はるの
2022-08-08 22:20:44
50253文字
Public スタートレック
 

ハロー、いとしの異星人

全年齢|AOS spirk|2021.3.12|5年探査前、ヴァルカン人のデレ期によってジムがひどい目に遭うシリーズ。



あなたがここにいてほしい / My Dearest


「そしたらあいつ、なんて言ったと思う? 私のをあなたの口に突っ込みたい、つったんだぞ? 自由奔放かよ。俺は一瞬ガチでセクハラかと思いました!」
「それは……、おそらく、今までの話から推察するに、『私の料理を』が正しいと思うが……
「君までスポックの肩を持つのか!」
「君まで、とは」
「俺がその筆頭だからだよ! なんで俺はあれを許しちゃうんだろうな~?! ほんっとーに甘い! げろ甘い!」
 向かい風に吠えたけるようにそう叫ぶと、助手席のスポックは何とも言えない表情で口をつぐんだ。スポックへの愚痴を延々と繰り広げたからだろう、彼にとってもおそらく不本意な、謎の身につまされ方をしているのかもしれない。
「それはもう、私にはどうすることもできない」
「俺にもどうすることもできない。俺はただ無抵抗に、スポックのかわゆさに殺されるしかないんだ。残酷な話だよ」
……そうか」
 ものすごく、くそまずくてくそ渋いお茶を口に含んだような声で、スポックは重々しくそう告げた。ちらっと見やった隣では、切り揃えられたロマンスグレーの髪が、ばらばらと跳ね飛んで額を見せている。大変に貴重な光景なので、カークとしてはしっかりと横を向いて目に焼き付けたかったのだが、運転手なのでそういうわけにもいかなかった。
 覚めるような深い青のコンバーチブル。マスタングのクラシックカーは、レンタルスペースでカークの両目を真っ先に引いた代物である。即決で契約して、エンジンを入れれば、心地の良い重低音がした。吹かして、なだめて、調子を覚えてから、サングラスを引っかけて、上機嫌にトップを開ける。
 待ち合わせたスポック大使をそのような形で迎えに行けば、彼は分かりやすく硬直して、素敵に驚いてくれた。



 アイオワ州である。リバーサイドまでの道のりをレンタカーで、というのはよくできた思いつきだった。当日はぴかいちに晴れ渡っていて、空まで自分の気まぐれを言祝いでいるように思える。
 カーンの事件でずたぼろになってしまったエンタープライズの修復プロジェクトをなんとか立ち上げ、諸手を挙げて喜んだのもつかの間、よろよろの彼女を引き取ったのは、何の因果かリバーサイド造船所だった。まあ確かに、因果も何も、ここは彼女の生まれた土地である。彼女の造船に携わった、彼女をよく知るエンジニアも多いことだろう。けれど、またアイオワか、と思ってしまった。なんとなく。
 あまり近寄りたい土地ではなかったので、エンタープライズの修復進捗は、すべて映像とレポートで余すところなく確認していた。それに、スコットとキーンザーは、ほぼ造船所に転勤しているような状態だったのだ。任せておけば安心、と強く断じる心がある。だから、復活した彼女の実物を見るのは、カークは今日が初めてのことになる。
 そう、やっと完成したのだ。エンタープライズが復帰した。
 いや、正確には『復帰』はまだである。今日はプロジェクト完了報告のようなもの、本部主導の視察会だ。そののち、最終点検を受けて、彼女は無事、宇宙へと解き放たれる。アイムホーム! そのときこそが『復帰』であり、同時に、壮大な仕事を任される現役航宙艦となるのだ。ファイブ・イヤー・ミッションである。
 その日程が決まったあと、カークはスポック大使と話す機会があった。ニュー・ヴァルカンへ旅立った彼とは、暇なときに投げるメッセージのような頻度で、ぽつぽつと通信のやり取りをしている。エンタープライズの吉報を真っ先に伝えれば、スポックから聞いたと出鼻をくじかれたので、こちらのスポックとはもっと頻繁に情報交換をしているのだろう。
「じゃあ、一通りは落ち着いたわけだ?」
『一通りは。取り急ぎ落ち着いて暮らせる程度だが。やることはまだ多い』
「ふうん。でも、落ち着いたんだよな?」
……ジム?』
 そんなふうに伺いを立てると、怪訝そうな声で、少しだけ眉をひそめて、画面のスポックは身構えた。さすが、『ジム・カーク』に対する危機管理レベルが段違いである。そんなことを思いつつ、カークはにんまりと笑みを浮かべた。
「なら、一度くらい地球来れない?」
『ジム』
「ぴゅってさ。見に来てよ、俺のエンタープライズを」
『しかし』
「地球での用事もあるんだろ? 1回お父さんの代理で来るとかさ、いろいろ言い訳はあると思うんだ」
『君はそういう悪知恵ばかりがよく回る』
「な、スポック。地球来よ?」
 プリーズ、と両手を合わせて、肩を丸める。とっておきのポーズで上目遣いをすると、スポックは疲れたように溜息をつき、両目を閉じた。
『君にNOと言えるヴァルカン人でありたかった』
「ん? それってオッケーってこと? オッケーだよね? やった~!」
 じゃあ絶対に俺が君を迎えに行かなきゃなんないな! そう言って思いっきり破顔すると、彼はやれやれと受け入れてくれる。
 そのようにして、まんまと大好きなおじいちゃんを引っ張り込むことに成功したカークは、呆然とした様子の彼を車の助手席に連れ込んで、軽快に走り出したわけである。



 延々と平らな大地が続く道を、適当な会話をしながらぶっ飛ばしていく。アイオワだ、と顔をしかめる自分が心の片隅にはいるけれど、それを凌駕するほどの嬉しさが、今のカークにはみなぎっていた。
 なんたって、これから新生エンタープライズに会いに行くのだ。最高にホットな車のエンジンを吹かして、最高にホットなヴァルカン大使を隣に乗せている。これで有頂天にならないなら、たぶんそれはジム・カークじゃないだろう。
「このままリバーサイドへ?」
