はるの
2022-08-08 22:20:44
50253文字
Public スタートレック
 

ハロー、いとしの異星人

全年齢|AOS spirk|2021.3.12|5年探査前、ヴァルカン人のデレ期によってジムがひどい目に遭うシリーズ。



アラベスク・ナンバーワン / Thinking of You


 打ち合わせが終わって解放されたカークは、そのまますたすたと艦隊司令部の施設を抜け出した。
 別にさぼるわけではない。スケジュールは空いており、やるべき仕事もすかすかしてきたので、ここらでちょっとブレイクタイム、というわけだった。通りすがりの職員に声を掛けられてにこやかに応対しながら、ときどき求められるハイタッチを気軽にこなし、カークは上機嫌に扉をくぐる。そうしてまっすぐやってきたのは、いつもどおりの医療部だった。
 地球でのマッコイは、あまりラボに詰めるということがない。なんだかんだ言って彼は現場人間で、面倒だなんだとごちゃごちゃ不平を垂れながら、最も煩雑であらゆる技術を要求される救急センターのヘルプに入ったりするような男だ。夜勤明けの燃えカスのようなありさまを出迎えたときなんかに、常勤スタッフじゃないんだからもう少し楽な場所で働けば、とカークは文句を言ったことがある。彼の健康そのものが心配になったのもあったが、気軽に飲みに誘えないのが非常にネックだったからだ。けれどそんな拗ね顔の親友に、彼はどうでもよさそうにこう言った。
 ――有事のときの航宙艦に一番雰囲気が似てるからな。いろいろ学ぶことも多いんだぞ。
 もちろん、カークは「それってつまり俺のために頑張ってるってことじゃん」と叫んで跳びついたし、彼は「俺のためだばか」と言って苦い粉薬を口いっぱい頬張ったような顔をしたわけなのだが。なんだか異様に嬉しかったので、カークはそれ以来、自分から歩み寄るようにしている。
 つまり、こんなふうにちょっとした休憩をするときは、自分のデスクの近くではなく、メディカルセンターのリフレッシュルームを訪れることにしたのだ。実際、センターで患者を受け持っているマッコイは、カークより忙しい男である。
 特にアポイントを取ることもないので、会えるときもあれば、会えないときもあった。カークとしては別にどちらでもよく、会えたらラッキーくらいのノリだ。そうして通い始めると、そのうち看護師に行動様式を覚えられた。最近では見知った顔同士で軽く挨拶をするし、マッコイの手が空いていれば「ドクター呼んできますね」と笑顔で言われる始末である。忙しいなら顔を出さなくていいとは言ってあるので、面倒くさそうなポーズで看護師に引っ張られてやってくるマッコイを見るのは、カークにとって一種の楽しみになっていた。
「ハイ」
「キャプテン、こんにちは。今日は千客万来ね」
「千客万来?」
「ドクターなら向こうにいるよ」
「ありがとう」
 ナースセンターに軽くそんな挨拶をして、返された言葉に首をひねりつつ、カークはいつものリフレッシュルームを覗く。
 そこには言われたとおり、マッコイと、そのマッコイに何か話しているキャロルと、その隣でカップを傾けるウフーラの姿があった。
「確かに千客万来だな?」
「ジム」
 思わぬクルーとの遭遇にうきうきと近づいていくと、真っ先にマッコイが気づいてうんざりとした表情を投げてきた。まあ、彼のこういうしぐさはだいたいがフェイントである。笑顔を向けて腕を軽快に叩き、とりあえずカークはウフーラに視線をやった。彼女は肩をすくめて目玉をくるんと回すと、カップを持った手でキャロルを指差す。
「ちょっと、なあにそれ。私はただドクターの医学的見解を聞きにきただけです」
「医学的見解?」
「近距離フォースシールドに対する人体への影響について」
 ウフーラに挑発的な笑みを返したキャロルは、わざとらしいつんとした顔でぽんぽんとパッドの存在を主張した。カークが疑問を呈すれば、なるほど彼女らしい回答が寄こされる。
 マッコイはうるさい虫を払うように手を振って、ドリンクのディスペンサーに向き直った。
