【創作|馬子軸】レゾン・デートル 番外編- 市ノ瀬咲良の醜聞

新刊用に準備していた短編ですが、何か全体のテーマから一本だけ浮いているような気がしたので供養しようかなと思います。咲良が合コンで出会った女性とすったもんだある話です。意外にバイオレンス 匿名感想はこちらまで→https://wavebox.me/wave/b064pup7uhwd9l39/



「全く咲良の奴め、あんなに分かりやすい魔術師に引っ掛かるなど、あいつの魔力感知性能は一体どうなっているんだ?」
「咲良さんってあの手の魔力感知、本当におもしれ~ぐらい鈍いっていうか……よく引っ掛かりますよねェ……
 咲良に大厄災と罵られていた女性陣——四宮椿と大河カレンは、こっそりと市ノ瀬咲良の後を尾行していた。というのも、だ――名刺にわずかながら残されていた『魔力の残滓』。少なくとも幻想や神秘が、未だにひっそりと隣人として息づくこの世界において、魔術師の存在はそう珍しいものでもないのである。
「厄介だな……まさか、サキュバスを契約妖精としている魔術師がいるなど……」 椿はそう言ってそっと伊達眼鏡を軽く持ち上げ、青と赤の瞳で遠くの席にて楽しそうに談笑する男女を見た。
「しかもあの女、サキュバスだけではないな。もっと別の妖精も……ざっと見ただけでも数十体侍らせている。相当な実力者だぞ」
「うぇえ……魔術の撃ち合いになったら私、勝ち目ないっすからねェ? ……いいすか。逃げるが勝ち、ッすよ。……ちょっと聞いてます~? 椿ィ」
「無論聞いている。しかし……咲良が契約しているあの狐、神霊の類だろう? あの手の魅了にそうそうかかるとは思えんのがな」
 椿は咲良が契約しているだろう黒い狐を思い出していた。普段は羊羹やら牡丹餅やら食って寝てばかりいる狐だが、あれから発される気配は尋常な妖精とは一線を画す。
「あ~~……それなんすけど。どうも契約してはいないらしいんすよ」
「ならばなぜあの神霊は咲良の影に棲んでいる?」
「聞くとこによると、どうも狐ちゃんが一方的に咲良さんに力を押し付けているみたいな、なんていうか押し売り状態らしいんすよねェ。で、咲良さんは時々その力を借りパクしている、と」 大河はいつの間にか注文した薄切りのガーリックフランスパンと、小ぶりの煮込みハンバーグを食べながらそう言った。
「神霊に気に入られてなきゃあできない荒業っすよォ~」
「咲良は常時加護を受け取っているわけではないのか……ならああもなる……」 椿はソルベをスプーンで掬って口に放り込み、随分と打ち解けている白綾后子と市ノ瀬咲良を見る。
……莫迦なのか?」
「辛辣ゥ」 大河は残っていたフランスパンを吸い込んで再び口を開く。
「まあ、咲良さんの気持ちも分からなくはありませんけどねェ。——神霊は下手すりゃ妖精よりも質が悪い。加護というよりも……存在そのものが呪いみたいなものだと思った方がいいです」


 妙に視線を感じる――そう思い少し周囲を見回すと、見慣れた二人組が遠くに座っているのが見えた。何でおる。俺は蟀谷にぴくぴくとするものを感じつつ、必死で怒りを嚙み殺して見なかったことにした。外科医勤務で鍛えた爽やかな笑顔。できるだけ柔らかい声音。患者から不安を取り除くのが初めの一歩だ。落ち着こう。

「市ノ瀬さん? どうかしはりました?」
「いえ、何でもありません。知り合いがいる気がしたんですが、気のせいだったみたいで」 全く以て気のせいではないのだが、気のせいということにしておかないとイラっと来るのでそうしておく。
「そうですか……いやぁ、えらい話しこんでしまいましたね。もうこんな時間や」
「そうですね――あまり遅くなるとよくないですし、送りましょう」
「ふふ、送り狼ならんでくださいよ?」
「なりませんよ、断じて」 全くそんな気はなかった。急にそんなことを言われて驚くが、白綾さんは少しだけ寂しそうに俺から視線を外す。
……なったほうがいいんですか?」
「まさかぁ。明日も四時起きなんです。せやから、でも……」 彼女はそう言って俺の手に自分の左手をそっと重ねた。白く、細い指が俺の手指と絡み合う。
「朝、起こしてくれるんやったら、ええかも」
 そんなこと言われたらもう、断る事なんかできるはずもない。俺は白旗を上げた。

