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黒竹
2022-05-30 22:37:11
23840文字
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プロセカ
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#1 Dear my teacher
【プロセカ】【みのはる】【花里先生パロ】
1
2
3
4
夏休みと言っても教師のほうは休みではない。毎日出勤するし、二学期からの授業計画を立てたり会議に出席したり、なにかと忙しい。もう慣れてしまったが、初めのうちは生徒の姿が見えない校舎を薄ら寂しく思ったりしたものだ。
とはいえ、もうすぐ運動部の子たちがやってくる頃合いだし、美術部や書道部も大会に提出する作品を仕上げるために登校してくる予定である。昼間のうちはそこまで閑散とするわけではなかった。
授業用の資料室の鍵を鳴らしながらみのりは廊下を歩いている。どこからか甘い匂いが漂っていた。家庭科室が近いのでそこから流れてくるのだろう。家庭科部がなにか作っているようだ。バターの濃い香りがする。昼食前にこれはなかなか厳しい。
誘惑に苛まれつつ資料室の鍵を開ける。と、横からパタパタと忙しない足音が聞こえてきて、振り向くと同時に勢いよく肩を抱かれた。
「ひゃあっ」
「ごめんみのりさん、かくまって」
ジャージの腕が伸びてきて、半ば強引に資料室に引きずり込まれる。後ろ手に鍵をかけて、ドアから離れた資料棚に隠れるようにしながらみのりの口をふさいできた。みのりはもう縮こまって黙るしかない。
数人の話し声が聞こえる。それと同時に強くなる甘い匂い。しばらくするとそれらがどちらも遠ざかっていって、声がすっかり聞こえなくなってからようやく口をふさいでいた手が外れた。
「はー
……
」
至近距離で深々としたため息が聞こえる。なんとなくぐったりした様子の遥が、みのりと顔を合わせて申し訳無さそうに眉を下げた。
「急にごめんね」
「う、ううん。でも、いったいどうしたの?」
「バスケ部のマネージャーが急病で休んだから、代理で手伝いに来たんだけど。休憩してたら家庭科部の子たちに見つかっちゃって」
部で作ったマフィンがちょうど焼き上がったから食べてくれと迫られたそうなのだ。話を聞いたみのりはきょとんと首をかしげる。マフィンくらい食べてあげればいいのでは? たしか遥は甘いものが好きだったはずだし。
遥は疲れた顔のまま腕組みをして、やや言葉を選びながら口を開いた。
「誰かひとりが作ったのだけ食べたら不満が出るでしょ? それに、マフィンのカロリーを考えると全部食べるのはちょっと
……
」
「あ、そ、そっか。遥ちゃんは遥ちゃんで、ファンの子たちを平等に扱わなきゃいけないんだね」
夏休み中だから全員いるわけではないかもしれないが、それでも先ほど聞こえてきた声から察するに、六、七人はいそうだった。みんなが作ったものをひとつずつ食べたとしても、総数としてはかなりの量になる。毎朝ジョギングをしてるくらいの子だ、それはさすがに及び腰にもなるだろう。
「にしても、みのりさんがいてくれて良かった。資料室っていつもは鍵がかかってるし、生徒は入れないから隠れるにはもってこいだし」
ようやく安堵の息を吐いて遥が言う。こちらもびっくりはしたけれど、事情を聞けば遥の手助けになれて喜ばしい。
バスケ部の手伝いのためか遥はジャージ姿だった。暑いのか上着のジッパーを全開にしていて、ジャストサイズの半袖シャツから浮かぶシルエットは腹部の薄さが目立つ。うわー。口の中だけで呟いて思わず撫でさすってしまった。
「
……
みのりさん」
「あっごめん! 触ったら気持ちよさそうと思ったらつい」
