氷紀
2024-05-19 01:40:53
9593文字
Public 迷い込んだ彼らの話
 

言葉にはならないこと

『選んだ者、選ぶ者』の続き。CPは高沢+若干ゲタ←墓。
言葉にならないところが大事だったりする話。


 
 ゲタ吉が僕を起こしにきて、四人で昼食を食べたあと、墓のと先輩は離れへ行ってしまった。地獄の鍵の術式がどうこう、と言っていたから、きっと何か調整でもするんだろう。

 居間のちゃぶ台の前で眠そうにしているちいさいのを、ゲタ吉が抱き上げた。単純な怪我の数と深さは、先輩より僕より上だった筈だけど、もうその動きに痛みは伺えない。回復力も僕と同じくらい、ってことだろう。
「眠いのか? ……挨拶回り、疲れたんだなァ」
 ゲタ吉の腕の中に収まっているちいさいのの姿を見る度に、ついお義父さんのことを考える。あの頃の僕は、お義父さんの目にこんな風に見えていたんだろうな、って。
 そう思うのは、ちいさいのの背中をぽんぽんと叩いているゲタ吉の仕草が、お義父さんにそっくりだから、という理由もある。こういうちょっとした仕草が、一番ごまかせない。僕とゲタ吉が『あの時点までは全く同じ』時間を生きてきてるんだな、って嫌でも分かる。
 食後のお茶の二杯目を淹れながら、僕は小さく笑った。
 昔確かにこうだった僕を、未来にあり得るかもしれない僕が抱きしめてる。普通に生きてたら絶対に有り得ない筈の光景だ。
「ちいさいの、頑張ったんですね」
 できるだけ小さく、でもゲタ吉にはしっかり聞こえるくらいの声で話しかける。
 墓のとちいさいのが一緒に出かけていた先は、このあたりに暮らす妖怪たちのところだった。ちいさいのが本当にこの世界を選び取って、墓のの術式の下に正式に入った以上、紹介しておかねばならない相手がそこそこいるらしい。
 その話を聞いて、僕はちいさいのが大変だろうなって思った。挨拶回りとかそういうの、僕はあんまり得意じゃない。必要なんだって分かっている場面でも、かなり頑張らないとできなかったりする。……そういうところは、ちいさいのも同じはず、なのだ。
「だな。こっちで生きると決めたからには、って気を張ってるんだ」
 同じくらいの声で返事がある。確信のこもった一言だった。ゲタ吉は、ちいさいのや僕のに比べてかなり世慣れた感じはあるけど、そう見えるのは積み上げた時間のお陰だろ、って前に言っていた。性格の根本のところはそうそう変わらないんだ。
「えらいぞー、ちいさいの……
 ゲタ吉の小声の囁き。九割くらい眠りに呑みこまれているちいさいのから、んー、と小さな声がした。
 ……声。
 妖怪に腹を刺されても、悲鳴すら上げなかった、ちいさいのの声。
 驚きに目を見開いた僕に向かって、ゲタ吉は唇の前に人差し指をかざした。静かに、の合図。僕は黙って首を縦に振る。
 二杯目のお茶を啜りなら、二分くらい。ちいさいのが完全に眠ってしまったのを見計らって、ゲタ吉も空いた片手を湯のみに伸ばした。
「術式に干渉しかねないから、一応、墓のには話したんだけど。どうもまだ、俺以外がいる場所だと無理みたいで……、でもお前も大丈夫みたいだナ?」
「元々『同じ』だから、ですね。多分」
 小声の、故意に主語を省いた会話。
 静かな寝息を立てているちいさいのは、眠りながらもゲタ吉にしがみついている――子供の体格相応の細い手首に、白と黒で編まれた組紐を、しっかりと二重に巻いたまま。
「あと、ゲタ吉だけは安心だから、って思ってるんでしょう」
「それはマア……なんか、だいぶはっきり心境が想像できちまうのがなァ」
 苦笑を込めた声が、やわらかく響いた。
 ちいさいのの過去については、もうだいぶ前に聞かされている。僕自身の過去とある時点までは全く同じ上、父さんもお義父さんも失って、全てを拒んで墓のの世界に来てしまった子供。それを『ちいさいの』と呼び始めたのは、ゲタ吉だったという。

