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君とワルツを 2

幼いヒースクリフの記録を取る囚人たち。もう少し続きます。
メインストーリー6章の内容を含みますのでご注意ください。

 
 
 己の目的を打ち明けたヒースクリフは、それぞれ沈黙する囚人たちの顔色を一瞥して眉を吊り上げる。ぎ、と彼の奥歯が噛み締められる音が鳴った。
「お前らが何考えてるのか当ててやるよ。こんな汚い餓鬼はお呼びじゃないって、そう言いたいんだろ」
 普段のそれとは異なる幼い、しかし低くのしかかるような声色で己を卑下するヒースクリフに囚人たちは押し黙る。
 シンクレアはちがう、と否定の言葉をかけようとしていたようだが、彼の口からは漏れ出たのは微かに震えた声帯から発せられる吐息のような音だけだった。その声にならなかった音にすらヒースクリフは過敏に反応し、戸惑うシンクレアの方を見やる。シンクレアは小さく肩を揺らした。
「降りろって言われても降りないからな、オレは」
 そう吐き捨てたヒースクリフは再び視線を床へと落とす。囚人たちは俯いたまま何も言わなくなってしまったヒースクリフを前に、それぞれ顔を見合わせていた。幼子のふるまいは囚人たちに、かの邸宅の地下室で対峙した痛ましい獣の姿を想起させたのだ。
 ダンテと数名の囚人は困惑を隠しきれずにヴェルギリウスの方へ視線を送る。彼はダンテたちの視線に気付いている様子だったが、ヒースクリフのいる手前話せることはないらしい。ダンテはヴェルギリウスの沈黙に込められた意味を解釈し、一歩前へと歩み出た。
……分かった。君を歓迎するよ、ヒースクリフ〉
 ダンテはおいで、と下を向くヒースクリフへ手を差し出す。ヒースクリフは徐に顔を上げてダンテの文字盤を見た後、背後に立つヴェルギリウスへと目線を合わせた。
 ヴェルギリウスは未だ無言を貫いていたが、ヒースクリフは彼から何かを感じ取ったらしい。それからふたたびダンテの方へ向き直ると、差し出された手に己の右手を添えた。
 その瞬間、張り詰めていた車内の空気が緩和する。囚人の誰かが胸を撫で下ろす気配がして、ようやくダンテは肩の力が抜けていくのを感じた。ああ、とロージャが息継ぎするように安堵の声を漏らすと、ヒースクリフへ向けて言葉を続ける。
「それじゃ、どこ座ろっか。やっぱりダンテの隣がいい?」
 そう笑顔で尋ねるロージャに、シンクレアが首を傾げた。
「えっ……いつもの席じゃ駄目なんですか?」
「も~、せっかくなんだし、後ろにぽつんと座らせるのも寂しいでしょ? ねっ?」
「ならば、その……我らの席はいかがなりや?」
「うむ! では当人は管理人殿に代わり前の席を――
 ロージャを皮切りに囚人たちはあれよあれよとヒースクリフを囲い、それぞれ思い思いに言葉をかけていく。当然ながらヒースクリフは困惑を露わにしていたが、ひとまずは安心だろうとダンテは判断した。それから左手でヒースクリフの右手を握りなおし、座席の方へと歩き始める。
 その間ダンテは、これまでほとんど触れる機会のなかった子供の手の感触に戸惑いを覚えていた。それが自分のよく知るヒースクリフのイメージから乖離した柔らかさをしているせいだろうと結論付け、ダンテは子供の手を優しく引く。君の席は、と言いかけたところで、ダンテはふと手の中の感触に違和感を覚えた。その正体を確かめるべくヒースクリフの右手を確認すると、ダンテは自分の脳が急速に冷え込んでいく感覚に陥った。
……指輪がない〉
「指輪?」
 ヒースクリフがダンテの言葉を反芻する。そのやり取りがたまたま耳に入ったのだろう、近くにいたイシュメールがダンテへ問いかけた。
「ああ、ヒースクリフさんが大事にしていた指輪ですか?」
 ダンテはイシュメールへ同意を示す。子供のヒースクリフには心当たりはないらしく、彼は小さく首を横に振っていた。ファウストは緩く握り込んだ手を口元に当て、少しの間思案した後ダンテに告げる。
「当時の彼が指輪をしていなかったのなら、目の前にいる彼もまた指輪を所持していないと考えるのが妥当でしょう。単純な紛失ではないように思います」
〈そう、なのかな〉
 彼女の考察を裏付けるのはヒースクリフが身に着けている服や靴といった衣類だろう。例えば彼の身体だけが退行したのなら、今のヒースクリフは丈の合わない囚人服を身に纏っている方が自然だ。
 だが今のヒースクリフは子供服を着用している。ダンテにはヒースクリフが小さくなったというよりも、むしろかつての彼がそのまま発現したように見えた。
 あるいは衣服や装飾品ごと入れ替わる人格の装備に近しい現象なのだろうか? ダンテはひとしきり思案したが、結論付けるには早急すぎた。ただ、ヒースクリフにとって誰よりも大切な人の名前が刻まれたそれが彼の手元にないという事実が、ダンテの心中をひどくざわめかせる。
〈ヒースクリフ、ごめんね。すぐ戻るから〉
 ダンテはヒースクリフを三人掛けの椅子へ座らせると、イシュメールを始めとした周囲の囚人へ目配せして運転席の方へ歩いていった。