 風の音に負けないように、少し張った声がする。スポック大使のそういう声はとても新鮮で、録音しておきたいな、とカークは思った。
「そのつもりだけど、結構時間あるな。どこか行きたいところが?」
「そうだね――、では、君の思い出の場所へ」
「ここにはくそみたいな思い出しかないよ」
「そうか。ではそれが、リバーサイドだというならそこがいい。私としては、もう少し落ち着いて話したい」
 サングラス越しに見えるスポックは、風圧に対して鬱陶しそうに乱れた髪を押さえつけている。カークはそのけなげなしぐさに笑って、畑を貫くまっすぐに乾いた道へと視線を戻した。
「君もサングラスをしたらよかったのに」
「この程度の照度は問題ない。そうではなくて、風圧が」
「スポック大使のサングラス姿見てみたかったなあ」
「ジム、聞きなさい」
 なんだかんだ言って、このじじポックもすごくかわいいんだよな。切々とこちらを説得しようとする、張りのある落ち着いた声を聞きながら、カークは笑みを深くして、がこんとギアを操作した。
 思い出の場所、なんてない。
 この穏やかで優しい存在を、この最低な土地のどこにも連れていきたくない。
「君はアイオワには来たことがあるの? その、向こうの世界でも?」
 そう尋ねると、しばしの沈黙があった。カークはまっすぐ前を向いたまま、霞むほど遠くにうっすらと見えてきた、リバーサイド造船所の大きな建物をぼんやりと眺める。
「君の想像に任せる」
 返ってきた答えにカークは吹き出して、ぐんとアクセルを踏み込んだ。



 ウフーラとパイクに出会ったあのクラブならどうだろう、と真剣に考えはした。けれど、こんなにも晴れ渡った気持ちいい青空の下で、わざわざ彼を連れていく場所ではないだろうと思ったのだ。ふたりに出会ったのは最高の思い出だが、あのクラブにはほかの最低な思い出も詰め込まれている。
 結局、カークはリバーサイド造船所まで車を走らせ、その少し手前、なだらかな丘陵が白亜の艦を見下ろすような場所で停車した。エンジンを切って車を降りると、1拍置いて、スポックも同じようにドアを開ける。カークはサングラスを外して胸元に差し、座席の裏に手を回して、彼を拾う前に買っておいた瓶のサイダーを引っ張り出した。
「ぬるくなっちゃったな」
 かち、と重ね合わせてそれを提示すれば、スポックは意外そうな顔を向けてくる。
「いつの間にそのような」
「レモン入り、砂糖なし」
 ぱち、とウィンクして、カークは2本の瓶の蓋を重ね合わせ、ぽんと冠を跳ね飛ばした。勢いよく吹き出した炭酸が落ち着くのを待ってスポックに渡し、自分の瓶は車のキーですぽんと開封する。その様子をまじまじと観察しているスポックが面白くて、カークは笑った。
「これが生活の知恵というものだよ、ミスター・スポック」
「君は奇妙なところで器用だ」
「奇妙なところとはお言葉だ」
 ボンネットに軽く尻を乗せて、ぬるくなったサイダーを呷る。むせ返るような炭酸が喉を焼いて、カークはその感覚を楽しんだ。スポックも、車に乗り上げることはしなかったけれど、ボンネットに身を寄せて、ちびりと瓶に口をつける。
「もたれかかったら服が汚れるぞ。このきれいな車も、畑を突っ切れば立派に砂だらけだ」
「自身を顧みる、という概念は?」
「出て行ったっきり、戻ってこないな」
「一度連絡を取ったほうがいい」
 スムーズな言葉遊びが気持ちよかった。カークはにやりと笑って彼に瓶を掲げると、スポックも同じように瓶を掲げ、そうして造船所に目を移す。
 カークも倣って視線を向けた。まだ作業用の足場やクレーンでごちゃごちゃしているが、ここから見る限りでも、現場の雰囲気は落ち着いている。砂だらけの大地に横たわっていても、エンタープライズは美しかった。
「君は以前、ここの船を爆破したい気持ちがあった、と語っていたが」
 スポックのその言葉に、カークは過去を思い出す。行き場のない怒りのような何かを持て余していた、あの頃が脳裏をよぎっていった。
「今もまだ、そのような衝動が?」
「あるよ。そりゃあ、もちろんね」
 サイダーを飲み込んで、隣を見る。すっかり髪の毛が落ち着いたスポックの、思慮深い眼差しが、慎重にこちらを見つめている。
 カークは肩をすくめた。
「けどこれは、俺がずっと付き合っていくやつだ。そんなシリアスに考えるなよ」
「キャプテンチェアに座ることが……
「ああうん、そうじゃない。俺はエンタープライズがめちゃくちゃ好きだし、あの子の船長でいられることをすっごく嬉しく思ってるよ。ファイブ・イヤー・ミッションだ。最高に胸が躍るね」
「申し訳ない。うまく、理解できない。こんなことは久しぶりだ」
 地球人の情動が、よく分からない。そんなことに自分で驚きたじろいでいる、君こそ本当に奇跡みたいな存在なのになあ、とカークは思う。
「君のそれと同じだよ」
「私の?」
 きょとん、と首を傾げるスポックに、カークは微笑んだ。百年を超えて生きているようには思えない新鮮さだった。
「君が感情を自分に許していても、君にとってそれは、昔からずっと悩まされてきた厄介なものなんだろ?」
「許す、というと、少し異なる気もするが」
「俺のこれも、昔からずっと悩まされてきた厄介なものなんだ。今、そんな衝動はないけど、『消えてなくなった』わけじゃない」
………
「だから、うまく付き合っていくんだ、君たちの『感情』みたいにね。そして俺はそれに成功してる。誰のおかげか分かるだろ?」
 いたずらっぽい笑みを向ければ、スポックは深刻そうに、深く思考するようにまばたいた。なんだか無駄に重大な難問だと思われていそうな予感がして、どうしようかなとカークは思う。本当に、そんな由々しさなど微塵もないことなのだ。
 自分には、船があって、クルーがいる。その十分すぎる事実がある。
……君は、なんでもないことのように言うが」