 ナビの画面に設定された目的地は思いのほかそう遠くはない場所だった。出張滞在先のホテルとは言っても流石に高給取り、生半可な安い場所ではない。俺はホテルの地下に併設されている駐車場に車を停め、エンジンを切ってドアを開けようと手を伸ばした――
……白綾さん?」
 遠慮がちに、という風ではなく思い切り左腕を掴まれる。何か言いたいことでもあったのか、俺は軽くドアノブに引っかけていた人差し指を外して彼女の方に向き直った。
「いやぁ、まさかこんな強力な契約妖精持ちがあっさり引っかかるとは思わんかったわぁ」
……は?」
 彼女の瞳は、半分ほどが炎のように赤く変色していた。全て金髪だと思っていた髪は内側が黒く変じ始め、丸い瞳孔は爬虫類のように細く長く変わる。
 莫迦なのか? 俺は――ここで漸く気づいた。
 しかも多分、普通の魔術師ではない。
 完全に呆けて油断した隙を突き、彼女の背後から巨大な蜘蛛がゆらりと立ち上がった。俺は反射的に車から飛び出し、固いコンクリートの駐車場へ退避する。黒い巨大な蜘蛛。土蜘蛛か? 確か欧州ではインペリアルと呼ばれる悪妖精の一種だったはずだが、そんなものを従えているなど正気の沙汰ではない。
 白綾さんと俺が呼んでいたものは助手席から煙のように消え、片膝を着いたままの俺の前に突如として現れた。短距離とはいっても空間転移魔術まで使える、そうなればもう確定だ。
 彼女は人間ではない。魔女だ。空間に作用する魔術は魔女しか使えない。一体何者だ? 真の名前を見破ることができれば、ある程度予測はつくか? いや、それ以前に何故魔女が俺を? 疑問は尽きない。
「が、ァッ……!」
 思い切り長鞭で顔面を打たれる。長鞭、馬の脚を模した杖部分。この女、まさか――。嫌な予感しかしねえ。凡そ女性の力ではない強さで胸倉を掴まれ、顔を覗き込まれる。
「ふうん。思った通りやな。なあ、自分、目ぇ合わせたら私の名前見破れるんとちゃうん。やってみせてや」
「何を言って……」 正気か? そもそも魔女が己の名を明かしてみせろと言うなど――瞳の奥で串刺しにされた死体が囂々と燃えている。魔女狩り。火炙り。魔女の怨念。この女は。
「お前は……火刑の——
「やっぱ知ってんねんな。まあええわ。無駄な殺生は後々面倒なことになる。あんたが引き連れとる契約妖精渡してくれたら、命は見逃したるけど」
「妖精じゃ、ねえ、ちゃ、いなりは」
「やっぱ神霊か! アハ、アハハハハ!! 大当たりや! やっぱ自分ごと素材にしたろうかなぁ。神霊に好かれる人間なんかそうそうお目にかかれへんもん。その方が海戟の要件は満たすはずやろ……
「海戟? お前は一体何をする気だ!?」
「それはお前が知る必要なんかあれへん」
 胸倉を掴んでいた手が突如離れ、ヒールの先端が俺の顎に直撃する。
 ぐらぐらする視界、五感が一瞬途絶し、白黒と交互に点滅する。ぼんやりと駐車場の天井を見上げ、腹にかかる強烈な痛みに俺は悶えた。ピンヒールの先が、鳩尾にめり込んでいる。
「あ、ぐ……う、あ……!」
「あ~、あかんわ。悪い癖や。つい余計なことまで喋ってまう。まあ死んだら聞いてへんのと一緒やしええかな」
 白綾后子——否、火刑の魔女。それが彼女の本来の名前だろう。だが首元を覆い隠すストール、その下で蠢く黒い模様、あれはなんだ? 彼女は確かに魔女だ。それは疑いようが無い。だが一方で何らかの契約があるのは間違いない。
 彼女を縛る契約。その正体を看破できれば、恐らく逃げ出せるだろう。
「俺を、殺す気か……?」
「生かしておいて何の利益になるん?」
「ハイドノーブル卿は利益を見出すかもな」 俺はその名を口にした。蠢く黒い蜘蛛の刺青、その奥深くにある、彼女を縛る根幹の名前。
「何でお前がその名を知ってんねん」
「生憎、俺は本気になれば色んなものを読めるんだ。螺旋捜査官であるのと同時に、陰陽庁の役人やけ、な!」
——!?」
 勢いをつけて体を捩じり脱出する。どうやっても勝てるビジョンが見えない目の前の魔女をどうすべきか、そんなもの答えは一つだ。
 勝たなくてもいい。逃げおおせれば勝ちだ。
 俺の影から巨大な黒い狐が飛び出し周辺の空間を上書きしていく。結界の構築ならその辺の魔術師よりも秀でている自信があった。
……神域結界……厄介なもん使こてるやん」 火刑の魔女はそう呟いて長鞭を虚空へと格納し、黒い馬の脚が模された杖に持ち替えた。
「けど引き剥がすには楽で助かるなぁ。——インペリアル!」
 巨大な蜘蛛が黒狐に糸を絡ませ引っ張る。魔力が急速に吸われているのが肌感覚で理解できた。まるで勢いよく血を抜かれているような気分の悪さに思わずふらつく。
「クソ……!」 口から漏れ出る悪態とは裏腹に、結界が維持できなくなり始め黒い靄のように漂う。
 俺が一人でできることなどたかが知れている。神域の外に放り出されてしまえば、俺の魔術師としての技量などカスに等しい。多分それは相手も察しているだろう。俺は腰に隠していた銀の杭を取り出そうと手を伸ばした――
——ッ! あ、ぐ……!」 ピアノ線のように鋭い蜘蛛の糸が俺の右腕を縛り上げる。
「~~~~ッッ!!」 激痛が腕を劈き全身に伝播する。声すら出せないまま膝から崩れ落ち、再び巨大な蜘蛛の口から糸が吐き出された。
 ふわふわと俺の周囲に漂っている黒い靄は、徐々に狐の輪郭を帯びる。出てくるな。すっこんでろ、この魔女の狙いはお前だ、そんな声は届かない。耐え難い苦痛に必死で耐えること以外、今の俺にはできそうもなかった。


