黒竹
2024-03-17 23:59:47
27132文字
Public ひろがるスカイ!プリキュア
 

雲の上はいつも晴れ

【ツバエル】


 ましろがお土産にと包んでくれたクッキーは三日ばかり執務机の引き出しに入りっぱなしになっていた。焼き菓子だからすぐに悪くなるということはないが、とはいえ家庭で手作りされたものだ、いつまでもそこにしまっているわけにもいかない。
 どうしてさっさと食べてしまわないかといえばそれは「ツバサくんに渡してね」とにこやかに言われたからで、いくらなんでも黙って自分で食べたりしたらましろに申し訳ない。バレたら何を言われるか分かったものじゃないし。
 そして三日間、ツバサとは会っていない。執務の話どころか廊下ですれ違ったりもしていなかった。またどこか旅にでも出ているのだろうかと思ったけれど、ソラに聞いたら特にそんなことはなく、彼女自身は何度かツバサと顔を合わせているそうだった。もしかして避けられているのだろうか。予算案を無視してソラシド市に行ったのを怒っているのかもしれない。そういえば、帰ったら計画書を確認しろと言っていたのにそれも見せに来ない。
 もだもだしている間に三日が過ぎて、これはもうこちらから呼び出すタイミングも完全に外し、何かしら理由をつけて国王と一緒に謁見するくらいしか手立てがないというところまで来ていた。しかしなんの? 賢者を呼び出すならそれなりにちゃんとした理由が必要だろう。
 必然性が。
 何も思いつかなかった。ツバサをそばに呼ぶための、必然的な理由。
 おおかみがきたぞと叫ぶわけにもいかない。
 泣きたい気持ちになりながら、それでも公務はきちんとこなしていると、王妃が執務室を訪ねてきた。
「頑張っていますね、エル」
 母親の顔で接してきた王妃に微笑みかけて、失礼のないように立ち上がる。その拍子に後ろに控えていた人影に気づいた。
「でも、ずっとお部屋の中では息が詰まってしまうでしょう? 賢者様が浮島へ視察に行くというので、あなたも一緒についていってみたらどうかと思って。ほら、小さい頃に行ったきりでしょう?」
 久しぶりに竜族を訪ねてみてはどうかと王妃。確かに、浮島はハレバレジュエルの件で訪れて以来、足を運んでいない。竜族との交流は懐かしさもあってしてみたい気もするが、しかし、その前になんと言っていたかが気になりすぎてうまく答えられない。
 王妃の後ろではツバサがどことなく据わりの悪そうな表情で控えている。断ったほうがいいかもしれないと思ったけれど、王妃の心遣いを無下にするのも気が引ける。
「プリンセス。視察はおやつ時には終わりますし、遊覧鳥は飛ぶのが上手なひとをお願いしていますから、気分転換に少しだけお付き合いいただけませんか」
 意外にもツバサが一歩進んで申し出てきた。ツバサも乗り気ではないと思ったのに、そうでもないのだろうか。
「じゃ、じゃあ、少しだけ……
「はい。それでは、こちらへどうぞ、プリンセス」
 差し出された手を取るといやに気恥ずかしかった。
 遊覧鳥の背は広いのに、ツバサは鳥の姿になって乗り込んでいた。広いと入っても二人が並んではさすがに手狭である。プリンセスに窮屈な思いをさせるわけにはいかないと頑なに元の姿に戻ったのだった。
 エルの傍らに腰を落ち着けたままツバサは感慨深そうに雲の形や眼下の景色を眺めている。彼ももうプリキュアの力は失くしていて、キュアウィングとして自由に空を駆けることはできなくなっていた。未練はないといつか語っていたのを聞いたことがある。夢は叶えたから、これからは別の夢を追いかけるのだと。
 新しい夢を、形ばかりとはいえ共同責任者として一緒に追っていられるのは、正直なところ、誇らしい気持ちがないとは言えない。そういうのを当のツバサがまったく分かっていないのが腹立たしいだけで。
 ツバサはエルの煩悶にはひとつも気づかないまま、にこやかに近づいてきた浮島を見ていた。
「懐かしいですね。ハレバレジュエルの光が消えて、突然僕が調査に抜擢されて……覚えてますか?」
