らい
2015-11-23 20:38:14
14095文字
Public りついず
 

オートフォーカスの終着点

りついず♀→まこ③/瀬名女体化/「男の子になった日」→「わたしに傘をくれたひと」→これ


1.

 兄との接触は極力、減らしたい。自宅に帰ることを嫌う凛月は、十年来の幼なじみである衣更真緒の家にしょっちゅう転がり込んでいる。日付をまたぐ寸前まで居座ることもあれば、翌日の朝まで泊まり込むこともあるのだけれど、最近ではその日のうちに強制送還されることが多くなっていた。心配性の真緒が「たまには家に戻ってやれよ」と、兄である零に気を遣うからである。「やだ。帰りたくない」と駄々をこねると、心優しい幼なじみは「ギリギリまで居てもいいから。週に二回は、泊まってもいいから。それ以外は帰ること」と、制約付きの滞在権を与えてくれた。

 今日は、"それ以外"の日であった。日付が変わる前には絶対的に帰らなければならない。夕飯のカレーを食べて、真緒の妹とおしゃべりして、真緒の部屋でのんびり過ごして。"それ以外"の日ではあるけれど、"いつも"と変わらない一日のはずだった。ところが、今日は"いつも"とは異なる変化が生じた。
 しわ一つなく敷かれたベッドの上に寝転がりながら、真緒の愛読書であるバスケットボール漫画を1巻から読み漁っていたときのことである。
 真緒が突然、告げたのだ。


「真、付き合うことになったって」


 部屋の壁ぎわに配置された小型のテレビから、バラエティ番組の笑い声が流れている。液晶画面の向こう側で繰り広げられる芸人たちの茶番が、プールの中に響き渡る水音のようにくぐもった。相手校に惨敗を喫した主人公がボロ泣きしているコマから、凛月は静かに視線を外す。脳に飛び交う疑問符が「え?」と一つの音に変化したのは、真緒の報告を受けてから数秒後のことだった。

 ちょっと待って。考えさせて。―――Knightsの王様さながらの口癖が思い返される。情報過多ともいえる真緒の報告に、脳内の処理が追いつかない。

 ”まこと”って、どの”まこと”のこと?
 ”まこと”が、”だれ”と?
 どうして”俺”に言ってくるわけ?

 クエスチョンマークの洪水を食い止めるには、順序立てて答えを導き出す必要があった。凛月は目を細めながら一考する。まずは、そもそもの前提である”まこと”の存在を定義しなければならない。随所に張り巡らされた神経回路を活性化させながら、じっくりと思案する。ま~くん。まこと。誰か。俺。脳の各所でまばらに浮遊する点と点が、ようやく線に繋がった。

 Trickstarの遊木真。話の主題が遊木真であると判明した瞬間、霧の掛かった謎が連鎖的に答えとなって、凛月の胸にストンと落ちた。


 今日のレッスンは一時間ぶっ続けで大変だったとか、スバルと北斗の喧嘩の仲裁に苦労しているとか、クラスメイトのあの子とアイツが付き合っているとか、真緒とは他愛のない話を頻繁に交わすのだけれども―――そのなかに時折、真の話が交ざることもあった。真に好きな女の子がいるということは、真緒とのやりとりで前々から聞いていた。聞いたところによれば、遊木真という人物は、女子とのコミュニケーションが不得手な純情少年という話だったのだけれど。まさか、めでたく交際に発展するとは、凛月も予想していなかった。恋愛御法度のアイドル養成学校で、ましてや交流下手の眼鏡くんが、"彼女を作った"という偉業を成し遂げたのである。まったく大したものだと、密かに感心した。

 遊木真とは、ほとんど接点がない。クラスもユニットも部活も異なるし、趣味嗜好の共通点があるわけでもない。真緒が介在しなければ、赤の他人以下の関係である。真の交遊関係を知り得たところで、そこに生じるものは何もない。”どうでもいい”の一言に尽きるはずだった。しかしながら、自分には全くの関連性のない話だと切り捨てることが出来ずにいた。遊木真を執拗に好いている、Knightsのメンバー。つついたら反応する、凛月にとっては愉快極まりないおもちゃ―――瀬名泉のことを、ふと思い出したからである。

 凛月は読みかけの漫画をぱたりと閉じて、自身の傍に置いた。ベッドから少しばかり離れたテーブルには真緒がいる。真緒は右手で数学の宿題を解きながら、左手でスマホをいじくり回していた。


セッちゃ」
「瀬名先輩、真のこと好きだったろ」


 完全に言い切る前に、真緒が続けた。ワハハ、と乱れ飛ぶテレビの歓声を耳に受けながら、凛月はぽかんと口を開けた。真緒の反応は、正直のところ意外であった。どちらかといえば真緒は、泉の存在を敵視しているからである。かけがえのない仲間である真を”人形”と蔑称したことがある泉に、眉をひそめて苦言を呈していたほどだった。苦手な先輩といえども、いちど接点を持ってしまった以上は放っておけないのだろうか。幼なじみはいつだって優しかった。たまに胃を壊してしまわないか心底、身を案じてしまうけれども。


……ま~くんの口から、セッちゃんの話題が出るとは思わなかった」
……そりゃあ。……瀬名先輩は俺の得意なタイプじゃないけどさ。……ほら、真のこと、常に追いかけ回してただろ?」
……うん」
……それを知ってただけにな。なんていうか、複雑な心境っつーか」
「複雑な心境ねえ。……ま~くん、ほんと優しすぎじゃない?苦手なはずのセッちゃんのことも思いやるなんてさあ。そのうち修羅場に巻き込まれて、勘違い女に刺されるかもよ」
「無表情でサラッと怖いこと言うなよな」
「イサラだけに」
「お前なあ


