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黒竹
2022-05-30 22:37:11
23840文字
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プロセカ
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#1 Dear my teacher
【プロセカ】【みのはる】【花里先生パロ】
1
2
3
4
目を覚ますとすでに遥の姿はなかった。意外だ、教師のほうが登校時間が早いので、こちらが先に起きると思っていたのに。
朝食をとりながらテーブルの向かいに座る父親にそんな話をすると、呆れたように眉をしかめられた。
「あの子は毎朝、学校に行く前にジョギングしてるぞ。偉いもんだろ」
「え、そうなの?」
「お前が大学に行ってすぐくらいから始めたんじゃなかったかな」
ということは、小学生の頃から八年も続けていることになる。みのりはおののいた。自分が高校生の頃なんて一秒でも長く寝ていたくて布団の中で粘っていたのに。
やはりあの見事なスタイルを維持するには、そういう努力が必要なのだ。思わず自分のちょっとつまめる脇腹を気にする。いや、まだ、そこまでではない、と思う。でもウォーキングくらいはしようかな。
「遥ちゃんと一緒に走ったらどうだ?」
「
……
他の子に見つかったら刺されるかもしれない」
娘の物騒な発言に父親が怪訝な顔をした。
しかし、ジョギングか。ちょっと想像してみる。光る汗、真剣な横顔、整ったフォーム、すらりと伸びた脚が地面を蹴って、その動物的な美しさとわずかに上がった息のコントラスト。
絶対かっこいい。
自分の妄想で耳が熱くなった。そんな姿を見たら心臓が保たない。やっぱり一人でウォーキングをしよう。
朝食を済ませてから身支度を整えて、母親から渡されたランチポットを手に玄関を出る。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
母親に見送られて家を出ると、ちょうど隣家の玄関も開いて、中から制服姿の遥が出てきた。
「あ、おはようございます。昨日はお邪魔しました」
「おはよ。遥ちゃん、今日早いね?」
「ちょっとクラス委員でやることがあって。始業前に朝比奈先輩と図書館で作業する約束なんです」
「そうなんだ、大変だね」
ジョギングをしたうえ、早めに登校するなんて。どこまでがんばり屋さんなのだろう。感心感心。
ほんわかした気分になって、その気分のまま隣の遥の頭を撫でた。
「
……
あの
……
?」
「あっ、ごめん、高校生にもなって、頭撫でられたりしたくないよね」
うっかり昔みたいな気分になってしまったが、彼女はもうそんな褒められ方で喜ぶ年でもない。制服を着ているせいか、きちんと教師に対する態度を取っている彼女に、家の前だからってお隣のお姉さんとして接してしまったことも反省する。
「いえ、それは別に
……
」珍しく語尾を濁らせる遥。まあ、家族ぐるみの付き合いだし、大人相手に文句も言いにくいだろう。これはこちらの失態だ。今後は気をつけなければ。
そうだ、気をつけるといえば、なし崩し的に一緒に歩いてきてしまったが、これも考えてみれば良くないのでは?
「遥ちゃん、今って誰かに見られたらちょっとまずいんじゃ?」
「そうですか? たまたま登校時間が重なって一緒に来てるだけですけど」
「それはそうだけど。ほら、教師と生徒だし。いつもの遥ちゃんの様子を見る限り、他の子に見られたら大変なことになるんじゃ」
不可侵条約があるらしいし、それはもしかしたら教師にも適用されるかもしれない。見つかったら裁判でも開かれるのだろうか。それはさすがにちょっと怖い。
遥は少し困ったように笑って、学校指定のバッグを背負う位置を直した。
