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黒竹
2022-05-30 21:58:48
23046文字
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少女☆歌劇レヴュースタァライト
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#6 花盗人
【少女☆歌劇レヴュースタァライト】【ふたかお】【春に咲き匂う】
1
2
3
放課後になり、双葉はクロディーヌと示し合わせて殺陣部屋へ向かった。香子がまた駄々をこねるかと思っていたのだが、案の定手付かずだった課題を今日中に終わらせて提出するよう教師に言われて教室に詰めている。まあ愛城華恋と神楽ひかりも一緒だったので寂しくはないだろう。
二人とも動きやすいようにジャージに着替えている。軽くストレッチをしてから、木刀片手に対峙する。パチリと二人の間に清廉な空気が弾ける。
「さて、何にする?」
「そうね、『別れの戦記』の決闘シーンなんかどう?」
芝居の中で、二人は敵対する国の騎士としてライバル同士を演じている。一対一で行われる決闘は舞台の見どころのひとつだった。「よし」双葉が手遊びのように木刀を操り、戦斧に見立てて片手に構える。左手は存在しない柄へ軽く添えていた。
「それでいいの? 得物変えてもいいけど?」
「ハンデだよ。殺陣はあたしのほうが上手いからな」
「言ってくれるじゃない」
小さく肩をすくめ、クロディーヌも西洋の長剣を扱う手さばきで木刀を振る。
合図の声もない。
二人、同時に息を吸って、止めた。
「せいっ」
双葉が強く踏み込んで大上段に振りかぶる。切っ先をすんでのところでかわしたクロディーヌが半歩引いて木刀を突き出した。それもまた半身にかわされる。勢いのまま回り込んだ双葉が背後を取ろうとしたところで横薙ぎに払う剣先が襲った。飛び退って避ける。小太刀程度の長さしかない木刀を、それぞれ戦斧と長剣に変えて操っている。切っ先は鋭く速い。次第にその鋭さと速さが増していく。誘導しているのはクロディーヌだった。かつて行ったどの練習よりも、ともすれば本番で見せたものよりも速い。双葉の表情がやにわに真剣味を帯びた。ふざけているつもりはなかったが、クロディーヌに本気を引き出される。これは殺陣だ。相手を打ち負かせばいいというものではない。お互いの呼吸と視線と動きを合わせて、それでなお圧倒せしめるのが腕の見せ所だ。その緊迫感が石動双葉を高揚させる。速く速くと逸る気持ちとは裏腹に、視界はすべてがクリアになる。空想の剣戟が鳴り響く。黒騎士の鎧に跳ね返されてよろめき、そこを突かれて長剣が目の前に迫った。危ういところでそれをかわし、戦斧を打ち込む。甲高い音が戦場に響いた。
打ち込んで、離れ、廻り、迫って。
一合目から実に十六分二十二秒、型を通り越して即興で打ち合うまぼろしの戦斧と長剣。その刃がどちらも宙を舞い、地面に突き刺さった。
肩で息をしながらクロディーヌが腕を下ろす。
「今日も引き分けね」
「まったく、なかなかお前に勝てねーなあ」
双葉もゆるりと手の力を抜いた。
「次はなんにしましょうか」
「そうだな──」
それから四本連続で打ち合った。総じて一時間以上も木刀を振り続けていることになる。全身運動をそれだけ続ければいくら体力に自信のある舞台少女でも限界が近づいてくる。
最後にカァンと高らかに剣戟を鳴り響かせて、二人が止まった。
双葉がその場で大の字に寝転がり、「ふあーっ」大きく息をつく。
「やっぱクロと演るのは楽しいな」
「それはどうも」
二人とも集中しすぎて汗だくだった。木刀とはいえ当たれば怪我をする。それをほぼ全力で、しかもアドリブでずっと振り回していたのだから、一瞬でも気を抜いたら大惨事になっていた。そこまで追い込んだからこその消耗だった。
「ていうかクロ、気合入れすぎだろ。こっちは怪我人だぞ」
「なあに、手加減してほしかったの?」
「そんなわけあるかよ」
「でしょ?」
クロディーヌが双葉の傍らに腰をおろし、こめかみから落ちる汗を手の甲で拭った。
