らい
2017-03-25 21:31:58
13231文字
Public レオいず
 

アインザッツにはなむけを

レオいず/ループする夢ノ咲からやっと卒業するふたりの話


2.

 随分と長い夢を見せられていた気がする。
 どこか悲しくて、懐かしくて、我を忘れて叫びたくなるような。


「ん...」
 まどろみから目を覚ませば、翠色にきらめく宝石がふたつ。驚いた泉がガタ、と上半身を起こすと、ぱちくりと瞬きをするレオの姿がそこにあった。
 レオは、ひとつ前の座席に腰かけていて、椅子の背もたれに顎をのせている。野良猫をあやすように「うっちゅ〜」とほほえんだので、泉は「はあ?」と首をかしげた。穏やかな声色が思いのほか温かかったから、反射的に「顔が近い」とそっぽを向いてしまう。ツンとした素振りの泉に、レオはわはは、と笑った。放課後の3年B組は、ひっそりと静まりかえっている。静寂に包まれた教室のなか、高らかに響きわたるレオの笑い声。上機嫌なメロディーが、無人の寂しさを打ち消していく。


「『顔が近い』だって?驚かせたなら、わるかった!」
「笑ってんじゃないよ、まったく。寝覚めの一発目があんたのアホヅラとか、チョ~ウザいんですけど」


 机に突っ伏して眠っていたので、額が痛む。さらには腕枕していたものだから、赤い跡がついているかもしれない。顔のかたちが崩れたら、チョ~最悪。泉はそんなことを考えながら、小さなあくびをこぼす。一方のレオはといえば、くちびるを尖らせながらいじけていた。18歳の男子高校生とは思えないほどに、幼い表情をぶらさげている。


「なんだよ。三年間も連れ添った人間に『チョ〜うざぁい』とは、何事だ!」
「『連れ添った』って、あのさぁ。夫婦みたいな表現は止めてよねぇ。気色悪いっての」
「だって、セナは良妻賢母じゃん。おれが保証しよう、わはは!」
「あんたに保証されてもねえ。そもそもの大前提として、俺は男なんですけど」
「男だろうが女だろうが、セナはセナだろ。ありがとう大好きだっ、愛してるよ!」
「だぁかぁらぁ、顔を近づけるなって言ってんでしょ?」
「せっきんちゅ〜!せっきんちゅ〜!」
「接近するなっつーの。パーソナルスペースってもんを考えなよねえ」
「わはは!騎士は卑劣に、大胆に!パーソナルスペース不可侵条約なんてもんは、粉々に破棄してくれるわ!」
「はあ?何なの、その意味不明な条約」
「きになる?」
「いや、まったく」
「遠慮するな!」
「べつに知りたくないってば」


 王さまが、直々に教えてやろう!───無邪気に両足を放り投げて、レオが椅子をよせてくる。もうじき卒業だというのに、天真爛漫を絵に描いたような男だ。子どものように笑いこける姿は、出会ったころから変わらない。


「近づきすぎない、離れすぎない。おれたちのお約束条項だろ?」
「そんなの、今はじめて聞いたんだけど」
「そりゃあ、いま作ったからな!」
……あんたの即興芸、もっと有益なことに使えないわけ?」
「もっと有益なことって例えば───って、ああっ!待って!答えは言わないで!考えさせ───てと宣言する前に、きたぞ、きたぞ!受信したっ!宇宙の彼方から舞い降りてきたっ!」
「まぁ~た始まった。人の話を聞けっての、このバカ殿」
「とめどなく湧き上がる妄想が、おれの宇宙にインスピレーションをもたらすっ!ああ~っセナ、おれを止めるな~っ!」
「どうせ、止めたって聞かないでしょうよ」
「よぉく分かってるじゃん!さすが、おれのセナ!」
「俺はあんたのものになった覚えはないんだけど───って、あ~もう!顔を近づけるなって、何度も説明させないでよねぇ。マジでウザイ!」


 いいかげん、ぶん殴るよぉ。泉は、レオの額にコツン、とこぶしを押しあてた。ルカたんが心配するから、暴力行為はだぁ〜め!橙色の前髪をふるふると揺らしながら、レオが制止する。