「覚えてるよ。あれから竜族との交流が生まれたんだもん。ツバサ、すっごいお手柄だったよね」
「竜族のみなさんもすっかり空の飛び方をマスターしたみたいですよ。プリンセスなら背中に乗せてもらえるんじゃないですか?」
 思い出話に花が咲き、エルもさっきまでの気まずさが薄れていた。浮島に着いたらましろのくれたクッキーを渡そう。今なら大丈夫な気がする。
「ウィングに抱っこしてもらって空を飛ぶの、楽しかったなあ」
「ええ。今はもう無理ですけどね。僕はプリキュアではなくなってしまいましたし、プリンセスも立派なレディになられたので、軽々しく抱っこなんてできませんから」
「抱っこ……
 うっかりなにやら想像してしまって顔が熱を持った。いや、何度となくその腕に抱かれてあやされていたし、大きい姿の時だって、テンションが上がれば抱きつくくらいはしていた。今更、何かを気にすることもないはずなんだけれど。
 それとも、今だから真に気にしなければならないんだろうか。いくら身体が大きくなろうと、キュアマジェスティとして一緒に戦っていようと、あの頃のエルの本質はまだいたいけな赤ん坊で、彼ら彼女らに対する気持ちだって純真無垢そのものだった。
 今は。
「へっ、変なこと言わないで!」
「ええ!?」
 急に怒られて飛び上がるツバサ。「す、すみません、失礼な発言を……」しどろもどろになりながら謝ってくるツバサから顔を背け、遊覧鳥が滑空する風で頬を冷やす。
「なんやお兄さんたち、痴話喧嘩かいな。そういうのはよそでやってくれへんか」
 背中で騒がれて迷惑だったのか、遊覧鳥がやれやれといった調子で話しかけてくる。「痴話喧嘩ってなに?」「ええと……仲良しの二人がちょっとしたことでする喧嘩、ですかね……」なぜか語尾を濁らせながら言いにくそうに答えてくるツバサだった。エルはふうんとひとつ頷いて、遊覧鳥にこれ以上迷惑をかけないように声量を落とす。
「ツバサは勉強ばかりして身体がなまってるから、きっと私を持ち上げたりできないよ」
「そんなことありませんよ。護衛隊の人たちみたいに鍛えてるわけじゃないですが、僕だってそれなりに一人旅をしたり、学校建設に立ち会って材料の確認なんかもしますからね。プリンセスくらい簡単に持ち上がります」
「嘘だあ。ソラと腕相撲しても勝てないくせに」
「ソラさんと比べるのは無茶ですって……
 あの人十年以上前から隊長ですよ? 鳥の姿で器用に肩(どこ?)をすくめる。まあ実際、ソラと手合わせをして互角以上に渡り合える人は数えるほどしかいないらしいし、エルのナイトを自称しつつ荒事からは距離をおいて久しいツバサなら、尚更敵うはずがない。
 さすがにソラを引き合いに出すのは可哀想かもと忍び笑いをすると、ツバサはどうしてエルが笑ったのか理解できなかったようで、不思議そうに目を丸くしてエルを見上げていた。少女の心は、学術書のように読み解いたりはできないらしい。

 浮島に到着し、発着場に降り立った遊覧鳥の背からまずツバサが飛び降りる。それと同時に人の姿へと変じ、スタッと土埃の舞う地面に着地した。今日は賢者としての視察なので正装だ。動きやすいわけでもなさそうな、装飾のついた服装は華やかで、エルは内心でちょっとドギマギする。
「プリンセス、お手をどうぞ」
 勉強ばかりでなまっているなどと揶揄されたツバサだったが、それでも青年として健やかに成長した姿は頼りなさとは無縁である。たくましいとまでは言えなくても、手足はしなやかに伸びて、精悍さを帯びた顔つきになり、少年の頃とはずいぶん印象が変わっていた。
 長く伸ばした前髪に隠れていない右目は柔らかく細められていた。遊覧鳥はエルが降りやすいように身体を屈めてくれていて、ツバサの手を借りなくても平気そうだったけれど、断るのもおかしな話なので素直に手を伸ばしてツバサに体重をかける。
 トッ、と軽い音を立てて地面に降り立つ。気高き神秘があるかどうかは微妙なところである。しかし、ツバサはうやうやしくエルの手を取り、軽く腰を支えて実にスマートなエスコートをしてみせた。
