夜明 奈央
2024-05-05 13:52:15
28376文字
Public 中太小説
 

いつまでも、君と

太宰卒業後、太宰のアメリカ留学をきっかけに別れた2人が復縁する話。31歳の中太。
※中也が名前のあるモブ男と付き合ってるし寝てるしモブが出張る
明日も、君との続き



「うちで実験しないか」
 教授の知り合いである某アメリカの大学の教授からそう言われた時、あまりの喜びに舞い上がった。だがその後すぐに、アメリカに行けば中也とは離れ離れになることに思い至った。結局すぐには返事ができずに「前向きに検討させてください」と如何にも日本人らしい返事をしてしまった。

 中也と別れるつもりはなかったので、就職活動は当然のように国内中心に行っていた。博士後期課程に進むことを決めた時には教育機関に残ろうと思っていたが、それだけではあまりにもポストが少ない。いくつかの公募に応募はしたが、通る見込みは薄い。それぐらい倍率の高い世界だ。
 民間企業にも応募するつもりではいたが、説明会に参加してもここで働きたいと思える企業はあまりなかった。お金貰うんだし、そう贅沢は言っていられないか、と半ば諦めの気持ちでいたところにきたスカウトだったのだ。
 太宰から打診したわけではなかった。だからまさしく青天の霹靂とも言えるお誘いで、自分でも浮かれているとはっきり自覚するぐらいだった。
 結局、一気に傾いてしまったその天秤が中也の側に戻ってくることはなかった。なんて冷たい奴なんだと自分でも思いはしたが、それでもそのために大学に4年、院に5年も通うことを決めたのだ。

 中也にその話をする時、その場で喧嘩になる覚悟だった。もしかしたらそのまま別れることになるかもしれないとも思っていた。相談するつもりはなかった。
 もし相談すれば、中也はきっと「行かないでほしい」と言ってくれる。けれど、もし太宰がそれでアメリカ行きを断念したら、中也はずっとそれを気にしてしまうだろう。
 中也に責任を取らせはしない。それが太宰にできるせめてもの優しさだった。

「出国するまでは恋人同士でいよう」と提案された時、嬉しさで胸がいっぱいになって何も言えなくなった。
 出国の直前「これからも連絡しろよ」と言われて、涙を溢さなかったのは我ながら良く頑張ったと思う。飛行機に乗り込むまでの間のロビーではぼろぼろ泣いてしまったけれど。
 結局中也は最後まで優しくて、それどころか最後にしなくていいとまで言ってくれて、太宰にできる優しさなんかちっぽけなものにしか思えなかった。

 だから甘えてしまっていたのだ。

 渡米してしばらくの頃は、頻繁に連絡を取り合っていた。くだらないメッセージのやり取りを繰り返し、遠距離恋愛中のようなつもりでいたのだ。

 それが覆されたのは3ヶ月が経った頃だった。
 今なら出れるだろうか、と軽い気持ちで通話アプリで電話を掛けた。特に約束していたわけではないし、用があるわけでもないので出れないならそれでも良い。中也は何度目かのコールの後電話に出たが、声はふわふわとおぼつかなかった。
 日本は21時過ぎだったので、弱いのにまた飲んでいるのだろう。取り立てて気にせずに「中也酔ってる?」なんて声を掛ける。だがすぐに反応がなくなってしまって、諦めて切ろうとした時だった。
「すみません、酔って寝ちゃったみたいでして。もしかしてお急ぎの用件でしょうか」
 端末を通じて鼓膜を震わせた可愛らしい女性の声に冷や水を浴びせられた気になった。
 誰だ、この女。
 頭の中が一瞬真っ白になって、それから沸々と怒りが湧いてきた。その後ようやく、自分たちがとっくに別れていることを思い出した。
 中也がどこの誰と何をしていようが、太宰にそれを咎める権利はもうないのだ。
 何を言って電話を切ったのか、はっきりとは覚えていない。もしかしたら何も言わずに切ったかもしれない。そのぐらいショックだった。
 後から冷静になって考えてみれば、その女が中也の恋人だったのか、同席していたグループの内の1人なのか、はたまたその日中也が酔い潰れていた店の店員なのかもわからなかった。それでも、太宰が“中也と別れた”という現実を再認識するには十分な出来事だった。