「わかった、わかったよ。『近づきすぎない』、ちゃんと守るから。普段のあいさつだって、このぐらいの距離からしてやるよ!」


 レオはぴょん、と跳ねて、二本指を目尻にそえる。「改めて、うっちゅ~!」とお決まりのポーズを披露するレオに、泉はやかましそうに目を細めた。『近づきすぎない』とは、なんだったのか。至近距離ではなくなっただけで、すぐそこで騒がれていることに変わりはない。


「普通に近いし。そのやかましい挨拶、マジでやめてくれる?」
「なんだよ、セナは相変わらずつれないな。あいさつは大事だぞ。国が違えば言葉も違う。約73億の人類が住むこの世界で唯一約束された共通言語だ!」
「このかげがえのない地球に住む人類の約73億分の1しか使ってない『うっちゅ~』の、一体どこが共通言語なわけぇ?」
「むむっ!失礼なやつめっ!『うっちゅ~』を積極的に推進してくれているおれのファンの子たちの存在も、そこにカウントしてからモノを言え!」
「あ~、そういえば最近は『うっちゅ~』のうちわの数も増えてきたし───って、あのさぁ」


 泉はガタ、と椅子を引いて、レオの首から垂れるネクタイをひっぱった。がらんどうの教室にふたりきり。その理由を思い出したからである。「なんだ!?クレーンゲームか!?そうだセナ、今度ゲーセンに行こう!カオルが言ってた、銃でばんばんゾンビを撃つやつ!」と能天気に言い放つレオを無視して、グイッと持ち上げる。はたから見るとカツアゲをしているようであるが、そんなことは今はどうでもいい。
 ふたりきりである前に、泉はずっとひとりで待っていたのだ。誰もいない教室で、無防備で眠りこけていたのには、それなりの理由があるわけで。ぐっすりと眠れるだけの時間があったということは、それだけの時間を待たされていたということである。泉は形の整った眉をゆがませて、低い声をしぼりだす。


「あんたさぁ。この俺を長々と待たせたことに対する『ごめんなさい』は、一言もないわけぇ!?」
「んぁ!?なんだっけ!わすれた!わすれたこともわすれた!こうして全ての記憶を失った王様は、悠久の時が流れる砂漠を彷徨い続けたのであった───がくっ」
「勝手に物語を作って死んだフリしてんじゃないよ!あのねえ、諸々の引継ぎ書類!リーダーのサインが必要でしょうが!それなのにアンタが中々捕まらないもんだから、かさくんが困って───」


 脱力状態のレオを激しく揺さぶると、レオは勢いのあるバネのように身体をバウンドさせた。わかったぞ、おれはやっぱり天才だなっ!頭の上に電球をピコンと光らせて、レオが手のひらにグーを振り下ろす。
 翠のまなざしが数センチの距離まで寄ってきて、泉は「条約破棄も大概にしなよぉ!」とレオの額を片手で食いとめる。レオは間髪いれずに「消えてなくなれ、セナバリア!」とその手を跳ねのけて、泉の両肩を揺さぶった。


「そうだ!そうだそうだそうだ!スオ~が家の用事ですぐに帰らなきゃいけないからって、セナが、探しに来てくれたんだった!」
「はい、正解。それで、俺はあんたに書類を渡した。そうしたら、アンタはささっとサインを書いて、『出してくる!』って走っていった。そして去り際に、なんて言ったんだっけ?」
……『書類を出し終わったら、久しぶりにいっしょにメシでも食いに行こう!だから、教室で待ってて!』……って、約束したな」
「はあ?覚えてんじゃん」


 ほんとうは覚えているくせに、わざと忘れたふりをしているのか。それとも、すっかり忘れてしまっただけなのか。低音で紡がれたレオの声色から察するに、恐らくは前者が正解であるような気がしたけれど、泉にはよくわからない。長年の付き合いになるのに、レオの真意はいつだって図りづらい。
 泉はひとまず 「ばぁか」とつぶやいて、レオの頬を人差し指でつつく。レオが「ごめんな」と苦笑いをこぼしたので、そのまま、すとんと席についた。少しくらいの言い訳ならば、聞いてやってもいいかもしれない。なんだかんだで甘いのだ、この男に対しては。けっして認めたくない事実だけれども。
 無言の視線を放りなげると、レオは「おまえはやさしいやつだなぁ。おれの話を聞いてくれるのか。ぐすん」と涙をぬぐうふりをする。そうして、座席にもういちど腰かけた。静まりかえった教室に、椅子のこすれる音が反響する。


