らい
2016-04-11 22:45:23
7498文字
Public レオいず
 

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レオいず♀/瀬名女体化



 数分ほど歩いたところでボート乗り場に辿り着く。年季の入った赤い屋根の下、三組ほどの客が並ぶ待機列に足を滑り込ませると、レオはきょろきょろと周囲を見回した。白いボートに綴られた料金表を指差しながら、泉にぐいと顔を近づける。


「どっちにする?普通のボートと、アヒルさんボー」
「普通のやつでいい!」
「早っ!クイズ番組の早押し大会だったら優勝を狙える速さだな、F1級のハイスピードだったぞ!わはは」
「ねえ、絶対に普通のやつにしてよ!?フリじゃないからねえ!」
わかってる。わかってますってば」


 列が進み、順番が回ってくる。レオが「普通のボートでお願いしまぁす」と無邪気な声で伝えると、係員が「30分600円です」と返答をよこした。レオは「はいはぁい」と気前よく返事して、尻ポケットから財布を取り出した。昨年、レオの誕生日にプレゼントした長財布である。来月の誕生日でちょうど"1歳"を迎えることになる。時の流れというものは本当に早い。


「よし、乗るかあ」


 天に向かって両腕を大きく伸ばしながら、レオはさっさとボートに歩み寄った。泉はその後ろに続く。水面に繋ぎ止められたボートが、ゆらゆらと浮いている。想定外に不安定な揺らめきに、泉は一瞬、尻ごみして立ち留まった。


「んー?どうしたー?」
「え?ごめん。何でもない」
「ふうん?……ほら、こっち来な」


 ボートに乗り込んだレオが、爽やかに微笑んだ。颯爽と手の平を差し出すレオの立ち姿は、おとぎ話に登場する王子様さながらに煌めいている。さすが夢ノ咲学院の元アイドル、校内中の女子から『レオ様』と慕われていただけのことはある。
 もっとも、『レオ様』でいられたのは、ほんの僅かな期間であったけれど。それでも、泉の記憶には、いつだって。たった一人の王子様である月永レオが生きているのだ。

 泉は緩やかな足取りでボートに近づく。そして、レオの手を静かに絡めた。足を持ち上げて、ボートに乗り込む。ぐら、と揺れるヒールに、少しだけ、よろけた。


「だいじょーぶ?」


 まっすぐ見つめられながら、レオに抱き留められる。翠の眼差しに照らされて、泉は「ありがと」と小声で俯いた。セナは相変わらず照れ屋さんだなあ。軽快に声を上げるレオに、泉はツンと視線を逸らす。放り投げた視界の先には、水面がじわじわと波打っていた。
 レオはパーカーの袖をまくり、オールを握り締める。


 「それじゃあ、出発するかーっ。係員さん、ばいばぁい!」


 ぶんぶん、と大げさに手を振るレオに、泉は「ばか」と苦笑した。



 ぽちゃ、ぽちゃ、と水を掻きわけて、ボートが滑るように進んでいく。ボートに乗ったのは、何年ぶりのことだろうか。今よりもうんと小さいころ、母親と父親の三人で乗ったきりではないだろうか。懐かしい思い出は、大人になった今でも脳裏に色濃く焼き付いている。あの頃もたぶん同じ光景を見た。春の香りに包まれた風に、髪が靡いて。青空のキャンバスに散りばめられた桜の花びら。カモの親子が悠々と行進していく姿に、蒼い瞳を白く煌かせたものだった。泉ちゃんも、いつか大人になったら、だいすきな男の子とボートに乗る日がくるのね。そう言った母親の微笑みに、当時は首を傾げるばかりだったけれど。今ではその意味が分かる気がする。


