ゆき
2024-03-31 21:53:16
6354文字
Public さめしし
 

宵と陽だまり(さめしし)

一賭2の無配の予定で出なかったやつ。ハロウィン🍭とかコヤ🦊とかパロ

「村雨さん、みて」
「百年ぶりにきて挨拶もなしか」
 宵の口、まだ遠くの稜線がほんのりと昼の色をしているころ。診療所を開ける前のことだった。隣の山に住む古い古い友人は、いつも唐突に現れる。今はいったいどんな名で呼ばれているのかとんとわからなかったが、覚える気もない。
おおむね百年ぶりの再会に嫌味を言うと、真経津は腕の中の陽だまり色をしたけものを再度示した。
「みて、この仔」
……怪我を」
「罠に足を引っ掛けたみたい」
「わかった、診察室の方に。いつだ」
「そんなに経ってないよ、血がちょっと乾いてきたけど」
「よく見つけたな」
「最近ボクの家の方も人が入ってきてさ、たくさん罠仕掛けてて。面白いから、見つけるたびにイタズラしてたんだよね。そしたらこの仔がさ」
 お腹空いてたんだね、エサだけどうにか上手く取ろうとしたけど、別の罠に足ひっかけちゃったんだよね。そういって診察台に下ろす。ぐったりして見えるのは、真経津が手を加えて眠らせてしまったからだろう。呼吸にあわせて、腹が動いている。そっとその腹に触れると、温かい。
「いつかみたいに、毛皮を剥がれて売られたりする前でよかったね。あの時の村雨さん、すごかったもん」
「やかましい」
「取り返しに山から降りてさ」
「忘れろ」
「あの仔を食べた人たちの腹を裂いてさ」
……忘れろ」
「あの仔の毛皮はどうしちゃったの?」
「獣の毛皮など、そう何百年も保たない」
嘘だった。人のいるところでは人の形をとるように、何度も何度も言い含めていたのに、あのときは戻りの道を急いで四つ足に戻ったところをやられたのだ。
忌々しいことに、丁寧に加工されたその毛皮は、傷みはしても、ことさら大切に扱い、いまだにその形を保っている。そうまでしても、その手触りは生きていた時と比べ物にならない。
「ふうん。あの仔は大人だったけど、この仔は子供だね」
「そうだな。これは、腹を減らしていたのか」
「うん。起きたらおなかが鳴るかも。今はりんごも柿もおいしい季節じゃない? 村雨さんのところはお肉もあるし」
話を聞きながらも、起きていたら大暴れしただろうほどに、しっかりと傷口を綺麗に洗い、周りの毛を刈り、いびつに裂けた皮膚を整え、縫い合わせる。
「じゃあ、あとよろしくね。元気になったら遊びにくるよ」
「あなたの尺度で言えばすぐ治るし、すぐ寿命がくるから、会いたければ悠長にせず早く戻るように」
「じゃあ近場にいるよ。叶さんにも会いたいし」
そう言ってゆらりふらりと、また真経津はどこかへ行ってしまった。


床を蹴る爪の音がして、そのなつかしさにこみ上げるものがある。記憶よりも軽く、前足を怪我しているので少し変則的だが、その拍子は変わらない。
気配などあちらもとうに感じているだろうから、あいたドアの向こうから、こちらを覗くさまを待つ。そうっと黒い鼻先が見えて、においを嗅いで、顔をのぞかせる。
「起きたか。それ、その目だ、あなた野生に戻るならその目は忘れないように。……口をきけるだろ、なんとか言え」
いかにも警戒心をあらわにした、ねめつけるような目でこちらをのぞき込んでいた狐が、十分な距離を取ったうえでようやく口を開く。
「ありがとう」
「どういたしまして。なんだ、意外としっかりしているな。熱はないか」
「ないと思う、手も痛くない。あんた何者」
「さあな。最初が人間だったことは覚えているが、間はもう忘れた。いまも昔も、医者をやっている」
「獣も診るのか」
「いや?」
「? じゃあ、人のいるところに獣がいちゃダメだろ。汚してごめん、もう行くな」
すっと身をかがめて、踵を返そうとする仔狐が、包帯を外そうとするのを止める。
「ああ、こら、包帯をとるな。私が良いと言わない限りそれに触るな。包帯がとれるまで、血の匂いがしなくなるまではここにいろ」
……でも、」
「でももだってもない、あなたはここにいろ」
「オレなんもお礼ができない」
「湯たんぽがわりにはなるだろう。私の膝の上にいろ。眠るときは布団を暖めてくれ」
……そんな綺麗なところ、あがれねえよ」
「そう言うと思って、湯を沸かしてある。全身くまなく、綺麗にしてやろう」
「は?!」
「右前足は濡れないようにあげておけ」
あっという間に距離を詰め、小柄な狐を抱え上げる。たいして重いものを持ちなれないが、それでも簡単に上がるくらい、やせこけたからだ。
「待て、やめろ、抱えるな」
「こんな軽いからだで何を言う。たいしたものはないが、飯もしっかり食べさせるからな。治るもんも治らん」
「やだ、水は怖い、いやだ」
「大丈夫だ、たいした量じゃない。流水でもない」
「風邪ひく……
「それも心配ない、きちんと乾かしてやる。あなた普段どんな生活をしているんだ、まったく」
しっかり三度洗い上げ、乾かし、ブラシをかけてやるのはたいそうな重労働になる。しかし、陽だまりの色のふわふわを膝に乗せて、皮も剥かぬりんごを切り分けて口に運んでやったのは、その労に見合うだけの時間だった。

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春の終わり。夜の始まりに目が覚めると、定位置に狐がいなかった。そのかわり、彼が使っていたものが、綺麗に片付けられている。
「いろいろお世話になりました」
覚悟はしていたものの、やはりここにはいてくれないのかという落胆はどうしてもあった。
「よく顔を見せろ、ああ、本当に綺麗な空色だ」
生きているからこそ美しいのだと、何度も噛み締めた瞳の色だ。少しずつでも、前に進む強い意志の瞳。
「そんなこと言うの、お前が初めてだよ」
照れたように、もぞもぞと尾がゆらりゆらりと振れる。
「では、独り占めできる」
「シュミわりい」
前にもこんなことがあったなと、ひどく遠い記憶を拾う。傷を診てやろうと右手をとって、嘆息した。ああ、結局こうなるのか。
「もう傷は治ったが、あとは残るな」
「そっか、でも傷がある方が前より気をつけるだろ。ほんとにいろいろありがとう」
「いくのか」
「おう、長居するのも悪いし。それに、これ以上は離れがたくなる」
「私はずっといてくれて構わないんだが」
……オレはけものだから」
「ああ」
「ずっとは、いられねえ」
「そうか」
「だから、お前が待ってる誰かが、早く戻ってくるといいな」
なんてマヌケな話だろうか。
変に聡いところは変わらない。私が最初の獅子神と、今のあなたを同一と考えるからこその、その勘違い。
「そうか。そうだな、あなたの祈りは効きそうだ」
「だといいけど」
「何か困ったことがあれば、いつでも来なさい。と言ってもあなたは来ないだろうが。そうだな、私は寒いのが苦手なので、あなたが冬に私を思い出したら、会いにきてくれ」
「わかった」
正直もうどこにもいかないで欲しかった。しかし、それはその魂のあり方を歪めてしまう。それでは意味はない。
私は、その魂の完成を待っている。
ゆえに、今日も医者としてここに居る。ここに居る限り、星は巡って獅子神をここへ連れてくる。
くるりと踵を返し、四つ足の姿に戻った獅子神は、陽だまり色の毛を朝のひかりに透かして走り去っていった。