 自分の身勝手で振ったのに、いつまでも中也のことを引きずっているわけにはいかない。そう決意して、不審に思われない程度にだんだんと連絡の頻度を落としていった。連絡するのは本当に用がある時だけにしようと決めた。用など会わなくなればないも同然なので、必然的にほとんどゼロになった。

 並行して、アメリカで恋人を作ろうと努力した。
 だがこれは、なかなか上手くいかなかった。中也と8年もぬるま湯のような関係を続けていたので、他の人間と深い関係になるのが面倒に思えてしまうのだ。持ち前の顔と手練手管で付き合うところまではいくのだが、こまめにメッセージを送ったり、記念日を祝ったり、プレゼントを贈ってご機嫌取りをしたりといったことが面倒で仕方がない。昔なら息をするようにできていたのに。
 中也とはそういうことはあまりしてこなかった。会って、喋って、食事をして、セックスをして、それぐらい。2人でゲームセンターに行ったり、連休に旅行に行ったりといった所謂デートだってもちろんしたけれど、必須じゃなかった。予定を立てるのは大抵直前で、早くても前日。気分が乗らなければ誘われても断るし、ドタキャンだってする。お互い面倒くさがりだったので、自分が好きに振る舞う分相手にも求めないというのが暗黙の了解だった。それがちょうどよかった。心地良かった。

 女の子はみんな好きだけれど、その子が特別好きなわけではないのだ。きっとそれが伝わるからすぐに振られてしまう。何人かと付き合った後、ついに諦めた。
 中也以外の男に興味なんてないつもりだったが、もしかしたらと思って男相手も試してみた。けれど女相手の時以上に悲惨な結果となって、すぐに諦めた。

 結局、仕事をしに来たのだから仕事をしようと決心したのは、渡米後1年が経った頃だった。それからは、目覚ましい成果を出した。そのお陰で2年だった契約も更新され、その次のタイミングでは日本のポストまで探してもらえた。
 結果は上々と言えた。

 帰国が決まった後、中也に連絡するかは正直なところ悩んだ。中也以外の男も女も諦めてしまって、3年が経っていた。そんな自分が中也に会えば、昔みたいな関係に戻りたいと思ってしまうのは必然だった。
 でも、もしかしたら中也だって復縁したいと思っているかもしれないし。連絡することを決めたのは、こんな自分だけに都合の良い願望だった。
 振った手前、自分から復縁したいなんて口が裂けても言えないけれど、中也から言い出すなら話は別だ。だからこれは一種の賭けだった。

 中也との4年振りの再会。在米中、ずっと付けたままだった中也に貰ったピアスは外して行った。そんな物付けていたら未練がありますと公言しているようなものなので。
 中也は結局、何も言わなかった。復縁したいとも言わなかったし、今恋人がいるのかどうかも教えてくれなかった。太宰が違うピアスをしていることにも言及しなかった。付き合っていた頃、お互い人目を気にするタイプだったので、外で会う時には友人同士のように振舞っていた。その延長だった。
 2人してただ、空白の時間なんてなかったかのようにその続きを演じただけだった。

 がっかりしなかったといえば当然嘘になる。それでも、なんとなく諦めはつく気がした。2年も連絡を取っていなかった元恋人なんて、こんなものだろう。
 再認識するとなんだか新しくスタートできそうな気がした。
 それでも、中也に貰ったピアスは外せなかった。それぐらいは許されると思った。

