽古場の空気を一切意に介していないのは当の伊織本人のみであった。完全に楽譜に心を奪われ、その音符の羅列、言葉の羅列に魅入られている。



――これこそが、究極の一曲



この一曲ナンバーが、この一音ノートこそが、ついに彼に見せてくれるのだろう――あの日舞台の上に見た、あの極致に至る景色を。



その危うい横顔を見た地右衛門が再び焦りを見せて、「誰か宮本さんと同居できるやつはいねえのか、毎日無理やりにでも食わせて布団に突っ込まねえとあっという間に主演不在になっちまうぞ」と早口でまくし立てている。

――ストイック、というのも考えものである。