「そういえば話逸れますけど、沢城、体内電気で自害って出来るモンです?」
「やってみようと思ったことがないですね」
朝日が差し込み始めた東の縁側で、僕は沢城と茶を啜っていた。
戦い終わって、けが人の手当てもして、それでも緊張の糸が切れないらしい沢城が、手持ち無沙汰でうろついていたから
……というのも多少はある。茶の一杯でも、という気分の源は、僕が沢城の、ゲタ吉そっくりの気配に引きずられているからに他ならないけれど
――それ以外にも、彼に聞いておかなくてはいけないことがあるからだ。
「まあでも、実際に死ねるかどうかはともかく
……自爆に近いことなら、多分。高山先輩も、使いすぎると体に負担が、って言ってましたし。でもなんでいきなり、そんなことを」
「いえ、この時間にこの庭見ると思い出しちまって。昔の話なんですけどネ
……ちいさいのがここに来てしばらくした頃のことです、酷く荒れた時期がありまして」
東の縁側の向こうに広がるのは、荒れ放題の庭だ。特に整える予定もない、何故ならこの方が都合がいいから。できるだけ『無人の寺』の印象を壊したくない。
水草が勝手に繁茂する池の側には、砕けた植木鉢の破片が転がっていて、そのまま苔に呑まれかけている
――もう随分前のことだけれど、その破片が発生した理由はよく覚えている。ちいさいのが叩き付けて割ったのだ。
僕はあのとき妖怪仲間のところに呼ばれて出かけていて、帰ってきたのは今と同じ明け方頃だった。障子戸の残骸と穴の空いた襖は、前日までの破壊の結果だと知っていたけれど、縁側でゲタ吉が昏倒していたのは想定の外だった。
そして、その傍で呆然とした表情のまま、ぼろぼろ泣いているちいさいのも。
ちいさいのの足も腕もあざと歯形だらけで、端から見たらあらぬ嫌疑をかけられそうな状態だった。が、当然ながら、ゲタ吉がちいさいのに暴力をふるうはずなどない。ソレはちいさいのが、自分で自分を痛めつけた結果に違いなかった。
ゲタ吉の昏倒の理由は、暴れるちいさいのを止めようとして、何か当たり所が悪かったから、だろう。でもあのゲタ吉が、同じ幽霊族とはいえ、幼児にそうそうやられるだろうか? そう考えを巡らせた結果、こいつらが使う体内電気に思い至ったのだ。あれを自害に使おうとしたのを止めるなら、どこかへ電流を逃がすしかないが、ゲタ吉が一番逃がしやすい場所はどこかといえば
……ゲタ吉自身の体だろう。
取りあえずゲタ吉は布団に寝かせた。
ちいさいのの傷も、酷いのだけは手当てしてやった。ちいさいのは大人しかったけど、その間ずっと泣いていた。音のない唇で、ごめんなさい、と繰り返しながら。
ちいさいのは手当てが済むなりゲタ吉の傍に走っていって、意識のないゲタ吉の手を握って、やっぱり泣き続けていた。
このときは、流石に僕も心配だった。ここ最近の十日ほど、ちいさいのはずっと、泣いて、暴れて、自分を痛めつけて、疲れて気絶するように眠る、を繰り返していたから。
しかしどうしてやればいいのか分からないまま、ただ様子を見ていると
――ゲタ吉がゆっくり目を開けて。
泣いているちいさいのに向かって、あいつが口にした言葉はよく覚えてる。
――怪我、手当てしてもらったんだな。良かった。
――今のお前はきっと、自分で自分を消しちまいたいくらい、辛いんだよナ。
――でも俺は、お前が消えちまったら、さみしいなあ。
明らかにダメージが抜けきっていない緩慢な動きで起き上がって、ちいさいのを抱き上げて、ちいさな背中を撫でてやりながら
――そのときのゲタ吉の横顔は、今でも心の奥底に焼き付いたままだ。
「
……その日から、ちいさいのは暴れなくなりました。代わりに大量に絵を描くようになって、それはそれで大変だったんですけど。ただマア、ゲタ吉が昏倒するようなことはなくなったんで、そこだけはほっとしましたヨ」
僕が一通り顛末を語り終えると、沢城は数秒考えて、やがてゆっくりと苦笑した。その表情の作り方は、やっぱり、ゲタ吉にそっくりだ。
「大変だったんですね。
……僕には、ちいさいのの気持ちも、ゲタ吉の気持ちも、両方分かる気がします。もし僕がちいさいのと同じ状況だったら、気持ちの持って行き場がなくて、暴れるしかなくなるでしょうし
……傍にいたらきっと、ゲタ吉と同じこと言ったと思います。多分」
「でしょうねェ。ちいさいのが失ったモンは大きすぎた、
……僕ァ想像するしかないことですけどネ、幽霊族をそこまでさせる人間の愛ってヤツについては」
すずめの声がする。
柔らかく暖かな春の朝日の下、僕は話を元に戻した。
「
