黒竹
2022-09-16 20:45:17
10684文字
Public プロセカ
 

Dear my teacharのおまけ

文庫版のおまけ。短編一本とちょっとした場面のみの小テキスト。


3


 文化祭で賑わう女子校の廊下を、帽子にサングラスにマスクで完全防備な雫と、念のためにと愛莉から渡された伊達眼鏡をかけている遥と、特になにもしていない愛莉が並んで歩く。「なんで私まで?」芸能人でもなんでもないのに、と不満げに言うと、愛莉は肩をすくめながら斜めに遥を見た。
「あんたがいたころ中等部だった子がまだいるでしょ。高等部ほどじゃなくてもあんたの評判は広まってたんだから、騒がれて雫が巻き添えになったら大変じゃないの」
「そんなに気にすることないと思うけど」
 アイドルだなんだと言われてはいたけれど、別に学校中で持ち上げられていたとか、そこまで大仰な話ではない。過剰反応では、と思うものの、雫を引き合いに出されては強くも言えない。彼女のほうは正真正銘、用心しすぎるということはない存在なのだ。
 宮益坂女子学園の文化祭は、賑わいつつも進学校らしい落ち着きもあり、母校の変わらない雰囲気に少し安心する。体育祭などはともすればやる気のない生徒も出ていたものだが、文化祭だとそういう空気もなくてみんな楽しげだ。
「私は結局、しぃちゃんが通ってる間は中を見られなかったから新鮮だわ」
「最後まで招待券あげなかったのね……
「日野森さん、三年生のとき同じクラスになったけど、そういうことで騒がれたくないって感じだったね。純粋にバンドとして見てもらいたかったんじゃないかな」
「ま、『SHIZUKUの妹がいるバンド』みたいには言われたくないって気持ちは分かるわね」
 あまり周囲に聞こえないよう小声で会話しながら進んでいく。待ち合わせ場所にしている空き教室は三階にあるが、まだ時間に余裕があったから、特別教室の並ぶ棟を三人で冷やかしながらそぞろ歩きしていた。
 美術部の生徒たちが、教室の壁に色とりどりの布をくくりつけている。どうやらその布にキャンバスを貼り付けて飾る演出のようだ。最初の設えが良くなかったのか、何枚か布が落ちてしまっていて、それをやり直しているところらしい。遥も文化祭の実行委員だったときはああいったトラブルの対処に追われていた。粘着テープが足りないと言われれば届けに走り、ポスターが破れたと連絡を受ければ修繕に行き、誰かが倒れたと聞けば保健室に付き添った。大変だったという記憶はないけれど、愛莉には「よくやるわねえ」と半ば呆れられていた。
 今、愛莉の手には重箱が提げられている。そう、今日の日は数年越しのリベンジなのだった。在学中はとうとう叶えられなかったあの約束。約束をしたときは三人で、今は四人だけれどなんの不満もない。むしろ嬉しい。愛莉も腕によりをかけたと言っていたし、楽しみで仕方ない。
「そういえば、みのりセンセって美術部の顧問してるんだっけ?」
「ああ、うん。今年から。顧問っていっても絵を教えてくれる先生は他にちゃんといるらしくて、みのりさんは管理のほうだけしてるみたい」
「ま、せっかくだしちょっと見ていく?」
 そうだね、と軽くうなずいて教室に入ると、中にいる生徒たちが一斉にこちらへ注目してきた。他に見物客はいない。あまり人入りがなかったのかもしれない。
「わ……わっ」
 脚立に乗って天井近くの壁に布を打ち付けていた生徒が、こちらを見た瞬間にバランスを崩した。愛莉と雫が声を上げる前に遥が飛び出す。
 倒れる脚立を避けるように少女を受け止めて、一緒に倒れ込みながら咄嗟に受け身をとって衝撃を殺す。「遥!」愛莉と雫が駆け寄って倒れた身体を引き上げてくれた。
 ふたりに手振りで無事を示し、抱え込んだ少女の顔を覗き込む。
「ふぅ……大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい、ありがとうございます……
 脚立から落ちたショックとアクシデントによる興奮のせいか、少女の顔はひどく赤い。
 軽く制服についた汚れを払ってやってから手を引いて一緒に立ち上がる。ざっと見た限りでは怪我もないようだ。けれど、見えない部分を打っているかもしれないし、保健室には行ったほうがいいかもしれない。
 怖い思いをしただろうから、安心させるためにふわりと微笑んで、少女の髪を優しく撫でる。
「危ないから、脚立を使うときは他の子に支えてもらってね」
…………
「どうしたの?」
「っ、い、いえっ、すみませんでした」
 立たせる時に掴んだ手を離そうとしたら、なぜかぎゅっと握られた。
 おや?
「あーあ」
 愛莉がけっこう大きくため息をついたのが聞こえた。これは絶対に聞かせようとしている。
 振りほどくわけにもいかず、手を握られたまま黙っていると、少女は紅潮させた頬を隠そうともせずにこちらを見つめてきた。
「違ったらすみません、あの、桐谷遥先輩ですか?」
「そうだけど、私のこと知ってるの?」
