白いモルタル壁に若草色の扉、それに合わせたピーコックグリーンのポストを開くと鍵が入っている。これは帥叔直轄の官吏が用意していてくれたものだ。
《ご連絡ありがとうございます、ラスティ。それで帥叔は……》
「残念ながら立て込み中みたいだ。時間を改めよう」
そうですか、とエアの溜息が聞こえる。どうもこの女声、抑揚の一定さに反して感情を隠すという事をしないらしい。独特な人物である。
「で、まあ代わりに市街偵察の任務を賜った訳だが……君も同行しないか?」
《え? ですが……》
「ああ、生身じゃなくていい。こちらからリアルタイムで視界共有をするから、それで情報収集をするといい。レイヴンが目覚めた時の為にも」
《そういう事でしたら、是非》
そんなこともあり、エアを伴ったラスティはひとまず病棟から新居、それまでに通りがかる施設などの道案内をしていた。ひとめには分からないような隠し扉と暗号錠を経て、この寮棟にようやくたどり着ける。
《ここが、ラスティのご自宅ですか》
ギィと重い玄関ドアを開くと、備え付け家電にシングルベッドがあるワンルームが出迎えてくれる。床暖房付きのフローリングはヘリンボーン柄で、壁紙も白に腰高のペールブルーの切り替えがあり、成人男性が住むにはやや可愛らしい部屋の拵えだった。
「シュナイダーへ行く前に借りていた部屋だが。まさかまた空室になっているとは思わなかったな」
ベッドの傍にはボストンバッグがひとつだけ。これがラスティの生涯分の荷物だそうだ。十数年は帥叔に預けっぱなしだったらしいが、勝手に中身があさられていないところを見るとその顔と違わぬ義理堅い人物のようだ。
「さあ、ここから見えるはずだ。地上のバザーよりは窮屈だが……」
換気の為に開け放たれた鎧戸と窓、落下防止の鉄格子ごしに見下ろすと、色とりどりのタープとランタンの装飾が巡らされる街路が一階層下に見えた。構造物の合間を縫ってひしめき合う商店は、光の道のようだ。
《きれいですね……》
「気に入って貰えたかな」
《はい。……レイヴンにもはやく見せたいです》
そうだな、とラスティは微笑む。
点滴が終わってしばらく、ラスティはそのまま眠ってしまっていた。往診を終えたドクに叩き起されて、ようやく目が覚めたのだった。
寝起きざまの狼は開口一番に眠り姫の容態を訊ねる。その有様にこれは根深い患いだなあとドクは人の悪い笑みを浮かべていた。
《ラスティ、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか》
「私に答えられることなら」
《先程の病棟で、アーシルは軍部高官と諍いがあったようですが。その内容は、レイヴンを嘲る内容。──独立傭兵という立場を理解しているつもりではありますが、何故このようなことに……》
ラスティは眼下の灯りを視線で辿る。
「英雄の偉業は人々を目覚めさせてしまった、と言ったところか」
《……警句を覆す存在、ですか》
──灰被りて我らあり。コーラルよ、ルビコンと共にあれ──この警句ひとつを拠り所に生きて死んで行く、封鎖惑星の反抗勢力の命は儚い。
《……私としては、思考放棄にも似た様相を呈していたように思います》
「はは、痛烈だな。だが私もそう思う。現に、ただの言葉ひとつでは何も変わらなかった」
斜陽の廃星ではあるひとつの希望を盲信せざるを得ないが。それは手っ取り早く士気向上を望め、部隊の足並みを揃え、闘志を奮わせるには充分な魔法ともなる。戦士が大義の為に殉じるならば、大義を以て死を敬えばひとは納得する。それはある種、人間生命としての尊厳を諦めるに等しい。
「彼女は絶望的な状況に齎された確かな希望だ。自由意志の象徴、その鴉が我々に加担するとなれば……」
《間違いなく、これまでの信仰では民の意思をコントロール出来なくなります》
