氷紀
2024-02-26 21:43:35
16584文字
Public とある息子たちの話
 

とある放蕩息子の述懐

ゲ謎派生パラレルワールドの〓×6期の👹
6期の泥田坊回とほうこう回がしんどすぎたが故の産物。
細かい設定(髪や体の話など)は公式ではないのでご注意ください。

 父さんが昔の体を取り戻して、ゲゲゲの森の顔役みたいなものになってから、僕は随分楽になった――というか、よく言えば気ままなその日暮らし、悪く言えば適当極まりないハグレモノ、そんな感じだ。

 人間と妖怪のトラブルも、父さんが森の顔役になったお陰でかなり減った。僕も森に来ないかと誘われているけれど、まだ何となく人間の街から離れられずにいる。何となく、だ。
 大きな街にはそれなりに隙間がある。身元の分からない、または身元を明かせないヤツも、体さえ丈夫なら、生きようと思えばどうにかなる。そういうわけで僕は本当に、好きに生きてる。ちなみに年齢は、三桁に突入したあたりで細かく数えるのを止めた。聞かれたときには二十歳と答えている。たまに二歳くらいサバ読んでない? と言われるけど、そう言われる度に、内心『その程度じゃないんだけどなァ……』とか思っている。

 そいつが現れたのは、春の雷雨の夜だった。喫煙可と低家賃以外に取り柄がほぼないアパートの扉の前、十歳になるかならないかくらいの、青い服を着た子供の姿。妖怪なのはもちろん一目で分かった。でも同時におかしいとも思った、気配が幽霊族のソレなのだ。今は僕と父さんしかいない筈なのに。
……誰だ?」
 不審には違いないから、近寄って声を掛けてみた。茶色い髪が揺れて、丸い目がひたりと僕を見上げて、――その顔が、昔の自分と全く同じだと気がついて、さすがに驚いた。違うのは服装だけだ。あの霊毛ちゃんちゃんこはないし、足は裸足。そして全身、ずぶ濡れの泥だらけ。その泥にもほんの僅か、妖怪の気配の残滓がある。微かすぎてよく分からないけれど、これは……泥田坊か。

 沈黙したまま見上げてくる顔を見て、ああちくしょうそういうことかと理解した僕は、そいつを部屋に引き入れた。

 あっさり納得がいったのは、昔父さんに聞いたことがあったからだ。目に見えるものが全てではない、という言葉と共に――そもそも時間の流れは一本ではなく、別の時間の流れを持つ別の世界が存在して、それが何かのきっかけで交わることがあるのだ、と。
 おそらくこいつは、違う時間軸を生きている僕だ。何で来たのかは分からないけど、『そういう現象を引き起こすくらいの何かがあった』ことは、顔を見たら分かった。何せ本当によく知っている、昔の自分の顔なので。

 泥だらけの服は、脱がせて洗濯機に放り込んだ。洗いざらしのバスタオルで体を拭いて、そのまま被ってろと巻き付けてやった。何かの景品でもらった大判のバスタオルは、そいつをくるむのに充分なサイズがある。
 僕の言うことには素直に従うものの、そいつは全く喋らない。でも、喋る間でもない気がした。ちゃんちゃんこと下駄がない、つまり、その辺を全部失うか、もしくは全部放り出したいくらいの何かがあったことだけは、確実なのだ。
 中身が僕と同じようなタチなんだとしたら、喋りたければ喋るだろうし、嫌なら何を聞いても黙るだろう。だから僕は何も聞かないまま、適当に買っておいたインスタントのコーンスープを作って、差し出してやった。あと自分の分の粉茶も一杯淹れる。人間の文明も捨てたもんじゃない。
「ほら」
……いただきます」
 洗濯機の動く音と雨の音、遠雷の音。
 一人のとき、部屋の明かりを付ける習慣はない。見えるから支障がないのだ。そしてこいつも僕なんだとするなら、見えているだろうから――明かりは、付けずにおいた。
 静かにコーンスープのカップを傾ける横顔は、やっぱり昔の僕そのものだ。僕も並んで緑茶を啜って、五分か、十分か。そいつはようやく口を開いた。
「何も……聞かないんですか」
「その顔と格好で、だいたい分かるから。……ああでも一つだけ。お前、泥田坊を殺ったのか?」
 そいつはこくりと頷いて、再びカップを傾けた。
 泥田坊を相手にするような状況なんて、人間と妖怪の土地の奪い合いくらいしかないだろう。僕もだいぶ昔にやったことがあるから、知ってることだ。
「僕も一つ、聞かせてください。……その髪、染めてるんですか?」
「え? ああ」
 言われて、自分の髪を自分でくしゃりと撫でてみる。
「昔はお前と同じ色だったけど、何十年か前からこうなった。……父さんの色だ」
 丸い目がはっきりとこちらを注視する。
 この色を知らない、ということは……だ。
「お前のとこの父さんはまだ、目玉か?」
 そいつはまた一つ、こくりと頷いた。
「砂かけ婆の言ってたこと、本当だったんだ……その色で人間に混ざってたら、浮きませんか」
「バンドやってるとか美容師見習いとか言っとけば大丈夫」
 なるほどと小さく呟いて、そいつは多分初めて笑った。
 見た目より大幅に大人びた笑い方だったけれど、あまりにも弱々しくて――その後ろ側にあるぼろぼろの感情が伝わってきて、息が詰まる。
 そんな笑い方ができるくらいの目に遭ってきて、父さんが目玉で、更に泥田坊と殺し合いをするような状態ならと考えると、もう、それだけでそいつの背負ったものはほぼ見えた。
 多分、八割くらいは僕と同じ。ただ僕の場合は、途中で父さんが体を取り戻してくれた。だけどそいつはきっと、たった独りで体を張り続けてる。力を貸し合う仲間はいても自分より強い奴がいない、自分が負ければ全員死ぬ、勝てば強さを認められて、その分だけ自分の逃げ場はなくなって――結果、人と妖怪の間ですり潰されていくような。確証はないけれど、そう外してはいないはずだ。何せ僕も、父さんが体を取り戻すまでは、全く同じ状況だったので。