「お姉ちゃんが桐谷先輩と同じクラスで。研究発表で一緒の班になって、その時の写真見せてもらってて。その……素敵な人だなって思ってたんです」
 少女はうわずった声のまま話し続ける。「似てるなって思ったんですけど、さっき『遥』って呼ばれてたから、もしかしてって」
 これは、愛莉にあとで恨み言を差し向けても文句はつけられないのでは? 横目で彼女のほうを見やると、ふいと顔を背けられた。これは伊達眼鏡で帳消しにはならないだろう。
「あ、あの、よければお礼を……。文化祭が終わってからお茶でもどうでしょうか!?」
 どうでしょうかと言われても。
「ごめんね、友達と一緒だから」
「あ、でしたらみなさん一緒に! もちろんお茶代は出します!」
 それは高校生にたかる大人たちというよろしくないシチュエーションになってしまうので余計に困る。
 やってしまった。最近平和だったので油断していたかもしれない。雫がオロオロしているのが目に入るけれどこちらから説明するのも憚られるし、あとで愛莉が教えてくれるだろう。
 あの頃は同年代だったから距離感もつかめていたけれど、今となっては年端の行かない少女を無下にするのも気が引ける。
 どうしたものかと悩んでいたら、後方から馴染みのある気配が伝わってきた。
「足りないっていう布もらってきたよ。これくらいでいいかなあ? ──って、わ、た、た、ひょえっ」
 ものすごく聞き覚えのある悲鳴と、どたんと倒れる音が聞こえた。たぶん、適当に抱えた布を踏んづけるかなにかして足を滑らせて転んだのだと思う。
 振り返ると、やっぱりというかなんというか、花里みのり先生が一抱えある布に埋もれて倒れていた。
「ちょっとみのりセンセ、大丈夫?」
「またドジしてー。しょうがないなあ」
 生徒たちがみのりの周囲に集まって、手を貸したり床に落ちた布を回収したりしてくれていた。相変わらずだなーと眺めている横で、愛莉も同じ表情をしているし、雫は「まあ、生徒さんたちに人気なのねえ」と言いたそうな呑気な様子だった。
「あたた、面目ない……
 苦笑いしながら顔を上げたみのりと、目が合った。
 あ。
 咄嗟に掴まれていた手を引いたが、存外強い力で抵抗されて離れない。美術部ってこんなに握力が必要な部活だったっけ。
 みのりが「あー」みたいな顔をした。この一瞬で色々と察してくれるのはありがたい。
 妙な誤解をされる心配はないものの、かといって他の子に手を握られている光景を見られて何も思わないわけでもない。
「ほら、先生も来たし、展示の仕事があるでしょう?」
「う……
 掴んでいる手に重ねるようにもう一方の手のひらをすべらせる。撫でられてさすがに照れくさくなったのか、込められていた力が少々抜けた。
 もう少しかな、と考えたところで隣にみのりがやってきて、不意に両手を頭の上まで上げると、誘うようにひらつかせた。
「ばんざーい」
「え?」
 少女がつられて両手を宙に浮かせる。自由になった遥の手が下りると同時に、今度はみのりに腕を引っ張られた。
「脚立から落ちちゃったんだって? どこかぶつけたりしてない?」
「あ、うん、桐谷先輩が助けてくれたからなんともない」
「そっか。良かった。でも今度からは気をつけようね」
 口元を緩めたみのりの表情に、少女も同じように笑みを浮かべた。さっきまでの興奮状態からやや落ち着いた雰囲気になって、ああこういうの得意だよねこの人、と遥は内心で感心する。
「それと」
 ぐい、と腕を引かれて身体を寄せられた。
「この人は先生のだから、駄目です」
「──ん?」
 一瞬、時が止まって、その中で雫だけがぽわぽわと笑っている。
「え……え!? みのりセンセ、え、桐谷先輩……!?」
 遥に迫っていた少女も理解が追いつかないらしくまともに反応できていない。それはそうだ。努力の甲斐あってみのりとは噂一つ立たなかった。まあどこかの桃井先輩とはなぜかいろんな風評が流れたものだったが、本人が蹴散らしていたからいいだろう。
 少女としてはまさに青天の霹靂、ショックで固まってしまっている。それを狙ったのかどうかは分からないが、みのりはそういうことだから、と目で語って遥を見上げてきた。
「そろそろお昼だし、行こっか」
 捕まえられた腕がそのままだから、みのりが歩きだしたらそれについていくしかない。握力なんて関係なく、遥はみのりに捕まえられたら逃れることはできないのだから。
 愛莉と雫も追いかけてきて、そのまま空き教室に向かう。なんだか衆目を集めている気がするが、たぶん、自分のせいでも雫のせいでもない。こんなふうに見られるのは初めてだから少し胸が騒いだ。
「いいの? あんなこと言っちゃって」
……遥ちゃんももう卒業してるし、先生たちには知られちゃったしいいかなって」
「けっこう妬いてた?」
「妬いたわけじゃないでしゅ」
 噛んだ。
「ふぅん」
 ニマニマしながら相槌を打ったらみのりの耳がみるみるうちに赤くなったので気分が良い。
 「手、つないでると目立つよ」「いいの」みのりがそう言うから、遥もその手をほどこうとはしなかった。