「あのなあ。そんなんパッと訊かれてパッと答えられるもんじゃないし、俺より詳しいやつはごまんといるだろ」
「でも、一番信頼できるから」
 そんな彼女の理由に、カークはマッコイの隣へ移動する。ちらと表情を見上げれば、彼は顔をくしゃくしゃにしかめて、今にも唸り声を上げそうになっていた。遠慮なく笑ってしまって、マッコイに遠慮なく睨まれる。それでも構わず、彼の肩に軽い頭突きをかまし、カークはにやにや顔をやめなかった。
 〝キャロル・マーカス〟に対して、あらゆる意味で気を遣う人々であふれたこの本部で、確かに一番信頼できるのは、マッコイをおいてほかにはいないだろう。
「あとでレポート送ってくれれば確認するって」
「おいジム!」
「ありがとうドクター!」
 振り返って勝手にそう答えれば、マッコイは悲鳴を上げて、キャロルは歓声を上げた。ウフーラはあきれたように笑っているし、カークもすごく楽しくなって、元気いっぱいコーヒーをセットする。ぽんぽんと優しく親友の肩を叩けば、彼は深々と溜息をついた。
「キャロル、ボーンズは攻めには強いが押しには弱い。覚えておくといいぞ」
「おいやめろ」
「アイアイ、キャプテン」
「アイアイじゃなくてだな。何なんだもう……、金髪碧眼の年下に苦労させられる星の下にでも生まれたのか俺は」
「仕方ないわドクター、最初に見たマッコイを親だと思うようにできてるの、その金のひな鳥たちは」
 ウフーラの絶妙な言い回しにキャロルと揃って吹き出すと、マッコイは天井を仰いで手のひらで顔を覆う。ぴよぴよと言いながらそんな彼にまとわりつけば、だから3歩歩いただけで健診の存在を忘れるのか、と思わぬ反撃を食らって、カークはコーヒーをこぼしかけた。



 そんなことをしていたら端末に着信が来て、カークはおっ、と反応した。現在地を尋ねるメッセージに、位置情報だけを送信する。
 たぶん今、スポックは、「何故ここに」という疑問と格闘していることだろう。ほくそ笑んでウフーラに目配せをすれば、彼女は疑わしそうな表情を浮かべる。そうこうしているうちに、背もでかければ歩幅もでかい、姿勢よく闊歩する我らが副長がやってきた。
「千客万来~」
「呼んだの? だからにやにやしてたわけ?」
「いいえ、大尉。どうやら彼のほうが私をお探しのようだ」
「キャプテン。――何かあったのですか?」
 眉をひそめてこちらを窺うウフーラに、カークは恭しく凝ったお辞儀をした。スポックは集まっている面々を見回すと、やや構えるように船長を見据えてくる。おそらくこのメンバー構成から、エンタープライズに関連した何らかの問題でも起きたのかと懸念しているのだろう。真面目でかわいいなあと思いつつ、カークはのんきに手を振って笑った。
「別に何も。たまたま集まった感じ?」
「あれ。でも私、もし休憩中のキャプテンを捕まえたいならここがいいって、医局の子にアドバイスをもらったわ」
「いつの間にそんなことに」
「そのうちエンタープライズのクルーが集まりだしそうね」
「別のところでやれ、別のところで」
 途端にわいわいと会話を始める面々に、スポックも納得したのだろう、警戒を解いて後ろに手を組む。カークはちらっと時計を見てから、コーヒーを飲み干した。カップをゴミ箱に捨てるついでに、スポックの胸をぽすぽすとノックする。
「なんだった?」
 問いかければ、スポックは一瞬、不思議そうに首を傾げた。それからすぐに気を取り直し、顎を引いて口を結ぶ。あ、こいつ、一瞬何しに来たか忘れたな、ということが分かるそんなしぐさに、カークは遠慮なく表情筋を決壊させた。なんだこの隙だらけのヴァルカン人は。新しい必殺技か何かか。
「ジム。今日の夜は何か予定がありますか?」
 しかして、こちらのやにさがった顔などものともせず、ド真顔のヴァルカン人はまっすぐにそう言った。
 今度はカークがきょとんとする番である。
「今夜?」
「はい」
「飯?」
「飯ではなく」
「うん?」
「あなたの家へ伺いたい」
「んん???」
 ということは、それはつまり、夜に俺の部屋に来たいと? ひとりで?