 強い風が吹いて、目をすがめた。はたはたとスポックのローブが揺れて、ひそやかな音を立てる。
「君の故郷をそのようにしてしまったのは、私だ」
――え」
「君にそのような、不発弾を抱え込ませるようなことになったのも」
 元はと言えば、私が。
 そう続けようとした、スポックの胸にカークは手を置いた。意図したとおり、彼は驚いたように顔を上げて言葉を途切れさせる。
 言わせたくなかった。そんなことは。
 そんなこと考えてほしくなかったし、それは違うんじゃないかと、自分の意思が正しく彼に伝わるよう、強い気持ちで視線を据える。
「スポック。君にとってここは、すでに過ごしてきた時間軸『に見える』から、そうやって少し混乱するのかもしれないけど」
「混乱などしていない。明晰だ。明白に、君の境遇は私の」
「君にとってはそうかもしれないけど、俺にとってはそうじゃない」
――ジム」
 ぽんぽん、と胸を軽く叩いて、カークはボンネットに乗り上げて彼に向き直った。ぐいっとサイダーを飲み干して、ぽいと空き瓶を座席の足元に投げる。
 そんなこちらの行動に再び言葉を切ったものの、それでも彼は、諭すような、いたわるような、あがなうような、眼差しを向けてきた。その寄った皺の数を目で追ってみる。乾いた肌と、伸びた皮膚。あらゆる情報を積載しているだろう、その存在について考える。
「全部、俺が選んだことだ。ひどい目に遭うのも、ひどい馬鹿をやるのも、全部俺が選んだ」
「君がそれを背負いすぎる必要はない」
「いーや。これは俺のものだよスポック。君にだってやらないね。俺は運命なんて言葉大嫌いだ。『最初から全部そう決まってる』なら、ジョージ・カーク・シニアが死ぬ世界なんて馬鹿な話があるか? でも、それが俺の世界だ。絶対に誰にも、君にも馬鹿だなんて言わせない」
「ジム……
「君の世界で起こったことが、俺の世界でも起こってるんだろ? 似たようなことが?」
……ああ、そうだ」
「でもそれ、俺には関係ないんだ。他の世界がどうだろうと、ここには俺の意思があるから。なあスポック、君は『過去』にいるわけでも、『未来』にいるわけでもないんだ。『今』ここにいて、今日は俺に会いに来てくれた。だろ? 君が今選ぶものは、今の君だけのものだ。俺の選んできたことが、全部俺のものと同じように」
 君が俺に申し訳なく思うのは止めないけど、それを俺から奪わないでくれ。
 伝わったかどうかは五分五分だな、とカークは思った。ヴァルカン人は変なところで思い切りよく潔いし、思い込んだら一直線な一途さも持ち合わせている。とにかく、ここにいるジム・カークの人生を、自分のせいだと思ってほしくなかった。それはなんだか腹が立つことだし、自分を否定されるのと同じことだ。
 スポックは、見張っている双眸をこちらに向けたまま、微動だにしなくなった。目が乾かないだろうかと心配になったが、おそらく彼の優秀な頭脳の中で、自分のざっくばらんなエモーションが、一生懸命解析されているのだろう。伝わればいいと思う。そんな気持ちで、彼の腿にそっと手を添える。触ったすぐには分からないけれど、ずっとそこに置いていると、彼の高い体温を指先に感じることができる。
――納得しかねる部分もあるが」
「頑固だな~」
 やがて、静かな声でそう告げて、スポックは持っていた瓶の底で、腿に置かれたカークの手の甲をプレスした。ひやりと丸い感触に笑って、カークは手を引っ込める。
「君という存在は、理屈なく、とてつもなく強い、ということを思い知ったよ、キャプテン・カーク」



 まるでまぶしいものを見るように、目を細めるスポックを、カークは美しいような気持ちで眺める。
 けれど自分のすべきことはそれではない気がして、にやっと得意げな顔を浮かべた。両手で瓶を包んだままのスポックを、身を乗り出して覗き込む。
「それは、君のジムより?」
……比べる必要はないと思うが」
「気になるじゃん。だいたいさ、君たちは、君たちって君とスポックだけど、相手は自分だからって、すっごく雑にするときがあるよな?」
「それは過去を持ち出して蒸し返したい、ということだろうか」
「今だよ、今。俺は思うんだけど、それってすっごく失礼だからな」
「失礼? 彼も割と遠慮なく無理難題を言ってくるものだが」
「君たちのヴァルカン復興計画、開幕からデスマーチしてそうで怖いな……
「配慮と思いやりに満ちている」
「もうそれが怖い。じゃなくて、だから、君たちは違う存在なんだから」
「それは分かっている」
「分かってる気がしないんだよ。君たちは精神を溶かすタイプの種族だから、あんま気にならないのかもしれないけど」
「ジム、どうか率直に」
 今度はスポックから、手のひらを腿に置かれてカークは驚いた。じわりと伝わる体温に顔を上げれば、彼はごく真剣な眼差しだ。
 離れがたいな、と思う。
 自分たちがファイブ・イヤー・ミッションに出てしまったら、きっとこうして直に会えることもなくなるだろうから。
「じゃあ、目を閉じて。スポック」
「目を?」
「うん。それから、君のジムを思い浮かべてみて」
……何故」
「いいから」
 戸惑ったように、けれど数刻の逡巡ののち、従順に両目を閉じるかわいらしい老人に笑って、カークは青い空を見上げる。
「俺に似てる?」
――ええ、とても」
「じゃあ、どこが違う?」
「どこが?」
「感覚的に」
「感覚、また難しいことを」
「君ならできる」
「簡単に言うね」
「君のジムはこんなこと言わない?」
……いや。ただ……
「ただ?」
 尋ねても、返事はなかった。彼は目を閉じて、じっと息をひそめている。まなうらでぴくりと眼球が動いて、瓶を持つ手に少しだけ力がこもった。その振る舞いを、まるで愛おしくカークは思う。
「それが、君のジムだ。俺とは全然違う」
 優しく、撫でるようにそう告げると、スポックはゆっくりと目を開けた。持ち上がるまつげを見つめていると、そんな彼と目が合わさる。
