氷紀
2024-02-26 21:43:35
16584文字
Public とある息子たちの話
 

とある放蕩息子の述懐

ゲ謎派生パラレルワールドの〓×6期の👹
6期の泥田坊回とほうこう回がしんどすぎたが故の産物。
細かい設定(髪や体の話など)は公式ではないのでご注意ください。



 二度あることは三度ある。
 今度も雷雨の夜だった。

 ドアから少し離れたところに佇む幽霊族の気配を感じて、僕は目を覚ました。今月はもうバイトの予定も入っていないから、ひたすら怠惰に過ごす予定だったんだけど――もしかすると僕も魂のどこかで、あいつが来る、って分かっていたのかもしれない。何の気なしに見た天気予報の、『雷雨』の二文字を記憶していた時点で。

 大判のタオルを抱えて、ドアを開ける。
……
 予想通りの姿がそこにあった。
 青い服も髪もずぶ濡れだけど、今回は、妖怪の気配はしない。怪我をしている様子もない。ただ僕を見上げてくる顔は、雨の所為だけではなく濡れていた。無表情なまま、涙だけをぽろぽろと零しながら……ああ、くそ。
 反射的に湧いた感情は、きっと、僕自身が過去から持ち越したものだ。あまりにも同じ顔だから、どうしても気持ちが揺らぐ。
 動揺を何とか抑え込んで、僕は辛うじて言葉を押し出した。
……入れよ」
 一歩、二歩。
 三歩かけてやっと、そいつは僕の広げたタオルに倒れ込んできた。抱き留めて、片腕を伸ばしてドアを閉めて、抱きしめるように体を拭いてやって――それでもそいつは、何も言わない。僕も問いかけはしなかった。
 遠い雷鳴と雨音が沈黙を埋めていく。
 気持ちがパンクしてたら喋れないから、聞いても無駄だ。

 前にそいつが来たときと大して代わり映えしない部屋の中、さっきまで自分が寝ていた万年床の上に座らせて、濡れた脚を拭き終わったところでやっと、声が聞こえた。雨音の中に紛れるような、小さな声。
……泣いても、しょうがないのに」
 ちいさな体を抱き寄せる。引きつるような声と動きが、見た目と中身の落差を伝えてきた。こいつが見た目通り、人間でいうところの十と少しの子供なら、まだまだ大声で泣きわめける年だろうに――もう、押さえつけるような泣き方しかできなくなっている。僕も同じだった。

 やっぱり、『こいつの隣には誰もいない』。
 前と後ろには、そりゃア大勢いるに違いないんだけれど、隣は相変わらず空白のままなんだろう。

……っ、もう……重く、て」
 具体的に何があったかは、今回ばかりは想像しようもない。
 でも、今僕の腕の中でこいつが泣いていることだけ分かっていれば、知るべきはそれで全てだという気もする。
「みんな、心配……してくれる。励ましても、くれる……けど」
 ――止めてくれ、潰れそうだ。
 引きつる息に砕かれてしまった言葉が、僕の頭の中で勝手に補われた。
 いつかと同じように、僕の肩の上で泣いている茶色い後ろ頭を、軽く撫でた。もう片方の手でそっと背中を包んでやる。僕の胸の辺りで、ちいさな掌が、肌を破りそうな勢いで握りしめられていた。
 悔恨と自責で壊れかけ、そんな気配がする。ダイスの出目の二つか三つしか違わない僕とそいつの、僅かでも確かに存在する落差を、僕はその掌に感じ取った。
 だから僕は何も聞かないことにした。今のこいつに必要なのは同情でも共感でも励ましでもない、ましてや、事情を理解してもらうことでもないだろう。
 必要なのは、自分自身の感情を呑みこみきるまで、抱きしめていてくれる腕だ――大昔、お義父さんがそうしてくれたように。