 言われたことがまさか過ぎて、カークはうまく飲み込めなかった。というより、脳が飲み込むことを拒絶した。それぞれの話をしていたはずのほかの3人も、突如しんと静まり返り、副長の発言を窺っている。
 カークは一度息を止めて、短くふっと吐き出した。
「何故」
「レコードのプレーヤーを貸していただきたいのです」
……うん?」
 また予想外の返答である。
 首を傾げれば、目の前のヴァルカン人は生真面目そうにまばたいた。
「レコードを手に入れたものの、私は再生機を所持していません。そして、あなたの部屋には個人で気兼ねなく使えるプレーヤーがある」
「あー、なるほどね。なるほどー……、部屋かあ……
「何かご予定が?」
「ないけど。うーん。持ってこようか? 明日にでも」
「レコードプレーヤーをですか? 手持ちで? 破損の危険を押してですか?」
「う、うん」
「私が訪ねるほうがよほど論理的では?」
「うん……
 なんとなく、素直にYESと言いたくなくて、カークはのらりくらりと会話を続ける。
 夜、自室で、彼とふたりきりになる。
 その環境に、たぶんいたたまれなくなる、という確信があったからだ。ちなみについ先日、スポックは自室を訪れたばかりだった。そして、そのときに起きた出来事はこうだ。
 レコードを聴いて、少しシリアスな話をした。彼になだめられ、彼をなだめて、指先を触れ合わせながら、お互いがだいじだと告白した。
 このざまである。
 正直しぬかと思ったし、またあのようなことが起こったら、ちょっとどうしていいか分からない。そういう警戒がある。
 うーんと言って視線をさまよわせるカークに対して、スポックは分かりづらく眉を寄せた。そして論理的な解決策を採択されなかった不満からか、強い視線を据えてくる。
「私が訪ねることに、何か不都合がおありでしょうか」
「な、ない~! そうだ、ボーンズは? ボーンズも呼ぼう」
「俺を巻き込むな」
「何故です」
「何故って。ほら、ボーンズもレコード聴きたいかなーって。お前がどんな曲選んで」
「聴きたいのですか?」
「これっぽっちも」
「聴きたくないそうです」
「この裏切り者! じゃあ、キャロルは?!」
「え、シンプルに困る」
「困るそうです」
「でしょうね~! じゃあもうウフーラが来るしかないな!」
「嫌だけど」
「嫌だそうです」
「嫌はシンプルに傷つくな……
 ううーん! と唸って頭を抱えると、状況が面白くなってきたのか、3人は愉快そうに笑って様子を見守ってくれた。そんな優しさは要らないから、今夜俺の部屋に来てほしい。そんな思いで恨みがましい顔を彼らに投げてみても、返ってくるのは生ぬるい微笑みである。
 スポックは、そろそろ「だだをこねる船長をロジカルパワーでぶん殴る」ターンに入りそうな雰囲気だった。怒らせたいわけではないので、カークは必死に頭を回す。何か、議論の余地で会話をつなげておかないと。何か。
「つーか、なんでいきなりレコードだよ?」
 よしこれだ、と思い立って、カークはぱっと顔を上げた。からかうような笑みをして、覗き込むようにスポックを煽る。すると思ったとおり、彼は嫌そうに1歩後退した。
「聴けない円盤を手に入れるなんて君らしくないな。スポックこそ非論理的なのでは?」
 調子よくそう言って、カークは腕を組んでみせる。うん、これならさすがのスポックもぎゃふんだろう。そのままなんかいい感じでうやむやにならないかな、と期待しながら笑みを向けると、スポックの真摯な双眸とかち合った。
 なんとなく、嫌な予感がする。
――私は」
 なんとなく、今すぐ彼の口を押さえつけなければならない、という勘である。
「ただ、オンラインでレコードを見かけたとき、あなたを思い出しました」
 けれど、カークには何をすることもできなかった。何もできずに、ただ立ち尽くし、そんな彼の言葉を聞き入れることしかできなくなる。
「あなたのことを考えながら、レコードを選びましたので。あなたと聴きたいと発想するのは、帰納法的かと」
 スポックは、語尾はもう遠慮がちになっていて、自分でもちょっと言い訳が苦しいな、と思っているような感じだった。ヴァルカン人め、とカークは思う。彼がヴァルカン人でなければ、この程度の些細な逡巡は当たり前の情動だろうに。なんてことをしてくれるんだ。
……しにそう……