……みんなにこういうのするの?」
「まさか。僕はあなたのナイトですから。プリンセスにしかしませんよ」
 揶揄のない、真摯な言葉だった。そもそもスカイランドを代表する賢者なので、彼がここまで敬意を払う必要がある相手は本当に国王と王妃と王女くらいしかいないのだった。そして国王と王妃をエスコートする機会などまず訪れない。ただ、エルの問いかけはそういう意味ではない。ツバサがどういう意味で答えたのかは判断に困る。
 繋がれていた手はするりと解かれて、「では参りましょうか」ツバサはエルを先導するように歩き始めた。もう、とエルはこっそり頬を膨らませる。さっきは少し見直したのに。
 ましろだったら手を繋いだままでいてくれたし、ソラだったら隣を歩いてくれたし、あげはだったら後ろからついてきてエルを視界から外したりしなかった。小さくため息。ナイトとして露払いをしているつもりなのだということは分かっているけれど。
 竜族の代表との会合をつつがなく済ませて、ハレバレジュエルの様子を見るために浮島の中央にある一番高い丘へと向かう。あれ以来、ジュエルの輝きは絶えることなく、毎晩スカイランドの夜空に光を放っている。竜族も変わりはないと言っていたし、ほとんど散歩みたいなものだ。エルを連れてきたのは本当に気晴らしが目的だったようである。
「プリンセス、お疲れではありませんか? ジュエルまではけっこう歩くので、休憩したくなったら言ってくださいね」
「これくらい平気」
「でも、前に来た時はあげはさんたちに抱っこしてもらってたでしょう? 歩いて向かうのは初めてですから、きつかったら無理しなくて大丈夫ですよ」
「もう、ツバサは心配性だなあ」
「もちろん心配ですよ。大切なプリンセスの御身ですからね」
 それは。
 その『大切』は、どんな意味合いなんだろう。
 スカイランドの次期女王として大切だという意味なんだろうか。あるいは守るべき姫君としての?
 それとも。
 それとも、ただ、今ここにいるひとりの少女として、の、なんて。
 カゼユリの葉が生い茂る森は見通しが悪い。足元に気をつけながら歩いていると、街なかよりも格段に神経を使って疲労が濃くなっていく。ツバサが時折こちらを振り返って様子をうかがってきた。エルは気丈に首を振り、足を止めようとしない。
……いや〜、今日は暑いですね」
 ツバサが急に立ち止まって大きく息を吐いた。「? どうしたの?」エルも合わせて立ち止まるしかなく、ツバサの隣まで進んで彼の横顔を見上げる。
「今日の格好だと熱がこもっちゃって暑くて暑くて。すみませんプリンセス、少し休んでもいいですか?」
 芝居がかったそれがエルを気遣っての方便だと気づかないわけもない。けれどツバサが汗だくになっているのは事実だし、エルも妙な意地を張って先を急ぐほど頑固ではなかった。
「ツバサが疲れてるならしょうがないね。あ、そうだ、ましろからクッキーもらってたの。ツバサの分だから食べてよ」
 バッグからクッキーと飲み物を取り出して、手近な岩に並んで座る。ツバサはクッキーをひとくちかじると、「疲れてると甘いものが沁みますねえ」としみじみ呟いた。
 エルも一枚もらってクッキーをかじり、冷たいお茶を喉に流し込む。正式な会合を予定していたツバサと違い、エルの方はやや簡易的な装いだ。ツバサほど暑さは感じておらず、座って休んでいればずいぶん心地良い。
 小柄な少年と歩くのも覚束ない赤ん坊だった二人は、今は凛々しい青年と活発な少女に成長していて、それでもあの頃みたいに一緒に空を見上げた。
「あ、あの雲の形、スカイミラージュに似てますね」
「ほんとだ。あっちはミラーパッドみたいだよ」
 そんな他愛ない話をしているとあの頃に戻ったよう。ツバサも研究がどうとか仕事がどうとかいう話もしなくて、ただ雲の形とか木の種類とか、ソラがカゼユリの葉を振ったら大変なことになった時の思い出話とかばかりして、エルもそれに屈託なく笑った。