 しばらくは平穏に暮らしていたと思う。用があるわけではないので連絡することもない。
 その後、初めて中也を見かけたのは、ドラッグストアだった。
 いくつかの品物を手に取って品定めをしている中也を遠くに見かけて、ちょっと声を掛けるぐらい許されるだろうと近づいた。だが、1歩、2歩と進んでいくうちに中也のいるコーナーがどこだかわかってしまった。遠くてパッケージははっきり見えなかったけれど、手に持っていたのは間違いなく避妊具だった。
 今、中也には、それを使う相手がいる。
 認識したと同時に心臓が早鐘を打ち始めた。
 中也が1つを手に取ってかごに入れたのが見えた。
 気付かれるかもしれない、と思った時には後ろを向いて走り出していた。まだなにひとつ商品を持っていなかったのは幸いだった。置いてくるような冷静さはなかったので、危うく万引き犯になるところだった。
 数年振りに全力疾走し、しばらくして力尽きて立ち止まった。膝に手をつき荒い息を繰り返しているうちに、だんだんと状況が飲み込めてきた。
 中也にはもう、新しい恋人がいる。だからあの時、何も言わなかったのだ。
 理解すると、なんだか悲しいとか悔しいとかより笑えてきた。自分ばっかり引きずって、馬鹿みたいだ。笑っているのに涙が止まらなかった。人気のない道の真ん中で、1人で泣き笑った。

 自分がそこに関われないなら、せめて幸せになってほしい。

 太宰に許される願いはそれぐらいだった。

 そうやって前向きに新生活をスタートさせたつもりだったので、中也と中也の恋人にばったり会ってしまった時も、自分で思っていた程は落ち込まなかった。できれば見たくはなかったけれど。
 知らない誰かと、知らないどこかで過ごす中也の幸せは願えるつもりだった。でも、知ってしまえばそうはいかない。世の中に聖人君子なんてほとんどいない。嫌なところ、ダメなところが1つもない人間なんて存在しない。
 なるべく関わらないように中也に釘を刺したのはそのためだ。幸い交流はほとんどなかったので、関わらなければこれ以上知らずに済む。
 現実世界が御伽話のようにいかないことは承知している。それでも現実を知らなければ、空想世界のどこかで幸せに過ごす中也を想像して、納得することができた。
 中也から貰ったピアスは、この日を最後に封印した。中也があの朝気づいたかどうかはわからないままだ。

 それが変わったのはあの台風の日だった。
 どんなに大喧嘩したところで、あんな嵐の日に靴もなしで家を追い出すなんて正気の沙汰とは思えなかった。もしかして中也はおかしな人に捕まってしまっているんじゃないかと思った。
 そうすると、ずっと中也と恋人の幸せを願って諦めてきた自分が間違っている気がしてきた。目を背けたのは自分の意志だったのに、知ろうとしなかったことを後悔する。
 捨てたはずの中也の隣にいたいという気持ちがむくむくと大きくなってくる。
 ずっと恋人がいないなんて話してしまったのも、一緒に寝ることを許容してしまったのも、その所為だった。

 翌朝、お互い寝ぼけてキスをした。寝ぼけていたのだと思う、たぶん。覚醒しきらない頭で、“あわよくば”なんて考えが浮かんでしまったのは、寝ぼけていた所為だと思いたい。
 唇同士が触れ合って、久しぶりの感覚が気持ちよくて嬉しくて気分が高揚した。けれど、はっきりと目が覚めたと同時に自分が何をしたかを理解した。
 中也は喧嘩をしたとは言ったけれど、別れたいとか、その手のことは言っていない。つまりまだあの恋人と続けるつもりがあるのだろう。これは浮気だ。

 女の子の浮気相手には何度もなった。甘い言葉で近づいて、寝取るのが楽しいなんて思っていた時期もある。でもそれは、どうでもいい女の子相手だったからだ。可愛くていい匂いのする子は好きだけれど、それだけ。その子の幸せなんて、願ったことはなかった。

 太宰は中也に幸せになってほしいと思っている。
 現実世界だから、幸せなばかりとはいかないだろう。喧嘩ぐらいする。気持ちのすれ違いだってあるだろう。
 太宰に口を出す権利はない。中也にその気がないのに幸せを壊すような真似をする気はなかった。してしまった自分に失望した。

***

 中也は仕事を終えると、すぐに田中に別れ話を切り出した。もう少し何かないのかと突っ込みたくなる程話は簡単にまとまった。随分前からお互い合わないとは感じていたので、きっかけを探していただけなのかもしれない。こうなってみると本当に好きだったのかどうかすら危ういものだ。
 1人でいるのが寂しくて、一緒にいる誰かを求めていただけのような気がする。その誰かは、自分を見てくれる人なら誰でも良かった。お互いがお互いだけを見るという一時的な契約を交わしていただけ。長く一緒にいればそれなりに情も湧くし、離れるのは辛くなる。それでも、しばらくすればその痛みも薄れ、風化していく。

