氷紀
2024-03-17 00:53:04
11102文字
Public 迷い込んだ彼らの話
 

選んだ者、選ぶ者

『矜持と願いと』の続き。CPは高沢+若干ゲタ←墓。
【注意】自傷行為に関する描写があります。苦手な方はご注意ください。



 目を開けたら、ちいさいのがいた。
 片方だけの目から思いっきり涙を流して、息を引きつらせながら俺の手を握っていて――ああ、前にもこんなことがあったなと思い返す。

 ちいさいのがここの来てから、確か二ヶ月くらい経った頃のこと。
 それまではだいたい眠っているかぼんやりしているかの二択だったちいさいのが、いきなり荒れ始めたのだ。
 そのとき使っていた部屋の襖を壊し、庭にあった空の植木鉢を叩き付けて破壊し、障子戸の障子を破るのみならず桟ごとへし折って――それで墓のは、自分の本やら術の道具やらを片づける羽目になったのだ。いきなりどうしたんだ、と俺と墓のが驚いて手をこまねく十日ほどの間に、ちいさいのの破壊行為は自分の腕に噛みつく、自分の髪を引っ張る、更に壁へ自分の頭を叩き付けるという方へ進展した挙げ句に、体内電気で自分自身を壊そうとした。
 寸前で俺が気づいて、ちいさいのの両手を握って俺の体に電気を逃がして、何とかちいさいのは無事で済んだけど、俺はしっかり気絶した。墓の曰く、俺はたっぷり半日以上は昏倒していたんじゃないか、とのことだ。
 それでも俺はそのあとちゃんと回復した。
 あのときほど幽霊族の体力に感謝したことはない。

 そうして目を覚ましたときも、確か、ちいさいのは今と同じように、泣いていた。声もなくぽろぽろと涙をこぼして、何かとんでもなく取り返しのつかないことが起きてしまったという風の、動揺しきった顔で。
……大丈夫だヨ、生きてるって」
 安心させてやりたくて、笑顔を作る。今更になって腹と腕と足とその他、全身結構痛いことを感じたけど、今は目の前にいるちいさいのが先だ。小さな手を握り返して、痛みで揺れかけた呼吸を抑える。
「っ、……お前を置いて、消えたりしないから」
 無理矢理、身を起こす。痛む傷は、それでもしっかり手当てはされているらしいと、肌に触れている包帯の感触で悟った――ついでに、自分が寝間着の浴衣を着せられているのも。マア、あの服血まみれだったしな、と思いつつちいさいのを抱き上げたのは、もはやほとんど反射的な行動だった。
 体は痛い、でも、ちいさいのの泣き顔の方がもっと痛い。
「大丈夫だから、ほら、泣き止んでくれよ、ナ?」
 息を引きつらせながらしがみついてくる、本当に小さな背中を抱き寄せて、いつもみたいに撫でてやって――それで、ちいさいのの気配がほんの少し今までと変わっているのに、気がついた。
 言葉にはしにくいけれど、ちいさいのが持つ魂を縁取るように、かすかに細い紫の一本線が加わったような。よほど注意してみないと分からないだろう、でも、それは確かに墓のの術式だった。
 俺をこの時空に留めている楔の術式と、全く同じもの。

「気がつきましたか、ゲタの」
「うぅわッ?!」

 あまりにも唐突に墓のの声が聞こえて、驚く。視線を巡らせれば、部屋の隅の方で、墓のは何やら和綴じの本をめくっていた。読書をするのにいちいち気配を断つなといつも思うんだけれど、それは半ば墓のの習性のようなものだった。『そこまで強くない』墓のが、独りで生きのびる為の。
……お、おどかすなよもう」
「そっちが毎度勝手に驚いてるだけデショ。……それより、」
 手元の本をぱたんと閉じて、墓のがいつもの、にらみ上げるような視線をこちらに寄越した。呆れているようにも、安堵しているようにも見える。
「お前の傷、まあまあ重傷ですけど、死ぬようなのじゃアないからそこは安心してください。あとちいさいの、覚悟決めちまったようですよ」
 まだ俺の胸にしがみついて泣いてるちいさいのは、それでも会話は聞こえていたんだろう、ひとつ頷くのが肌を通して伝わる。

「ちょうど満月だし、あの黄泉平坂の向こうが一番安全でもありましたし、避難のついでにネ」
……やっぱり、これ、そういうことだよな?」

 この楔の術式は、他の世界や時間軸からやってきた魂を、この墓のの世界に括り付けるものだ。一度括られれば、自分が死ぬか、墓のが死ぬか、墓のが解除するまでは、『絶対にこの世界から出られない』。しかも墓のが解除するには、事実上、墓のが仮死状態に陥るしか方法がない……らしい。
 墓のが俺にその術をかけたのは、ちいさいのが来てから確か一年くらいは過ぎた頃のこと。ちいさいのをこの世界で支えてやるなら、自分の足場を固めておかないと話にならない、ただの『来訪者』の状態で支え続けられるほど、ちいさいのの魂は軽くない……と言われたから。
 一度かけてしまえば、解除して元の世界に帰るのはとても難しい。墓のに膨大な負担がかかる。だからちいさいのに直接かけるんじゃなくて、俺にかけた――ちいさいのは本来帰るべき世界があるし、本人がいつか帰りたがるかもしれない。だけど俺は、今ここでちいさいのの手を握っていてやれるなら、帰れなくなっても構わなかった。だから俺は楔の術式を受け容れたんだ、それで俺がちいさいのを離さなければ、ちいさいのに選択の自由を残したまま守ってやれる、って。
 だけど、ちいさいのの望みは、そっちには向かわなかったのか。