ラスティは頷く。
「帥父の存在を利用し体良く思想扇動する連中にとって、レイヴンほど邪魔な存在は無い。連中の手から溢れた英雄像は管理ができない」
《……だからこそ、余所者である独立傭兵を追い出すための流言を馴染ませようとしているのですね》
「ああ。……多くの人々から成る組織だ、ひとつ目標を求めたとて、その手段や望む結果は異なる。恥ずかしながら我がルビコン解放戦線は、ただの戦勝では満足できない連中の方が顔を利かせているようでね」
《なるほど……》
「少し話が逸れたな。つまりレイヴン排他の思想はルビコニアンの総意ではなく、少なくとも一部の情報操作である、ということさ」
《……ですが》
「不安か?」
《はい》
この男は帰郷早々に難民からは拒まれている。あの拒絶ぶりを思うとレイヴンも、とエアは危惧したのだが。彼は人の良い笑みを浮かべて首を振った。
「私に対する言葉は連中が仕組んだものではない。率直な怨みそのものさ」
《……それはそれで、なんだか心苦しいのですが》
これで良い、とラスティは言う。「構われる方が随分とマシなのさ」と、彼は上着を羽織って玄関へ向かった。
エレベーターを幾つか乗り継ぎ、件の商店街へ至る。上方から見下ろした時に予測するよりも遥かに多くの売店や屋台がひしめき合い、幅の狭い通路はグリッド住人や商人に軍部関係者までもがぎゅう詰めになりながら店先を冷やかしている。
グリッドの商店は民営ではなく、レジスタンスに組み込まれたキャラバンが交代で出店している。その収益は軍部に徴収され、民の生活維持の為に利用される。逆に地上のバザーは大部分がバラック街となっているが、非正規といえども厳しい生活を支える営みである事は違わぬために、現状は看過されている。
「ついでに買い物でもと思ってね。越したばかりで何も無いんだ」
《どんなものがあるんですか?》
「家具家電がある程度、布屋に服屋に靴屋、あとはキャラバンの持ち帰った掘り出し物あたりか」
故意か事故かはさておき、ラスティは既に民衆から面割れしている。故に高機能マスクにまぶかくフードを着込んだ格好で雑踏に紛れ込んでいた。要らぬ争いを避ける為だ。
帥叔から寄越されたロングコートには解放戦線の記章が縫い止められており、ヴェスパー部隊のジャケットよりもよく繁華街の景色に馴染んでいた。
「こんにちは」
目的の店先で、ラスティは声掛けた。グリッド上のマーケットでは比較的規模の大きい家具屋で、量産品の取り扱いだが質も良いので目星を付けていた。
店主らしき中年男性は、既に先客の対応を終わらせてこちらを一瞥したが、何かに気が付いたのか手元の電子算盤に視線を落としたままとなってしまった。再び「すみません」と声を張り上げても、訪れた別の客にぱっと笑顔を向けてしまう。
「ここは駄目かな」
ラスティは店先から離れ、隣の天幕を潜る。こちらは古着屋らしいが、同様に声を掛けたところで、ラスティだけは存在しないように扱われるだけだった。
「こういう事だ、エア」
《……ひどい》
マスクを被ったところで気休め程度だった。こうなってしまっては買い物は出来ないなと、ラスティは振り返ることも無く天幕の外へ出る。一瞬、四方八方からレーザー照射でも受けているかのような視線が集まり、ラスティが見回すとフッと霧散していった。
「……仕方がないさ、私だって親族殺しの張本人に顔は合わせたくないし、こんな気さくに挨拶もされたくは無い」
古着屋が背面の棚に振り返る際、一瞬だけ冷え切った一瞥を送ったことにエアは気付いていた。直前まで客あしらいの良い柔和な笑みを浮かべていた者とは思えない、殺意だけが乗せられた視線は、それだけで相手の命を奪えそうな気迫があった。
