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豆炭々炬燵
9649文字
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ダークギャザリング
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【あしゅやよ】安全地帯
【ダークギャザリング】で月蝕尽絶黒阿修羅×寳月夜宵
黒阿修羅くんと夜宵ちゃんが意思疎通を図るお話。
※実際は爆速日程なのであればいいな程度に見て頂ければ
1
2
3
旧I水門の霊である少年は、あまり聞き馴染みのない無機質な音によって意識を引き上げられた。
少年霊の朧げな意識がかたちを為すにつれ、鳴り続ける無機質な音は隣で眠っていた夜宵が身動ぎ体を起こすとともに呆気なく息を引き取った。目を擦り大きく伸びをした夜宵は一緒に寝ていた旧I水門の霊が入っている形代──ライオン人形と向かい合い朝の挨拶を紡ぐ。
「おはよう」
入って間もない小さな入れ物の感覚にまだ慣れず、そもそも恐怖や敵意を纏っていない声を掛けられた事自体に少年霊は困惑して微かに形代を震わせるばかり。もっとも感情を表に出す方法は限られている為、形代を震わせることしか今の彼には出来なかった。
「
……
ふむ」
ただし、夜宵はそんな少年霊の機微を察したらしくひとり頷いた。
てきぱき寝間着を着替え寝ていたベッドの掛布団を整え、棚に並べられている形代たちと同じようにライオン人形を布団の上に座らせる。
「まだ置き場所作ってないから一先ず仮で」
抑揚のない夜宵の声が選りすぐりのヤバい霊たちが宿るぬいぐるみだらけの部屋にしみ込んでいき、そんな彼女の言葉を聞いた霊たちが何かを訴えるかのように一斉にカタカタと身を震わせ始めた。
不平、不満。形代に押し込められた者たちを夜宵が感情の宿らない重瞳で睥睨すれば、ぴたりと形代たちの動きが止まったので彼女はライオン人形の頭をひと撫でしてから部屋から出て行った。
この時の少年霊は知らなかった。大抵夜宵は新しい霊が入った形代は一旦ローテーブルの上に置き後日置き場所を作ることを。一部の例外を除き夜宵が形代と一緒に同じベッドで寝るという行為そのものが、どれだけ自分が他の霊たちより特別扱いを受けていることを少年霊は知らなかった。
部屋主が出て行き照明が落とされた薄暗い部屋の中。寒さなどなく柔らかなベッドの上に残された少年霊はただ何をするでもなく形代の中で膝を抱え顔を埋めては無意識に部屋の扉を眺め続けるのだった。
自室の扉を閉め軽い足音を立て階段を下りた夜宵は旧I水門の霊がした先の反応について思案に耽る。
それは一緒に朝食を食べている詠子との会話中にも同時並行で思考を巡らせ続けていた。
「(もしかしたら、あの子とは意思疎通が可能かもしれない)」
香しい匂い立ちのぼるふわっふわに焼かれたパンケーキを口いっぱいに頬張り、生クリームとメイプルシロップのハーモニー奏でる美味しさに舌鼓を打った夜宵は詠子に向かってサムズアップを決めたのだった。
「じゃあ夕飯前には帰って来れると思うから、お留守番よろしく。あ、お昼ご飯は冷蔵庫に入ってるオムライス温めて食べてね」
「分かった、気を付けていってらっしゃい」
前々から出かけると言っていた詠子に「螢多朗とデート?」と忘れず茶化した夜宵は明らかに挙動不審な彼女を玄関先で見送った。
詠子が手を振りつつ玄関扉を閉め、時間差を置いて施錠される音と遠ざかる気配を更に見送る。完全に詠子の気配を感じなくなったのを確認した夜宵は踵を返し自室へ向かい始めた。
「
……
!」
薄暗い部屋に響く扉の鳴き声。カチリと小気味よい音と同時に部屋の暗さが押しのけられる。
少年霊の凪いていた意識が浮かび、膝を抱えて其処に埋めていた顔をあげた。
部屋の主であり自分を柔らかくて小さな体に入れた少女──夜宵の動きを少年霊が目で追っていれば、彼女はライオン人形が座っているベッドに近付きその小さな体を優しく抱き上げた。
