らい
2015-11-23 20:38:14
14095文字
Public りついず
 

オートフォーカスの終着点

りついず♀→まこ③/瀬名女体化/「男の子になった日」→「わたしに傘をくれたひと」→これ


2.


「ゆうくん、今日もきれいだなあ。かわいいなあ」


 泉はスマートフォンのホーム画面に設定された”ゆうくん”の写真を食い入るように眺めている。翌日の朝、昼、放課後のユニット練習の時間を迎えても、泉は”ゆうくん”を取り巻く状況の変化に気付いていないようだった。恒例の”ゆうくんタイム”に興じる泉の頬は、王子様の迎えを待つお姫様のような朱色に染まっている。気難しいメス猫と揶揄される泉の影は、跡形もなく消えていた。

 妄信的なファンが見たなら、たぶん卒倒するだろうねえ。―――凛月はスポーツドリンクに唇をくっつけながら、隣でうっとりと目を細める泉のスマートフォンを覗き込む。長方形の空間には、ステージ上でマイクを掲げる遊木真のベストショットが窮屈そうに埋め込まれていた。きらびやかに踊る金髪と、にこやかに照り続ける翠の瞳。泉のこころをさらい続けている眼鏡の王子様が、そこに収められている。


ちょっと。勝手に見ないでよねえ?」


 視界いっぱいに映り込んでいた画面が、突如として真っ暗に染まる。その直後に、スマートフォンが泉の胸にしまい込まれた。五秒前までの”お姫様”はあっという間に消息不明となり、氷柱の眼差しを持つ冷淡な騎士の姿が、交代で現れる。魔法が解けるの、早すぎなんですけど。ごく、ごくと喉ぼとけを揺らしながら、凛月は甘酸っぱい液体を飲み干した。


ぷは。……本当に見られたくないなら、トイレに行って確認するなり何なり、盗み見対策してくんないかなあ。堂々と『きれい、かわいい、だきしめて♡』なぁんてお花畑みたいな顔しちゃってるとこ見たら、いくらなんでも『このひと大丈夫?』って不安になるでしょ」
「不審者扱いしないでくれるぅ?っていうか、なに?『きれい』と『かわいい』と、最後の、いったい何?ねえ、ちょっと待って」
「考えさせて?」
「アイツの話はしてない!」
「ス~ちゃんとナッちゃんも、そろそろ王さまを見つけてる頃かなあ」
「話を逸らすな!あのねえ!私、『だきしめて』なんて、一言もいってないんだけどぉ?」
「俺にはセッちゃんの顔がそう訴えてるようにしか見えないんですけど」
「はあ?ケンカ売ってんの?」
「べつに売ってはいないけど、セッちゃんに勝つ自信はあるよ」
とにかく!ゆうくんは、ちゃんと段階を踏んでくれるし。いきなり抱きしめるとか、しないから」
「それってさあ、女子の幻想だよねえ。男は基本的に野蛮な生き物だよ。AとBをすっ飛ばして、欲望の赴くままZにショートカットするヤツが多いよこの世の中は。男は、牙を剥く狼だからねえ?」
「牙を剥く狼は、くまくんだけでしょ」


 寝ぼけてる時とか、誰彼構わず布団にひきずり込むくせに。チョーうざぁい!―――泉はぷいっと顔をそむけて、再度スマートフォンの王子様を見つめる。ゆうくん、愛してるよお、と瞳をうるませる泉は、この時ばかりはただの17歳で、恋する女の子で、欲まみれの飢えた狼に出会うことなく物語を終える赤ずきんのようだった。ピースを余すことなく組み立てられた、純然たる容貌。そこから時折こぼれ落ちる甘ったるい表情が、凛月にはすこし微笑ましい。理由は、と問われても、心臓がモヤモヤするばかりで、明確な答えを弾き出すことはできないけれども。毛布の中に引っ張って、腕の中にしまい込んでおきたいような心地よさを覚えてしまう。

