氷紀
2024-02-26 21:43:35
16584文字
Public とある息子たちの話
 

とある放蕩息子の述懐

ゲ謎派生パラレルワールドの〓×6期の👹
6期の泥田坊回とほうこう回がしんどすぎたが故の産物。
細かい設定(髪や体の話など)は公式ではないのでご注意ください。



 二度目も、やっぱり雷雨の夜だった。
 今度は安アパートのドアを塞ぐ形で倒れてた。

 僕の駆け寄る足音が聞こえたのだろう、そいつは緩慢な動きで目を開けた。視線の動き方からするに、眠っていたのではないらしい。今回もちゃんちゃんこは着ていないし、裸足だ。
「また来ちまったのか」
「ごめん、なさ……い」
……責めちゃいないサ」
 どうやら立ち上がる気力もないらしいそいつを、抱え上げた。
 黒い夜空に、雷を孕む雲が瞬く。雨音は間断なく続く。
 誰かに見つからなくて良かった。もし僕より先に誰かがそいつを見つけていたら、それが人間であっても妖怪であっても、おそろしく面倒なことになる。
 僕が片手で鍵を開けて部屋に入るまでの間に、一回だけ、そいつは小さく呻いた。誤魔化そうとした気配もあったけれど、密着したこの状態ではマア、無理ってもんだ。腹をかばうような動きだった――前回と違って服は汚れていないし、血の匂いもしないから、斬られてはいないはずだ。だとするなら、蹴られたか殴られたか、だろう。髪が少し濡れているのは、雨に当たったからに違いない。

 前にそいつが来たときと同じ位置に放りっぱなしの万年床に、ちいさな体を座らせてやる。あいにく居間に来客用の座布団などない。あるのは、幽霊族の一人暮らしに最低限必要な品を詰めた棚と、仕事用のカバンと、ないと困る程度の服をかけたハンガーと、だいぶ前にゴミ置き場からくすねてきたローテーブルが、布団に寄り添うように置いてあるだけだ。
 ……あと、ローテーブルの上の、煙草とライターと灰皿。本当にそれだけ。
 相変わらず何も言わず、ただぼんやりと空中を見つめているだけのそいつの頭を、棚から引き出したタオルで拭いてやる。
 茶色に、よく見れば分かる程度の金色が、幾筋も混ざった髪。懐かしい色合いだ。僕も昔はこんな髪だった。僕の髪が父さん譲りの白に変わり始めたとき、父さんが少し残念そうだったのをよく覚えている。せっかく岩子の色じゃったのに、と――僕に母親の記憶はないから、ソンナコトイワレマシテモ、という気分だったけれど。
 そいつの髪は、水浸しというほど濡れてはいなかったから、すぐ拭き終わった。拭き終わっても、そいつはやっぱり何も言わない。でも、済まなそうな視線で僕を見上げてきたので、返答代わりに小さく笑いかけてやる。
 その笑みに誘い込まれるように、そいつはやっと口を開いた。
「本当……は。ここにこんな風に来るのは、良くないんですけど」
「まあ確かに、良いか悪いかでいったら……良い、とは言えないナ」
 前にそいつが僕のところに現れて、そして一晩眠って去った後、僕は森にいる父さんに手紙を出して、簡単に状況を伝えておいた。正直返答は期待していなかったけれど、その一週間後には烏が返信を届けてくれた。
 かなり長々と書いてあったけれど、極限まで集約すると『関わるなと言ってもほぼ無理だろうから止めはしないが、踏み込み過ぎるな』……と、いうことだった。関わること自体はいいらしい。やっぱり父さんは“鬼太郎”に甘い。
「けど、僕ァ別に構わないと思うネ。本当に駄目っていうなら、最初から出来ないように作っとけって話だヨ」
「それは……そう、か」
 敢えて伝法な口調で言ってみたら、割とあっさり納得してくれた。それに、と本音を付け加える。
「前には人間と妖怪のイザコザ。後ろには妖怪と人間の期待。板挟みになって、前にも後ろにも行けなくなったら、空いてるのは横しかないだろ」
「何で、……何で、僕の考えてること……
「そりゃアだって、僕も鬼太郎だもの」
 父さんの色を宿した髪を掻き上げた。普段はそうそう晒さない、顔の左半分を示してみせる。そいつに隠す必要なんかない、だって僕だし。
「横に逃げて、最初に手が届いたのは、違う世界の鬼太郎だった。それが僕だヨ」
 眼球を持たない瞼を見て、そいつはかすかな安堵の表情を浮かべた。だからそれ以上は言わなかった。
 ……それくらい、お前の横には『誰もいない』んだろうってこと。
 ひととき縋れるものを求めて、時空の壁を破るしかないくらいには。

