氷紀
2024-03-17 00:53:04
11102文字
Public 迷い込んだ彼らの話
 

選んだ者、選ぶ者

『矜持と願いと』の続き。CPは高沢+若干ゲタ←墓。
【注意】自傷行為に関する描写があります。苦手な方はご注意ください。



 川縁までは、墓のが迎えに来てくれた。戦っていた場所は寺からそんなに離れていなかったから、墓のがゲタ吉を、僕が先輩を背負って帰ることになって――僕はそのとき、先輩の奇妙な体温に気がついた。

 夜明け前。
 普段寝起きしてる八畳の和室、布団を敷いて先輩の体を横たえて、上掛けは腰から下だけに被せた。先輩の体の温度は酷くアンバランスになっている。体の末端は冷え切っていて、胸の真ん中だけが尋常でなく熱い。原因は言うまでもなく地獄の鍵だ。
 幽霊族は、自分の意志で自分の体温を変えられる。今の先輩の体は、地獄の鍵で過熱しきっているのを冷やそうと、体温を下げる方に全力を挙げているらしい。だから末端に行くほど冷え切って、握った手は氷のように冷たい。
 他の人間や動物だったら間違いなく死んでいる温度だけれど、でも今はこの冷たさこそが、先輩が死んでいない証だ。指先で手首を探ればしっかり脈打っているのも感じる。だから大丈夫、大丈夫だって分かっているのに。眠り続けている先輩の顔は、静かな無表情だ。肌からも血の気が失せていて、呼吸の気配がなければまるで……
……っ、」
 ろくでもない想像を振り払いたくて、握る手に力を込める。

 地獄の鍵を使えば、先輩の体にとんでもない負担がかかるのは知っていた。聞かされてもいたし、実際に先輩が寝込んでしまうのだって見た。
 だけどそれは、外から見て分かった気になっていただけ、だった。実際に先輩の体にどういう負担がかかっているのかは、あのとき、霊力と一緒に流れ込んできたのを感じるまでは――分かりようもなかったことだ。
 あれはたとえでも何でもなく、じかに心臓を焼かれる痛みだった。強烈な熱と炎の爆発を霊力の力づくで縛り付けて、何とか放出する方向を決めているだけの、常軌を逸した暴力そのもの。それを連続で二発も使ったら、……いくら幽霊族が、頑丈だからって。
 眠る先輩の胸に手を当てる。布越しでも分かるくらいに、異様に熱い。冷え切った手の温度と比べると、残酷なくらいの落差だった。鍵を自分の体で封じているようなものだとは、前に墓のがこぼしていたような記憶がある――この力があったお陰で勝てたのは確かだ。力を使ったのが先輩の意志なのも。
 罪悪感のようなものに襲われて、先輩の胸から手を引いた。
 あとからこんなに酷い状態になることが分かっていて、それでも先輩は僕たちを助けてくれたんだ。胸のうちに渦巻くものが、言葉にならない。喉が詰まって視界が歪む。
 そのまましばらく呆然としていると、不意に、先輩が目を開けた。
 数秒の間。隣にいるのが僕だって気がつくのに相当かかったらしい。本当に、ボロボロなんだ――でも、僕の顔にやっと焦点を合わせた先輩は、小さく笑った。
「さわ……しろ、くん」
「先輩、」
「だいじょう、ぶ。慣れてる、から……
 弱々しい声が耳に届いた瞬間、僕の目から涙がこぼれ落ちていった。笑わないで、大丈夫なんて言わないで。あんなに痛くて辛いのに、それに慣れてしまうくらい、今まで繰り返してきたんでしょう。
 思い浮かぶ言葉はひとつも音にならなくて、勝手に体が動いてしまった。弱い呼吸を繰り返している先輩の唇に、自分から食らいついて舌をねじ込む。
 今まで唇を合わせたことは何度かあったからか、抵抗はなかった。唾液と一緒に霊力を流し込む。対処として正しいのかは知らない、でも弱り切っている先輩の命をどうにか支えたかった。
 先輩の舌が応じてくる。ためらいがちな、怖々とした動きだったけど――絡み合う舌もすっかり冷え切っている。熱を分けるように力を分けていると、僕の意志が伝わったのか、先輩の動きもだんだんなめらかになってきた。
 二人の間で響く、くちゅりと重い水音。先輩の舌が伸ばされて入り込んでくるのを感じた。先輩が僕の力を欲しがってるのが、分かる。鍵を使うのと抑えるのと、両方で力を使い切ってしまった体から、餓えきってる気配がする。
 絡めて、扱き上げて、吸い取るように――背筋にぞくりと走る感覚が何か分からないほど、子供でもない。本当は体ごと差し出してもいいくらいだけど、今の先輩の状態を考えると、それは難しいだろう。だから僕は歯を開いて、舌と口の中を先輩に明け渡した。望むだけ、欲しいだけ、持って行ってくれたらいい。
 冷たい舌に僕の温度が移って、ゆっくりと温かくなっていく。甘い。軽く歯を立てられて、反射的に喉が鳴る。そのあと、ごめんという風に、痛みの走った箇所を濡れた感触が撫でていく。
 切れ切れの吐息と、密やかな水音が頭の内側に響いて、何かひどくいけないことをしている気分になってきた。でも構わない、先輩がそれで少しでも楽になるなら。
 そのまましばらく舌を絡め合って、数分か、それ以上か。
 先輩が疲れたような息と共に舌を引く頃には、僕の唇も少しだけ、熱を持って腫れたような感覚になっていた。
……あり、がと。少し、楽になったかな」
 繋ぎっぱなしの手とは逆の手で、先輩が僕の頬を拭った。
 さっきよりは力を取り戻した声に、柔らかな苦笑が宿る。
「きみだって、かなり疲れてるはず、だよね。あんなに戦って、最後は僕を支えてくれて……
 僕は思いきり首を横に振った。
 確かに疲労はある、何度か食らったお陰で腹にちょっと痛みが残ってるのも本当だ。でもこんなもの、一晩眠れば治る程度のものでしかない。体の内側を焼かれる先輩の痛みに比べたら。
「平気です、これくらい」
 握った手から力を流し込む。他の方法に比べたら効率は良くないけれど、やらないよりはマシなはずだ。
「沢城くん、」
「お願い、……先輩。もっと食べて」
 再び口づける。しばらく触れて、離れて。
 それで手から感じる気配が変わった。僕が流し込む力を、先輩が受け取るように。体の動きでは分からなくても、体に宿る霊体の動きがそう教えてくれる。
……参ったなァ。こんなにされると、」
 僕と同じ、片目だけの視線が僕を見上げてくる。口元の笑みがほんの少しだけ、何か色をにじませた気がした。
「きみを全部、食べたくなっちゃうよ」
「もうそれでもいいから、……先輩」
「はは、冗談だよ。……でもありがとう、本当に」
 手を握り返す力を感じた直後、先輩の瞼がすっと落とされた。
 力を受け取ろうとする気配はそのまま。先輩が再び眠りに沈んでいくまで、僕はずっと先輩の手を握っていた。