《私も、長い時間誰にも知覚されずにいた事がありますが。これは……別物です》
そうだな、とラスティは歩み出す。人々の雑踏と麗らかな談笑、あたたかいランタンの街飾りを彼は懐かしむようだったのに。彼が通る場所にだけ、水面の波のように人垣が遠ざかるようにさえ感じる。一歩ごと進む度、殺気が掠めるよう。
《……次のお店へ行きましょう》
「ああ」
《あの、ラスティ。ここでは近くお祭りがあるのですか?》
「うん?」
入り組む街路をひとつ隣へ移ると、身を刺すような気配はおさまった。あちらを、とエアが示す──視界HUD上にピンがさされる──街を華やかにするためのランタンが幾つも吊り下げられているが、どうも商工会連中が裸電球に朱い笠の装飾を被せているようなのであった。ラスティの部屋から見下ろした際、所々が朱い光となっていたのは、この装飾具によるもののようだ。
「いいや、祝祭用は珊瑚色のはずだったが。時期でもないし、何か急ごしらえのもの……」
はた、とラスティはその装飾具に見入る。造りはさほど凝ったものでは無いが、中央に透かし絵がある。──二羽の鳥だ。
《ラスティ?》
周囲を見渡す。朱いランタンが提げられた区域は、店子が朱色を基調としたリボンやアクセサリーを身に付けていた。──その目が覚めるような朱赤は、戦友の機体に映える差し色を想起させた。
「そこのお兄さん、ワームまんはいかがかね。できたてだよ」
「……これは」
白い湯気ののぼる蒸籠を開けて、そこの屋台のおじが小ぶりなまんじゅうを差し出す。つるつるもちもちの生地には透かし絵と同じ二羽の鳥の焼印が付けられていた。
「美味しそうだな、ひとついただこう」
会計機に手を翳し、支払いを済ませる。埋め込み式のICチップは右手に備えていたため、そういえば不便だなとラスティは苦笑したが、気前の良いおじはほれと読取機器を彼の手にあてがっていた。先程の通りでは視察する余裕は無かったが、こちらの通りは随分と人当たりの良い、活気に満ちた雰囲気だ、とエアは思う。レイヴンと散歩をするならこちら、とマップに注釈を書き込むと、ラスティも同感だと追加のメモが添えられた。
高機能マスクは顎の動きに連動するので、そのままひとくち大にちぎって口へ放り込む。程よい塩味のワーム肉餡がぎっしり詰まったこぶりなまんじゅうだ、生地の食感もしっとりとしていて、この店主の試行錯誤が窺える。
「これはおいしい。定番なのかい?」
「いんや、今日からのメニューさ。──下層の連中、最近まで糧食を減らされてたらしくてね。あそこには孤児院もあるだろ? 子どもでも食べやすくて美味いもんは作れないかって、昨日から仕込んでたのさ」
「こんなに美味しいんだ、きっと喜んでもらえるだろう。頑張ってくれ」
「ああ! へへ、こういうことができるのも、比翼の君のおかげだなあ」
おじは満足気に笑いながら、残りのまんじゅうを次々とコンテナに詰め込んでいった。これから配達に向かうのだろう。黒い料理人服にわざわざ染めたらしい朱赤の手ぬぐいを首から下げているがよく似合っている。
ワームまん以外にも、程よい塩梅の着色料で染められた合成品の菓子が並べられており、巷では人気の店のようだった。また今度買いに来ようか、などと眺めているとエアのアイコンが点滅する。
《ラスティ、この区画のお店はどこも鳥の意匠を施した品を売り出しています。》
確かに向いの店も鳥の焼印を用いたたべものを売っているし、やけに盛況だ。と言うより、ここの路地はどうも二羽の鳥を看板にも添えているようだった。家電屋のモニターには先日のザイレム戦での録画映像が流されており、店先の傍受無線からはどこかしらからの部隊のチャンネルが垂れ流されている。物好きなじいさんたちは、そこに思い思いに酒やツマミを持ち寄ってなにやら盛り上がっていた。