 カークはかろうじてそう言って、両手で顔を覆った。直後にスポックの歯切れ良い「は?」が飛んできたが、正直それどころではない。
 くらりとめまいがしてふらつけば、ちょうどその先にいたウフーラが優しく支えてくれた。
「ジム、死にそうとは? ドクター?」
「あ、これ俺の案件じゃないんで」
「何故半笑いなのです」
……これだよ……、なあ、君の彼氏だろ、早くなんとかしてくれ」
「どうして? こんなにもかわいいのに」
「友情が強火すぎる。もうちょっとこう、中火くらいで焼かれたい。言って丸焦げになる」
「ここまでなつかせたのはあなたでしょ、君は君の薔薇に責任がある」
「大切なことのほうから俄然失明させにきてんだよ……
 めそめそと顔を覆ったまま彼女の肩口になつくと、ウフーラは笑いながらよしよしと頭を撫でてくれる。その親身な感触にひたっていると、ぐいと首根っこを引っ掴まれて引きはがされた。言わずもがな、スポックである。
 じろりと睨むと、同じように返された。カークはふんと鼻を鳴らして、楽しそうにウケているマッコイにじとっとした視線を突き刺す。
「今夜は絶対お前も来い」
「絶対嫌だ。あとは若いふたりでやれ」
「そういうのほんとやめて。待ってウフーラ笑いすぎじゃね?! この泥棒猫! つって俺を張り手してもいいんだぞ?!」
「なんでよ。スポックがあなたをハグしたいって言うなら絶対に止めないから」
「止めろよ!」
「ほら、お前のためだけにご友人が選んでくれたんだぞ? それをプレゼントにはせずあくまで自分の所有物にしてるあたりものすごくスポックだな」
「や、やめて~! そういう、なんか」
 耐えきれなくなってマッコイに突進すれば、彼もまた優しく受け止め、よしよしと頭を撫でてくれた。いや騙されねーぞ、という強い意志でぐりぐりと頭頂部をこすりつけると、よしよしががしがしに変化して頭をもみくちゃにされる。
 おいやめろよ、と言おうとして顔を上げれば、目の前にはいたずらっぽく目を細めるキャロルの素敵な笑顔があった。
「でも、嬉しい?」
 ――そりゃ、嬉しい。嬉しいに決まってる。彼の日常の端っこに、自分が思い浮かぶようになってることが本当に。
 けれどもちろん、そんな本音を口にできるわけがない。カークは再び顔を覆うと、マッコイの肩でううーっと唸った。キャロルはふふっと柔らかく笑って、よしよしと頭を撫でてくれる。
……それで?」
 そんなことをしていたら、再び首根っこを掴まれた。
「私はあなたの家へ伺ってもよろしいのでしょうか、キャプテン?」
「完全に敵地へカチコミするときの顔じゃん……、今からご友人の家に遊びに行く顔? これ」
 底冷えするような凄腕ファーストオフィサーボイスでそのように問われ、カークは彼の顔を指差して茶化す。途端に首元に力が入ったので、カークは慌ててばたばたと手を動かした。
「わかっ……、分かった! 分かったよ! 来てみやがれこのやろう! 元気百倍でおもてなししてやる……!」
「相当やかましそうですね」
「おい傷ついたぞ」
 真顔で失礼なことを言うスポックに一言付け加えながら、周囲のあったか~い雰囲気に包まれて、結局カークは覚悟を決めたのだった。



 終業と同時に、スポックはレコード大の大きな袋を抱えていそいそとやってきた。もうこの時点でしにそう、と思ったカークは、今日を無事生き延びられるか割と真面目に不安になる。
 カーンの事件から全快して以降、自分を友人の立ち位置に好んで置いてくれるスポックが嬉しくて、カークはなんだかんだと彼を構っていた。見かければ声を掛けたし、暇なときにはメッセージを飛ばす。彼は飲酒をしないので飲みには誘わなかったが、その代わり夕食にはよく誘った。マッコイといつもどおりに遊んでいても、なんだかやたらと時間が余って、その使い道がまるまるスポックへ向かったような形である。たぶん、女の子と遊ばなくなったからだろう。
 おおよそのところで下手に構えることをしなくなったスポックは、非常に誠実で、純粋だった。簡単な言葉で言えば、しぬほどかわいい、である。そう、しぬほどかわいいのだ。もうとにかくかわいくて、カークはほとんど浮かれていた。このすごいかわいいのが自分の友だちで、友だちの範囲でなら好き勝手していい、と思ったら、そりゃあお祭り騒ぎになるだろう。カークは一度スポックに、人が抗いがたい魅力を持っている、と褒められたことがあるが、彼こそ万有引力か何かを秘めてるんじゃないかと思っている。