「どう? ちょっとはすっきりした?」
「はは、全然」
自嘲じみた笑みを浮かべて、双葉が天井を見上げた。「ぶっ倒れるまで動いたって、気なんか晴れねえよなあ」
それはクロディーヌにも覚えのある焦燥だった。あの時は、立場が逆だったけれど。苛立ちだけを本来ではない相手にぶつけて。
木刀を握り続けていたせいで細かく震える手を、力なく額に当てる。
「こんなことで消えるくらいなら、最初から悩んでなんかないんだ」
知ってるさ、それくらい。消え入りそうなつぶやきを、クロディーヌは幼子の泣き声みたいに受け止める。
よしよしと頭を撫でてやりながら隠された両目には気づかないふりをする。
「双葉、あなたもっと素直になりなさいよ」
「素直だよ」
「香子以外にはね」
双葉が黙り込んで、唇が小さく開いて、音はなく、呼気すら聞こえず。
クロディーヌはその唇を指先で捻り上げた。
「むぐぅ」
唐突な痛みに双葉が飛び起きる。「なにすんだよ」「私といるのにそんな顔するんじゃないの」クロディーヌの眼差しは少し怒っているようで、何かを隠すかのようにすがめられている。
「あなたが好きっていうの、嘘じゃないわよ」
「
……
クロ?」
顎先に手が触れる。高く秀でた鼻先と透き通った瞳が迫る。
彼女の吐息がかかって。
目は閉じなかった。
「あらあら、お邪魔どした?」
クロディーヌの背中越しに聞こえた声に双葉が瞬時に後ずさる。それで視界がひらけて、扇子を口元に当てて首を傾げている香子の姿が現れた。睥睨するような視線が届く。
もったいぶるように時間をかけて振り返ったクロディーヌが挑発的に笑う。
「野暮ね、もうちょっと待ってよ」
「いうてクロはん、今のしてへんやろ。なんのつもりなん」
「あ、バレた?」
香子の言うとおり、クロディーヌのいたずらは寸止めであって、まあ後ろからならそう見えるかな、という程度のものだった。そして後ろから見たはずの香子はまったく引っかからず呆れ顔でこちらを見据えている。
クロディーヌはわざとらしく肩をすくめると、「ほらね」と双葉に向き合い目を細めた。
「前までの香子だったら、たとえふりでも怒ってたわよ」
「は、はあ
……
?」
「もっと自信持ちなさい、英雄」
それはなんとも皮肉な呼びかけだった。先ほどの殺陣で演じた役にかけたものだろうが、皮肉と言える程度に石動双葉を言い表していた。
自己犠牲を厭わず、見ている者のいない迷宮で戦い続け、果てれば人知れず朽ちるだけの、王の国の世界の
守り手
アンギフテッド
。
英雄はいつだって寂しい存在だ。
「気合い入れて突っ走るのが双葉でしょ?」
ポン、と頭を叩かれる。
「あーもう汗でベタベタ。シャワー浴びて帰ろっと」
よく通る声でひとりごち、香子の横をすり抜けて行くクロディーヌ。すれ違いざま、香子が扇子を閉じて怜悧な視線をクロディーヌに向けた。
「クロはん、次やったら許しませんえ?」
「あら、ちょっとは怒った?」
「まだ怒ってへん。けど、うちは仏さんほど優しないさかい、三度も見逃してはあげられへんわ」
「肝に銘じておくわ」
幼い、だからこそ強い執着。
世界の覇者がそれを見せれば、他の誰も口出しできない。
座り込む双葉の前に香子がしゃがんで視線の高さを合わせた。彼女はずっと呆れ顔のままだ。
「病み上がりに何しとるん」
「いや、なんか、思いっきり身体動かしたくてさ」
そうは言ってもさすがに無理をしてしまったか、気がつけば左手首が熱を持って、脈打つような痛みが訪れている。香子がそれをテーピング越しに掴んだ。ぐっと力を込めてねじ上げる。強まる痛みに双葉が顔をしかめた。
「まったく、双葉はんときたら勝手に怪我なんかしはるしまひるはんにお世話されてデレデレしとるしクロはんと二人でイチャイチャしとるし、なんやの?」
「お前さっき怒ってないって言ってなかったか?」
「クロはんに怒らんのと双葉はんに怒るんは別の話や」
「ええ
……
」
理不尽だ。しかしその理不尽を受け入れてしまうのが石動双葉だった。そうなるようにできていた。そうなるように選んでいた。
選び続けた末の今だ。