僅かな距離での移動だったが、少年霊は自分より小さくてか弱い腕が人形越しであるものの離れていく感覚に何故か手を伸ばしそうになってしまっている。
その疑問に首を傾げる暇もなく部屋のローテーブルの上に座らされた少年霊は真向いに座る夜宵からの落ち着き払った声に耳を澄ませた。
「私が返したスケッチブック今、出せる?」
夜宵の問い掛けに少年霊は何もない空間からスケッチブックをトサッとテーブルの上に落とした。
「
……
やはり」
思い当たる節があるようで夜宵の重瞳が緩やかにスケッチブックを眺め、何か言葉を紡ぐべく幼気なさ残る唇が開くも静かに閉じ殊更穏やかな声色で語り掛けた。
「詠子もいないし続きは下でしよう」
スケッチブックと共にライオン人形を抱えた夜宵は照明を落とした部屋にいる霊たちを一瞥し扉を閉めたのだった。
「さっきの続きだけど」
カーテンを閉め切っていないリビングルームは差し込む自然光も相まって夜宵の自室より格段に明るく開放的だった。先程と似たような対面。テーブルの上に置かれたライオン人形を真向いの椅子に座る夜宵は椅子を引き形代の中にいる少年霊に語り掛ける。
「君の目には私はどう見えている?」
彼女の声に合わせて閉じていたスケッチブックの表紙が捲られ、白いページに文字が浮かび上がった。
──かわったひとみの、おねえちゃんにみえる
浮かび上がった文字を見るなり夜宵の感情希薄な瞳が仄かに輝く。微かな憶測を裏付けるため、無駄のない動きでライオン人形とスケッチブックを抱え夜宵は近所の公園へと繰り出した。
陽気で過ごしやすい気候のお陰か公園中に微笑ましい光景が溢れ返っていた。遊具で遊ぶ子供、それを見守りつつ談笑する親、散歩するご老人たちに、初々しいデートをしているカップルとより取り見取り状態。
公園を見渡せるベンチに座った夜宵の腕の中には彼女と同じ方向を見る形でライオン人形が大事に大切に抱き抱えられている。
「今、君の目には公園にいる人たちはどう見えている?」
抑揚のない、されど期待感なぞ全てこそぎ落とした夜宵の言葉に彼女の隣に置いていたスケッチブックに文字が浮かび上がった。
──みんな、おかあさんにみえる
薄っすら気付いていた事態に夜宵は溜息ひとつすらしない。白紙だったスケッチブックを埋め尽くす少年霊の怨恨の言葉。黒いクーピーで繰り返し書かれる殺意の叫び。ページいっぱいに綴られていた言葉がぐにゃりと歪み人間の形を成そうとした瞬間、夜宵が強めの口調で窘めるより速くスケッチブックの表紙が独りでに閉じられた。
乾いた音を立て表紙が閉じられたスケッチブックから何事もなく平和な公園の様子を見遣った夜宵が抱き抱えていたライオン人形を自身と向かい合う形で抱き直しその無機質な目を見詰める。
「なるほど」
未だ沸き立つ衝動を抑えているのかライオン人形がカタカタ震えている。その様子を見た夜宵の幼く小さな手がライオン人形の頭をそっと撫でた。我慢をした子供を褒めるその行為にライオン人形の震えが止まり、少年霊が落ち着いたと見るや夜宵はライオン人形を抱き直しスケッチブックを抱え帰路へとついた。
てってこてってこ。家に戻る間、夜宵はふと産まれた疑問を口にする。
「今の君の目には私も”おかあさん”に見える?」
小脇に抱えていたスケッチブックの表紙が窮屈そうに起き上がろうとしているので、夜宵は器用に片手で持てばスッと表紙が捲られ白紙のページにじんわり文字が綴られる。
──おねちゃんは、おねちゃんだよ?
夜宵は少年霊の言葉を反芻しつつ、自宅の玄関扉の鍵を開け問い続ける。
「どうして私は”私”に見える?」
鍵を施錠し靴を脱いでいる間、隣に置いたスケッチブックを凝視していれば少しだけ間を置いてから文字がぼんやり綴られた。
──におい?
「匂い?」
脱ぎ終わった靴を玄関端に揃えたのちリビングの扉を開ける。公園に行く前と同じようにライオン人形とスケッチブックをテーブルの上に置き、夜宵が真向いの椅子に座れば少年霊自身よく分からないなりに考えているのか想いを文字に起こす。
──おねちゃんのにおい、がするから?