 まあ、そんな感じで、構い倒しているのだが。
 どうも、ヴァルカン人のさがなのか、スポックの個性なのかは分からないが、ときどき1歩がすごくでかいのである。
 普段はつつましやかにひとり分の距離を空けて隣に座るような彼が、一足飛びでキスしてくるような――、もちろん、言葉のあやである。たとえ話だ。指先を合わせたことは忘れよう。とにかく、ときどき突然、ものすごく驚くようなことを言われたりされたりするのである。
 カークはそれを、ときどき受け止め損ねていた。
 たぶん、地球人的「友だち」が初めてすぎて、距離感を掴み損ねてるんだろうな、と自分の冷静な部分は冷静に判断しているくせに。
 ときどき、受け止め損ねて、ひっくり返って卒倒してしまう。そんな自分が馬鹿みたいで、情けないのにしぬほど嬉しくて、楽しくてかわいくてどうしていいか分からなくなる。
 だから、こういうことを何度も繰り返して、徐々に体を慣らしていけば、そのうち平気になるし、正しい距離を測れるようになるかもしれない、というのが、最近新たに策定した、カークのファイブ・ウィーク・ミッションであった。大やけどをするくせに、懲りずにスポックを構い倒そうとする自分の心理は、おおむねそんなところだろう。ものすごく欺瞞を感じるけど、たぶん気のせいだから絶対に気にしない。ちくしょう。
「じゃ~焼き肉でも食って帰るか」
「その選択肢はありません」
「お前はナムルでも食ってろ」
「その選択肢もありません」
 そんな適当なことを言いながら、肩を並べて歩いていく。この距離感はすごく気持ちいいんだけどなあ、とほとんど自嘲しそうな勢いでカークは笑い、結局夕食はハンバーガーをテイクアウトした。



 実際のところ、ものを食っていれば変にエモーショナルな雰囲気にはならないだろう、という守りに入ったプランである。しかし彼を部屋に招き入れて、さっそくカークは真顔になっていた。
 正直、ベッドインする目的以外で人を招き入れたことがほぼ皆無の部屋である。まともなダイニングテーブルはない。チェステーブルはあるが対戦を想定していないので、スポックの部屋にあるような椅子もない。隣に書斎はあるものの、地味で静かなあのワークデスクを、自分以外に見せるなんて冗談じゃなかった。
……ジム、あなたはいつもどのように食事を?」
 同じような発想に至ったのだろう、入ってきたスポックは不思議そうに部屋を見つめている。キッチンで適当に立って、とか、ベッドに寝転んで、などと答えようものなら、瞬時に小言が飛んでくるだろうと推察された。
 だが、どんなに強く願ったところで、突然椅子と机が虚空に捻出される、なんてことはない。いまだ宇宙誕生のメカニズムは神秘に包まれているのである。
……まあ、座って」
「どこに」
………
 仕方なく、カークはもみくちゃにされたままの上掛けを剥いで、ベッドを提示した。案の定、スポックの片眉が小気味よく跳ね上がるが、無視して今度はチェステーブルの駒をざらっと両手に集める。それを飾り棚の隙間に置いて、カークはずるずるとテーブルをベッドの近くまで移動させた。
 そうして顔を上げると、ビジー状態でフリーズしたコンピュータ画面みたいになっているスポックと目が合う。
 かわいくて、思わずカークは吹き出した。たぶん、怒られるだろうなと思いながら。
「顔」
……何から、指摘をすればいいのか」
「迷うくらいならしなくていい。ここはこういうもんだと思って」
「チェステーブルをこのような……、あの、ここでハンバーガーを食べる気ですか?」
「うん。だめ?」
「だめ……、だめ、だとは思わないのですか? 私というより、あなたは」
「それはソースがこぼれるから? 別に拭けばいいだろ、そんなの」
……ときどき、気が遠くなる思いがします」
「うんうん。そうだな。新しい文化に触れるとそうなるよな」
「いえ、これは確実に地球の文化ではなく、ジム・カーク文明の負の業績です」
「言い方」