ねじ上げられた左手を離してくれる気配はなく、双葉は歯を食いしばって痛みに耐えている。振りほどこうとはしない。常ならばそうすることもできただろうが、今、目の前にいるのは逆らうことを許されない、石動双葉のただ一人の指針だ。
「で? 思いっきり身体動かして清々したん?」
「
……
いや。だめだな。なんにも変わらなかったよ」
香子がようやく手を離す。双葉は膝を立て、痛む左手を休めるようにそこへ乗せた。もう片方の手の指先に木刀が触れている。
「あたしは、もっと強くなりたいんだ。もっとずっと、誰からもお前を守れるくらいに」
「ふぅん。ええんちゃう?」
「だから、お前よりも強くなりたい」
「無理やろ」
「やってみなきゃ分かんないだろ」
疲労と痛みと、もうひとつ双葉の内側で震える何か。それらを気合だけで抑え込んで、手にした木刀を香子に向ける。
「勝負しろ、香子。あたしが勝ったら」
「言えへんくせに」
出鼻をくじかれて木刀の先が床に落ちた。香子は平坦な視線をまっすぐに送ってきている。
「そないボロボロでうちに勝てるわけないやろ。負け戦に突っ込んでくんがかっこええとでも思うてはるん? はあー、ほんまに双葉はんはええかっこしいやわぁ。惚れ惚れしますなあ」
なんだかボロクソに言われていた。
「それで? 双葉はんは勝てもしない勝負に勝ったらどうしたいん? 絶対に叶わんのに、なにを願うん?」
「
…………
」
「言えへんのやろ? 双葉はんはいつもそうや。トップスタァになりたいいうんも、うちのそばにいたいいうんも、いっつもうちに隠してコソコソしはって。それで隠すならまるっと隠しといたらええのにそれもできんで尻尾出しはる。せやからええかっこしい言うんよ。そうやってうちにだけ中途半端なことばっかしはるさかい、うちが怒っとるいうんも分かっとらんやろ? 都合悪うなるとすーぐ黙りはるし。ほんま腹立たしいわ」
容赦なかった。
散々に打ちのめされて右手から木刀が転げ落ちる。言い返したくてもマシンガントークに圧倒されて言葉が出てこない。
さっきから香子が強要している、本当の願いのほかは、なにも。
双葉の内側で震えているのは。
過ちという大きな罪だ。
恋心を暴かれてなお隠し続けた願い。
そうじゃない、隠したんじゃない。いつだってそこにあった。見えてもいた。ただ「なにもない」と言い張っていただけだ。画してすらいない、喜劇のようなパントマイムでしかない。
いつだって始まりは彼女で、そうするのが幸福で、それが一番良いかたちで、己が望むかたちで、なんの迷いもない、一直線の進むべき道だと。
ブルリと一度震えた。きっと汗が引いて身体が冷えたせいだ。
「双葉はんは強くなりたいんやない。自分の弱いとこを見せたくないだけや」
それは。
なんとも無様な、自尊心だった。
「そんなんいらんわ」
見透かすように香子が言い、扇子の先で双葉の顎を持ち上げた。
眼の前にあるのは、何よりも価値を持った
黄金
こがね
の道標だった。
一度はごまかした。
望んでいなかった、望んではいけなかった、望まれていない、望むことを許されない、石動双葉の、
欲望
星罪
。
「あたしは」
喉が絞まる。緊張? いや、これはたぶん怯えだ。己が背負う罪科の重さに萎縮している。自分を奮い立てる。気合い入れて突っ走るのが石動双葉だ。たとえその先が断崖絶壁だったとしても。
「あたしは、香子がほしい」
石動双葉の両手はからっぽで、風切羽はとうに折れて、自由な彼女についていくのが精一杯だった。
飛べない鳥が美しい花のそばで鳴いている光景は、傍からみたら微笑ましいものとして映るかもしれない。
けれどそれは結局、どちらもどこにもいけないまま朽ち果てるばかりの終焉しか待っていない。
だからせめて、花は広い大地に咲き誇ってほしかった。
手折って独り占めしてしまえば、あとはもう枯れるばかりだから。
願いたくは、なかった。
彼女と並び立つほどの存在ではないと、自分で分かっている。
「お前はいつか千華流を継いで家を守らなきゃいけないだろ。それは、あたしの役目じゃない。そこにあたしは必要ない。だから言うわけにいかなかったんだ」
「はあ?」
「いや『はあ?』じゃないだろ」