 泣き疲れて眠ってしまったそいつを万年床の布団に押し込んで、一服しようとローテーブルに手を伸ばしたところを、携帯端末のうなる小さな音が遮った。
 床に放置していた、仕事用のカバンに放り込んであるソレを引き出すと、『着信』の二文字と共に、夕焼けの森を映したアイコンが目に飛び込んでくる。
 ――森の誰かだ。珍しい。
 眠るそいつを起こしてはいけないので、僕は通話を繋ぎながら、外へ出た。

 かけてきたのは、父さんだった。
『遅くにすまんのう。急ぎの要件じゃ、今、お主のところに来ておろう?』
……はい」
 誰がとも、何がとも父さんは言わなかったけれど――この手のことについて父さんを誤魔化すのは難しいので、頷くに留めた。アパートの、自分の部屋のドアに寄りかかったまま、周囲に意識を向ける。眠るあいつを脅かすものが居たら、通話は放り出す覚悟だ。
『実はな、向こうのワシが接触してきよった。まあ一言で言えば、我が子の身を案じておってな。帰ってくるように言ってほしいと……
「今すぐ、って訳にはいきませんネ」
 自分でも、思ってもみなかったほど冷たい声が出た――回線の向こうの父さんから、ほんの僅か、動揺のような気配がする。
「だってその言い方だと、案じているのは“身”だけでしょ?」
『鬼太郎、それは』
「言葉の綾だとでも言う気ですか。じゃあなんであいつは三回も、僕のところに飛び込んできてるんでしょうネ? 時空の壁を破ってまで」
 父さんが言葉を選ぼうとして選びきれないときの、どっちつかずな呼吸の音が聞こえる。僕は構わず、たたみかけた。
「事情は何も聞いてません、きっと僕は聞かない方がいい。それでもあいつには、他に逃げ場が一つもないってことは分かります」
『しかしのう、本来は休むにしても』
「本来? そんなもの、……そんな形に」
 一瞬だけ、言葉が詰まる。
「心を壊してでも従えって言うンですか。あいつにも、僕にも……っ!」
 雨音はずっと続いている。遠雷が響く。
 父さんのいる森にも、同じ雨は降っているんだろうか。
 しばらく続いた雨音をそっと押しのけるように、父さんは息をついた。
『そこまで言うなら、こちらにいる間はお主が守ってやるんじゃぞ?』
「はい。向こうの父さんに伝えてください、彼は怪我もしてないし、今は静かに眠っています。こっちに居る間は僕が守りますから、彼が帰りたいというまで少し待ってください、と」
『つくづく……言うようになったな、倅よ』
 父さんの声に宿るのは、柔らかな苦笑だった。
 本当にこのひとは、“鬼太郎”に甘い。
「僕には、こう言えるようになるだけの時間と余裕がありました。重荷の半分を父さんが負ってくれたお陰で。でもあいつは、……たった独りで、何もかも全部背負い込んだ僕だ」
『まあ、未だ目玉のようじゃからなぁ、向こうのワシは』
「でしょうネ。だからこそ我が子が心配なんだろう……ってことは、想像はつきます。でも今のあいつには、その心配を受け取る余裕もないンです」
 言いながら、やっぱり半分は自分のことだと思った。
 いくら温かな気持ちを差し出されても、受け取る自分の心が一杯だったら、それはただの重荷でしかないのだ。これは僕の現状でもある。父さんも、そのことに気づいてはいるだろう。でも父さんは、僕には何も言わない。森に来いとは言っても、無理に縛り付けようとはしない。
 ……だからやっぱり、このひとは甘いんだ。
『分かった。じかに様子を見ておるのはお主だけじゃからの、その言、信用しよう。向こうにもそう伝えておく』
「お願いします」
……難儀じゃな』
「本当に」
『では』
 最後に短い言葉を残して、通話は切れた。

 部屋に戻ると、そいつは布団とタオルに埋まったまま、静かな寝息を立てていた。携帯端末をカバンに戻しながら観察すると、変わっている点がひとつだけ。
 髪が、背中の三分の二くらいまで伸びていた。