「みのりさん、大胆なことするのねえ」
「や……勢いっていうか、学校で遥ちゃんが迫られてるの見たら昔を思い出してつい……
「まあすごかったものね、あの頃の遥」
「迫られたことはそんなにないような……
 高校生活を思い返してみても、そういった記憶はそれほど浮かばない。どちらかというと周囲で好きに騒いでいただけで、直接なにかをされたりというのは多くなかった。
 みのりはむぐむぐと愛莉謹製の伊達巻を食べつつ、それと一緒に苦いなにかを飲み下したような顔をした。
「遥ちゃんはひとりひとりをじっくり見ることなかったから分からないと思うけど、中にはものすごい熱視線を送ってる子がいたんだよ」
「そうなの?」
「そうなの」
「そっか……みのりさんしか見てなかったから全然気づかなかった」
 みのりがむせて咳き込むのを、隣の雫が背中を擦って落ち着かせてくれる。
「でもいいわね。……私も愛莉ちゃんを私のって言いたいな……
「あんたはシャレにならないからやめなさい」
 話題になる規模が違う。
「だめ?」
「誰にも言わなくたってわたしはあなたのだし、あなたも誰にもあげないわよ」
 澄ました顔で愛莉が言うと、雫の瞳がダイヤみたいに輝いた。桃井先輩こういうところあるよね。だから遥ちゃんと噂になっちゃうんだよね。みのりと視線で言葉を交わし合う。本人に聞かれたら怒るに決まっているから口にはしないけれど。
 重箱の中身がほぼ空いたところで、「さて」と愛莉と雫が立ち上がる。
「それじゃ、わたしたちはもうちょっと文化祭覗いてくるから。残りはあんたたちで食べちゃって」
「え、ふたりとも行っちゃうの?」
「みのりセンセは一緒できるのお昼休みだけでしょ。ふたりの時間いらない?」
……い、いる……
 愛莉がぷかりと笑って軽く片手を上げた。
「こっちは文化祭デート楽しんでるから。ごゆっくり」
「じゃあ、また後でね」
 愛莉と雫が教室を出ていって、ふっと静かな空気が流れる。緊張感、みたいなもの。ただしひりついた感触はない。蜘蛛の糸を一本張ったくらいのテンションがふたりの間にかかる。おそらくはあの日の資料室に漂っていた糸の名残りだ。
 今はもうないはずのもの。
「愛されてるよね、みのりさんは」
「うーん、へへ、生徒たちにも友達にも恵まれてるなーって思うよ」
 謙遜するでもなく照れくさそうにうなずくみのりに目を細める。
「お昼休みが終わるまで、私たちも文化祭デートする?」
 むぐう、とみのりが低く唸った。そのなんとも言い難い表情が可愛くて、遥は眉を下げて笑った。
 答えはもうわかっているのだけれど。
「しない」
「先生だから?」
「そうです」
 食べ終えた重箱を片付けてから「さっきは手をつないでくれたのに」悪戯に笑いながら言うと、「あれは特別」ややバツが悪そうに言い返してきた。
 特別と言うなら、もうひとつだけ許されたい。
 蜘蛛の糸をたぐるような、そんな願いだ。
「ごめんね」
 身を乗り出してみのりの唇を一瞬だけふさいだ。
 みのりはどんな顔をしたらいいのか分からなかったのか、恥ずかしそうな、嬉しそうな、ちょっと怒っているような表情を浮かべて無言でいる。
「高校生のときにしたかったこと、今日みんな叶っちゃった」
 人目を気にせず手をつないで歩きたかったし、一緒にご飯を食べたかったし、キスも、したかった。
 今はもちろんすべてしているけれど、今このときにできたからこそ、この校舎に置いてきた未練みたいなものが晴れた気がする。
 みのりが細長く息を吐いて大人特有の眼差しを向けてきた。遥はそういうふうに見られるのが嫌いじゃない。
 もうすぐタイムリミットだということには気づいていた。
 するりと髪に潜ってきた手がなだめるように撫でてくる。
「帰ったらなんでもしてあげるから」
「うん」
「いい子で待っててね、わたしの遥ちゃん」
「ふふっ」
 ギリギリのところでラインを越えてきたことに腹の底をくすぐられて我慢できない。
 大人って本当にずるいなと思いながら、いい子なんてとっくに卒業している桐谷遥はもう一度かわいいひとにキスをした。