「あれは、みんなけっこう面白がってるだけっていうか。花里先生が来るまで先生方は年配の人ばかりで、他の学校との交流もあんまりないから。本気でやってる子なんてそんなにいないですよ」
「多少はいるんだね
……
」
現代文の先生なので文脈を読むのは得意だ。みのりの切り返しに遥は無言でごまかし笑いをした。
みのりが高校生の頃も、運動部のエースとか若くて人当たりの良い先生とかは騒がれていた。やはりあの年代にはそういう対象が必要なのだ。それが卒業してからなんの意味もなくなってしまったとしても、あの熱狂を肌で浴びること自体に意味があるんだろう。
「けどすごいな、わたしなんかずっと地味で目立たないタイプだったから、あんなふうに囲まれたら緊張で倒れちゃいそう」
「
……
ふぅん」
その一言だけ、なんだかさっきまで雰囲気が違った。少しだけつまらなそうな、ちょっと拗ねたような声音。
みのりは現代文の先生なので、文脈を読むのは得意だが口調から心境を推理するのは苦手だった。
内心ドキドキする。彼女は何が気になったんだろう。
「花里先生、最近、お昼とか生徒が遊びに来てたりしません?」
「え? あ、そうだね。一年生の子とかよく質問に来てくれるよ。この前は友達グループでフェニランに行った子たちがお土産のお菓子をくれたりして。先生だけ特別だよ、なーんて言われちゃった。やっぱり他の先生みたいに尊敬されるような先生にはまだなれてないんだね」
あはは、とから笑いしながら言うと、なぜか遥は半眼になっていて、前を向いたまま深々と嘆息した。
「
鈍
どん
……
」
「え?」
「なんでもないです」
「えーなに? なんて言ったの? 気になるよう」
しつこく食い下がってみたけれど、遥は教えてくれなかった。授業中じゃないから生徒は必ず答えなければならないなんてことはない。無言を咎める権利はみのりにはなかった。
しかたなく諦めて、遥の隣をずっと歩いていた。ううむ、やはりわずかに見上げないといけないのが悔しい。昔はあんなにちまっとしていたのに。
「先生、ぶつかりますよ」
「わわっ」
前方の電柱に気づかず激突しそうになるところを、遥が肩を掴んで止めてくれた。自分のドジっぷりは分かっているつもりだが、そこにあるだけの電柱にぶつかりそうになるなんて、どれだけ注意力散漫なのだろう。一人で歩いている時じゃなくて良かった。
いや、そもそも、一人で歩いていて電柱にぶつかったことなんてない。いくらなんでも目の前に電柱があったら避けて通る。
どうしてさっきは気づかなかったんだろう。見えてなかったのだろうか。どうして?
それまで何を見ていたっけ。
駅に到着して、遥がふと足を止める。
「帰りも遅いし、ちょっと疲れてるんじゃないですか? 疲労には糖分がいいですよ」
遥がバッグのサブポケットから小さなキャンディボックスを取り出して、中から個包装された飴玉をひとつつまみ上げた。
「良かったらどうぞ。電車の中で食べてください」
「あ、ありがとう遥ちゃん」
受け取ろうと差し出した手のひらに、飴の包みがコロンと落ちて、それから指先がかすかに触れた。
す、と、整った顔が少しだけ迫る。
「──先生だけ、特別だよ?」
耳元に届いた、潤みを帯びた声。
叫びだしたくなるのを咄嗟に堪える。
腰が砕けて動けなくなったみのりをその場に置いて、遥はそのまま改札を抜けて行ってしまった。
「──っ、え、ちょ
……
」
耳どころか全身が熱い。彼女の吐息がかかった右耳を思わず手で覆う。逆の手は飴玉を握りしめていて、中でかさりと音がした。
「は
……
破壊力が
……
」
心臓どころか全身が爆発しそう。なんだあの言い方は。飴をくれただけなのに、あんな、秘め事みたいな。耳から染み込んでくる言葉。不可侵条約ってあちらから侵食された場合はどうなるんだろう。
遥が何を考えているのか分からない。文章にしてしまえば、無邪気な一年生に言われた言葉と同じものだ。それなのにどうしてこんなにこちらの受け取り方が変わってしまうんだろう。
特別、特別って。なに。どういう意味?
──あれ?