 太宰と別れた後、付き合ってきた何人もの顔を思い出す。もうはっきりと顔を思い出せない相手も、すぐには名前を思い出せない相手もいる。たぶんみんな、誰でもいい1人だった。だから誰とも長続きしなかった。向こうはどうだか知らないが、少なくとも中也にとっては相手は誰でも良かったのだ。
 太宰以外なら、誰でも同じだったから。

 あの後から、太宰とは連絡が取れない。何度も電話を掛けているが出てくれないし、送ったメッセージにも返事はない。
 話がしたい。会いたい。返事をくれ。何かあったのか?
 既読がついているので、見てはいるのだろう。太宰は何百件も通知が溜まっていても気にならないタイプだ。開いているということは、太宰も何かしら思うところはあるのだろうか。

 結局、痺れを切らせた中也は大学の前で太宰を待つことにした。太宰の働く大学は、太宰と中也の母校でもあった。
 中也が到着した頃にはもう随分まばらにはなっていたが、授業やサークル活動を終えた学生たちがちらほらと歩いている。時計を見ると、最後の授業を終えて、約30分といったところだった。まだ完全に日は落ちていない。少しだけ迷って、正門を出てすぐのところにあるコンビニにバイクを停めた。
 太宰が出てくるまで、あと何時間かかるだろうか。終電近くになることがあると言っていたので、遅いと4時間といったところだろうか。
 4時間、ここで待つのは正直しんどい。だが、家の前で待つのは流石に憚られる。話がしたいのは確かだが、太宰が本当に話もしたくない程嫌なのであれば、逃げ道を塞ぎたくはない。