 自分の髪から手を放す。ぱさりと軽い音を立てて落ちる髪は、今は全く違う色をしているけれど――父さんの手紙に書かれていたことが確かなら、僕とそいつの間には『ダイスの出目の二つか三つ』くらいの差しかない。具体的には、父さんが体を取り戻したか否か。本当にそれだけ。

……ちょっと待ってろ」
 少し考えて、僕はそいつに薄い葛湯もどきを作ってやった。もどき、というのは、使っているのが本物の葛粉ではなく、ただの片栗粉だからだ。ちょっと甘い物が欲しいときに重宝するし、なんと言っても安いから常備してる――というのも、決して嘘ではないけど。

 カップの中身を一口啜って、そいつの丸い目が大きく見開かれる。昔の自分そのものの顔で、何だか妙に懐かしい気分になった。
「熱いからな、ゆっくり飲め。……火傷すんなよ」
 幽霊族にはナンセンスなその言葉。
 記憶にあるそのままの口調で、告げてみる。
「あ……、」
 一拍おいて、そいつの丸い目に涙が盛り上がるのを見た。慌てて目元を拭って俯く仕草もやっぱり、僕には覚えがある。
 まるで、昔の再現映像を見ているような気分だった。
 そのカップの中身は、大昔、お義父さんが作ってくれたのと全く同じものだ。僕が体をおかしくして、粥すら受け付けなくなったときの最終手段――多分、今のそいつは体の内側をやられてる。幽霊族は頑丈だからそうそう壊れはしないけど、殴られればそりゃア痛みはするのだ。特に腹をやられれば、痛みはかなり後を引く。その状態ではスープを口にするのも辛い。……僕もそうだったから知ってる。そういうとき、本当は何が欲しいのかも。
「あり……がとう」
 俯いて少しずつ、舐めるようにカップを傾けるそいつを眺めながら、やっぱりなァ、そうだよな……と、思う。僕もそいつも、心の底にずっとあの人の面影を抱え続けてる。
 二人で万年床の布団を座布団代わりにして、僕は煙草に火を付けた。そいつはカップを傾けながら、何も言わない。喋らない方がいいんだ、と思った。さっきやってみて痛感した。葛湯もどきの味と煙草の匂いは真似られる、でも声はどれだけ真似たって別物だ。

 沈黙の中で考える。もしそいつが僕と似たような生き筋をしているとして、腹をやられるような事態とは何か。それも特別、腹『だけ』残るような殴られ方とは。
 ちゃんちゃんこの守りがあったなら、マア死ぬような事態にはそうそうならない。けど腕と足がある程度は無事らしいところを見ると、敢えて腹を守らなかった、つまり自分から殴られにいった可能性が一番高そうだ。あとは何らかの手段で拘束されて、抵抗できなかったとか――と考えて、案外本当の原因はこっちかもしれない、と思う。だって僕もそいつも、いつだって心を縛り上げられてるようなものだから。

 遠く、雷が聞こえる。
 土砂降りの雨に止む気配はない。

 人間に育てられた幽霊族の末裔、自分の望むこと、生まれ持った力故に背負うこと、時に全てが重苦しくのし掛かってくる。雷雨に隠れるようにして、本来いるべき場所の全てを放り出して――それくらいしないと弱音が吐けない。情けない本音を、出せる場所がない。
 僕が森に行かないのも、おおむね似たような心境が原因だ。けど僕の場合は、森には父さんがいるからまあいいだろう……と甘えられるのが、そいつとの最大の違い。おかげさまで僕は独りでフラフラしながら、場末のアパートに暮らして、心の奥底の未練をこねくり回していられるわけだ。
 そしてそいつが、おそらくは黙って妖怪に殴られたのと、僕が紺色の箱の煙草を手放せないのは、遡れば同じ理由にたどり着く。

