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君とワルツを 2

幼いヒースクリフの記録を取る囚人たち。もう少し続きます。
メインストーリー6章の内容を含みますのでご注意ください。


 
 
 ダンテは今朝の出来事を一通り思い起こすと合点が行ったのか、ああ、とひとりでに声を上げる。
〈それで、あの後すぐに私が呼ばれたんだ〉
 ダンテは手元の資料に目を落として言った。それはダンテが持ち出した用箋挟で、金色のクリップに挟まれた数枚のレポート用紙にはイシュメールの筆跡が規則正しく羅列されていた。書き手であるイシュメールを眼前に、ダンテは記述された内容すべてに目を通す。
〈ありがとう、イシュメール。君が一番手だったんだね〉
 イシュメールは大きくため息を吐くとうんざりした様子で頷いた。
「ええ。誰も書きたがらないので」
……本当にありがとう〉
 極端に姿勢を低くするダンテが愉快だったのか、イシュメールはくす、と笑ってみせる。
「いいえ。あなたが言うんですから、きっと何か意味があるんでしょう」
 彼女が意地悪く微笑むのを見て、ダンテもまた小さく笑みを浮かべた。そうだね、とダンテは呟く。こうしてイシュメールが自分に信頼を寄せることやそれを享受できることは、ダンテにとって特別喜ばしいものであった。
 それからイシュメールの言う意味について、ダンテは改めて思案する。
 小さなヒースクリフに対して記録を付けるよう提案したのは紛れもないダンテ自身だった。加えて、そのきっかけは間違いなくワザリング・ハイツの事件だとダンテは自覚している。すべての世界、数多の可能性からキャサリン・アーンショウが剥がれ落ちて消えていく様子と、その一片すら見逃すまいと静かに見守り続けたヒースクリフの姿。その光景を思い返すと、たとえどんな形だったとしてもヒースクリフが愛した彼女の断片と、その彼女が愛したヒースクリフの姿を残しておきたいと思ったのだった。
 そこでダンテは幻想体にするように、子供の彼を観察し記録するよう囚人たちへ依頼したのだった。もちろん形式ばったものでなくて構わない。思うままに綴ってほしいと。そして願わくば、この記録からヒースクリフを元に戻すヒントを得られたらと。そういう意図も込められていた。

「それで? いつまでへそを曲げているんですか、あなたは」
 イシュメールは後ろを振り返り沈黙を貫くヒースクリフへと声をかける。彼はイシュメールとやり合った後、逃げ隠れるように最奥の空席へと座ったらしい。
 ヒースクリフは一度イシュメールの方に目線だけをくれてやったが、数秒と持たずにふたたび自分の手元を見つめだした。奥の座席からにこやかに話すホンルの声が聞こえる。
「ヒースクリフさん、大丈夫ですよ。ちゃんと仲直りできたじゃありませんか」
 傍らで輝く金髪を激しく揺らしながら、ドンキホーテが言葉を続けた。
「うむ。誰だって過ちを犯すときはある……その過ちを認めたそなたは立派であったぞ!」
 ドンキホーテは座席に座る子供――ヒースクリフの視線に合わせてしゃがみ込み、俯きがちな彼の表情を見上げるようにして観察していた。空いた窓側の席にはホンルが座り、ヒースクリフの手を握り込んで揉みほぐしている。ヒースクリフは初め脈略なく隣に座り始めた男に手を取られぎょっとしていたが、今はすっかりホンルの好きにさせているようだ。ただドンキホーテの大袈裟な身振り手振りや乱高下する声のトーンには、終始鬱陶しがる様子を見せていた。
「どうして私よりも彼の方が手厚くケアされているんでしょうね」
 イシュメールは後ろに座る者たちへ聞こえても構わないといった声量で吐き捨てる。あはは、とホンルの穏やかな笑い声が転がった。
……あれ?」
 だがホンルの声色が一転し、ダンテの視線は彼のいる方へと吸い込まれる。他にも、近くにいたドンキホーテやイシュメール、ムルソーがホンルへと顔を向けていた。
「ヒースクリフさん。なんだか顔色が悪いような……
 ホンルの言葉が耳に入った途端、ヒースクリフの肩がぴくりと揺れた。ヒースクリフを正面から見ることのできたムルソーは、ホンルの疑惑が確かなものだと判断したのか迷いなく立ち上がった。そのままドンキホーテを脇へ避けると膝立ちになり、ヒースクリフの顔をそっと覗き込む。
「目の焦点が合わない上に発汗も見られる。彼の診立ては妥当だ」
「な……なんでもない。平気だから」
 そう言うとヒースクリフはムルソーの言及から逃れようと立ち上がる。繋がれていた手が振り解かれそうになり、ホンルは目を見開いた。だがすぐにいつもの柔和な表情へ戻ると、ヒースクリフの両手を手早く握り直して引き寄せる。ヒースクリフは驚いて小さく悲鳴を上げたが、自身の焦燥とは裏腹に落ち着き払った彼の様子を見て立ち止まった。
 すでに彼の周辺だけでなく、車内にいるすべての者が異常に気付いていた。皆一様にヒースクリフを見つめ、それぞれ緊張した面持ちで見守っている。静まり返った車内には、ヒースクリフが短く呼吸する音だけが響いていた。
……大丈夫ですよ。なんでも言ってください」
 ホンルは努めて優しく、声を潜めてヒースクリフへと語りかける。観念したのかヒースクリフは息を呑むと、おずおずと口を開いた。
 おなかすいた。
 そう言うとヒースクリフはふらふらと椅子へ座り込み、ぐったりと項垂れてしまう。幸いムルソーが控えていたおかげで、彼がふたたび頭を打ち付けることはなかった。ヒースクリフ君! というドンキホーテの絶叫が車内に響き渡る。
 只事ではないと踏んだようで、それまで静観を貫いていたファウストが席を立った。ダンテも同様に彼の元へ駆け寄る。どうやら具合が悪いと言うよりは、空腹で立っていられなくなったという印象だ。しかし、どちらにせよ健康的とは言い難い。ドンキホーテの悲痛な声色に弾かれるようにして、ヒースクリフを抱えたムルソーをはじめとする数名の囚人がメフィストフェレスの奥へ走っていった。