「同じように考えてみて。君とスポックも、同じだけ全然違う。違うもので良かったな?」
――何故」
「友だちになれるから! 君が君のジムに対して何を思ってても、俺は違うものだから、俺は構わず君の友だちになるし」
「ジム」
「それに俺、君のジムにも会ってみたかったな。スポックのかわゆさを肴に3日は飲んでられる気がするよ」
 にこりと笑うと、スポックはその風景を思い浮かべたのか、少し嫌そうな顔をした。吹き出しながらそんな彼の腕をばしばしと叩けば、老人は不服そうな顔つきで、こちらの腿に置いていた手を引っ込める。
「そのような奇抜な飲み会のために睡眠時間を削るのはやめなさい」
「うるさいな。かわいいだろスポックは」
「君が君のスポックをとにかく大事にしていることはよく分かった。なるほど、私もよろしくしよう」
「なんか怖いんだけど。普通に友だちになってくれ、普通に。あと俺の心情は詮索しなくていい」
「ああ、ジム。君と彼との違いで、ひとつ思い当たることが」
「うん?」
「私のジムは、あなたよりうんとエレガントだ」
「おいこら」
「ヴァルカン人に好意を表明されても、爆竹みたいに破裂はしなかったし」
「えっ、まじで?! 心臓どうなってんの君のジム?! どんな魔法使ったの?!」
「そういうところが全然違うと言っている」
 スポックは穏やかにそう言って、今度はごく自然に手を伸ばした。わしゃわしゃとカークの後頭部を手のひらで撫でて、ぽんぽんと髪に触れる。カークは少しだけ頭を彼に寄せて、そのくすぐったさにほころんで笑った。こちらのスポックとは大違いだなと、彼のぎこちない『頭わしわし』を思い出して、くつくつと肩を震わせる。
「君がファイブ・イヤー・ミッションに出ると聞いて、私も喜ばしく思っている」
「うん。でも、さみしくなる」
「そうだな。そのときは、君の馬鹿みたいな行動の数々を思い出すよ」
「失礼な友だちだ」
「敬愛と思ってほしい」
「本当に、さみしいな。もう会えなくなるなんて」
――ジム、帰ってきたら会える」
 こちらの肩を優しく撫でて、スポックは柔らかくそう言った。カークは顔を上げて、思わずきょとんとしてしまう。そんな様子を見て、スポックは少し変な表情をした。
「ジム?」
「あ、いや……、そう、だな? なんかそんな先の話、あんま実感がないや」
「しっかりしてください、キャプテン」
 首をひねるカークに茶化すようなことを言って、スポックはソーダの瓶をボンネットに置き、突如居住まいを正した。それから車を回って助手席のドアを開け、持っていた鞄からタブレットのようなものを取り出してくる。
「餞別だよ、ジム」
 ひょいと渡されたそれは、シンプルなつくりのフォトフレームだった。視線で問いかけてみても、彼はこくんと頷くだけで、答えを返してはくれない。カークは再び手の中の板を見下ろして、そっと指をスライドさせた。
 ふわりと浮かんできたのは、子供の写真である。
「アマンダの遺品として、サレクが持っていたものだ。データをコピーしてもらってきた。君が見たいのではないかと思って」
 画面の中の少年は、つんとした態度でこちらを向いていた。
 表情は硬いのに、丸い頬は柔らかそうで、くりくりとした大きな目はいたいけだ。
 勇ましく伸びた眉、切り揃えられた髪、首元から長く伸びる、エキゾチックなヴァルカンローブ。
 カークは、途端にぶわっと来た感情のビッグウェーブに、息を止め、動きを止めることでなんとか対処した。感情の制御がヴァルカン人だけの得意技だと思うなよ。そんな強い思いで、しばらく食い入るようにそのかわいい子をじっと見つめる。そして、震える指で画面に触れ、名残惜しさと、一抹の不安と、期待を胸にフリックした。
 次に現れた写真は、前の写真からの連写だろうか。予想外の連写に困って照れたのかもしれない。なんかそういう感じで、眉から力が抜けている表情になっていた。
 カークは、今まさに死んだ、と確信した。
 きゅんきゅんと痛む胸をフォトフレームごと押さえて、ぎゅっと目を閉じてはかなく散っていく。えぇ、と露骨に困惑した声が隣から聞こえてきたが、君が実行犯だろ早くなんとかしろ、という思いで彼の胸に倒れ込んだ。ご年配であっても、さすがヴァルカン人である、カークはしっかりと支えられた。
「かわ……、こま……、つんつんしてる……、なに? えっ、かわ……、なに?」
「スポックの幼少期の写真だが」
「それはそうだろうけどそういうことが訊きたいんじゃねーんだな俺は! はあ……、びっくりする。はあ」
「喜ぶとは思っていたが、倒れるとは思わなかった」
「倒れるよこんなの。まじ……、ちょっ、まじで? なあ見てこれ、こんないたいけなかわゆさで一生懸命スンってしてる。何? 今日世界が終わる?」
「終わる可能性は限りなく低いよ」
「かわいくない???」
……容姿に関しては、私も似たようなものなので非常にコメントしづらい」
「何言ってんだよ全然違うよ! そりゃ君も爆裂ラブリーだったに違いないけど、もしこの写真が君なら普通にかわいいなって言うよ! こんな1回死んで生き返ったりしない! 何度死んで生き返るんだよ俺は不死鳥だったのか?!」
「そのきわどすぎる言い回しは決してスポックには使わないように。こんな写真でも『全然違う』のか?」
「違うよ。全然違う。だってこれは俺のスポックだもん。君のジムだってきっとそう言うよ」
 カークはそろそろと胸元を開いて、まるで危険物を慎重に取り扱う技師のようにフォトフレームを持ち直した。困った顔をしたスポック少年のかわゆさに再度やられてううっと唸っていると、抱きとめてくれているスポックの腕に少し力が入る。
 彼の胸元から顔を見上げると、スポックはごく優しい眼差しで、こちらの奇行を甘受してくれていた。
……そうか」