 ごちそうさま、と言いながら、そいつは部屋のローテーブルにカップを置いた。
「服が乾くまで……少しだけ、ここにいていいですか?」
「ああ。服が乾くか雨が止むか、どっちか遅い方で」
「ありがとう」
 雨に掻き消される寸前のか細い声が、心臓に突き刺さった気がした。
 だって、僕だから。僕もそうだったから。

 気がつけば、腕を伸ばしていた。タオルにくるまっている体は、簡単に抱え上げられるくらい小さくて軽くて――同じくらいの年だった頃の僕が求めていたことが、心の中に縁取られるように湧き上がる。時間の壁を破った覚えはないけれど、僕だって、やりかたを知っていたなら確実にやっていただろう。

 床の上に座ったまま、膝の上に載せた体に腕を回して、抱きしめて。
 二、三度背を撫でてやっただけで、驚きで硬直していたそいつの体から、がくりと力が抜けた。
――、」
 そいつが何か言ったが、近くに落ちた雷の音に掻き消されて、聞こえなかった。同時に、洗濯機の音が止まったことにも気がついた。マア停電したんだろう。だからといってそいつの体を放り出す気にはならない。
 雷のとどろく音が消えていく。雨音は濃くなる一方だけれど、次にそいつが呟いた声ははっきり聞こえてきた。
……くるしい」
 僕の肩に額を押しつけて、そいつはもう一度同じ言葉を繰り返した。
 ちいさな背中を撫でながら、僕はできるだけ柔らかく囁きかける。
「泣いちまえよ」
 父さんほど泣き上戸になれとは言わないけど。
 僕が水木さんの家を出て、そいつくらいの年になる頃までの間――泣いた回数より、泣いても無駄だと感情を呑みこんだ回数の方がずっと多かった。泣いても、誰にも助けてもらえないことを知っていたから。だから今ここで、昔の自分にも語りかける。
「大丈夫だから。僕しか見てないから」
 耳と体で、そいつがしゃくり上げるのを知る。僕は静かに背中を撫で続ける。
 人か妖怪かの戦いで、両方の怒りと痛みを引き受けて、……それを辛いと泣けば、父さんの重荷になってしまう。水木さんの愛情を裏切ることにもなる。たとえ妖怪の仲間や知り合いに話しても、単に伝わらないならまだマシで、酷ければ同族殺しの感傷だと後ろ指をさされてしまう。だからこの辛さは自分一人で背負わざるを得なくて――でもこいつは僕で、僕はこいつでもあるのなら。
 言うことは、たった一つだ。
「他に誰も、いないから」
 肩の上に染みる涙の感触。僕のシャツを掴むちいさな手。
 自分の声が掠れていることも、僕は隠そうと思わなかった。
……泣いちまえ」

 しゃくり上げる声はそのうち断続的になり、静かになって――泣き疲れたのか、そいつはバスタオルに埋まったまま、すっかり眠ってしまった。放っておく訳にもいかないので、万年床の布団に寝かせてやる。洗濯機は止まったままだ。
 寝息が響く部屋で、僕は煙草に火を付けた。
 紺色の箱に金の鳥が描かれた煙草は、今でも売ってるくらいのロングセラーで、でもマッチの入手は最近厳しくなってきた。もう製造しているところが絶滅危惧種らしい。だから水木さんが吸っていたのと完璧に同じとはいかなくなってしまったけど、適当に使える火種で吸っている。煙草の苦味に甘いバニラが混ざるこの香りは、今でも好きだ。多分、何百年でも好きだと思う。
 古びた布団で眠る茶色い頭を眺めながら、かつて水木さんの視界に映っていた僕もこんな感じだったのか、と思う。どういう思いで僕を見ていたのかは、僕は親になったことがないから、分かりようもない。でも今の僕の身長だけは、あの頃の水木さんとほぼ同じくらいだ。だからこの、煙を透かして見える光景はだいたい一緒の筈。
 そいつがうつ伏せで寝る癖も、あの頃の僕と一緒だ。
 枕に顔を半ば埋めたまま寝息を立てて、その口元がおとうさんと動くのを見て――何かたまらない気分が湧いてきたけれど、僕は煙草の煙ごと、涙混じりの叫びをぐっと呑みこんだ。

 外の雨音は続いている。
 洗濯機のスイッチを入れ直すのは雨が上がってからにしよう、そう決めた。