「墓のも、ちいさのも……本当、に?」
 ちいさいのがまた、顔を上げないまま頷いた。
「僕もそんだけ腹ァ括ったって話です」
 そして墓のの返答は、朝食の卵を生で食べるかゆでて食べるか、くらいの気軽さだった。

 でもその中身は全く軽くない。まず墓のの意志がなければ当然この術も有り得ないし、墓のがこの術式をかけたとしても、ちいさいのが心の底から了承していなければ、術式は結実しない。 
「今更駄目とか言うつもりですか、ゲタの」
「いや、駄目なんて言わない、けど」
「けど……何です?」
 ちいさいのを抱えたまま、俺は墓のの顔へ真っ直ぐ視線を向けた。表情はいつも通り、きっと言っていることも嘘はない。でも、その向こうに何か隠してるのは、もうだいぶ前に気づいたことだった。父さんを探している、というそれだけなら、俺やちいさいのにここまでする必要はないはずだ――それでも、墓のは本音を語らない。一度でも暴こうとすれば、きっと今のままではいられなくなるだろう。
 だから、俺は踏み込まないことにした。
 胸元でまだ泣いているちいさいのを抱きしめ直して、敢えて軽い口調を作る。
「貸しが増えちまったナ、って。返せって言われたらちょっと困るくらいのやつが」
 墓のは小さく鼻を鳴らした。
「別に、助けられるから助けただけですヨ。今回のを貸しだと思うなら、それ僕に返さなくていいんで、かわりにちいさいのにやってください」
 着流しに羽織の背中が、音もなく立ち上がった。
 和綴じの本を軽く弄びながら、出て行く寸前、振り向きざまに笑った。
「前にも言いましたけどネ、ちいさいのにとってお前の代わりは居ねェんですよ、ゲタの」
 覚えのある言葉だったけど、前に聞いたときより、ずっと柔らかな口調と声音だった。
 襖の向こうに消えていく背中を見送って、俺も小さく笑う。ヤツの本音はやっぱり分からないけど、ちいさいのを思ってくれてることだけは、どうやら確実らしいので。

 ちいさいのの背中をさすりながら、思い出すのはお義父さんのことだった。あの頃、水木さんはどんな気持ちで僕を抱きしめていたんだろう。赤の他人どころか、人間ですらない赤ん坊を抱え込むことになって、随分戸惑っただろうに――それでも、僕を育ててくれた。愛してくれた。同じことが、僕にもできるだろうか。
 ちいさいのの心の中にはきっと、まだ深い痛みが疼いてる。
 今も左手首に巻かれたままの組紐が、何よりの証拠だった。黄色より黒の霊毛の方が、重たい感情に反応しやすい。ちいさいのに合うもの、という条件で選んだとき、黒しか反応しなかったということは……だ。
 僕はきっと、父さんとお義父さんの『代わり』にはなれない。どうしたってそこは埋まらない、埋められない。絶対に無理だそんなのは。僕は水木さんについて、ちいさいのとほぼ同じ記憶を持っているから、少し想像したら分かることだった。

 でも、傍にいて能う限り愛してやることなら、きっとできると思いたい。
 ちいさいのにとって、“失われない何か”であることなら。

 だんだん静かになっていくちいさいのの呼吸を聞きながら、ちいさいのが一番欲しいのもソレじゃないか、って思う。勝手な思い込みかもしれないけど。でも、ほんの少しだけ縋れる思い出を持ったまま、幽霊族の長い時間をたった独りで生き続けるのは、苦しすぎるだろう。だから、ちいさいのにとって理不尽に断ち切られてしまった“愛するひとがいる世界”を、俺はもう一度繋ぎ直してやりたい。
「一緒にいような、ちいさいの」
 腕の中の小さな体に、ささやきかけた。聞こえてくるのは、もうほとんど寝息に近くなっていて――だから、完全に油断していた、とも言える。

た、ぃ、さ」

 声がした。
 初めて聞く、でも確実に知っている声。俺と、沢城と、とても良く似た。

 もぞりと動く気配がした。
 少しだけ俺から体を離して、どこかぼんやりした表情で、ちいさいのはまっすぐ俺を見た。
「ゲタきち、……にい、さん」
 息を呑む。
 思わず目を見開いてちいさいのの顔を見返すと、まだ涙のあとを残した顔で、でもちいさいのは確かに『言った』。
「おか、え……り」
 掠れた、辛うじて聞き取れるくらいの言葉だった。でも意味を把握するより先に、体が反応した。視界が一気ににじんで喉の奧が熱くなる。
 ちいさいのの体を思い切り抱きしめて――傷の痛みをこらえて、俺は辛うじて言葉を絞り出した。

「ああ。……ただいま」