 30分も経つと、大学からの人通りはほとんどなくなった。日はとっぷりと暮れ、だんだんと肌寒さを感じるようになってきた頃、数人の集団がやってきた。視線を向けると、集団の中で一際背の高い人物と目が合って、その人物はぴたりと足を止めた。太宰だった。
「中也」
 太宰が小さく口を動かした。コンビニの灯りに照らし出され、中也の名前を象っているように見えた。きっと気のせいではない。
 太宰の不審な様子に気づいた同行者が「知り合いですか?」と聞く。しかし、太宰は「さあ?」とわざとらしく惚けて中也の真横を通り過ぎようとした。
 その様子に苛ついて、乱暴に声を掛けてしまった。
「おい」
 太宰の手首を握るとすぐに振り払われそうになったが、さらに力を込めることで回避する。
「ちょっとこいつ借りてくわ」
 掴んだ手を引いて立ち去ろうとすると、同行者が一気に警戒心を引き上げたのがわかる。即座に中也と太宰の間に割り込んできた。それでもどう対処すべきか悩んで太宰の様子を窺っている。
 太宰も流石に乱闘騒ぎや警察沙汰は遠慮したいだろう。中也がじろりと太宰を睨んでやると、大きなため息をついて話があるから先に行くようにと伝えた。心配そうにしながらもコンビニへと入っていく集団を見送った後、手を引くと大人しくついてきた。敷地の端で2人して足を止め、対峙する。
「なんで返事しねぇんだよ」
「だって私は用なんてない」
「俺があるっつってんだろ」
 太宰が黙り込んだのに苛立ちのままに噛みつきそうになって、慌てて言葉を呑み込んだ。つい衝動のままに怒りをぶつけてしまったが、そんな話し合いが上手くいくはずなどない。
 大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。だがそうすると今度は太宰に拒否されたという事実が中也の心を打ちのめしてくる。
「手前はもう、俺とは会うのもごめんってことか?」
 なるべく優しく語りかけたつもりだが、出てきた声があんまりに情けなくてかっこ悪かった。かっこ悪いところなんてもうとっくに見られまくっているのだが、それでもあまり見せたいものではない。
 太宰はぎゅっと唇を引き結んだまま俯いている。黙って太宰の返事を待ち続けていると、観念したのかぽつりと呟いた。
「私たちは、もう終わったんでしょ。だったら、ああいうのはやめてよ」
「もう俺とはしたくねぇってことか?」
「そりゃそうでしょ。……私は、君の邪魔にはなりたくない」
 てっきりもう気持ちは離れているとか、そういう返事を覚悟していたのだが、予想外の言葉に驚く。しかし、邪魔とはなんだ。
「俺は、手前がほしいんだけど、それじゃダメなのか」
「なにそれ? 私に浮気相手になれってこと?」
「んなわけねぇだろ。……ちゃんと別れてきた」
「は? なんで」
 今度は太宰が驚く番だった。先程までの頑なさが嘘のように目をぱちくりとさせている。
「なんでって、やっぱり手前がいいと思ったからに決まってんだろ」
……つまり別れたのは私のためってこと?」
「ちげぇよ、俺のためだよ。俺が手前を欲してんだよ」
 太宰は言葉を失ったようだった。それからたっぷり1分程考えて、それからようやく口を開いた。
「私が振ったみたいなものだったから、中也の幸せを邪魔しちゃいけないと思ってたんだけど……
「なら逃げるなよ。一緒にいてくれ。俺の幸せには手前が必要だ」
「なんでそんな偉そうなの」
 言葉は不満そうだったが、顔には隠しきれない喜びが浮かんでいる。
 やっと手元に戻ってきた。中也はそれを噛み締めて太宰の背中に腕を伸ばすと、ペしんと叩き落とされた。
 今の流れであり得ないだろう。中也が睨みつけるより早く、「家まで待って」とさらに一歩逃げられた。
「ここ大学の目の前だよ。下手なことしたら明日どんな噂が立つかわかったものじゃない」
 きっと睨みつけられて、歯痒い気持ちを飲み込んだ。太宰の言いたいことはわかるのだ。大学生というのはこの手の噂が大好きだ。まばらとはいえ人通りはゼロではない。自分が学生だった頃、思いも寄らないところから目撃情報を寄せられたことは1度や2度ではない。太宰なら学生人気だって高いに違いないから、格好の餌食だろう。
 大学生の頃ならいざ知らず、衝動に任せて後先考えずに行動できる程の無鉄砲さは残念ながらなかった。
 仕方なく行き場のなくなった手でぼりぼりと後ろ頭を掻く。
「じゃあ家行こうぜ。そこにバイク止めてるから後ろ乗れよ」
「私まだ仕事残ってるんだけど」
 思わず半目で睨んだが、そのぐらいは許されるだろう。太宰も珍しく自分に非があることは認めているらしく、罰の悪そうな顔をする。
「30分で終わらせてくるから待っててよ」
……1分でも遅れたら乗り込むからな」
 太宰は返事の代わりにふっと笑みを浮かべた。そうして、手をひらひらと振って去っていく。
 もっと名残惜しそうにできないのかと不満が湧いてくるが、足速に立ち去るのは時間通り戻ってくるためだろう。ぐっと喉の奥に気持ちを押し込める。
 そういえば太宰はコンビニに何の用だったのか。まだ帰るつもりでなかったのなら、夕食でも買うつもりだったのか。太宰と一緒にいたおそらく学生だろう集団は気づかない間に姿を消している。
 何もせずに待つ30分は長すぎる。ひとまず待っている間に夕食を済ませようと、中也はコンビニへと足を向けるのだった。

***

 太宰は宣言した時間の2分前に中也の前に現れた。さっさとヘルメットを装着するので中也も発進の準備をして太宰を乗せてやる。しばらく振りだというのに慣れたように後ろに跨った太宰は、中也の腹に手を回して、そのまま背中に抱きつくように頭を預けた。ごつん、とヘルメット同士がぶつかって音を立てる。
「おい」
 下手なことするとまずいんじゃなかったのか。という意味を込めて中也が呼びかけると、太宰は艶っぽく笑って囁いた。
「はやく」
 エンジン音に掻き消されそうな小さな声だったが、昔何度も繰り返したやり取りを忘れるわけもない。わざとらしく滲まされた性的な響きにあっさり煽られてしまい、自分の単純さを実感する。
 でもそういうのも悪くないかなと思ってしまうので、何度だって同じことを繰り返してしまうのだ。 

