高山の地獄の鍵は、この一晩でほぼ平静状態と言えるまでになっていた。流石というか、何と言うか
――ゲタ吉たちには及ばないと言いながら、高山の妖力もなかなかにデタラメの類だ。
僕が精査術式の為に使った道具を片づける間、高山が身繕いを整えつつ話題に出してきたのは、ゲタ吉から聞いたこと、だった。曰く、『執着されないと不安になることがあるって本当か』と。
「
……ゲタ吉がそんなことを?」
「ああ。僕は考えたこともなくて、あれどういうことなのかなって
……考えてみたけど、全然分からなくて。墓のはどう思う?」
「うーん
……僕の観測範囲では、ですけど。そもそも、特定の人間やら己の住処やら、欲しいもの好きなものに執着する妖怪は大勢いますけど、妖怪“が”執着される側になるって、あんまりないですからねェ。高山に馴染みがないのは、そりゃアそうだと思いますヨ」
離れの和室、処置用の簡易用ベッドの上に無造作に腰掛けて、明るい茶色の髪を自分でくしゃりととかき混ぜながら、高山は深く息をついた。
「一応、さ。元の世界で、ああ僕執着されてるな、って感じたことはあるんだ。だけどどっちかといえば、面倒だって感じる回数のが、圧倒的に多かった、ような」
高山にしては珍しく、はっきりしない口調だった。
実のところ、僕にもそのあたりの機微というか、人間の感情の持ち方の複雑さはよく分かっていない。
ただ、人間たちやゲタ吉を眺めて暮らしていて、何となく感じたことはある。むしろ今の高山には、そういう言葉の方が分かりやすいかもしれない。
「執着、って感情にどこまで当てはまるのかは、そこまで自信ありませんけど
……概ね、誠実さやら愛情やらよりも、怒りや憎悪みたいな感情の方が『信用できる』って感じる人間ってのは、確実にいるみたいですネ」
「えぇ
……?」
「前にどこかで読んだ本に、書いてあったんですヨ。『愛するフリと憎むフリを比べると、難しいのは憎むフリの方』だから、とか何とか」
高山が眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
妖怪の文化圏で育つと、この人間の込み入り具合というのは、なかなか実感しにくい。でも人間に育てられたゲタ吉と沢城の心の持ち方は、大幅に人間側らしい
……とは、見ていて常々感じることだ。僕がゲタ吉へ踏み込めずにいるのも、この断絶が埋まらないから、だった。
基本的な感情そのものは、人間も妖怪も大差ない。でも、人間の感情は時に酷くこじれてしまって、厄介だ。
それに、あり方の違う心に近づけば、お互い痛い目に遭うのは言う間でもない。狭間で生きているゲタ吉と沢城が負ってきた痛みは、相当なものだろう
……と推測だけはできるけれど、僕にはそれ以上のことは分からない。
「愛するフリと、憎むフリ
……同じくらい、難しいと思うんだけどな? 違うのか?」
「正直僕も、騙す難易度だったらそう変わらない気がするンですけどねェ
……、でもそう仮定すると、ゲタ吉の言ってること、筋は通りますヨ」
高山の表情は晴れない。
もう少しバラして話さないと駄目か、と判断して、僕は更に言葉を加えた。
「執着なら信用できる、とするなら
……執着してくる相手の心は自分のものだと確信できる、ってことですから。裏を返せば、執着されないってことは、それだけ相手の心が離れてるって話にもなります。場合によっては、自分を見てくれない、どこかへ行ってしまうかも
……と、不安になることは考えられるでしょう」
更に数秒の沈黙。
やがて、あ、と高山が小さく呟いた。
「
……そういう
……そういう、話? じゃあ、
……え、」
高山の表情がゆっくりと変わっていく。不意を打たれたような戸惑いから、何かマズいことに気がついてしまったような、それでいてどこか嬉しいような、喜んでいるような。
――そもそもどういう文脈で、ゲタ吉と高山がそんな話をしていたのか。やっぱり沢城絡みとしか考えられないけれど、そこを突っ込むのは野暮というべきか。
やがて、曰く言いがたい表情になった高山は、ほんの小さな声で呟いた。
「良くない方がいいってこと、本当に、あるんだ
……」
「そうみたいです、人間の感情って奴は。ゲタ吉が人間に育てられてたのなんて、もう遠い昔の筈なんですがねェ
……三つ子の魂百まで、ってのは本当なんですネ」
僕は素知らぬフリをして、小さく肩をすくめた。
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