 因果なモンだ。ほとんど呪いじゃないか。
 でも、お義父さん、と呼んだ記憶は消せない。僕にもそいつにも、絶対に。

「ごちそうさま」
 前に来たときと同じように、そいつはテーブルの上にカップを置いた。そして不意に、その体がぐらつく。煙草を持っていたせいで、手より先に髪が出た。腕と同じくらいのひと束で体を引き寄せて支える。
 そいつがごめんと言うより早く、僕の方から口を開いた。
「眠れてないのか」
 一瞬の間。俯いた茶色の頭が、微かに縦に揺れた。
 だろうと思った。幽霊族は頑丈なので、深いところの怪我でも、眠れば癒やすことができるんだけど――腹をやられていそうなこと以外、そいつに目立つ傷はない。表面の傷が治る程度の日数がたって、それでも腹だけ治っていないのなら、多分、そういうことだ。
 フィルター近くまで焦げた煙草を灰皿でもみ消して、髪を引っ込める。空いた手でちいさな肩を抱き寄せたら、そいつはおとなしく寄りかかってきた。
 ぽつりと小さな声がする。
……痛くて」
 その一言が耳に届いて、心臓を締め上げられるような気がした。そうだ、その一言を言える相手が、あの頃の僕には居なかった。だから僕と『ほとんど同じ』ような状況のそいつも、心も体も眠れないほど痛くて、でもそれを周りには言えなくて、たまらずこんなところまで逃げてきたんだろう。
 どれだけ強くて頑丈だって、傷を負えば痛む。耐えられはしても、平気になる訳じゃない。大人だったら酒か煙草か、それか夜の街に繰り出してイロイロやってごまかす……って手もあるけれど、今のそいつに勧められる手段じゃないのは確かだ。そもそも人間にも妖怪にも、近い仲間にも会いたくないような心境で――独りでうずくまっていたくても、それを許してもらえる場所すら、こいつにはないんだろうから。
 そうでなきゃ、時空を隔てたこんなところまで、逃げてくるはずがない。

 今のこいつが、一番欲しいものは何か?
 想像するのは簡単だった、だって文字通り、もう一人の僕なんだから。

「ちょっと、……こっち向いてくれるか?」
 少しだけ身を離して、正面から向かい合ってそう囁いたら、疑問の表情を浮かべながらも、そいつは顔を上げてくれた。
「目を閉じて」
 瞼がすとんと落ちる。警戒は全くされていないらしい。……そりゃそうか、こいつにとっても僕は自分なんだし。
 額を重ねる。一瞬だけ、そいつの体が硬くなったけれど、反応はそれだけだ。
 お互いの髪が少し挟まってるけど、まあいい。
「僕に息を合わせて、そう、ゆっくり……
 茶色い髪を両手でくしゃりとかき混ぜてやりながら、細くゆっくりと呼吸を重ねる。二度、三度、四度――呼吸と雨音だけが響くその間に、額と指先を通して、そいつの体内電気の流れ方と強さを把握する。当然だけど、あの頃の僕と全く同じだ。ただ、外から見るよりもかなり弱っているのは、分かった。
 その状態を基準にして、こっちの体内電気を調整する。小さく細くほそく、微かに、柔らかく包むように。
 極限まで絞った力を、指と額からそっと流し込む。
「ぁ、っ」
 火花の一つも上げずに流れ込んだ電気で、そいつはあっさり気を失った。
 力の抜けた体を抱き留める。
 ちいさく細いその背を包むように撫でて、僕は小声で囁いた。
……おやすみ、鬼太郎」
 それは僕の名前でもある。
 僕はそいつを抱えたまま、万年床の上に倒れ込んで目を閉じた。布団を被るのが億劫だったので、代わりに髪を伸ばして二人分の体を包む。僕にできるのはここまでだ。夢の中までは守ってやれない、違う時間の魂だから。
 代わりに、その寝息が静かであってくれと祈る。今だけは、雷に来るなと願う。
 全部忘れて眠る時間くらい、僕たちに残してくれたっていいじゃないか。

 ねえ、お義父さん。