もっともっと幼い彼女に、そういえば、同じようなことを言われたような。
なんだっけ、いつ言われたんだっけ。
「遥ちゃん、大きくなったらなんになりたい?」
「
…………
」
「えーっと、みのりお姉ちゃんはね、アイドルさんになりたいんだあ。知ってる? テレビでキラキラのお洋服着て歌ってるお姉さんたちのことだよ」
「
……
しらない」
「そっか。ご本もいいけど、テレビも楽しいよ。良かったら見てみてね。きっと遥ちゃんも笑顔になるから」
「ふーん」
「遥ちゃんはそういうのない? お母さんみたいなネイリストとか、お仕事じゃなくてもなんでもいいよ」
「
…………
さん」
「え?」
「
……
、およめさん」
「お嫁さんかあ! 遥ちゃんは可愛いし、いつかすっごい綺麗なお嫁さんになるね。お姉ちゃんも遥ちゃんがお嫁さんになるところ見たいなあ!」
「
……
ん」
「え? あ、栞? 綺麗だね、くれるの?」
「これ、いちばんすきな絵のしおり。みのりお姉ちゃんに特別にあげる」
「うん、ありがとう遥ちゃん! 嬉しいな、ずっと大事にするね」
「
……
ほんと? 大事にしてくれる?」
「もちろんだよ」
「じゃあ──」
クローゼットの中をひっくり返して、古い籐編の箱を取り出す。昔使っていたものだ。細々したものを一緒くたに放り込んでいた何でもボックス。あるとしたらここだと思う。
友達と交換していた手紙とか、当時好きだったアイドルの写真とか、使い終えた手帳とかを引っ張り出しつつ、目当てのものを探していく。
「あ、これかも」
うっすらと記憶がある、文庫サイズの詩集を見つけて取り出した。中学生の頃に読んで好きだったその詩集。本来なら本棚に刺さっているはずのそれが箱に入っている理由も覚えていた。家を出る時、間違えて処分してしまわないように、これには大切なものが挟まっているから。
文庫をぱらりと開く。それはすぐに見つかった。
クローバーのイラストが書かれた細長い栞。あった、と胸をなでおろす。なくしていたら遥に顔向けできないところだった。
「懐かしいなあ」
遥が仏頂面のまま押し付けてきたその栞は、なにか貴重なものというわけではない。書店のレジ前に置かれている、なんの変哲もない紙製の栞だった。それでも遥はずいぶんそれがお気に入りで、なんの気無しに遥の母親に栞をもらったことを話したらずいぶん驚かれた。
栞をひらひらと矯めつ眇めつしつつ、あのときのことを思い出していく。人間、どれだけ古い記憶でも、きっかけがあればスムーズに思い出せるものだ。
「確か、花言葉の話とかしたんだよね」
クローバーの花言葉を遥が教えてくれたのだった。まだ五歳なのによく知っているなと感心した覚えがある。
それから将来の夢の話に戻って、そこで。
そうだ。思い出した。
『──だよ。忘れないでね、みのりお姉ちゃん』
幼い幼い、子ども特有の高い声。
みのりお姉ちゃんは特別だから。
色々な言葉が彼女の幼い声で再生されていく。
「
…………
」
全身が熱を持って、喉がカラカラに乾いていた。
「待って、え、だって、そんなの、十年以上前で、遥ちゃんだってもう高校生だし。さすがに覚えてない、んじゃ
……
」
五歳と十五歳の間に挟まったクローバーの栞。
「
……
えぇ
……
?」
どうしたらいいんだろう。
階下でインターフォンが鳴るのが聞こえて慌てて階段を降りる。降りきった先の玄関ドアを開けると、遥が紙袋を持って佇んでいた。こちらに気づいて遥が軽く会釈をしてくる。
「いらっしゃい。どうしたの?」
「母がネイルサロンのお客さんからお菓子をいただいて。たくさんあるからお裾分けどうぞって」
「わ、ありがとう。今お父さんもお母さんも出かけてるから、帰ってきたら渡しておくね」
用事はそれだけなので、と玄関先で帰ろうとした遥が、一瞬動きを止めた。紙袋を受け取ったみのりの右手、そこに持ったままだった栞を認めてわずかに息を詰める。
みのりが視線に気づいて栞を持ち上げる。
「あ、覚えてる? 遥ちゃんが昔くれた栞だよ。この前ちょっと思い出して探したんだあ。ちゃんと見つかって良かった」
「良か、ったって?」
「え? だってせっかく遥ちゃんがくれたんだもん。なくしちゃってたら申し訳ないよ。これからちゃんと使わせてもらうね」
ひらりと栞を翻す。ふと、遥の眼差しが変わった。それと同時に雨の気配を感じる。空は雲ひとつない青空なのに。
遥は笑っている。笑っているのにどこか苦くて、なんだかふたりの間に透明な板が置かれたよう。
「
……
捨てちゃっても良かったのに」
ろうそくが消えるみたいに遥の顔から表情が失われていく。
懐かしさを覚えた。この顔。今よりずっと幼かったけれど、本質的にはまったく一緒の顔だった。
「はる
……
」
「捨てていいよ」
その表情は悲しいとか切ないとか寂しいとか、そういうものじゃなかった。
どうしよう。手のひらがどんどん冷たくなって、首の後ろから血の気が引いた。
間違えた。絶対的に、言葉の選択を間違えてしまった。
背中を向ける遥を追いかけようとしても、透明な壁が邪魔をして進めなかった。
首から下はどんどん冷えていくのに、顔だけがひどく熱い。
「い、今の
……
」
がっかりされた。みのりが栞の持つ意味をわざとごまかしたことに気づいて、彼女はひどく失望した。
それは、それは。
覚えているのだ、彼女も。
どうしよう。
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