忘れ物はリボンをかけて

バレンタインデー小話。アンとリューと子ウィルが出てくる現パロです。
ただのバカップル。






 アパートを出て数歩も歩けば顔の火照りは落ち着いた。ぱたぱた追いかけてきた少年を待って、その背にランドセルを返してやる。

「アンあのね。リューがね、またおいでって言ってたよ。それから今度のお休みあいてたらね、よかったらスケートに行かないかって、アンに聞いといてって」
「予定はないけど……あいつスケートできるの?」

 ウィルのマフラーをしっかり巻き直しながらアンはぼやく。刺々しい文句を吐くのはもはや脊髄反射だ。かわいくないとわかっていてもつい口をついて出てしまう。

……アン、おこってる?」
「なんで?」
「あの、ぼくよけいなこと言ったのかなと思って。リューもちょっと元気ない感じしたから……。あの……ケンカじゃないよね……?」

 む、と唇を引き結んで聞いていたアンは、そうっと見上げてくる少年の頭をポンポンとなでた。「あんたが心配することじゃないよ」と告げ、肩にかけたトートバッグをしっかり抱えこむ。
 ――怒ってるわけじゃない。
 飛び出すように出てきたのは玄関が狭いからだ。あとがつかえるからで、決して喧嘩したからとか気分を害したからではない。
 彼の期待に満ち満ちた目を見てしまったら急に逃げたくなったのは本当だけれど。

 年が明け、正月気分が抜けたと思えば街は一気に赤一色のムードになる。『今年のバレンタインは平日だから前準備が重要』などという文句に釣られてアンは軽い気持ちで特設コーナーに足を運んだ。
 初めて入ったキラキラした世界、まわりでウキウキと品定めする女の子たち。すぐに自分が場違いな存在であることを痛感しアンは店の端で溜息をついていた。期待しているであろうリューには悪いが、〝いかにも〟なチョコレートを買うことはどうしてもできそうになかった。気恥ずかしすぎる。
 消沈し、退散しようとしたところでアンの目は周りの陳列物を捉えた。並んでいたのは様々な製菓材料にカラフルなラッピング用品。チョコレートじゃなくてもこれならば――そのときはそう思った。
 だけど今となってはどうしてチョコレートを買わなかったのだろうと思う。
 甥っ子の言った通り、バレンタインはチョコレートをあげるイベントなのだ。だから求められるのも当然チョコレート。
 ちっぽけなプライドなど無視してよかったのに。

 冷たい風の吹く中をふたりして歩く。雲間から射す黄金色が甥っ子の髪を照らした。その後頭部、控えめにきらきらと光を弾いた箇所にアンの目が留まった。

……ウィル待って。少し下向いて」
「え?」

 振り返った少年をすかさず俯かせて異物を摘まむ。ついていたのは極極小さな金色の何か。大きさは砂粒ほどだが砂ではない。折り紙のようでもあるけれどハサミを使ったところでここまで小さく切れるものだろうか。何だかわからないそれがウィルの後頭部いっぱいについている。
 一体どこでと思い返した瞬間、合点がいった。アンの脳裏に映し出されたのは今しがた後にしてきた部屋での様子だ。コタツの上で腕を組んでいたリューに対し、ウィルは両手でマグを持って壁にもたれていた。あれが、綿壁だった。手触りが柔らかそうできらきらしている、昔の和室特有の壁。リューの部屋の綿壁はすっかり古びて表面がぽろぽろ剥がれるのだ。

「あんた、あそこの壁に頭こすりつけたね? もう、リューもいつまでいるつもりなんだろ。せめてもう少し新しいところに移ればいいのに」
……ねえアン! これなに?」

 突然あがった驚きの声に、髪を払っていた手が止まった。少年は続け様に「わかった、リューにだ! そうでしょ!?」と叫ぶ。その視線はアンの肩からずり落ちたトートバッグに注がれていた。大きく開いた口から中身が見えている。中身が――
 はっと押さえようとしたときには既に小さな手がそれを掴んでいた。

「リュー開けて! ちょっと出てきて!」

 風のように取って返したウィルが陽当たりの悪い玄関ドアを激しく叩く。ようやく追いついたアンが少年の肩を捕まえたのと、中から青年が姿を現したのは同時のことだった。

「ウィルに……アン? どうしたの、忘れ物?」
「そうなの忘れ物! はい、アンからだよ!」
「あっ待っ……

 アンの伸ばした手も空しく、それ――暗赤色の紙袋はウィルからリューの手に渡った。小首を傾げつつも受け取った紙袋の中を覗きこんだ青年は大きく目を見張った。透明の袋に入れられた焼き菓子。ワイヤータイできゅっと縛られた口に唯一飾りらしい飾りがついている。赤い小さなハート型のタグが。

「これって……
「ぼく知ってるよ! パウンドケーキ!」
……アン、あの」

 無邪気ににこにこ楽しそうな顔と、驚き半分期待半分の顔がアンを振り返る。長い前髪の奥で双眸がきらきらと輝き出している。青年の周りに今にも小花が咲き乱れそう。
 厚みの薄くなったトートを抱き締め、アンは顔を背けた。

――だからその、忘れ物。……チョコはないって、言っただろ」
「アン!」

 視界の横から何か伸びてきた。それが何かを考える間も無く引き寄せられ、気づいたときには捕らえられていた。
 背に回された両腕と、細い髪がさらさらと頬を撫でる感触で我に返ったアンは思わず悲鳴を上げた。

「ちょっと! 離して! ウィルもいるんだから」
「じゃあウィルもおいで」

 アンを捕まえたままリューが腕を広げる。弾ける笑顔で胸に飛びこんできた少年ごと抱き締めると、「ねぇ」とリューは顔を上げた。

「せっかくだしみんなで食べようよ。お茶淹れ直すよ」
「でもウィルは宿題が……
「ここでしていけばいいよ。俺も見てあげられるし」
「それがいい! ねっいいでしょアン?」

 制止の声が掛かる前にわぁいとウィルが部屋に飛びこんだ。こういうときは早い者勝ちだということを彼はよく知っている。
 めまぐるしい展開についていけない。言葉に詰まり身動きが取れないでいるアンをリューが再び抱き締めた。

「本当にありがとう。お返しは三倍返しだよね」
……知らないよ! もう、いつまでくっついてるの! 離して」
「うん、もうちょっと」

 耳元で聞こえる青年のくすくす笑う声に何も考えられなくなる。ウィルが戻ってくるかもしれないし見られるかもしれない。そもそも誰が通りかかるかもわからないのに早く離れてくれないとすごく困るのだ。リューが動いてくれない限り自分からは動けないのだもの。困る、困る……



「アン。大好きだよ」





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