らい
2017-03-25 21:31:58
13231文字
Public レオいず
 

アインザッツにはなむけを

レオいず/ループする夢ノ咲からやっと卒業するふたりの話



1.

 これは夢だ。

 折り紙のチェーンと、コサージュの花園。在校生によって彩られた飾りつけが、廊下いっぱいを埋めつくす。三年生の旅立ちを控えた学院内は、どこもかしこも卒業の気配にとらわれている。否応なしに春の訪れを感じさせる花道がひらけていた。
 泉のすぐ目の前には、レオが歩いている。窓から射しこむ夕焼けのひかりに照らされて、後頭部がみかん色にとけていた。聖火台に揺らめく炎みたいに、髪のしっぽが燃えている。
 ギターの弦を弾くように、陽気なダンスを踊りつづけるくちびるから、幼さの残る八重歯がのぞく。屈託のない笑みを揺らして、レオがなにかを喋っている。ところが、耳をいくら研ぎ澄ませても、レオの声は聞こえない。一昔前の無声映画さながらに、口元だけがうごめいていた。夕陽の残骸に焼かれても回りつづける、音を亡くしたフィルムのようだった。

 王さま、一体なにを言ってんだか全然わかんないよ。

 泉がそう尋ねると、急に場面が切りかわる。たそがれ色の世界に、まだら模様の砂嵐が吹き荒れた。
 キンコンカンコン。キンコンカンコン。キンコンカンコン。
 授業の終わりを知らせるチャイムが、耳の奥で炸裂する。ノイズ混じりの不協和音に耳をふさげば、泉はいつのまにか校門の前に立っていた。眼下に広がる景色に、春が芽吹く。真っ赤な空に雪を降らすように、桜の花びらが浮遊している。卒業シーズンに、満開の桜が咲き乱れているなんて。本格的な開花はまだ先の話で、例年ならば入学式にピークを迎えるはずである。一体なにが起きているのだろう。泉の疑問をかき消すように、早咲きの桜たちが舞い散った。四月をさきどりして、三月をきれいさっぱり上書きするみたいに。
 あれやこれやと考えていると、桜の花びらが空中でフリーズした。ボトッ、ボトッ。粘着質な音を奏でながら、あっけなく墜落していく。泉のつま先に落っこちたはずの花びらは、見る影もない泥んこになっていた。


「セナ」


 半歩前を歩いていたレオが、校門をまたぐ前に振り返る。やっと声が聞こえたと思ったら、今度は、その顔が見えなかった。一枚の楽譜によって、レオの表情が隠されていたからである。上下逆さまのト音記号と、でたらめに配置されたドレミファソラシド。そこに描かれているのは、まったく意味をなさない譜面だった。唯一、ダ・カーポの反復記号だけは、まともに綴られていた。不気味以外の何物でもなかった。
 ぐちゃぐちゃに描かれたメロディーが、チカチカと点滅しはじめる。赤に切りかわる直前の横断信号みたいに、まばたきを繰りかえす。さようなら。残念でした。また会う日まで!無機質に奏でられるメロディーが、残酷に踊った。


「おれたち、また、卒業できなかった」


 小鳥がささやくように、頼りない声でレオがつぶやいた。
 おれたち?また?卒業できなかった?
 レオの言葉を噛みくだこうとして、その意味が理解できずに泉はかぶりを振った。卒業できないなんて、そんなこと絶対にありえない。だって、素行不良の問題児ではなかったし。Knightsとして、瀬名泉個人として、確かな実績を残しているのだから。『王さま』だって、そうだ。長きにわたる不登校期間を乗りこえて、この春、めでたく卒業が決まったはずではなかったのか。
 あとは、卒業式を迎えるだけだというのに。こいつは一体、なにをいっているんだ。渇いた喉は震えるだけで、何の音にもならなかった。


「次こそは、ちゃんと」


 混信を極めたラジオのように、レオの声が乱れ散る。校門の向こうに歩きはじめるレオに、泉はおもわず手を伸ばした。指一本すら届かないどこかに消えてしまう気がした。予測不能な行動には慣れたものだけれど、失うことには慣れないままだった。

 ちゃんと、ってなに?
 次って、なに?
 ちょっと、待ちなよ!

 声を荒げたとたん、ふたりのあいだに春の風が吹き抜けた。泥のかたまりと化した桜の花びらたちが、ふたたび桃の香りを取りもどして、空高く舞い上がる。
 行くな。
 行くな。
 行くな。
 がむしゃらにレオの腕をつかむと、くしゃ、と紙を丸めたときの、耳障りのよい音が鳴りひびく。突然の違和感に目線を下ろせば、慌てて捕まえたはずのレオは、そこにはいなかった。五線譜の上から『D.C.』と塗りつぶされた、数十枚の楽譜にすりかわっていた。

 ねえ、今度はどこに消えるの?あんたも、俺も。
 泉は、レオの腕から───落書きだらけの楽譜から、そっと手をはなす。桜吹雪のように散りゆく楽譜たちは、夕焼けの彼方に舞っていく。上空に伸ばした自分の指先がすこしずつ溶けて、桜の花びらになっていくのが見えた。

 王さまが消えて、自分も消える。はじめて見る夢のはずなのに、どこか懐かしい夢だった。
 これは、ただの夢だ。でも、本当に?幾億も繰り返してきた思い出のように感じられるのは、一体、どうして?

 おれも気が向いたら眠るから、おやすみ。

 記憶の底で再生される穏やかな声に身をあずけて、泉はゆっくりと目を閉じた。