「...いや、あのね」
「はい、なぁに」
「廊下でミッツと遭遇してさ」
……ああ、なずにゃんのところの」
「校内の飾りつけをしてたから、手伝ってやったんだけど」
「いや、あんた三年生でしょ?ヘルプに入る必要ないじゃん。何やってんの
「まぁまぁ、細かいことは気にするな。お肌が荒れちゃうぞ!」
「俺のスキンケアをナメないでよねえ」
「セナのほっぺたはスベスベだもんなぁ」
「ベタベタ触んないで。それで?」
「それでな。『せっかく仲良くなれたのに、もうすぐでバイバイなんて。とってもさびしいんだぜ!』、アイツが悲しそうに、そう言うんだよ」
「はあ」
「そっかぁ。なんか色々あったけど、もうすぐ卒業なんだなぁ。さすがのおれも、感傷の二文字がひしめく舞台に立ちつくしてしまったわけだ」
「うん」
「そんななか!廊下の窓から差しこむ夕陽の光を浴びていたら、青春のインスピレーションが脳を刺激してっ!」
「は?」
「メロディーの洪水が、次から次へとおれの脳に流れこんできてっ!」
………
「メモ帳はある!だがしかしペンがない!急いで取りに戻らなくっちゃ!『宇宙人と交信中なんだぜ~おれもUFOに乗りたいんだぜ~!』と羨ましがるミッツに別れを告げて、ポローン!演奏の始まりを告げる心のピアノとともに、よーいドン!駆け出したその瞬間!」
「話のオチ、チョ〜読めたんだけど」


 早々に立ち上がると、レオに腕をつかまれる。おまえは話のオチが読めたとしても、エンドロールまでちゃんと見届けるタイプだろ!少なくともおれと映画に行ったときは、そうだった!───レオに「しっとだうん!」とたどたどしい発音で命じられて、強制的に座らされる。泉はぷいっと視線をそらして、腕を組んだ。


「大方、椚先生にでも見つかったってオチでしょうよ。職員室に呼び出されて、『廊下を走るとは、見過ごせませんね』って。みっちり怒られたんでしょ、どうせ。わざわざ聞くまでもないと思うんだけどねえ」
おまえ天才だな
「えっ、マジで言ってんのそれ?」
「うん。おまえ正解!」
「は?」
「そういうわけだから、帰ってくるのが遅くなった。セナ、ごめん!」
……いや、えっ……はぁ~……?」


 いくらなんだってバカすぎるのでは?───あっけらかんと笑ってのけるレオに、開いたくちが塞がらない。卒業を間近に控えた三年生が、職員室に呼びだされるとは。情けないにもほどがある。今、ここに司がいたならば、血相を変えて叱っていたに違いなかった。「Leader!貴方というひとはぁ!」と胸倉を揺さぶるかもしれない。上品なお坊ちゃまであるのに、喧嘩番長のごとく怒り倒したりして。暴れる末っ子の説教シーンを想像して、泉はほくそ笑む。
 安心しなよ、かさくん。このアホには、ちゃんと言い聞かせておくからさ。
 泉は親指と人差し指で、レオの頬をつねった。


……遅刻の理由としては最高にバカバカしいけど、素で忘れてたってわけでもないし。まぁ、今回は特別に許してやってもいいけどぉ」
「あああああありがとう、セナ~っ!おれやっぱり、おまえのことがだいすきだっ!」
「はあ?言い争ってる時間がもったいないから、俺の優しさで許してやるっていってんの。勘違いしないでよねえ。ぶっちゃけ腹パンしてやりたいぐらい、ムカムカしてるんだからさぁ」
「王への反逆だな!?いいだろう、受けて立ってやる!」
「ジャッジメントは、もう、こりごりだってば。あーあ。あんたのせいで、ムダな時間を過ごしちゃったじゃん。チョ~ありえないんだけどぉ。最初から『ごめん』って理由さえ話してくれりゃあ、それで良かったのに。そうしたら、別にここまで長引いてなかったのにさぁ」