……どうなってんねん。何でこんだけ絞って本体が出て来ぉへんの」

 火刑の魔女は何かに気付く。
 一つの違和感があった。本来、インペリアルの糸に絡まれた時点で契約妖精が、或いは契約を結ぶ幻想種や神霊が姿を現す。
 だが火刑の魔女——アルナイル・モリアーティには一つの誤算があった。
 目の前で苦悶する市ノ瀬咲良は、最初から神霊との契約を結んではいない。つまりどれだけ咲良を絞ったところで繋がりが見えるはずもなく、一方的に与えられたギフトを消費しているに過ぎない咲良から、宇迦之御魂の神使を引きずり出すことは出来ない。

「は、はは……そんなんありかいな……ほんま気色悪いなぁ……」 魔女は薄ら寒い恐怖に乾いた笑みを零す。
「そもそもどういう事やねん。仮にも神の座に召し上げられてる存在から与えられたもんを、差し止めして、自分の都合のええ時にだけ使うとか! どんな罰当たりな話や——


『赦したから、そうしている』

 老人にしては若く、威厳ある声が響く。
 魔女は背後を振り返る。そこには紅く光る眼を見開いた巨大な狐がいた。

『暇を遣ろう。痴れ者。選ぶがいい』
「どっちの台詞やろうなあ。あんた、ほんまに神霊? 今視て確信したわ。自分——
『余程死に急いでいると観得る。外つ国の法師よ』 狐はそう言って、ゆらりと九つの尾を孔雀の尾羽のように開いてみせた。
「なぁるほど……それで女難、かぁ。難儀な話やねえ」 魔女は指先で黒い杖を弄ぶ。
「この伊達男はあんたの正体知ってるんやろか。知ってるわけあれへんか、そらそうや! 本来ならば石に閉じ込められてるはずの女狐が、こないな所にいてるはずはありませんよって!」
『黙れぇッ!!』 狐が周囲の空間を震わせ、邪悪な魔力を放出して吠える。ひょうひょうとしたまま笑みを崩さない魔女は、あろうことか杖を狐へ向けた。

「秘した名を知れば、どんなもんでも弱なるんや。悪魔祓いだってまずはそうする。名を知り、呼び、己が何であるか知った時……幻想やら神秘の力は弱まる」
…………!』 狐は僅かに狼狽の色をにじませた。九つの尾が揺れる。尾に浮かぶ一つ目に懸念の表情が、憎悪の表情が一度浮かんで消えた。
「尻尾二、三引き抜いて、こいつも加工したらええ材料になるやろなぁ!」
 激しい咆哮が衝撃波となって空間を伝う。車のガラスが一部割れ、電源はショートして近場のものは停電した。狐は狂ったように魔女の喉笛目掛けて飛び掛かる。すぐさま防御結界で反応した彼女はそれを容易く防ぎ、蜘蛛の糸を狐の全身に絡ませて取りつかせた。杖の先から紅蓮の焔がちらちらと顔を覗かせ、今からお前を燃やし尽くすと予言する。狐が糸を解こうと暴れるたび、糸は激しく肉に食い込み、墨のように黒い血液をまき散らした。
「アハハハハ! 流石に古い化生なだけある! 血液だけでも十分な利用価値や! 有難くもらえるもんは貰っとかな!」 魔女はそう言ってもう一体の契約妖精を呼び出す。首がない騎士の姿をしたそれは、狐の尾を容赦なく半分毟った。狐が痛みに絶叫する。
……あ、そうやった。殺すなて命令されてたんやった。あかんあかん、アハハ! 勢いあまって殺ってまうとこやったわ」 小瓶の中にスルスルと撒き散らされた血液や、首無し騎士が毟った肉が収められていく。

「おっしゃノルマ達成! アスコットに帰ろ!」

 火刑の魔女——アルナイル・モリアーティの、場に似つかわしくない底抜けに明るい声が響く。駐車場には血腥い光景が広がっていた。