遥の目元が少しだけ赤い。いくら同性とはいえ、こんな気軽に触られることはこれまでなかったに違いない。いけない、いたいけな高校生を惑わせてしまった。高校生のおなかをいきなり撫で回すなんて誰かに見られたらただの危ないお姉さんだし、見られなくても単純に危ない。色々な意味で。
「って、は
……
桐谷さんも。休み中とはいえ学校なんだから、花里先生でしょ?」
人差し指で遥の鼻先を差しながら注意する。遥は自分でも気づいていなかったようで、おっとというように自身の口元を隠した。
「
…………
」
グラウンドからホイッスルの甲高い音が聞こえる。ソフトボール部のバッティングの音とか、ランニング中の陸上部のかけ声とかが締め切られた窓を通り越して耳まで届いた。遥のシャツの襟ぐりから浮き出た鎖骨がわずかに覗いていて、顔を見ないように視線を下げたはずなのに余計に耳が熱くなる。
遥が資料棚に手をついて迫ってくる。「ちょ、あの
……
」逃げるように顔をそむけると、その耳元に吐息が触れた。
「気持ち良かったですか、花里先生?」
「待ってそれわたしクビになっちゃうからクビじゃ済まないかもしれないからお願い誰にも言わないで」
路頭に迷ってしまう。
違うものにはとっくに迷っている。
遥は不満げに唇を尖らせていて、やっぱりこの間のこと怒ってるんだ、とみのりは胸中で唸った。
「ねえもぉぉ、お願い遥ちゃん、誰かに見られたらほんとにまずいってば」
「さっき鍵かけたし、カーテン閉まってるから外からも見えないよ」
「そういうことじゃないの。ね、ほんと、もう戻ろう? ここにふたりでいる理由ないよね?」
「うーん、じゃあ、花里先生に進路の相談してたってことにしようかな」
優等生とは思えない悪いセリフだった。第一、どうしてこんな状況になっているんだろう。いや最初に踏み違えてしまったのはこちらだけれど。
進路相談なんて言ったって、調査票はとっくに提出済みのはずで、成績優秀で授業態度も真面目、先生たちからの信望も厚い桐谷遥がなにを相談するというんだろう。
「進路じゃ駄目なら、将来の夢でもいいですよ」
「
…………
」
やっぱり怒ってた。
観念して身体の力を抜く。
「
……
前に、わたしが覚え違いしてるって言ったの、栞のこと?」
「正確には覚え違いっていうか、半分正解っていうか」
テストだったら三角がつけられる回答。彼女は満点の回答を覚えていたわけだ。そしてみのりがそう答えてくれるのを期待して、それを裏切られたからがっかりした。
「思い出したよ。遥ちゃんが大きくなったらなりたいもの」
ひゅ、と、遥の喉がかすかに鳴った。かすれたその息遣いをどう判断するべきか迷う。
「特別な人の、およめさん」
「──うん」
そして彼女はクローバーの栞をくれた。みのりお姉ちゃんは
特別
﹅﹅
だから、と。
クローバーの花言葉。
──忘れないでね。約束だよ。
──とくべつ、だからね。
遥は半眼でこちらを見下ろしながら、これ見よがしにため息をついた。
「こっちの必死の告白を、みのりさんはものすごーくあっさりスルーしてくれたよね」
「うう
……
だって、遥ちゃんまだ五歳だったし、まさかそんな意味とは
……
」
それに自分もまだ中学生で、文脈を読むのはあまりうまくなくて。
第一、たまに一緒に遊ぶ程度の間柄で、遥の態度もそっけなかったし、そんなふうに見られているなんてまったく思っていなかった。
「さすがに中学生が五歳の子をそんなふうに見るのは無理だよぅ」
「ま、それは私もそう思うよ」
身体を起こして飄々と言う遥。自分でも期待しすぎていたことは自覚していて、それについてはどうこう言うつもりはないようだ。
みのりはさっきから自身の足元を見ている。そこにいるのは幼い彼女の幻覚だった。
「今は?」
「
……
そんなふうにしか見れないから、困ってる」
耳が焦げついて焼け落ちそう。再会してからこっち、びっくりするくらい顔も声も身体も理想なくらい好きな造形をしていて、希望そのものみたいに笑って、みのりさん、って、水晶で出来た鈴みたいに清らかに呼んでくれて。
そんな彼女を意識するなというほうが無理だ。
「そっか」
ややほっとしたように遥がつぶやく。