「うん。あー……、まあ、その、俺の、じゃないけど。一応な。世界を区別するための形式的な表現だからな」
「君のけなげさは実にややこしいね、ジム」
「うるさいな。やめてくれそういうの」
「ところで、動画もある」
……動くの? このちびポックが?」
「ちびポック……。そうだ、動く。それが動画というものだ」
 胸元に伸びてきた彼の繊細な指が、フレームをすいすいと操作する。思ったより枚数のある写真一覧にヒエッと小さな悲鳴を上げたカークを一瞥して、ひとつを選出し再生した。家の中を映しているその動画から、スポック、と柔和な女性の声が聞こえてくる。彼の母親が撮影者なのだろうかと思っていると、廊下の向こうから、不思議そうな顔のちびポックが、トコトコと無防備にやってきた。
「しにそう」
「後にしてくれ」
 対して、こちらのスポックはこの隙のない防御ぶりである。ううーっと唸って彼の肩口になつくと、彼はあきれたようにぽんぽんと背中を叩いてなだめてくれた。



 数々の写真を繰りながら、そろそろかわいすぎて涙が出てきたカークであった。スポックは根気よく、そんな馬鹿な友人をなだめ、ぼろぼろとこぼされる馬鹿みたいな感想に、せせらぎのような受け流しを見せてくれていたのだが、ふいにその言葉を気まずそうに途切れさせる。
……ジム。念のために伝えておくが、そのアルバムの存在は彼には秘めておくように」
「ん?」
「真っ二つにへし折るかもしれない」
 スポックの視線を追って、カークはボンネットから身を乗り出す。ほとんど荒廃したような何もない大地、乾いた土で均されたその道を、長身の宇宙艦隊士官が歩いていた。きっちりと本部の制服を着込んだ、折り目正しいヴァルカン人である。
――キャプテン」
 まるで土埃などなかった、というような圧力で、スポックの歩調に乱れはなかった。彼は丘陵をものともせず、ここまで一定の速度で歩いてくると、車のすぐそばで足を止める。毅然とした、後ろに手を組むスタイルだ。
……大きくなったな……
「は?」
「いや、得るために失うもののはかなさについて思惟していた。ようスポック、まさか造船所から歩いてきたのか?」
「哲学ですか? はい、今日予定されている行事の内容からすると、あなたはおよそフライングでやってくると思いました。探したところ、ここが見えたものですから」
「ここが? あそこから? 目が良すぎじゃない?」
「あなただと分かりました」
……うん……
「馬鹿みたいに派手なオープンのスポーツカーと、ローブを着た男性を伴っている人物です。類推などたやすい」
「うん、ちょっと感動してたところなんだけど。いやに含意がマシマシじゃないか? なんか機嫌悪い?」
「そろそろ時間です。お戻りください」
「あーもうそんな時間か」
 カークはぺろっと舌を出してから、勢いをつけて地面に降り立つ。ずっとベンチ代わりにしていたボンネットを撫でてから、自分の尻もぱんぱんとはたいた。併せて立ち上がるデート相手のほうのスポックに、カークはちゃんと向き直って、満面の笑みを見せる。
「ありがとな、スポック」
 ちらっと腰を振って、話している間に尻ポケットへ忍ばせたフォトフレームを示唆すると、スポックはひょいと眉を持ち上げた。それに笑って顔の前で人差し指を立てれば、かのスポックには黙っておく、という意図が伝わったのだろう、彼も同じ『内緒』のジェスチャーを返してくれる。視界の隅で、かのスポックが眉を跳ね上げているのが面白い。
「どういたしまして、ジム」
「しばらく地球にいるんだろ? 次はシスコで飯食おうぜ」
「しばらく、というほど長くは滞在しないが、そうだね。良ければ君の旅立ちを見送ろう」
「行き先がニュー・ヴァルカン方面だったら途中まで乗せてやるのになあ」
 カークは笑ってそう言って、胸元に差していた自分のサングラスを取り出した。思い立ってにやっと口角を上げると、スポックは怪訝そうな顔をする。そのかわいらしいおじいちゃんの耳に、開いたサングラスを差しかけて、カークは彼の頬にキスをした。
「ベリーキュート」
 ヴァルカン人のファッションサングラス姿は最高に愉快で、はっはと笑いながら車を回る。ジム、と強く咎める声を寄こされたが、カークは無視して運転席に乗り込んだ。座席の後ろから袋を取り出して、中からずるりと艦隊制服を引っ張り出す。
……まさかここで着替えるのか?」
「ジム、彼をそのようにからかうのは不適切です」
「スポックにLRのステレオで叱られるの、全宇宙探しても俺だけだと思うなあ」
「ジム」
「ジム」
「君たち俺を叱るときはすごく気が合うよな。いいだろここで着替えても。誰も見てない」
「屋外という概念は?」
「あいつはいいやつだったよ」
 はあ、とじじポックは溜息をついた。サングラスをしたままなので、その様子はただひたすら愉快なことになっている。笑いながらベルトを抜いて、座席の下でズボンを脱ぐと、彼らはさりげなく、自分たちの背中で造船所方面に向けて壁を作った。思わず吹き出してしまう。
「あとスポックは何? からかう?」
「ヴァルカン人はこの程度の照度であれば問題ありません」
「ああ、サングラスのこと? それはもう聞いたよ」
――それに、唇で、直接肌に触れるなど」
 ぎゅん、とサングラスを吹っ飛ばしそうな勢いで、じじポックが隣のいまポックを見やった。けれどいまポックはというと、カークを見据えることに夢中でまるで気づかない様子である。コントかよ、とカークは笑った。このふたりは揃うと面白いから、シスコで飯を食うときは一緒に連れてってやろうかと思う。
「親友ならこれくらいするだろ」
「では、ドクター・マッコイにもなさいますか?」
「はあ? 覚えてる限りしたことねぇけど、今度してやろうか? すげー嫌な顔しそうだなあいつ、面白そう」
……あなたの距離感は逸脱しています」
「距離ぃ? それをお前に言われたかねーぞ! そのかったそうな頬っぺた齧りとってやろうかこんにゃろ!」