 都合が悪くなると「これが地球の文化だから」とときどきうそぶいてごまかすカークへの当てつけだろう、さすがにおかしいと思ったらしいスポックは、しかつめらしい雰囲気で眉に力を入れるとそう言った。カークは声を上げて笑って、ばしばしとスポックの腕を叩く。それから、升目の引かれたテーブルにジャンクフードを置いて、勢いよくベッドに座り込んだ。そのままにやりとスポックを見上げれば、彼は目を見張るように沈黙したあと、そろりと隣に腰かける。丁寧に空けられたひとり分の距離がかわいらしかった。
 夕食をハンバーガーで、というのは、最初こそスポックに苦言を呈されたものだが、カークはこういう、気軽に食べられるものが好きだったし、子供が好きそうなメニューはだいたいのところ好きである。デミグラスのハンバーグがチーズに挟まれている風景など、この世の宝と言祝ぎたい、そう切々と語ってみれば、意外にもスポックは受け入れてくれるのだ。食べ物のジャンルに関しては、彼の中ではそこまでこだわることでもないのか、少し訴えれば大抵カークの意見が通る。
 隣でもそもそとベジバーガーを齧っているスポックを眺めながら、もうとにかくかわいいなあ、とカークは思った。
 初めてふたりでこの夕食に挑戦したとき、つまり、スポックがバーガーの紙をめくって、はむっとやったとき、カークはまじでかわいいなと、まじで心停止するかもしれないなと危惧したものである。この風景は何度見ても常に新鮮なかわいさがある。また折を見て食わせよう、などと思っても、その希望は苦もなく叶えることができるのだ。そんな現実に、ただただ気分は上昇する。そろそろ重力圏を振り切っていてもおかしくない。
「ところで、レコードって何拾ってきたんだ?」
 かわいいのを見ながらしみじみと食っていたら、かわいいののほうもなんだかじっとこちらを見つめ始めたので、カークは笑ってそう言った。唇の端を舐めてソースをぬぐい取ると、スポックは小さく首を傾げる。
「拾ったわけではありません」
「冗談だよ。ロック? ポップ? あ、待って、スポックがすっごいかわいい恋の歌とか持ってきたら面白すぎるな」
「ご期待に沿えず申し訳ありません。ピアノ曲です」
「ああ」
「それはどういった意図の『ああ』でしょうか」
「わかる~、の、『ああ』」
「恣意的すぎませんか?」
「クラシック? つまり、19世紀の?」
「はい」
「曲知ってるかなあ」
「私は知りませんでしたが、試聴をした際、もっと聴きたいと思いました」
「ベートーヴェンとか流れてきたらウケるな。ハンバーガーとベートーヴェン」
「ウケる、の意味が分かりません。持ってきたのはドビュッシーです」
 ふうん、と言って、カークは棚の上に置かれたスポックの荷物に目をやった。ドビュッシー。名前くらいは知っているが、クラシックには詳しくない。
 つまり、その試聴をしながら、こいつは俺を思い出してたわけか。
 昼間のやり取りがよみがえってきて、カークは口いっぱいにハンバーガーを詰め込んで立ち上がった。視線が追いかけてくる感じに振り向けば、問いかけるような眼差しが見上げている。
「俺が開けていい?」
 レコードを指差してそう訊くと、スポックはこくんと頷いた。カークは丁寧に手を拭いてから、包みを手にして中身を取り出す。ジャケットは、シンプルな幾何学模様だ。差し色の濃い青が美しく、作曲者とタイトルが欲のないフォントでタイプされていて好ましい。けれど、言語はフランス語だった。――またフランス語か。そう思って、ぎゅっと目を閉じ雑念を打ち払う。
 レコード本体を取り出すと、ジャケットと統一感のあるラベルだった。いくつか曲名が書かれているが、やはり読み取ることはできない。
「最初からでいいの? 何曲かあるみたいだけど」
 スポックに尋ねながら、カークはレコードをセットする。あとは針を落とすだけにして振り返れば、熱心に見つめる眼差しが絡んできた。
 そんなに気になるなら自分でかければいいのに、と、上滑り気味に、そう思う。
「はい。2つのアラベスクから始まるはずです」
「2つのアラベスク」
「第1番と、第2番です」
 ナンバーワン、と無意味に言葉を繰り返しながら、カークはそっと針を落とした。この、楽しみの前に「無音が流れる」、数瞬くらいの時間が好きだなあと思いながら、問題なく音がこぼれだしたのを見て立ち上がる。
 直後、派手にずっこけるかと思った。