〈カロン。メフィストフェレスはワザリング・ハイツへ向かうの?〉
 運転席に辿り着いたダンテは声を潜め、ハンドルを握る少女へと尋ねた。ダンテのすぐ後ろにはファウストが控えており、彼女もまたダンテと同じタイミングで運転席へ赴いたらしい。
「ダンテが次の行き先について尋ねています」
「メフィは振り返らない。カロンも振り返らないから」
……そう〉
 概ね予想通りの返答を受け取ったダンテは小さく息をつく。ヒースクリフの因縁を度外視したとしても、ワザリング・ハイツは邸宅の皮を被りながら多くの命を奪う実験施設の役割を担っていたのだ。やはり引き返す理由はないのだろう。
 次にダンテは運転席の隣に座るヴェルギリウスへ声をかけた。
〈少しいいかな、ヴェルギリウス〉
……なんですか、管理人」
 ダンテの興味が自分へ向いたことを悟ったようで、ヴェルギリウスは組んでいた脚を解いて応対する。
〈今朝のことを訊きたいんだ〉
 ファウストがダンテの問いを繰り返すと、ヴェルギリウスは少しの間沈黙する。そうして、次のような説明を始めた。
 ヴェルギリウスが言うには、明け方、バスの外で何者かが言い争うような声が聞こえたらしい。車内に不寝番がいなかったことから騒ぎを起こしているのが囚人の誰かではないかと考えたらしく、その足で下車して確かめたところ、騒いでいたのは見知らぬ男が複数名とひとりの少年――子供の姿をしたヒースクリフだったと言う。
 ヒースクリフは一人の男に掴み掛かられており、何らかの罵声を浴びせた後地面に大きく叩きつけられたようだ。額の怪我はそのときにできたのだろう、とダンテはヴェルギリウスの話から推測する。
「やむを得ず仲裁に入ったが、その最中にあれが逃走を測ったんでね」
〈逃げられたのか……
 ダンテがカチコチと返事する様子を見て何かを感じ取ったのか、ヴェルギリウスは話を止めて押し黙る。続けてくださいとファウストが促すと、ヴェルギリウスはダンテに睨みを効かせたまま再び口を開いた。
「あの様子だから、記憶障害を併発していることは推察できた。だが連れ戻そうにも警戒を解くまでに……まあ、色々とありまして」
〈色々?〉
「ダンテが詳細を知りたがっています」
 ファウストの助けを借りて、ダンテはヴェルギリウスへ質問を重ねていく。それまで淡々と事実を並べ立てていたヴェルギリウスだったが、その先を語るのに難儀しているらしい。開きかかった口を閉じて、ダンテから目を逸らした。
 何か言えぬ事情があるのだろうかとダンテは思案する。だが、彼らの間に生まれた沈黙はあっけなく破られた。
「ヴェル、ボサボサあたまの子あやしてた」
 フロントガラスの先を見据えたまま、カロンがぽつりと告げる。思わぬ回答が転がり込んだことで、ダンテは時計の針を勢いよく打ち鳴らした。
「カロン、見てたの。メフィの中から。ボサボサの子、泣いてたね」
……そうだったの?〉
 ダンテは再びヴェルギリウスの方へ視線を移して問いかける。ヴェルギリウスはカロンの言葉を否定することはなく、彼女のするように前方の景色を黙って見つめていた。
 ヒースクリフの出自を知る者であれば尚のこと、知らぬ間に邸宅の外へ放り出された彼が何を思ったのかを想像するのは容易だった。同時に、ヴェルギリウスが慟哭する彼を連れ戻すまでに如何に尽力したのか十分に理解することができた。
 きっとヴェルギリウスの網膜には窓の外にある景色などではなく、二度目の理不尽に打ちひしがれる浮浪児の姿が映し出されているのだろう。彼が眉を顰めるのを見て、ダンテはそう感じた。
……ありがとう、ヴェルギリウス。ヒースクリフを見つけてくれて〉
 ダンテが述べた謝辞を、ファウストは目を伏せて一言一句伝える。ヴェルギリウスはやはり言葉を返したりなどはせず、ただ小さく息をつくだけだった。