「セナ、楽しい?」
うん」
「おっ、素直だなあ」
「悪い?」
「いいや。おれは、嬉しいよ」


 岸からだいぶ遠ざかったところで、レオはオールを漕いでいる手を緩めた。船体が静止して、ふたりの間に風だけが通り抜ける。


いや、なんつーかさ。学院時代のおまえはさ、さぼてんみたいにツンツンしてただろ」
「ねえ、ちょっと。さぼてんって何?もっとマトモな表現ないわけぇ?」
「まぁそれは置いといてだな。……最近は、ちょっとずつ本音をこぼしてくれるようになったじゃん」
……そう?」
「うん。……昔、学院時代のおれは、おまえに守られてばっかりだったから。それどころか、不登校になっておまえのことを放ったらかしにして、しまいにゃKnightsからもトンズラしちゃったけど。……おれもようやく、おまえが本音を預けられるような、信頼に値する王さまになれたんだなあって」
急にどうしたの。しんみりしちゃってさあ」
「いや、さっき車の中でさ。一年は、あっという間だなあって話、しただろ」
あー、うん」
「あっという間すぎて、伝えそびれちゃいそうだからさ。なんとなく、言っておこうと思ったんだ。本当に、なんとなく。べつに何があったってわけじゃないんだけど」
チョ~珍しいね、あんたがそういうこと言うなんて」


 右耳に髪を掛けながら、泉はレオを真っ直ぐに見つめる。レオは困ったように目を細めたあとで、豪快に笑ってのけた。


わはは、桜の儚さに思考回路はショート寸前!今すぐ会いたい元アイドル月永レオ様!なぁんか感傷モードになっちゃった?よぉし、次の新曲はセンチメンタルな短調クラシックで決まりだな!」
何それ」
「まぁ今のは綺麗さっぱり、泥水を洗い流すシャワーのごとく忘れてくれ!春の香りに酔いしれた、王さまのしがない寝言ってことで―――


 なぁに言ってんの。まぁた勝手に自己完結して。チョ~うざぁい。―――再びオールに手を掛けたレオの手首を掴んで、泉はくちびるを開いた。


「昔から信じてたよ、あんたのことは。出会ってから、ずっと。学院からいなくなってからも、ずっと。ようやく戻ってきてくれたときだって、卒業してからも、今だって、……ずっと」


 レオの手の甲を、五本指でぎゅっと包み込む。掌から伝わる温度に泉はふふ、と笑った。


「五年後、十年後、いやもっと、二十年後や三十年後だって、きっと、あっという間に過ぎ去るだろうけど。……あんたの隣、もう二度と離れるつもりないからねえ」
セナ」
「これでもあんたのこと、あんたが思ってる以上に好きなんだから。……毎年『あっという間だった』って思えるくらい、愉快な毎日を味わせてあげる。……せいぜい覚悟、……しなよ、……ねえ」


 語尾がどんどん小さくなってゆく。想像以上に恥ずかしい台詞をぶつけてしまったことに気が付いて、泉は懸命に頬の筋肉を意識しながら、無表情を作り出す。ボートの傍らでちゃぷ、ちゃぷ、と音を立てている水音が、妙に大きく反響した。蝋燭のように頬に熱が灯っていくのを感じる。ああ、この頬に蔓延する熱は、水のなかに飛び込めば消えてなくなるのだろうか。恥ずかしい。本当に恥ずかしい。
 徐々にうなだれていく泉の両頬をレオが持ち上げたのは、数秒も経たないころだった。レオは腰を浮かせて、泉の目の前に身を乗り出した。濁り一つない翠の光が泉を射抜く。レオはとろける笑みをぶら下げて、ふにゃりと目を薄くした。


「だいすきだよ」


 レオは首を傾けながら、ちゅ、と唇を押し付けた。柔らかな口付けに意識を攫われそうになりながら、泉はレオの袖をきゅ、と握りしめた。


あ)


 くちびるが離れたあと、レオの肩越しから飛び込んでくる視界いっぱいの桜の花々に、たまらず息を呑む。ちいさな頃から幾度も見慣れている景色であるはずなのに。青空、桜、湖、花、葉っぱの色、鮮明な彩りが春風に乗って、泉の網膜を貫いた。晴れやかに彩られた一年の始まりに、泉の心はふわりと花開く。このありふれた日常に塗られた色彩が、ずっと途絶えないでいてほしい。泉は春の夢に溺れるように、静かに目を閉じた。