「なに勝手なこと言うてるん。まあまあうちは千華流の跡継ぎやしそのうち踊りで天下取りますけど、それと双葉はんとなんの関係があるんよ」
「え、だ、だから、千華流はお前のあとも代々受け継いでいなかきゃならなくてな?」
ああ、と香子が得心したようにこぼし、つまらなそうに唇を尖らせた。
「そないなこと。別に他の流派でも跡継ぎがおらんで親戚筋に継いでもろうたところもあるし、跡継ぎ養子なんて珍しくもないで。うちが守るんは流派であって血筋と違うわ」
「
……
そうなのか?」
「伝統芸能なんやと思うてはるの。おうちによっては何百年と続いとるんやで? そうそう都合よく才能ある子どもしか生まれんわけないやろ」
言われてみればそのとおりである。一番参考にしやすい幼馴染が才能の人だったせいでどこもそうなのかと思っていたが、門弟を何人も抱える一門の家元となればひとかどの人物が求められるだろう。それにふさわしい子どもばかりとも限るまい。
ふふんと、香子がいたずらに微笑った。
「なんや、このところつれなかったんはそういうことやったん?」
伸びてきた指先にするりと耳の後ろを撫でられて、喉の奥が小さく鳴った。
「い、いや、そういうわけじゃ」
美しく咲くばかりで実を結ばない花を、哀れと思っていたのだろうか。
それを手折る度胸もなかったくせに。
「うちのこと諦めたらあかんって、あれだけ言うたのにまだ分からんの?」
咲き誇るのは桜。ひと呼吸ごとに吸い込まれて全身をめぐり溢れていく。
花びらのつもる大地に倒れ込み、視界いっぱいにこがねいろが広がる。唇はふさがれているから花びらの入り込む余地はない。柔らかな濃香。見惚れるほど美しい顔が笑んでいる。
「ええよ。双葉はんにうちをあげる」
逃れられない呪縛。両腕はがんじがらめのまま。
けれどそれを選んだのは己だ。
それならそれは、信念とも、言える。
冷えた肌をなぞるように、あたたかな指先がすべる。導き手としての役割を持つそれは隙間なく石動双葉の輪郭をたどっていく。彼女の背に回した腕が次第に熱を帯びていく。
閉じ込めて、どちらが捕らえたのかも曖昧なまま、引き倒した身体を見下ろす。
「脱がして」
艷やかな声の、懇願みたいなそれは命令だった。
ふれるだけなら数えきれないほど。けれどそこに色をつけていく経験はまだ幾度もない。開いてたどってなぞって這って探って、彼女の肌を色づけていく。
それは、恋の色だ。
腕に伝わる感触も耳に届けられる声もかすかな息遣いも重ねられた手のひらも。
探るほどに輪郭は色を浴びて明白となり、二人の境は確固となる。
香子の手に探られて喉の奥から意思とは無関係に声が洩れ出る。ただの音だったそれがやがて意味を持つ音にかたちを変え始めて、引き絞られた声が、切迫をもって跳ねる。
「香子」
衣擦れに紛れるほどのささやかな呼び声を、花柳香子は確と聞く。
いつしか石動双葉の左目からはとめどなく涙が流れていて、追うように右目からも透明なしずくがつたった。
香子はそれを止めも拭いもせず、流れるにまかせて、ただ、双葉のあえぐ呼気を吸い込んだ。
唇と指先がたどるほどにあらわになる愛情を、まだ足りないとねだる。
それは大樹が根から水を吸い上げるさまにも似ていて。
双葉の頭を抱え込んで額を押しつける。左のまぶたに唇で触れると、奥底に花枝を持って嬉しそうに笑う子どもがいた。
それでええのに、と、香子は夢ごこちの中でひとり思う。
深く深く這入り込まれて、条件反射のように、小さな身体を折れそうなほど抱きしめた。
覚えたての快楽が笑いだしたくなるくらいに溢れて、それは無意味な罪悪感となって双葉に降りかかる。
すぐ耳元で荒らぐ呼吸。口から放たれるのは鋭い呼気ばかりで、花びらひとつ舞いはしない。
それは、さみしくはなかった。
葉桜となった枝から落ちる最後の一枚みたいに、涙がひとつ、香子の頬に落ちた。
「あたしにはそのうち、バチが当たるんだろう」
咲きほころぶ花を、ただ己のわがままで手折って、胸元に留め置くなら。
ブラウスの袖を通しただけの寝乱れた姿をさらしたまま、「んー?」双葉の首筋にゆるゆると腕を回して引き寄せて、香子が笑う。
「双葉はんはかいらしさかい、お天道さんもきっと見逃してくれはるわ」