 幽霊族にとっての髪は、妖力を使う為の『手』の役割もある。
 眠りながら、自分の背中を守るように伸びるのは――自分を癒やすことにだけ集中せざるを得ない、あるいは、自分を癒やすことに集中していていいと心から確信できたときだけだ。
 僕も何度かは経験がある。思い出せる限りで一番古いのは、まだお義父さんと暮らしていた頃のことだ。折り紙で遊んでいて、うっかり紙の縁で手を切って、痛いと感じたその瞬間に暴発するように髪が伸びて、お義父さんを酷く驚かせてしまった。
 目玉の姿で頭にいた父さんが、傷を癒やそうとしておるだけじゃ、と髪のことを教えてくれて事なきを得たけれど、お義父さんが僕に向かってあんなに驚いた顔をしたのは、多分あのときが初めてだったと思う。それで、ああ自分は妖怪なんだな、人間じゃないんだな、と僕は深く実感したのだ。
 自分である程度コントロールできるようになった今は、小傷ひとつで暴発するようなことはない。それでも何かの事情で疲れ切って、このアパートに帰ってきて気絶するように眠ったあと、目が覚めたら物理的に頭が重くて部屋が妙に明るい……なんてことは何度かあった。今の僕の髪は白いから、床に広がると、レフ板の如く窓の光を弾くのだ。
 でもそいつの髪はまだ、あの頃の僕と同じ色。茶色の中に混ざるいくつかの金糸が、窓から時折差し込む雷光に、きらりと浮かび上がる。僕の髪が白に変わったあと、時折父さんが昔の色を懐かしんでいた気持ちが、少しだけ分かってしまった。
 僕の知らない母さんの色。そいつにもきっと、母親の記憶はないんだろう。

 気がつけば勝手に手が伸びていた。
 指先で梳いた感触は、今の僕と大差ない。

 布団の上に、長くゆるやかな曲線を描く髪は、今、そいつが安心しきって眠っている証だった。よほど僕のことを信用してくれたのか、それとも、そうせざるを得ないくらいにぼろぼろなのか? ……両方だろう、と思う。特に根拠はないけれど、そういう確信はある。何しろそいつはもう一人の僕なので。
 しっかりと意識を向けてそいつの内側まで透かし見てみれば、ちょっと前に無茶苦茶な妖力を使ったのだろう、という気配があった。
 もちろん、時空の壁を破るために使った分もそこそこはある筈だ。でも、自分の存在を保つ為にぎりぎりの分しか残っていないところを考えると、――そうまでして僕のところに逃げてきたと考えると。
「本当に、難儀だなア」
 自分以外に誰も聞いていないのを承知で、僕は言葉を吐き出した。
 ある意味では、その髪は『とんでもなく弱っている』証なのだ。そういう姿を向こうの世界で晒せない、晒したくない、そういうことだろう。
 僕は万年床の空きスペースに座って、煙草に火を付けた。苦味と甘味を舌の上で転がしながら、そっと髪を伸ばす。少しだけ力を分けるように、そいつの髪に重ねて――あまり深く混ざってしまうと、存在が近すぎて、取り返しのつかない何かがくっついてしまいかねない。だからほんの少し、そう、掌を交わすくらいにだけ。
 そうしたら髪の気配に気づいたのか、寝息が途絶えた。開いた片目が少しだけ腫れぼったいのは、眠る直前まで泣いていたからに違いない。
……寝てろよ」
 今の僕に言えるのはそれだけだ。
 そいつはおとなしく、もう一度目を閉じて――代わりに髪の先を、僕の白の先にそっと絡めてきた。
「いつか、僕も……こんな色に、なるのかな……
「かもナ」
 先端だけを絡め合いながら、そいつが掠れた声で呟く。
……そのまま、煙草……消さない、で」
「ああ」
 雨音、遠雷の音、漂う紫煙。
 僕も本当は自分が吸いたいんじゃなくて、あの人がこれを吸っているところに居たい。もっと居たかった。僕とそいつの心の一番深くに染み込んでいる、愛なのか呪いなのかそろそろ分からなくなってきた面影を追って、僕も目を閉じる。

 後には雨音と、寝息が響くだけだった。