 スポックのド派手な友情サインに、どれだけこっちが息も絶え絶えになってると思ってんだ。そんな恨みがましい目を向けて、着替え終わったカークは立ち上がる。ほら見てみろ隣のグラサンを。完全に『アッチャー……』みたいな顔してお前を見てんじゃねーか。
 フォトフレーム入りのズボンは丁寧に畳んで、あとは無造作に袋に放り込むと、カークはびしっと居住まいを正した。慇懃な宇宙艦隊の制服。さすがに帽子は持ってきていないが、はたから見れば、これがこの田舎で育ったクソガキだなんて、誰にも気づかれないことだろう。
「ところで、この車2シートなんだけど。なんでお前歩いてきちゃったんだよ」
「あなたが見えたからと申しました」
「ぷんぷんすんなかわいいから。あーこれ、3人乗れるかな」
「ジム、では私は歩いていこう」
 両手を広げて困った顔をすれば、ボンネットに置きっぱなしだったソーダの瓶を取って、ロマンスグレーのスポックがそう申し出た。えっと思って彼を見やれば、サングラスにぽかんとした自分の顔が映り込んでいる。思わずぶはっと笑ってしまうと、スポックはやや気まずそうに、静かにサングラスを取り去った。現れる目元の優しい雰囲気に、カークは目を細めて満足した笑みを浮かべる。
「君は時間厳守だが、私はのんびり進んでいける。造船所まで歩いてシャトルを拾うよ」
「ごめんなうちのスポックが」
「君のスポックは相当だな。さすがの私もこのようなアレではなかった、と信じたい」
「このようなアレ」
 らしからぬ曖昧な言い回しに笑うと、彼はすいと身をかがめ、お返しのように唇で頬に触れた。こっそりとしたその感じがかわいらしくて、カークは頬をゆるませながら肩をすくめる。
「下の道まで車を回してくれ。彼と少し話したいことがある」
 そうして告げられたスポックの言葉に、カークはスポックを見やった。今にも「不可解です」とか「理解できません」とか言い出しそうな、もの言いたげなのにどこか拗ねて口をつぐんでいるような佇まいである。それが先ほど垣間見た彼の幼少期を思い出させ、心底かわいいな、とカークは思った。本当に、うちのスポックは宇宙一かわいい。どの世界にも負けてない。
「りょーかい」
 軽く請け負って、カークはエンジンを入れた。やはりいい音だ。土埃を立てながらハンドルを切って、なだらかな丘陵を降り道路まで戻る。ブレーキを引いて見上げれば、何もない殺風景な大地を、ふたりのスポックが静かに歩いていた。いいなあ、とカークは思う。それからぼんやりと、アイオワを好きになれるかもしれない、と思った。君がいる場所こそ至上の楽園だ。確か青い鳥のオチもそんな感じだった。
 戻ってきた俺のブルーシャツは、むっつりとした表情でそのまま助手席に回った。彼がシートに座ったのを見て、カークは大使を振り仰ぐ。
 彼は、持っていたサイダーを軽く掲げた。吹き出して笑って、その瓶を指で弾く。
「エンタープライズに。じゃ、次はシスコで!」
「エンタープライズに。長寿と繁栄を」
 ギアを入れてアクセルを踏む。カークが大きく手を振ると、彼は小さく手を挙げた。



 祝杯をあげられた当のエンタープライズはというと、それはもう素晴らしい出来だった。内容はすべて頭に入っていたけれど、改めてバージョンアップされた箇所を実見すると、思わず歓声を上げてしまう。案内係のスコットは、そんなキャプテンの様子に始終鼻高々の様子だった。
 もちろん、上官と管理部が同行しているので、派手な喜び方はできない。そして視察はというと、形式的なものに終始した。というわけで、次第にカークは、いかにしてこの会を素早く畳むかということに全力で頭を回し始める。なんとかしてほかの人たちをさっさと帰し、身内だけでリフォーム後の我が家を走り回ることはできないか。さりげなく、冗長になりがちなスコットの会話を遮り、足早に進めていると、やがてスコットも何かを悟ったのか、必要最低限の簡易でスマートな案内に切り替えてくれたようだった。
 予定時間を大幅に短縮する形で、現場視察が完了する。特に大きな問題もなく、上官たちもほとんど慣れたものだった。ただ、『エンタープライズ』という名が持つその英雄性にはひどく興味があるようで、しみじみと彼女を見上げて過ごす時間を、彼らは大切にしているようだ。
 もちろん、カークにもその気持ちは分かった。
 うっとりと見上げて、彼女の素晴らしさに思いを馳せたい気持ちは、そりゃあ分かる。まじで分かる。けどもうあとは帰るだけなのに、彼女の足元でくどくどと思い出話に花を咲かせられても、それはそれで困るのだ。
 基本的に、仕事はきっちり必要分をこなすタイプである。つまり、さぼるときはさぼる。そして今は、後者でも良いだろうとカークは判断した。
 ちら、と隣のスポックを盗み見る。彼は常に、自分に付き従い、黙って説明を聞き、静かに佇んでいた。カークはまだ彼の口から、エンタープライズに関する感想を一言も聞いていない。
 顔を戻して前を見た。ワープ出力に関する質問に、スコットがぴっかぴかの笑顔で答えている。
 カークはおもむろにパッドを取り出すと、ブラインドにして通信画面を開いた。メッセージを呼び出して、そこにぱたぱたと文字を打ち込む。
「スポック中佐」
 そして毅然と、大佐然としたポーズで、カークは彼を呼んだ。スポックがこちらを向くと同時に、上官たちも何事かと視線を集めてくる。
「これを見てくれ」
 それには構わず、彼にだけ見えるようにパッドを持ち上げた。まるで重要な通知でも入ってきたかのように、厳しい顔つきで身を寄せる。
 スポックは、そんなこちらの様子に眉をひそめ、心配そうにすぐさまパッドを覗いた。
 ――ふたりで抜け出そう。
 つまり、スポックは正しく、今カークが書いたそのメッセージを目にしたはずである。彼は素直にこちらを見て、片眉をびよんと跳ね上げるので、カークは崩壊しそうになるくそ真面目な顔を必死に守らなければならなかった。