「良かった」
「
……
あの、遥ちゃん」
この流れはまずいと斜め後ろから冷静な自分が叫んでいる。遥は気弱な制止など気にも留めず、腕組みをして呆れがちな口調で話し始めた。
「みのりさんが帰ってくるって聞いた時、けっこう不安だったんだよ。なんせみのりさんってば、見送るのが嫌で泣きそうになってる私にあっさり『バイバイ』とか言ってくるし、その後も放置されるし、もうほんと私のことただの近所の子どもだと思ってるのがありありと伝わってたし。こっちに戻ったら戻ったで自分の可愛さに無自覚だし学校で人気出てるのにも気づかないし私が囲まれてるところ野次馬してるし」
「気づいてたんだ
……
」
ごめん、と小声で謝った。あの時に嫉妬みたいな感情があったかといえば、確かになかった。あっけにとられていて、なんとなく現実味がなくて、それこそ、テレビに出ているアイドルを見ているような気分だった。
だって彼女はあまりにも輝いていて、平凡で地味な自分とは、まるで違う世界の人みたいで。
遥は眉をきつく寄せて、「ただの生徒だよ」と乾いた声で言った。
「それに、そんなふうに思ってくれるなら、それってみのりさんのおかげだからね」
「え?」
「みのりさんが言ったんだよ。うまく笑えない私に、『みんなに希望を届けられるような、キラキラの笑顔をしてる子が好き』って」
「や、それは、そういうアイドルが好きって意味で」
「でも、好きだったんでしょ?」
だから頑張って笑顔の練習をして、少しでもみのりの『好き』に近づけるように努力して。
そして今があるのだと彼女は言う。
ダイヤの原石を磨いたのは年月ではなく彼女の努力だった。
その最初の一手が自分の言葉だったと聞かされて、出来上がった結果を目の前に差し出されているこの状況に気が遠くなりそう。
「どう? ちょっとはみのりさんの好みに近づけたかな」
「近づくどころか可愛すぎて直視できない
……
」
思わず両手で顔を覆う。十歳も年下の子相手になにを言わされてるんだろう。
ここまでしてくれた子に、栞を捨てても良かったとまで言わせてしまったことが心から申し訳なかった。それは、あんな約束はなかったことにしていいと、忘れてしまっていいと言われたのと同じことだ。
彼女はずっと約束を守り続けてくれていたのに。
「なら、約束ってまだ有効?」
「そ、れは
……
ちょっと考えさせて
……
」
「どうして? 今のってみのりさんも私が好」
「っと待って! それ、それはね、そうなんだけど」
咄嗟に資料のノートを遥の眼前に突きつける。視界を塞がれた遥が思わず「うわっ」と小さく悲鳴を上げた。
ノート越しに遥を見やりつつ、みのりは重苦しくため息を吐いた。
「あのね、この状況思い出して?」
学校で、資料室で、教師で、生徒。
「さすがに駄目だよ」
「クビになるから?」
「遥ちゃんが困るから」
家が隣同士なのは偶然。家族ぐるみの付き合いなのも親が理由。けれどこれはそうではない。花里みのりと桐谷遥の、当人同士の問題になる。だからいけない。教師は生徒を導かなければならない。
遥は眼前に掲げられたノートをどけさせると、子供っぽく唇を尖らせた。
「大人の『あなたのためを思って』って、ずるいよね」
「ずるくても大人はそうしないといけないの。桐谷さんなら分かってくれるって、先生信じてるんだけどな」
遥が苦虫を噛んだような顔をする。ここに来て『先生』を強調されたことに文句を言いたいが言えない、そんな表情。
しばらく口の中で虫をもごもごさせていた遥だったが、結局我慢して飲み下したらしく、諦めに似た眼差しをみのりに向けてきた。
「はぁい」
「ん、いい子」
みのりはぽこんと笑って遥の頭を優しく撫でた。
「今の子ども扱い、わざとでしょ」
「バレた?」
半眼で言われたのに、笑いながら肩をすくめる。
だってそうでもしないと、抱きしめてキスしてって言ってしまいそうで。
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