花柳香子はとても理不尽でわがままなので、石動双葉の罪科を許すどころか、そんなものに罪はないと切って捨てる。
花一輪、盗ったところでなにほどのこともない。
ただの花が誰かにとっての宝石だという、たったそれだけのことである。
枕を並べてベッドに寝転がると、少し子供のころを思い出す。一緒に布団にもぐって、睡魔に襲われる直前まで他愛もない話をした。香子の野望のこととか、好きなお菓子のこととか、祖母に叱られてご立腹なこととか。
「
……
今と大して変わんねえな」
「なにがやの?」
「いーや、こっちの話」
片肘に頬杖をつきながら逆の手で香子の髪を撫でる。変わらないはずなのにずいぶん遠くまで来たものだ。
「お前がいっぱしになるまで守ってやらなきゃって思ってたけど、まさかこんなことになるとはなあ」
「ひとごとみたいに言わんといて」
確かに、と双葉が苦笑いする。
言えなかった想いを引きずり出されて、言えなかった願いを引きずり出されて、王国は最後に残っていた瓦礫さえも消し飛んで、からっぽだったはずの両手には一輪の花。
きっとこの手はもう二度とひらけない。
「しっかしこれ、もしかしていつかお師匠さんたちに言わなきゃいけないのか
……
。破門とかされたらどうすんだ
……
。むしろうちの親が怒りそうだよな」
「なに弱気になっとるん。双葉はんには最後まで付き合うてもらうさかい、そんな弱気や困りますえ」
「わーかってるよ」
家元の孫とはいえ、まだ香子は名前ももらっていない。襲名も継承もずっと先の話である。
まあ今からそんな心配してもしょうがないかと、双葉は肩の力を抜いた。
「だいたい、お前の言う『最後』っていつだよ。てっぺんとったって終わんないんだろ?」
「当たり前やろ」
「じゃあ、死ぬまでか?」
「そんなんで終わるわけないやろ」
香子は軽やかに撫で梳いてくる双葉の指先に目尻を下げながら、流し目に恋人を見上げた。
そして自信満々に、もうずっと前から決まっていたことのように告げる。
「百ぺん生まれ変わっても、あんたの居場所はうちの隣や」
「
……
ずいぶん先だなあ」
思いがけない言葉に双葉が思わず吹き出した。
いつかいつかと終焉に怯えてすり減っていたのが馬鹿みたいだ。
重荷を下ろした時に似た息を深く吐き出して、香子を抱き寄せる。
「そっか。じゃあ、最後まで付き合うか」
二人だけの王国を飛び出して、行ってみようか。
きっとこれからはどこへでも行ける。
星光館の朝は騒々しい。主に石動双葉の声がうるさい。「香子ー! おーきーろー!!」毎日毎日飽きもせず、よくやるものだと西條クロディーヌは歯磨きをしながら思うが、当の双葉だって怒鳴りたくて怒鳴っているわけではない。
「いい加減起きないと遅刻するぞ!」
「せやって、昨日は双葉はんがしつこかったさかい寝不足や
……
」
「勝手な記憶を捏造するな。あのあとすぐ寝ただろ」
呼吸をするように嘘をついてくる花柳香子。その扱いも慣れたものだ。
今日も今日とて、双葉はぐずる香子を叩き起こし、制服に着替えさせて、身だしなみを整える。
桜の練り香水をつけてやったところで、「あ、せや」ふと香子がつぶやき、自身の机に置いてあった小箱を手に取った。
「ああ、こないだ届いてたやつか? なんだそれ?」
「ん、双葉はんに思いましてな」
渡されたそれは香子が使っているものと同じメーカーのものらしく、見覚えの深い刻印がケースに刻まれている。開けてみると、桜の薄桃色に対して、こちらは淡い紫色をしていた。
香子が指先に練り香水を取り、双葉の耳朶になじませた。
「桔梗や。双葉はんにはこっちが似合うとるわ」
「ふぅん
……
?」
幼馴染ほどこういったものに造詣の深くない双葉は、ピンとこないながらも香子が満足そうなのでまあいいかとケースを受け取る。お互い、付き合いが長すぎて、イベント事のたびに贈り物をするような間柄でもなくなっていたが、その代わりにこんなふうに、なんでもない時に小物を贈り合ったりすることがあった。
今回のこれもちょっとした思いつきなのだろうと、深く考えずに受け止める。