「今すぐ対処が必要ではないか?」
……キャプテン」
「君も懸念だろう。長くほっておくと、あとでどうなるか分からないぞ」
 じっとその双眸を見つめれば、スポックは息をのむ。それからいろんな算段を始めたのだろう、眼差しは、少し内側で考え込むような色合いになった。ああ、今すぐ笑いかけて、彼の背中をはたきたい。
「スポック、今すぐだ」
――分かりました」
 そっと目を閉じて息を吐いたスポックに、カークは内心ガッツポーズをした。それでも表向きは仰々しく頷いて、様子を窺っていたスコットたちに目を向ける。
「すみません、少々確認事項が。副長と席を外してもよろしいでしょうか」
「キャプテン、あんた――
「スコット少佐。あとは頼めるかな?」
……はいはい、分かりましたよ」
「何かありましたら後ほどお知らせください」
「承知しました、カーク大佐。我々もこのあたりで解散しましょうか」
 スコットのあきれ顔と、上官からの許可を得て、カークはキリリと一礼すると、スポックの腕を引いて踵を返した。おとなしくついてくる彼と連れ立って、次第に足運びが早くなる。そうしてお偉いさんたちから完全に姿が見えなくなると、カークはついに駆け出して、エンタープライズの昇降口にくるっと回って踏み込んだ。
「スポック! 早く来いよ」
 のんびりと歩いているスポックは決して急かなかった。小声で叫んでもじっとこちらを見るだけである。カークは我慢できずにその場で2周ほど回り、彼が追いついてくるのを待った。
「散歩前の犬のようですね」
「うるせーな。嬉ションしてやろうかこのやろう」
「うれしょん?」
「嬉しすぎて失禁」
……キャプテン、大人としての尊厳は守ってください」
「その顔はなんだ? 冗談に決まってるだろ? それともまじで俺がもらしちゃうって」
――ジム。私にも今、ある種の感慨が去来しています」
「感慨が去来」
「記念すべき日に、そのような馬鹿な話をしながらブリッジに踏み込むのは、あまりにも」
「ああ、なるほどね? いい思い出になったな! スポック!」
 複雑そうな顔をするスポックの背中をばしばしと叩いて、カークは盛大に笑った。思い出をきれいに保存したいタイプなのかと考えると、彼の記憶にこんな馬鹿な男を残すのは、なかなかに魅力的ないたずらに思えてくる。
 カークは真っ白な壁を開いた指でなぞって、くるんと振り返った。まったく、ひどく浮かれている。所構わずクラッカーを鳴らして、すべての通路を全力疾走したい気分だった。んふふ、なんて気持ち悪い笑い方をしても、スポックは何も言わずについてきてくれる。
 まっすぐ、ブリッジまで来た。
 反応の良いエアー音。開いた先には、ぴかぴかのコンソールと、座られるのを待つ椅子たちが揃っている。
「チェコフのあれを聞きたいな」
「キャプテン・オン・ザ・ブリッジ?」
 正解を答えるスポックを見上げて、頬を緩めた。それからカークは、ゆっくりと歩いていって、キャプテンチェアの背に触れる。そっと撫でて、ゆっくり離すと、やってきたスポックが傍らで足を止めた。
 副長と並び立って、フロントスクリーンを見つめる。映るのは造船所の機材と、広いアイオワの平原だ。
「座られますか」
 そう言われて、スポックを見る。彼はスクリーンを見つめたままだ。カークはゆるく首を横に振って、片手をチェアの背にかけた。
「それは、俺たちの『1日目』に取っておくよ」
 ブリッジは、静かだった。けれど、そこに座り、素晴らしい仕事をするクルーたちを、カークは幻視することができる。
 早く、と強く思った。
 早く、あの景色をちゃんと見たい。
「『1825日目』にも、取っておいてください」
 スポックのその言葉に、再びカークは彼を見た。今度はこちらを向いていて、なかなかに感情的な、切実な瞳で自分の船長を見つめている。それが少しおかしくて、カークは小さく微笑んだ。
「ずいぶん先だな?」
――大使が」
「スポック?」
「あなたがまるで、今生の別れのように思っていることを、不審に……、心配に、思っていました」
……君それ、俺にストレートに訊くんじゃなくて、それとなく俺を観察しろって言われなかったか?」
………
「言われたんだな。お前はほんっと、なんっつうか」
「なんですか」
「別に。そんな心配することじゃないよ。ただ俺は、将来とか未来とか、そんなの考えたことなかったから」
 5年後なんて、考えて生きたことがない。
 5年探査に出かけることと、その探査に出かけたら5年経つということは、カークの中ではまったく別の出来事だ。非論理的だ、と彼なら迷わず言うだろう。概念としては同じものだ。もちろん、それは分かっている。
 ただ、なんとなく。その先が想像できないから。今はただ、5年間のことだけを、今目の前にあるこの素晴らしい瞬間のことだけを、考えていたい。
「ちょっとね。長期戦略的思考に慣れてないだけ。あのじいちゃんも心配性だな、マッコイ病か? 感染力たけーな」
「ジム」
 強く、名前を呼ばれて、全身がぴゃっと跳ねた。パブロフの犬である。彼がこんな声を出すときは、いつもひどい目に遭うからだ。
 スポックは、首だけではなく全身で、こちらに向き直った。実直な眼差しは美しい虹彩を色濃く映し、端正な表情はただひたむきに、まるで焦がれるように向けられる。突然、とカークは息をのんだ。突然、そんな顔を、するんじゃない。
「私は、あなたにここにいてほしい」
 1歩後退しそうになる自分の足を、渾身の気合いでその場に留める。ほとんどすがりつくように、自分を支えるキャプテンチェアを握りしめた。
「1日後も、1825日後も。万を超えても、何億光年でも」
……光年、はちょっと無理筋じゃないか」
「たとえです。あなたがよくする」
 しねーけど?! と思わず逆上しそうになった喉から、勝手にぐぅと音が鳴る。これ以上ないほどに目を見開いている自信があった。