 ふたりでご飯を食べに行こう。ちいさな約束を忘れたふりをして、物事のいきさつを大げさに振り返って。遠回りをする必要なんて、特になかったのに。あきれ声で不満をもらすと、突然、レオの親指が伸びてきた。やさしく目尻をなでられる。泉はビクリと身じろいだ。


「おまえ、さみしそうな顔で眠ってたからさ」
「は?」
「おまえが目を覚ましたとき。いきなり『ごめん』から始まるのも、どうかと思って」


 そして気が付いたら、『うっちゅ~』って挨拶してた!わるかったよ。おれがわるいのは、わかってるから。───落ち着いた声色で語りかけるレオに、泉はふと思い出した。そういえば、なにかの夢を見ていたんだった。悲しくて、懐かしくて、我を忘れて叫びだしたくなるような。今となってはどんな夢であったのか、ちっとも思いだせないけれど。

 もうひとつ、気がついたことがある。レオは一体、いつごろ教室に戻ってきたのだろうか。もしかするとレオは、ずっと待っていてくれたのかもしれなかった。夢から覚めるまで、長いこと。椅子の背もたれに身体をあずけて、『ごめん』と『うっちゅ~』の天秤に揺られていたのだとしたら。きっと待ちぼうけは、お互いさまのことだった。


「なんか言い訳っぽくて、騎士らしくないな。今の、忘れて!」


 けれども素直になれない性分の泉は、ツンと目線をそらす。熱の灯った頬が、できるだけ見えないように。そうして不機嫌に装ったまなざしを、レオに放りなげた。
 あんたのほうこそ、待っていてくれたんじゃないの。ほんとうに伝えたい言葉は、喉の奥に押しこむことしかできないけれど。


「っ……卒業を控えた三年生がこっぴどく叱られるとか。マジでなにやってんの。無人の教室でずっと待たされてた俺の身にもなってよねえ?」
「うん。わるかった。セナはさ。そういうやつなんだもんなぁ」
「はぁ?」
「おれのこと。いつも待っててくれるんだ」


 ごめんな。そして、ありがとう。柔らかなトーンで、頭をやさしく撫でられる。泉はそっけなくその手を振り払おうとして───されるがままに、受け入れることにした。髪に触れるレオの手に、確かな温もりがあるように感じられたから。
 くしゃり。
 紙と紙がこすれるような音が聞こえた気がして、泉はハッと顔をあげた。得体の知れないノイズは、レオの声に覆い隠されてしまったけれど。


「よし、帰るか!」


 レオはそう言うなり、床に放り投げてあるスクールバッグをリュックのように担ぎはじめる。そして、「いざ、出陣!」と教室を飛びだしてしまった。脳回路がロケットのような男である。泉は苦笑しながら、隣の机に置いていた鞄をつかむ。三年生はもうすぐ卒業式を控えているので、授業らしい授業は、ほとんどない。軽々しく持ちあがった鞄を片手に握りしめて、泉は教室の前方をなんとなく見やった。静寂に包まれた空間のなか、濃厚な影で着色された黒板が、無言で泉を見つめている。ブラックホールのごとく、泉の瞳を招いている。ふと気を抜けば吸い込まれてしまうような、そんな錯覚に襲われた。


「セナ、帰るぞ~?」


 遠ざかったはずの足音が逆流してきて、泉はもういちど顔を上げた。一応、心配になって戻ってきてくれたらしい。教室の入り口からひょっこり顔を出すレオに、泉はおもわず笑ってしまった。


……なんだよ。ひとの顔を見るなり笑うな!がるるるるる!」
「はは。ごめん」


 いま行くよ。泉はそう呟いて、薄っぺらい鞄を持ちなおした。まさか、戻ってきてくれるとは思わなかった。とっとと先に行ってしまうものだとばかり思っていたから。物理的に、どういうわけだか精神的に。


 近づきすぎるのは困りものだけど、離れすぎたときには戻ってきてくれる。眠りから覚めるまで、待っていてくれる。
 あんただって、多分そういうやつだよ。そういうやつに、なれたんだよ。