……それで、話戻しますけど。そういう訳で現状、ゲタ吉とちいさいのは、当面この世界に留まることになってンです。ちいさいのは帰ったところでロクな目に遭いそうにないのと、ゲタ吉とちいさいのを引き離しちゃマズいってのとで」
そう、元はそういう話をしていたのだ。
沢城と高山の望み次第で、僕の手がどこまで届くかも、やるべきことも変わってくるから。
おそらくこれは、ほとんど親の不始末の後片付けだ。でも僕の父さんが僕の生きる世界を願ってくれたんだから、その分の恩返しだと思えば、巻き込まれた奴らの後片付けくらいは
……というのが僕の本音だった。
「あと高山はさっき言った通り、地獄の鍵が手がかりになりそうだ、という状態です。ただ、実際いつ帰れるかとなると、
……百年単位で向こう側ですねェ、間違いなく」
高山について、それ以上のことは言っていない
――高山が戦いの前に帰れるチャンスを蹴ったことも、約248年という具体的な数字が出ていることも。
敢えて言わないのは、今の僕が事実上、この時空に強く干渉する術師になってしまったから、だった。過去に引っ張られた決断は、決して良い結果を生まない。
「僕ァ沢城に、帰らなきゃいけない、とは言いません。僕にできるのは選択肢を示すことだけです。アナタの望みに最も近い道はどれだ、とネ」
帰りたいか、この世界に留まりたいか、高山の世界に行きたいか。
三つ目を口にしたとき、沢城は軽く目を見開いた。
そんなことが、という呟きはとてもは小さかったけれど
――続く声音は、はっきりしていた。
「いや、でも。それは決していいことじゃない
……僕が生きるべきは、あの世界なんだ。父さんや、ねこ娘や、まな達が生きてる場所」
「生きるべき、
……ですか」
問い返しながら、僕は唇の端をつり上げた。
べき、という言葉が出るうちは
――心の底にあるのは義務感、即ち、『そうでなくてはいけないのに』、という逆接が働く余地を残していることになる。
「究極的なところ、アナタが何を願うか、です。その願いが芯から定まらない限り、時空を渡る術が、手元に転がり込んでくることはないでしょう。
……そうなってンです、この墓場の世界ではネ」
僕の父さんがねじ曲げた因果律を読み解きたくて、本と時間を積み上げて調べた。その結果
――もう、そうとしか言えない。
何よりの証は、飛ばされてきたゲタ吉が、ちいさいのが来るまでの間、元の世界に戻る手段を見つけられなかったことだ。
……といっても、今から思えば、僕の父さんの意志が働いていただろうから、見つかったとしても実際には帰れなかったと思うけれど。
あの頃のゲタ吉も、帰るべき、帰らなきゃ、という言葉はしょっちゅう口にしていた
――それが『帰りたい』であったなら、今頃、ここにいる“鬼太郎”たちの運命は大幅にねじ曲がっていただろう。
「アナタが心の底から決めたとき、決めた方への道がつながります」
だから沢城には、どうしても、こう問わざるを得ない。
「どうするべき、ではなく。
……どうしたいですか、沢城」
沢城は答えなかった。やはりすぐには答えられないか。
沈黙の時間が三十秒を超えたあたりで、僕は一旦、引き下がることにした。
「今この場で決めろとは言いません。
……ただ、沢城にはいずれどこかで、不可逆地点が来ます。だから今のうちに、知らせておきたくて」
「不可逆地点
……帰れなくなる、ってことですか」
「エエ。そこまでどれくらい猶予があるかは、僕にも分かりません。半年か、一年か、それとも十年なのか
……」
――沢城の父さんが、『息子の未帰還』を確信するその瞬間は、どこに来るか。
それを言ったところでどうにもならない。分からないことは分からないとしておいた方がいいだろう。だからそこも伏せたまま、僕は言葉を続ける。
「ただ、いすれ必ず、とは言っておきますよ。だから決断が早いに越したことはない。その地点を過ぎたら、留まるか、高山の世界へ行くかの二択です」
「
……すみません。やっぱり、すぐには」
片方だけの瞳が閉ざされる。沢城の手元で湯のみの水面が揺れた。
俯く沢城から視線を外して、僕は東の空へ目をやる。
上っていく太陽が朝焼けを脱して、白い輝きへ変わっていくのが見えた。
「まあ、そうですよネ。
……迷うなら、高山にも相談してみてください。ことがことですから」
僕に言えるのはそこまでだ。
『鬼太郎』の生きる世界が、父さんたちの望みなら
――
どこの世界で生きるかは、『鬼太郎』が決めることだから。
僕の脳裏に映るのはやっぱり、ゲタ吉とちいさいの、だった。
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波箱
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