 ぽろ、とこぼれた優しいピアノの音が、一気にぽろぽろとこぼれ落ちてあっという間に満ちあふれる。なんていうか、分からないが、とにかくすごくエモーションで、アフェクションで、なんかとにかく、きらきらちかちかしていて、とにかくそういう、そういうものを、手のひらいっぱい集めたような。ありていに言えば、「これを聴いて俺を思い出したってもうそれ恋か何かじゃないの?」ってくらいのそれである。勘弁してほしい。
 カークはちゃんと、立派に、真顔で、ベッドまで戻って座った。
 静かに実行犯を見やれば、スポックはじっとプレーヤーに見入ったまま、厳かに曲を聴いている。いや~、それはどうだろうスポックさん。これはどうだろうな~、アウトじゃねーかな~。それともアウトだと思っちゃう俺自身が逆にアウトなんかな? いやこの思考回路はだめだ絶対だめな予感しかしない。カークはただひたすら、真顔を貫き通し、動揺する心中をなだめすかすことに専念した。こんなときのために夕食をテイクアウトしたというのに、スポックはいつの間にか食べ終わっているし、自分の前にもゴミしかない。
 ふいに、スポックがこちらを向いた。
 カークはとっさに、何かを言おうとした。何か、まぜっかえすような、茶化すような、スポックがすぐさま怒ってアンブレイカブル・ファーストオフィサーにメタモルフォーゼするようなやつだ。こわばる口を開いて、開いて、力なく半分閉じてしまう自分に不甲斐なさが最高潮になる。
 スポックは、カークのそんな様子をつぶさに見つめていた。厚いまぶたから伸びるまつげ。深い色の瞳。まばたきでまたたく光。曲調がふっと変化して、静寂と不安と柔らかさに包まれる。
「ジム」
 知らず、ぐっと目に力が入った。そんなふうに、大切なものを大切に撫でるように呼ばないでほしい。
……頭を触ってもいいでしょうか」
……なんて?」
 アラベスク1番は、また最初の主題を繰り返し始めた。そんな力強いポリリズムの中、スポックはそんな素っ頓狂なことを言い始める。思わず、気合の入った怪訝顔をしてしまったが、これは無理もないだろう。スポックもつられるように眉を寄せたが、態度はどこか切実である。
「ですから、頭を」
「突然何」
「いえ。ただ、今日の昼から思っていたのですが」
 今日の昼、と言われて、図らずもクルーが集合したメディカルセンターのリフレッシュルームを思い出す。
 カークが首をひねると、スポックは体を少しこちらに向けて、背筋を伸ばした。
「あなたのご友人は、みなさん、あなたの頭を撫でるので」
……ので?」
「私も、すべきではないかと」
 何言ってんだこいつ。
 そう、叫んで、倒れ込んで、爆発四散してしまいたい。そんな衝動がカークを貫いて、たやすく意識を葬り去った。いや、これは確かに死んだと思う。死ぬ死ぬネタはスポックの地雷なので努めて口には出さないが、たぶん今、確実に自分は死んだだろうな、とカークは確信した。
 なんだかちょっと困っているような、拗ねているような、好奇心にそそのかされているような、そんなような情動をしぐさの中に隠している、ように見える、スポックは、腿の上で重ねていた手を、うろうろと重ね直している。かわいいか? ちょっといったん待ってほしい。
 つまり、友人がすなるという『頭わしわし』を、君もしてみんと欲したわけだ。
 かわいいか???????
 アラベスク1番はいつの間にか終曲していて、すでに2番が始まっていた。なんだか跳ねるような陽気な曲だ。実に雰囲気に合っている。もしここまでが計算なのだとしたら、スポックになら騙されてもいいとカークは思った。得体のしれない効能がある水とか勧めてほしいし、出所が不明すぎる貴金属の代わりにこの身を売れと迫られたい。
 カークはとにかく心して、顔を上げた。スポックの、じっと見つめる眼差しを見つめる。これが彼の、『期待』の色だ。こうして彼の情動を、ゆっくり覚えていけたらいいと無我夢中に祈っている。命がいくつあっても足りんな。
「どう、ぞ」
 つるりと返答できなかった自分に内心舌打ちをしつつ、カークはからかうような笑みを浮かべて少しだけ頭を傾ける。
 スポックは、もじもじさせていた手をほどいて、そっとこちらに伸ばしてきた。まるで研究者然としたその表情に、カークが少し笑ったと同時、まるで羽が乗るような軽さで、彼の指が髪に触れる。
 ――これはセーフなんだろうか。いや、セウトじゃないか?