「……やはり、一筋縄ではいかないな」
麗しき狼は金眼をランタンに煌めかせて雑踏を眺める。ふふ、と笑って、残りのまんじゅうを頬張った。
「いらっしゃい、いらっしゃい! 比翼の君より賜った珍味はウチだけの取り扱い!さあ寄ってけ見てけ!」
先程のまんじゅう屋から程近い、いわゆる珍味乾物屋らしい軒先では店主のじいさんが嗄れ声を張り上げて客を呼び込んでいる。つられてラスティも人垣から覗き込んでみると。食用虫や昆虫の煮付け瓶やら何かの根が売られている什器に、何だか場違いに上品な見た目の小箱が特価で売られているのが目に付いた。白い紙箱にグリーンのエンボスラベル。値札には「食べかけあり〼」など。
「食べかけを売るのか」
「いんやぁこれ、パキっと折ったり切って使うやつらしくて。聞いて驚くなかれ、天然物のチョコレートさ!」
「え」
おや、それは確かホーキンスが血眼になって発注した品ではないか? とラスティは唐突にヴェスパー部隊所属時代の記憶を呼び戻した。貨物取り違えか何かで全く別の日用品が届き、大枚はたいて買い付けた珍品を永久に逃した甘党の絶望は深く、ペイターが慰めていた様子を覚えている。
「神父サマが言うにゃ、この幸運の食材を民にも分け与えてやろうってことでウチがいただいた。……まあ殆ど押し売りされたんだが。」
──神父とは俗称で、軍部大佐、帥叔の一つ下の階級とされているが、本人は帥父代理を名乗ることからこの渾名が付いた。
「……ところで店主、比翼の君とは?」
ちら、と店主のじいさんは通りの人だかりを窺ってから耳を貸せと手招きする。
「ここだけの話だが、兄ちゃんは今朝方の騒ぎは知ってるか?」
「勿論だとも」
「戦勝祝いにイベントでも、と商工会連中と話し合ってたんだがな、今朝の事があっただろ。あれから独立傭兵の名を出すと一部の連中がアレルギー反応を起こす。しかも神父サマも『レイヴンを商材にせぬよう』とか、あからさまだよな」
「それで通り名を作ったわけか」
「悪かねえ名前だろ? 片翼の兄ちゃんにとってはよ」
大層な名前だ、とラスティは微笑むと、「お前さんの事だよ!」とじいさんは歯抜けの大口を開けて笑う。
「カッカッカ! あんなノロケをよくもまあ広域無線で飛ばすよなぁ。若いっていいな!」
無事で良かったよ、とじいさんはバンバンとラスティの肩を叩く。ちょっと傷に滲みるが、先程のレーダー照射よりは遥かに良かった。
「──で、その名はどこで使える?」
「あの透かし絵がある店ならどこでも。ああそうそう、樽小屋のババァが兄ちゃんのこと探してたぜ。覚えは?」
「知り合いだ。……ありがとう店主、興味深い情報だった。」
ラスティが立ち去ろうとすると、じいさんがずいと小箱を突き出した。
「買い忘れがあんぞぉ。ちと持て余してるトコもあんだ、これ。特別価格で中古もオマケしてやんよぉ」
ラスティは人の良い笑みで、読取機器に手を置いた。
《ラスティ、チョコレートとはそんなに高いものなのですか?》
「ああ、糧食の風味付けのものと違って、純正品は原材料がかなり遠い星の農地でしか採れないんだ。しかも繁殖方法は易くない上に、その加工過程もかなり手間だ。一時はロストテクノロジーのひとつだった」
本来の値段は先程払った価格の数十倍と告げると、初めて聞くような声が聞こえた。
《……ちなみに、そのお味は?》
「すごく、苦い」
《ええ? 甘くないのですか?》
「本来ベースとなるカカオは苦味が主なんだ。それから甘みや乳製品を混ぜ合わせて甘いチョコレートになるんだそうだよ」
《へえ……》
と、ホーキンスが茶菓子を恨めしそうに頬張りながら披露してくれた豆知識を受け売りしたラスティだった。
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