 引き攣った口元をヒクヒクと震わせる真緒に、凛月はフフ、と笑う。バラエティ番組はCMに入り、ふたりの間を横切るようにリップグロスの宣伝が流れた。セッちゃんに似合いそう。若手女優のくちびるを彩るコーラルピンクの光沢に、凛月はなにげなく泉の存在を思い浮かべる。ゆうくんにカサカサの唇は見せられないと、常にリップを塗っていた。泉は、美にたいそう気を遣っていた。手持ちの鏡でよく前髪を気にしていたし、化粧ポーチとともにトイレに駆け込む姿を、凛月はしょっちゅう見かけていた。いかなる時も優美であろうとしていた彼女の姿が、眼孔の裏側を駆け抜ける。

 幼いころからモデル界の一線にいる彼女の美意識は、もともと高かった。真にフラれたところで、泉の美に対する努力の姿勢は崩落しないだろうけれど。”ゆうくんのため”に美しくあろうとする泉は、どんな化粧をするよりもきっと可愛かった。そんな泉は、凛月にとって―――形容しがたい苛立ちを覚えて、凛月はゴホンと咳払いをした。


「おいおい、大丈夫かよ。……風邪?」
……ううん。違う」
「だったら、いいけど。急に咳払いなんかするから、ビックリしたぞ」
「おじいちゃんだからねえ」
はいはい」


 真緒は呆れ返った口調で、凛月の冗談をさらりと流す。CMが明けたチャンネルから、タレントたちの笑い声が響き渡った。番組が開始してから一度たりとも見ていないので、彼らがなぜ笑っているのか、凛月にはちっとも分からない。真緒はリモコンを片手に取って、チャンネルを変えた。大方、似たようなことを考えていたのかもしれない。テレビは一周して、雑音の少ないニュース番組に切り替わった。紺の背広に赤いネクタイ姿の男性キャスターが、大手企業の汚職事件に関する記事を読み上げている。この国で確かに起きている出来事であるのに、異世界の宇宙言語に聞こえてしまう。またしても凛月にはピンと来ない内容だった。


ところでさ」


 数学のノートと睨めっこしながら、真緒は問いかける。凛月は首を傾げながら、真緒に焦点を合わせた。


「ん?」
「大丈夫かなって」
「なにが」
「さっきの話の続き」
あー。……セッちゃんのこと?」
「うん。瀬名先輩」
なんで俺に聞くの」
「お前と瀬名先輩、仲いいだろ」
……えー?」
「俺には、そう見えるけど」
……ま~くん、眼科に行ったほうがいいんじゃない?」
「ひでーなあ。……まぁ、仲の程度はさておき。……瀬名先輩、あれでも一応、女の子だろ」
……あー、うん。……どうだろうね。……どうなるんだろ」
………
……『屋上からその女とゆうくんを落として私も落ちる』とか言ってたことは、あるけど」
「マジかよ」
「うん」
「どこまでが本気かわかんねえな、それ」


 屋上から全員まとめて突き落とされたら、マジでシャレになんなくねえ?―――深刻そうに額を抱える真緒に、「ま~くん、それはさすがにないんじゃない?」と小さく笑う。自ら進んで茨の道を選びたがる幼なじみに失笑しながら、凛月は漠然と考えた。

 きっと、すこし前の自分なら、真緒と同じように『本気でやりかねない』と予想していた。けれども、今は分からなくなっていた。
 私は、絶対に、弱くない。―――昼休みを共に過ごしたあの日。華奢な手首を掴みそこねた、昼下がりから。


(ゆうくんに、好きな女の子ができたって聞かされてから。セッちゃんをなんとなく目で追うようになって。わりと近くにいるようになって)
(けっこう一緒にいたと思ってたけど、こういう時の反応っていうのはよくわからない)
(思ったより、一緒にいたわけじゃなかったのかもしれない)


 クラスどころか学年も違うのだから、至極当然の話であった。幼なじみのように親しい間柄でもなければ、泉の彼氏でもないのだし―――得体の知れない不快感が胸をえぐった。凛月は眉を歪めながら、空いた左手で後頭部を掻きむしる。肺に降り積もった息苦しさから逃げるように目線を上げると、真緒はあっという間に宿題を終えていた。ちょうどシャープペンシルを置いたところだった。


ま~くん」
「ん?」
「ゆうくんは、なんて言ってたの。セッちゃんには、もう伝えたの?」
「いや。……はっきりと伝えるとは、言ってたけど。多分、これからなんだと思う」
「はやく伝えてやんないと、ややこしいことになる。と、思うけど」
「それは、俺もきつく言ってある」
そっか」
おう」
平和に終わると、いいけどね」



 淡々とした呟きに真緒はなにかを言いかけたけれど、その唇は即座に閉じられた。ややあって、凛月のつぶやきに追従するはずだった一言は、「そうだな!」という屈託のない笑みにすり替わった。

 赤ん坊の頃から、家族同然のように過ごしているのだ。真緒の言わんとしていることは、すぐに分かった。平和に終わると、いいけどね―――希望的観測にも程がある。誰ひとり傷つかない物語などありはしない。心やさしい幼なじみは、きれいごとに相反する事実を、清々しい笑顔の裏に呑み込んだのだ。

 凛月は短い息を吐いて、隣に放置したままの漫画をもういちど開いた。今しがた読んでいたシーンを見失い、適当にページをめくる。主人公とヒロインが頬を赤らめながら、月夜の帰り道を歩いていた。凛月はそのシーンを三秒ほど見つめたあとで、そっと本を閉じた。