【創作|馬子軸】レゾン・デートル 番外編- 市ノ瀬咲良の醜聞

新刊用に準備していた短編ですが、何か全体のテーマから一本だけ浮いているような気がしたので供養しようかなと思います。咲良が合コンで出会った女性とすったもんだある話です。意外にバイオレンス 匿名感想はこちらまで→https://wavebox.me/wave/b064pup7uhwd9l39/



 俺は別に、恋愛に興味がないわけではない。ただ出会いがないだけだ。そう言い聞かせて早五年が経過した。察しているだろうが、未だ俺に新たな春は訪れていない。
 新しい職場——つまり、あの大厄災こと四宮椿の元で働き始めて(より正確に言うならば、螺旋捜査官は彼女を監視することが仕事なので、監視し始めて、と言うべきだろう)数か月。同僚の大河カレンもまた椿同様の厄災だった故に、俺が何かそれっぽい、出会いを求めるような行動を取れば即「咲良さん、いいことでもあったんすかァ?」だの「ほう? シャンプーを変えたのか。意識する相手でもできたか?」とセクハラギリギリのラインを攻めてくる。
 そのため安易に何かこう、春を求めるようなことができるわけがなく、かと言って何もしなければ俺は一生寂しいシングルライフな訳で、ここら辺で一度はしつこく誘われている合コンに――そう、仕方なく、とても不本意ながら、不本意ながら参加した。

 ——そして俺は思う。
 春とは、いきなりやってくるものだ、と。

 友人の人選をどうこう言う訳ではないが、今までは大抵彼の好みがもろに出ていたと思う。しかし今回は一味違った。恐らく合コン参加者の人選に女性陣が素晴らしい活躍をしたのだろう――大河(姉)である大河カレンは大概だが、大河(妹)は相当にあの合コンにおいて素晴らしい幹事をしたと思う。ありがとう、大河(妹)こと大河唯さん。今度お礼をさせてくれ。心の底からそう思う。
 腰ほどまで伸びる美しい金髪、関西弁なまりのある明るい喋り、そして何よりも笑顔が良かった。話してみても好感触だったし、暫くは福岡に滞在しているというから、一回ぐらいは食事に誘ってもいいかもしれない。白綾さん、良い人だったな……
 俺は噛み締めながら職員用のエレベーターに乗り、八階にある四宮研究室に辿り着いた。流石にここまで来ると気が引き締まる。下手にふにゃふにゃした顔をしていると水を得た魚のように厄災二人組が弄り倒しにやってくるので。