 ふと、そんな不安がもたげたけれど、まるでおっかなびっくり、ちょいちょいと触ってくるスポックがかわいすぎてそれどころではなくなった。
「危険物かよ」
 口元に手を当てて肩を震わせると、ぐいと力を入れられる。
「ある意味そうです」
「爆発はしねぇぞ」
「そうは思いません」
「どういう?」
「この程度の接触で、無為に心を読むことはありませんが――
 そう言われて、カークは一瞬、息を詰めかけた。けれど問題なく、ゆったりと笑って、スポックのぐいぐいとした指圧を受け入れる。彼らのガチの交感は、もう少し複雑でルール化されているはずである。でなければ、もとより、カークはこの距離をスポックに許しはしなかった。
 スポックにこそ許さないだろう。こんなかわいい人に、自分のめちゃくちゃな心を読ませるなんて。
「とてもにぎやかに感じます。火をつけると大変なことになりそうな」
「ニトログリセリンかな」
「言いえて妙ですね」
 スポックは、楽しそうに髪の短い部分を撫でた。触ると気持ちいいとよく褒められる部分だ。少しくすぐったくて肩をすくめると、気を遣ったのか、スポックは手を丸めて指の背で触れてくる。
「で、感想は?」
「感想?」
「友だちの頭をわしわしした感想」
「そうですね……
 わしわし、ではまったくなかったし、マッコイは絶対こんなふうには触んねーぞってやり方だったけれど、カークは決して深く追求することなく、軽い調子でそう訊いた。これを深く考えてはいけない。自分の危機管理を司る直感が大声でそうわめいている。
 スポックは、しばらく考えながらもこそこそと髪を撫でた。思慮深い眼差しでカークを見つめながら、指の背で、こめかみからもみあげをたどる。未来から来たスポックにマインドメルドされた記憶が一瞬やってきて、ちょっとだけ体をこわばらせてしまうと、スポックはぴくりと反応して手を止めた。
 いや、あの。頬に添えたまま止まらないでほしいんですけど。
 どこか伺うような、真面目そうな双眸に覗き込まれて、カークは全力で満面の笑みに努めた。あーだめだ、だめだこりゃ、と思っている間にも、血圧が上がっているような気がする。いや、気のせいかもしれないけど。うん、気のせいだな、うんうん。
「みなさんが何故、あなたにこうして触れたがるのか分かった気がします」
「なに?」
――とても、気持ちいい」
 カークは、ベッドに座っててよかったな~と思った。何故なら、気ままに卒倒しても、優しいスプリングがこの身を受け止めてくれるからだ。
 というわけで、カークは勢いよく、バターン! つって倒れた。そりゃあもう倒れた。本当に勘弁してほしい。ヴァルカン人は気を許した相手には果てしなくデレる性質でも持ってるんだろうか、スポックのお母さんはどうやってこのすさまじい嵐を耐えていたのだろう。
「ジム?」
 やや焦ったようなスポックの声が飛んできても、カークは顔を覆ったまま、一心不乱にこの情動を耐えしのぐことしかできなかった。
 ――気持ちいいってなんだ。気持ちいいって。もおほんとに何なんだこいつはもおおお!
「何でもないですう!」
……まったくそのようには見えませんが。気分が悪いわけではないのですね?」
「その安心したような声もさああ」
「そのような声は出していません」
「感情に蓋をしてるから?」
「はい」
「もー絶対、それ絶対俺ごと蓋してっから! 俺とお前を区別しろよお前はよ~!!」
 ごろんごろんと転がりながら、カークは唸るようにそう言って、ただひたすらに顔を覆い続けた。
 そんなこちらの所業に、スポックはものすごくもの言いたげな圧を出してきたので、たぶん存分に眉を跳ね上げているんだろうと思う。
 結局、そんなデッドボールだらけの会話をうだうだと続けながら。したいことは必ずする男、スポックは、レコードがすべて回り切るまで、きっちりと聴き終えて帰っていった。
 カークの部屋のレコード棚には、「また聴きに来ます」としれっと言って、あのやろうが置いていった、ドビュッシーの名盤が挟まれている。






【ひとこと】
こういうジムを書いていると、カーリーのI Really Like Youいっぱい口ずさんじゃいます。あのトムかわMVすごくジムにやってほしい。道行くファンとセルフィしたりグータッチしたりしてほしい。まあ心のジムは「スポックがやった方が絶対かわいい」って言ってるけど…………そうだね……シンプルに憤死するのでは?(かわいいね)