 スポックは、そんな自分に、ゆっくりと、噛んで含ませるかのように言葉を紡ぐ。
「あなたがここにいてほしい」
「ここ……
「ここです。ジム」
 かっすかすの声がぽろりとこぼれて、スポックはそれを丁寧に掬い上げる。
 そうして彼は、あろうことか、そっと身を寄せると、カークの頬にキスをした。
――は?」
「『は?』、とは」
 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。カークはただ呆然と、その感触を受け入れた。撫でるような、ほのやかな温かさ。スポック大使とは全然違う、俺のスポックの――
「はああ?!?!!」
 まで、考えて、カークは叫んだ。そりゃあもう叫んで跳び上がった。耳元で叫ばれたスポックは不快そうに、顔を離してカークを睨む。そんな彼の顔が間近にある、ということに再度驚いて、今度こそカークは足を引いた。
 けれど不快そうな顔のまま、スポックはカークの背に手を回して、完全に逃げを阻止してくる。
「なんっ?!?!!」
「何故」
「何故ぇ?! 俺のセリフ100%なんだけど!」
「彼とは親密そうに交わしていたでしょう」
「彼?! あ、じじポック?! いやそりゃそうでしょうよ!」
「じじポック……。ですから、私も友情を表明しました」
「絶対友情だろーなそれは?! なんかもー俺自信なくなってきたんだけど」
「あなたは私の友人です。それをあなたが拒絶するのは違うと思います」
「違うう?」
 ドッ真面目な顔でやっべえことを言い始めたスポックは、完全にこう、危険物だった。カークとしてはそうだ。自分が爆竹なら彼は火で、絶対にこう、アカンやつだと確信した。
 カークはもう一度、後退しようと足に力を入れてみる。けれどそれを「違う」と主張するスポックは、腕を回したまま、逆に強く拘束してくれやがった。絶望的である。
「お前のこれは、本当に俺が『違う』やつか?」
……違います」
「その違うはどの違う?」
「違う」
「嫌なんじゃなくて?」
――嫌です。ジム、5年後もあなたは生きている」
 ぎゅう、と抱きついてきたスポックに埋もれながら、カークはゆっくりと溜息をついた。このピュアな子にいったい何を吹き込んだんだあのおじいちゃんは。次会ったらただじゃおかねぇぞ、と決意を新たに、カークはほかほかした心地がするスポックの背中を、ぽんぽんと優しくなだめる。
「保証はできないけど頑張るよ」
「保証してください」
「無茶言うな」
 仕方なく、カークは背中を撫でていた手で髪を撫で、その頬にキスをした。するりとしたシンプルな感触がして、こんなところでもスマートだなあとカークは思う。そろそろ腕のホールドで骨が軋みそうなんだけど、この子は落ち着いてくれるだろうか。そんな気分に陥っているのは、アルバムで小さな彼の一生懸命な姿にたくさん触れたあとだからだろう。
「ここにいてください、ジム」
 彼はそう言って、丸い耳に鼻をつけた。
 答えないでいると、スポックはそのまま、頸動脈に口をつける。
――いや、それはおかしい」
 控えめに言ってもそれはおかしい。
 思わず、カークは据わった目で、重々しくそう宣言した。
 そうでもしないと、尾骨にちりりと走った何かに意味を持たせてしまいそうだったからだ。とんだ話だ、と一心不乱に思考を回す。
 だっておかしいだろう。まあ百歩譲って「ここにいてください、ジム」は許そう。こいつは一度自分が死んだせいで、『ジムの死』に関しては途方もないほどセンシティブだ。何か分からんけど不安に思って、こっちの骨を折るくらいくっついてくるのもまあ仕方ない。「ここ」ってつまりお前の腕の中ですか? という疑問はマントルまで届く墓穴というものだ。
 一般的な心理分析として、頬へのキスは親愛と厚情である。未来のスポックへ送るものは、それにからかいや冗談が混じっている。たぶん、お互いに理解している感情だ。
 そして今自分は、首へのキスに対する心理分析を、絶対にしてはいけないと確信している。独占と執着、などと言われたら、ちょっと立ち直れないかもしれない。ああもう。俺はヴァルカン人にはこの心理分析が通用しないほうに賭けるぞ。
「おかしい、とは」
「おかしいからおかしいんだ。おいちょっと待った、骨が折れそうだから離れろ」
「この程度で?」
「この程度で。お前かーちゃんに配慮しなかったのか、ハグくらいしただろ」
「力いっぱい抱きしめたのは幼少期だけです」
「お前、あんなにかわいかったのになあ……、いたいけで……
 それが今や、完成直後の仕事場で、上官の頭を景気よく沸騰させる危険物になり果てている。
 はあ、と大きく溜息をついて、おとなしく離れたスポックを見上げた。その物騒な仏頂面がなんだかいつもよりきらきらして見えるのは、自分がひっどい情動にもみくちゃにされて、ほとんど泣きそうになっているからだろう。まじで勘弁してほしい。
「私の幼少期を、あなたは知らないはずですが」
「言葉のあやだよ」
 完全に上気しているのが気になったのか、スポックはカークの頬にそっと自分の手の甲を押し当てた。
 今の彼が「当たり前」とする、そんな親密なしぐさのことを思って、カークはへにょっと眉尻を下げる。
 仕方ない、彼は嬉しいんだ。俺と友だちでいることが。
 今の俺と同じくらい、嬉しがって浮かれている。
「またそれですか」
「慣れろ、俺に」
 カークはにんまりと笑みを浮かべると、彼の肩をぽんと叩いて踵を返した。そろそろ戻らないと、スコットに何を言われるか分からない。
 くるりと振り向くと、スポックはじっとこちらを見つめていた。小さく首を傾げて促せば、彼も顎を引いて頷く。スポックが隣に並ぶのを待って、カークは元気に歩き出した。






【ひとこと】
ちびポック・いまポック・じじポック。スポック三段活用。