「おはようございまぁ~す。あれ? 咲良さん今日は疲れた顔してませんねェ。いいことでもありましたァ?」 病院棟側から呑気に歩いてきた大河カレンが俺に向かってぶんぶん手を振りながら近づいてくる。
「わかった! どうせまた変な健康食品試して、プラシーボ効果なのに『これは効果あるな~』とか思ってるんでしょお」
「ハァ? 違げえちゃ。単純によく寝られたけ、寝不足やねえってだけで――
「嘘だな」 研究室内に入った瞬間、応接用の一人掛けソファに座っていた四宮椿が声を上げた。どうやら俺たちの会話は丸聞こえだったらしい。
「女だろう。先日の合コンでいい出会いがあったことは知っている」
「ちょっと待て」 何で知っとる。俺は血の気が引いていくのを感じた。とりあえず椿の正面に置かれている椅子に腰かけ、
——いや、待てや。百歩譲って飲み会に行った事を知っとるのはまあ、うん、そもそも誘ってきたやつが東医ん中におる時点でそれはそうかもしれんってなるやろうがちょっと待てや」
「咲良さん狼狽しすぎじゃないっすかァ~。え、何すか。図星? 図星なんすかァ~?」
 黙れや大河、と言おうとした瞬間、無慈悲な赤い悪魔が口を開いた。
「忘れものだ」 椿が手品師の如き指使いで取り出したのは名刺だった。『栗東TCクラシック・ホースレース部門所属 パーソナルトレーナー 白綾后子』の文字が躍っている小さな紙片を、何故か椿が持っている。
 確かにあの合コンのあと、俺は車でここへ戻ってきた。仕事を思い出したのだ――その時財布から落とした? ぐるぐると回る思考と目の前で、椿は再び容赦なく口を開く。
「随分好感触だったようじゃないか。ご丁寧に名刺の裏に、個人の電話番号まで書き添えられている。しかもこの筆跡から察するに、書いた人物は急いで書いている――つまりお前は仕事を思い出し帰ろうとしていた。引き留めたかったがそうするのは申し訳ない状況だった、だから電話番号を走り書きしてお前に渡した。だが忘れて帰ったということは、既に連絡先は知っていると見える。わざわざ電話に頼らなくても連絡が取りあえるから、これを落としても気づかなかった……違うか?」
「い、いやそんなことはねえちゃ。そもそも俺はあの合コンで酒は一滴も飲んどらん」 何の言い訳だ? と内心自分でも思うし、そもそもなぜ俺は恋愛関係でもないこの四宮椿という女に弁明しているんだ。脳内では冷静になっている自分がセルフツッコミを入れていたが、残念な俺は小刻みに震えながらそんなことしか言えなかった。
「だろうな。お前は週末しか飲んでいないだろう」
「当たり前ちゃ。そりゃあ酒飲まなやっとられん時もあるけど――
「アルコールの常飲はアルコール依存症に繋がりますからねェ。流石に長時間の精密手術を生業としていただけあって、その辺の自己管理は抜かりないっすね、元脳外科医の咲良さんは」 大河が急に俺の肩を揉みながらそんなことを言い始めた。
 ……いや、何で俺肩揉まれとるん? 何この状況。もう訳が分からん。
「カレン。確か唯は元レーサーだったか」
「はい。そうっすよ。馬子名はオールニードユー。つい最近までどんどこG1走ってましたァ」
「成程……それでトレーナーを引っ張ってこれたわけか。納得した」 椿は心底楽しそうにほくそ笑んだ。
「是非とも彼女とお近づきになりたいものだ」
「やめろ! 人のプライベートに踏み込んでくんな、この歩く大厄災が!」
「誰が厄災だ! 私は医学における万能の天才だぞ!?」 反論するのそこかよ。俺はそう思いつつ椿の手から名刺をひったくった。
「兎に角! 人の恋路を邪魔すんな。俺は一生独身なんか御免だ。一人で死にたくねえ」
「うわ……咲良さんその理由は無いっすよ……」 大河は俺にゴキブリを見るような視線を投げつけていた。何でかちゃ。
「流石に、恋人を求める理由としては……私もどうかと思うぞ」
 椿も大河と同じように蔑みの視線を俺へ向けていた。
 ……本当に何でかちゃ。他人のプライベート詮索が大好きなお前らよりは百倍マシやろうが。


 基本的に平日・ナイター開催の公営ギャンブルである競馬と異なり、クラシック・ホースレースという馬子が駆ける陸上競技は、毎週末の日中に行われている。そうなれば必然的に彼女を――白綾さんを食事に誘えるのは、水曜か木曜の夜ということになるだろう。
 素晴らしく妙な事件も起きず、妙な患者も訪れない平穏な時間が経過したことで、椿は大変退屈そうにしていた。しかし俺と言えば思わず笑ってしまうほど嬉しく、奇跡的に定時で上がることができた――もうこれは神の采配だ。彼女を食事に誘え、という。
 俺は早速白綾さんに電話をかける。女性に電話するなんて、大河と椿を除けば随分と久々だった。

「はい、白綾です」 あの日聞いた明るい声が電話越しに聞こえてきた。
「あ、白綾さん――市ノ瀬です。先日はありがとうございました」
「い、市ノ瀬さん!? びっくりしたぁ、あはは、えらいすんません、あの時いきなり電話番号何て押し付けてしもて……ご迷惑やなかったですか?」
 天使か? 俺は既に彼女の事がそうとう好きになり始めていた。
「まさか! 迷惑な訳ないでしょう。あの……急な話なんですが、夕飯のご予定とか、あります?」
「え、あ、え、い、いいえぇ、ありませんけど……あの…………それは、その。えっと」 白綾さんは徐々に声が小さくなりながら何か言いたげにしていた。
「デート、ってことでええんですか……?」
「そこまで御大層なものではないですけど――いい店を知っているので、良ければ」
「い、いきます! あの、どの辺にいたらいいですか? 私もうちょっと仕事がかかるかもわからんくて」 白綾さんはそう言ってガサゴソと何かをし始めた。電話越しに紙を触るような音が聞こえてくる。
「迎えに行きます。医学特区、糸島市ですし――高速使っても福岡市までなら多分……早くても二十分はかかると思うんで、場所教えてくれたら……
「は、は、はい! え、えと――
 言うまでもなく俺は盛大に浮かれている。三十数年の人生で今一番の春が来ている気さえしていた。メッセージアプリで送られてきた場所をナビにセットして経路案内を開始させた。
 今の俺にはもう何もかもが輝いて見える。人生が楽しくてしょうがない。

 だがこの数時間後、俺は無様にどん底に叩き落されることになるのだが――
 それを俺は、まだ知らない。