「そういえば、今ので思い出したんですけど。ちいさいの、名前は……
 ここにいる五人は、そもそも全員『鬼太郎』だ。でもそれじゃ誰が誰だか分からない、ということで、それぞれ呼び名は別になっている。
 ゲタ吉は、元の世界で人間の街に潜伏していたときの名前。墓のは、妖怪たちの間での通称……というか、ほとんど屋号のようなものらしい。
 そして僕が沢城、先輩が高山というのは、ここへ来たときに墓のが『声音に結ばれた名』だから、とつけてくれたものだ。
 声音に結ばれる、っていうのが具体的にどういう意味なのかはよくわからない。でも、見た目の特徴がだいぶ似ている僕と先輩も、声だけははっきり別だと分かるものだから、その辺りが理由の一端なんだろうと思う。
 だからちいさいのも、声が分かったのなら、と思ったんだけど――
「まだ完全じゃないから、墓のも確定はさせられないってサ。……けど、字で書いたら、水道の水に、大坂城とかの城だろうって言ってた。そのまま読めばみずしろ、だけど……
……みずき、とも読めますね」
「そう。字は分かっても音が定まらない、とか言ってた」
 ゲタ吉は複雑な感情をにじませて呟いた。
「消去法で決めるのはマズいから、当面は『ちいさいの』のままのがいいだろうって。マ、焦ることはないんだけど……
 ゲタ吉はそこで言葉を切ったけれど、僕には分かってしまった。今のちいさいのにとって『みずき』は、とても大事な名だけれど、その記憶に触れれば激痛が走ることも、間違いない。
 ゲタ吉も、その喪失の深さを感じてしまっている。だからこそ、今そうやってちいさいのを抱きしめているんだろうって。
「確かに、ちいさいのが心から納得するまでは……ですね」
「うん、待つつもり」
 ごく簡単な言葉のやりとりだったけど、その裏に込められた感情の深さと重さは、僕には充分感じ取れることだった。
「ちいさいのにとっては、……そう簡単なことじゃない、でしょうけど」
 つい、本音がこぼれ出た。ゲタ吉と一緒にいるとき、魂の根本的なところが『同じ』という安心感が最初に来るのは、僕も一緒だ。
 ちいさいのが失ったものの大きさは、僕には痛いほど想像できる。きっとゲタ吉もそうだろう、お義父さんと父さんの存在がどれだけ大きいか――ちいさな手首の組紐が白と黒で編まれている理由なんて、もう、いちいち確かめる間でもないことだ。
 黒い霊毛は、痛みや怒りや悲しみみたいな、強くてくらい方の感情によく反応する。僕は今まで、それを武器にして戦ってきたから、知ってることだ。
 その黒に、ゲタ吉の白を編み込んで支えるような組紐は、まるで今のちいさいのを象徴しているようにも見える。
「相当、時間かかるだろうネ。……俺だって、父さんや水木さんの代わりになれるなんて思ってない。でも、一緒にいてやることだけは、できると思ってるから」
 低い声でそう語るゲタ吉の腕の中で、ちいさいのは深く眠っている。よほど疲れていたんだろう、寝息の深さもリズムも全く変わらない。
 それをしっかり確かめてから、僕はゲタ吉に問いかけた。
……やっぱり本当に、その為なんですか。帰らないって決めたの」
「うん。さっき、高山にも少し話したんだけどサ……、元の世界に帰ったところで、ってのは、俺もちいさいのと一緒だから」
 これも、すぐに想像がついた。
 前にゲタ吉は、妖怪同士の世界大戦の中、戦場のど真ん中で、父さんが逃がしてくれたと言っていた。だからゲタ吉は今ここにいる訳だけど、じゃあそれで元の世界がどうなっているかといえば、だ。
 ゲタ吉を時空の向こうへ逃がすような状況だった、つまり日本妖怪の最強戦力に近いようなゲタ吉がいても勝てないどころか、捕まって殺されるか、殺されるより酷い目に遭うかもしれないような状況ってことだ。
 しかも逃亡先は同じ時空じゃダメだと、ゲタ吉の父さんが判断したと考えると――そこから想像できる可能性は、壊滅、が一番上にくる。
 酷い想像に鼓動が跳ねたことに、ゲタ吉は気づいているのかいないのか。続く言葉は、随分とやわらかい響きだった。
「ちいさいのが、俺と別れるのは絶対嫌がるだろう、ってのももちろんなんだけど……それ以上に、俺がちいさいのと一緒にいたいんだヨ。だってこいつ、」
 ゲタ吉がふわりと笑うと同時に、片方だけの目がすこしだけ涙ぐむ。白い手で、ちいさいのの髪をそっと撫でる仕草は、やっぱりお義父さんそっくりだ。
「俺に、おかえりって言ってくれたんだ。……何かもうそれだけで、理由としては充分だヨ」
 掠れた声を聞いて、僕の気持ちも揺れた気がした。ゲタ吉の心は分かるし、ちいさいのの想いも分かるから。
 良かったと思う。でも、少しだけうらやましいような気もする。
 言葉がなくても想いに正直な、ちいさいのも。
 真っ直ぐに自分の気持ちの全てをかけられる、ゲタ吉も。

 頭の中に墓のの言葉が甦った。

 ――どうするべき、ではなく。どうしたいですか、沢城。

 先輩、という一言は、声にはならなかった。