 風が気持ちよくて少しだけ目を細める。風になびいたエルの髪がツバサのほうに流れていって、「あっ」ツバサの服についていた装飾に巻き付いて絡んでしまった。
「わわっ、大丈夫ですか?」
「うん……だめだ、絡んじゃって取れない」
「ちょっとそのまま動かないでくださいね」
 ツバサの節くれ立って長い指が繊細な仕草でエルの髪に触れる。ツバサの胸元で顔をうつむかせながら、エルはツバサがなんとか絡んだ髪をほどこうとしているのをじっと眺めていた。
 吐息が鼻先を通っていく。
「と、取れなかったら切っちゃっていいよ。少しだけだし平気だから」
「いけません。言ったでしょう、大切なプリンセスの御身なんです。たとえ髪の毛一本でも切ってしまうなんて僕にはできませんよ」
 あの頃より低く落ち着いたトーンの声。エルはやっとのことで「うん」と返事をして、それから黙り込んだ。ツバサも黙って慎重に髪をほどいていく。万が一にも引きちぎってしまったり、髪を引っ張ってエルに痛い思いなどさせないよう、これ以上ないほど細やかに指先を操る。
 言葉はなにも出てこないのに耳元がうるさかった。全身が心臓になったみたいで、ともすればツバサにも触れている髪の毛と指先から鼓動が伝わってしまうんじゃないかと心配になる。
 訳の分からない涙が浮かんできそうで必死に堪えた。
「あと少しできれいに取れますから、安心してください」
 ツバサの手は子供らしい福々しさなんてどこにもなくなっていて、エルよりもずっと大きくて、その手が、その指が髪に触れているだけでどうにかなりそうになる。
 たぶん、とましろに答えたのが遠い昔のよう。
 今ならはっきり言えた。
 すきなのは、このひと。
 どうしよう。
 ハラリと指の間から藤紫の髪が落ちた。
「プリンセス、お待たせしました。取れましたよ」
 ホッとしたようにツバサが言う。無事に絡みついた髪をほどくことができて安堵しているようだ。穏やかに笑っていた顔が、エルがいつまでも顔を上げないせいで次第に曇っていく。
「どうしました? も、もしかして、痛かったですか? 気をつけてたんですが引っ張ってしまったかも……
「ううん、大丈夫。ありがとう、ツバサ」
 顔が熱い。髪の毛で先端まで赤くなっている耳を隠して立ち上がり、急いでツバサに背を向けた。
「も、もうじゅうぶん休んだし、そろそろ行こうよ。あんまり遅くなると心配かけちゃうし」
「そうですね。ジュエルまではあと少しですから、頑張りましょう」
 ツバサもエルを追いかけて立ち上がったところで、不意に強い風が吹いた。
「うわっ」
「きゃあっ!」
 カゼユリの葉が一斉になびく。軽く持っただけでけっこうな風を生む葉だ。それが何枚も一斉に揺れたら、そのそばにいる人間なんてたまったものではない。
「プリンセス!」
 吹き飛ばされそうになったエルをツバサがとっさに抱きかかえる。風の流れを読んで、台風の目みたいになっている中心部を即座に見つけて避難する。
 木の幹を背に風が治まるのを待ってから、思わず安堵の息をついた。
「お怪我はありませんか?」
「う、うん。ありがとう……
「どうです? 僕だってプリンセスくらい持ち上げるのは簡単だって言ったでしょう?」
 なんだか得意げなツバサの鼻先に視線を定め、なにを言っているんだろうと不思議に思ってから自分の体勢に気づいた。ツバサの意外とがっしりした腕が背中と膝裏を支えていて、足は完全に宙に浮いている。
 彼の腕の中にすっぽり入り込んでいるのだと、気づくまでに六秒かかった。
「っ、みゃっ、みゃっ」
「みゃ?」
「みゃー!! さわらないで! 離して!」
「わっ! プリンセス、そんなに暴れると危ないですって!」
 恋心を完全に自覚した途端にお姫様抱っこされて一気に限界を突破し、さっさと降ろせと暴れるエルと、急に離したら危ないから止まってほしいツバサ。二人の思惑は一向に重ならず、「ばか! ツバサきらい!!」「ええぇ!?」他に誰もいない森の中、エルの絶叫とツバサの当惑した声だけが響き渡った。