廊下に出ると同じタイミングで天堂真矢が部屋から出てきた。「お二人とも、おはようございます」「おっす」「おはようさんどす」眉目秀麗な学年首席は優雅に一礼してから、なにかに気づいた様子で小さく「あら」とつぶやいた。
「石動さん、香水を変えられましたか?」
「ん? ああ、香子にもらってな」
「桔梗、ですか。なるほど、石動さんにピッタリですね」
「やっぱそうなのか? あたしにはよく分かんないんだけどさ、香子もそう言ってたんだ。な?」
「そうやねえ」
にこやかにうなずく香子と真矢。そこに純那とななも合流する。
「みんなおはよう」
「おはよー」
口々に朝の挨拶を交わして、「ここで集まって何してるの?」純那が首をかしげて尋ねてきた。
「双葉はんの香が変わったいう話どす」
「ああ、そういえば。へえ、桔梗なの? 珍しいわね」
「どれどれー」ななが双葉の首元に鼻先を寄せてみせる。「ふはっ、息が、待てくすぐったい」上機嫌に笑う双葉をななが両腕でくるんだ。
「桔梗ね。確かに石動さんっぽいわね」
「うん、いいと思います」
ばなナイス。ななが親指を立てる。
なんだかよく分からないが、自分で思っている以上に桔梗の香が似合っているらしくて、双葉はちょっと面映い気分になる。
「おいおいお前ら、褒めても何も出ないぞ」
言いながら、内ポケットから棒付きキャンディを取り出してそれぞれのポケットに差し込んでいく。真矢は普通に嬉しそうで、純那はあははと苦笑いし、ななは感情の読み取りにくい笑顔でいた。
「あ、真矢ちゃん、昨日のパンが残ってるんだけど、良かったら食べてく?」
「いただきましょう」
「じゃ、あたしらは先に行ってるぞ。また学校でなー」
どうせバイクなので連れ立って登校することはできない。香子と連れ立って玄関に向かうと、今度はクロディーヌと鉢合わせた。
「おはよ」
軽く手をたたき合わせて挨拶。
「どうしたの双葉、ずいぶんごきげんじゃない」
「ま、ちょっとな」
「うちのおかげや」
得意げに胸を張る香子だったが、いきさつを知らないクロディーヌは不思議そうに首をかしげるだけだった。それで双葉が今朝からのやり取りをかいつまんで説明する。
ようやく得心したクロディーヌが面白そうに笑った。
「なるほどね。言われてみれば前のと香りが違うわ。私もこっちの方が好きね」
「クロはんの好みは聞いとらんわ」
「はいはい、双葉によく似合ってるわ」
「よろしい」
クロディーヌと別れてバイク置き場に向かう。この寒さではさすがに香子も目が覚めるようで、背中に乗ってはこない。ヘルメットを渡したら表面の冷たさに「ひああ」と情けない声を上げていた。
それでももう雪の気配もない。遠からず春の訪れを感じるのだろう。
二人で過ごすようになって何度目になるかも分からない、新しい春だ。
「そういえば双葉はん、なんで急にばななはんに料理習ってはるん?」
「なんでって、だってお前、覚える気ないだろ?」
そしたらあたしがやるしかないだろ。当たり前のように双葉が答えた。
いつかの春。あるいは夏も秋も冬も、きっと石動双葉は花柳香子のそばにいて、相変わらず世話を焼いているのだろう。
二人で暮らしているのだろう。
「
……
双葉はん、なんであんだけ自信あらへんかったくせに、そこだけは信じとったん」
よう分からん子ぉや。半ば呆れたように言われたが、双葉は意味が分からなかった。
「どういうことだ?」
「なんもあらへん。双葉はんはかいらしなぁいう話どす」
「いや絶対ちがうだろそれ」
実は別に違っていないが、いちいち説明するのも面倒なので、香子は「ええから」とヘルメットで軽く双葉の頭を小突いた。
「はよ学校行くで。いつまでこない寒いとこに突っ立っとるつもりなん?」
それもそうだと双葉がヘルメットをかぶってバイクを引き出した。またがって重心を合わせ、香子が乗るのを支えてやる。
慣れた仕草でバイクを発進させる。冷たい風にさらされた身体の、彼女が触れている部分だけがあたたかかった。
出世払いにしているタクシー代は、百ぺん生まれ変わった頃にはいくらくらいになっているのだろう。
そんな益体もないことを考えて、石動双葉はひとりで笑った。
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