***

「ちゅうや?」
 掠れた声が下から聞こえて視線をやると、行為を終えた後力尽きるように意識を飛ばしてしまった太宰が目を開いていた。
「ごめん、寝てた?」
「5分ぐらいだ。気にするな」
 声を追うように唇を寄せると、太宰が小さく吐息を漏らす。落ち着いていた下半身がうっかり熱を持ちそうになって慌てて目を逸らした。ほとんどくっついたままの太宰にはおそらく中也の状況など丸わかりだったろうが、揶揄いもせずに穏やかに微笑むだけだった。
 たぶん、下手なことを言ってもう1回、となる程の体力が残っていないだけだろうが。

 3年、という数字が本当かどうかはわからなかったが、長らく相手がいなかったというのは確かだろう。
 馴らすのに随分と時間がかかってしまって、途中からぼろぼろと涙を溢してみっともなく泣きじゃくっていた。そんな状態だったので、1回終わる頃には疲れ切っていたのだろう。バクバクと鳴る心臓が落ち着くのに合わせて眠りに落ちたのだった。

「なあ、一緒に住まねぇ?」
 太宰の髪をさらさらと指に遊ばせながらぽつりと落とす。太宰はまだ眠気の残るであろう目を瞬いた。
「早くない?」
「8年付き合ってたんだから早いってこたねぇだろ」
「4年前の話でしょ」
 即座にぴしゃりと反論されて、そんなに嫌なのかと思うと落ち込む。
 確かに昨日の今日でと考えると随分早い。だが、せっかく一緒にいる権利を得たのだから少しでも長く一緒にいたかった。どうせ平日は帰りが遅いのだろうから、家を同じにでもしないと満足に会えやしないだろう。
 どう攻めるべきかと思考していると、太宰が「あの部屋、2年契約なんだけど」とぼそりと言った。視線をやると、罰が悪そうにした太宰と目が合った。
「違約金とか払えばいんじゃねぇの」
「やだよ。君と違ってまともに働き始めて半年ぐらいだよ。奨学金の返済もあるしお金ないの」
 とりあえず中也との同棲が嫌というわけではないらしい。
 金に負けるのかよ、と思うと複雑な気分になるが、まあ大事だよなとも思う。世の中の儘ならなさは先に社会に出ることとなった中也の方が理解しているつもりだった。
 ピロートークにしてはあまりに現実的な会話に今話題に出したのは失敗だったかもしれないとは思ったが。
「いくらぐらいだよ。額にもよるけど俺が出してやっから」
「ほんとに?」
 途端に嬉しそうな声を上げた。なんだこれは、身請けか。
 思わず怯んで「あんま高かったら手前もいくらか出せよ」と格好のつかないことを付け足してしまう。
 ふふふ、と機嫌良さそうに笑うそれはどっちの意味だ。貯金はそれなりにあるつもりだが、引越し費用は別にかかるのであまり高いと困るのだが。
「それで? 気になるのは金だけか?」
 ずずいと近寄って鼻がつきそうな距離で瞳を覗き込む。近すぎて焦点は合わないが、太宰が悪どい笑みを浮かべたのはわかった。
「ベッドと布団は買い替えてね」
「は?」
 意図がわからず脳裏に疑問符が浮かぶ。
「あと、使いかけのゴムはデリカシーなさすぎ」
 続いた言葉にベッドと布団も同じ意味だと理解した。ここで他の男を抱いたことは確かにある。最初に抱いたのは太宰なので、思い出の品でもあるのだが。
……悪い」
 居た堪れなくて太宰の顔の横でシーツに顔を埋める。太宰の腕が背中に回って、後頭部を撫でられた。
「いいよ別に。別れたの私が原因だし、中也がそういう男だって知ってるし。知ってて中也がいいのは私だし」
 頬を撫でられて顔を上げる。
「たぶん、もう手放してあげられないよ?」
 そう言った太宰は、言葉とは裏腹に幸せそうな笑みを浮かべている。返事の代わりに唇を寄せると、中也をしっかりと映していた瞳はそっと姿を消した。


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