 バニラアイスに絡みあう蜂蜜のように、泉の横顔がとろけていく。凛月の口元はつい緩みそうになったけれど―――こぼれかけた笑みが、自然な形として成り立つことはなかった。歪んだ角度に引きつったまま、古びた石像のように硬直するだけだった。

 遊木真には、好きな女の子がいる。その好きな女の子は、先日、彼女という肩書に変化した。”好きな女の子”も、”彼女”も、双方ともに瀬名泉ではない。――昨晩、真緒から聞かされた話を思い出したからだった。泉はそのことを知らない。真は伝えていない。凛月も伝えていない。

 愛しい過去のなかで生き続ける王子様には、こころに決めた相手がいる。その事実を認知したとき、泉の瞳にはなにが映るのだろうか。


「セッちゃん」
「なぁに」
「ゆうくんは」


 セッちゃんのことなんて、もう、見てくれないと思うよ。――辛辣なことばは、喉の奥に流し込む。胃に送り届けた言葉のかわりに「……かわいいよね」と思ってもないことを続けると、泉は案の定、「はあ!?かわいいって何!?ゆうくんのこと狙ってるの!?くまくんには絶対に渡さないから!」と斜め上の返答を投げてきた。それから数秒と経たずに、「でもまぁ、ゆうくんを見る目はあるみたいだから、許してやってあげてもいいけどねえ」と柔らかな笑みを向けられる。普段はツンとした顔が月明かりのようにきれいに溶けていた。ろうそくの小さな火に灯されたように、凛月の頬がほんのり熱を帯びていく。わずかに見惚れてしまったことを、凛月は心の底から後悔した。


 遊木真は一秒でも早く、ほんとうの事実を伝えてやってほしい。伝えてやってほしいと願うのに、どちらの選択が正解であるのか、凛月には分かりかねていた。遅かれ早かれ、泉は真実を知る。辿る末路が同じ結末であるのなら、なにを選んでも変わらないはずなのに。

 想いが潰えたとき、王子様に恋する泉のきらめきは、きっと永遠に失われる。愛しい過去に切り捨てられたとき、泉にはなにが残るのだろうかと考えた。他人に興味はないけれど、ひとりぼっちで置き去りにされることの寂しさを、凛月はいやというほど知っている。がらんどうの世界に放り出される泉がいたたまれない。その一方で、ひとりぼっちになった彼女の手を掴んでやれたなら―――淡い願望が芽吹きかけていることに、驚愕を禁じ得なかった。

 瀬名泉はKnightsのメンバーで。時折ちょっかいを出したくなる、最高のおもちゃで―――胃の底から噴きあがる嫌悪感に、凛月は首を振る。泉に対するこの感情の名前は一体、何だというのか。それ以上に、ひとの不幸をみずからの好機に変えようとしている自分が、非常にみにくい生き物に思えてならない。牙を剥く狼なんて、きっと比較対象にもならないように思われた。

 自分が、自分であるために。泉が、泉であるために。たった一人の王子様に瞳を輝かせる瀬名泉の刹那が、ずっと永遠に続けばいいのに―――おとぎ話に恋焦がれる少女のような発想に辟易する。真緒の家で、ひたすら漫画ばかり読み漁っていたせいだろうか。いささか思考回路が柔軟になりすぎているような気がした。凛月はあーあ、と溜め息を漏らしながら、鈍重な動作で立ち上がった。


「どこ行くの、くまくん」
「おさんぽ」
「はあ?レッスン、どうするの?」
「休憩時間、延長ってことで」
「ちょっと、勝手に決めないでよね。あとで、かさくんに怒られても知らないよ?」
「すぐに戻るから、大丈夫」


 胸の奥に引っ掛かるモヤモヤが、キレイさっぱり無くなるといいのに。肺に渦巻く感情も、進み始める時計の針も、ぜんぶぜんぶ、元に戻ればいいのに。凛月は眉間に皺を寄せながら、レッスンルームを出た。


 真、瀬名先輩にちゃんと伝えたらしいぞ。
 その話を真緒から聞かされたのは、一週間後のことだった。