軽く拳を作り口元を隠した夜宵の目がスケッチブックに書かれた文字を凝視する。
「(この子は未だに目に映る人間が全て殺意の対象である継母に見える。ただし、そこに別の要素が加われば攻撃する相手の選別出来る可能性がある。例えば視覚に頼らない、匂いでの判別方法とは盲点だった)」
心の声がやや口に出てしまっていたようで夜宵が「──匂い」と小さな声で呟いたあと、何となしに腕を曲げ服の匂いを嗅いだ。毎日風呂に入り服も毎日洗濯し終わったのを着ているので別段顔を顰めるような匂いはしない。
「(よくてシャンプーかボディーソープ、柔軟剤系の淡い匂い程度しかしない筈。それでも、この子は私の匂いだと判別している)」
テーブルに座らせていたライオン人形を両手で持ち上げそのまま自身の首元にライオン人形の顔を埋めるかたちで夜宵が抱き締める。薄っすら形代越しに感じる少年霊の気配が夜宵の髪を微かに動かした。
──すきな、におい
スケッチブックに書かれる少年霊の言葉に悪い気はしない。が、夜宵はリボンで結い前に垂らしている髪の一房を掴み鼻に近付けた。
「(自分でも認知できない体から発散されている匂いだろうか
……
)」
夜宵自身髪の匂いを嗅いだところで仄かにシャンプーの香りがするだけ、の筈。そんな言い表しがたい不安感から彼女はもう一度自身の髪の匂いを嗅ぐのだった。
「(しかし、そうか私の匂いなら判別可能であれば詠子と螢多朗のも匂いを覚えさせれば
……
。いいや、それだと私と詠子、螢多朗しか攻撃しないだけで他の攻撃して欲しくない者に危害が及んでしまう。私の匂いが分かるなら都度攻撃して欲しくない相手に私の匂いを付ける? 例えば猫のようにぐりぐりと
……
。それも駄目だ。それだと私がいない場合の対処が出来ない)」
テーブルに両手を伸ばして突っ伏し、その間にライオン人形を置いた夜宵が小さく口を尖らせ唸る。特徴的な重瞳の眼差しが無機質なライオン人形の目の中に映り込む。
「(私とは別の匂いかつお手軽な何か──)ちょっと待ってて」
突っ伏していた上半身を起こした夜宵は椅子から飛び降り、急いで自室に行ったかと思えば両手に色々と抱えリビングに戻ってきたのだった。
テーブルの上に並べられる数本の小瓶たち。それとは別に透明なガラス瓶や何やらがスケッチブックが今まで置かれていた場所を占拠する。置き場所確保のためスケッチブックを小脇に抱えていた夜宵がライオン人形を掴み掲げた。
「出てきて」
子供らしからぬ落ち着き払った声色に導かれライオン人形の形代からどろりと旧I水門の霊が姿を現した。はじめて螢多朗たちと接触した時と同じ姿で現れた少年霊は自身の手を不思議そうに見下ろしては開けては閉めるをくり返す。
「君の目には今、私は何に見える?」
夜宵の問い掛けに少年霊は顔を上げ、昏く黒い夜の川のような瞳で彼女を見遣る。
「おねえちゃん」
念のため白紙のページが開いているスケッチブックに夜宵が視線を向けるが其処には何も描かれてはいなかった。そもそも少年霊が攻撃してくる可能性自体が皆無に等しかった為、夜宵は一切警戒せずスケッチブックを渡せば彼も彼なりに思うところがあったのかスケッチブックを手元から消した。
これにて攻撃する意志も何もない事が判明したので夜宵は少年霊の手を引き、先程まで自分が座っていた椅子に座らせ、その隣普段であれば詠子が座る席に彼女は腰を下ろした。
「これから特定の匂いを覚えてもらう。その匂いがする相手は味方だから攻撃してはいけない。逆に匂いがしない相手は敵だから思う存分我慢せず食べていい。けど、あまりありきたりな匂いでは混乱を招く恐れがあるから、これから君の好き嫌いも含め作成していく」
「すき、きらい?」
「刺激的な匂いは確かに覚えやすい。ただ毎回嫌いな匂いを嗅いで判断するより、好きな匂いの方がいいと私は思う」
「ぼくもそれがいい」
「決まり。それじゃあ早速日の目を見る事が無く片付けられていたキットを使って作成していこう」
ぱっと見、理科の実験教室よろしく始める夜宵はスポイトを意気揚々と掴み精油の小瓶の蓋を開けていった。
「この匂いはどう?」
「あまりすきじゃない」
「じゃあ、これは?」
「
……
おかあさんのにおいがしていや」
「ならこれは絶対なしで。次、これは?」
「う~ん
……
」
数回のパターンを含め混ぜ合わせていた夜宵も気付くほど、密閉した空間には色々な香りが混ざりあい隣に座っている少年霊に至っては辛いのか鼻を摘まんでいた。
「沢山匂いを嗅いで嗅覚が鈍っている」
そういう夜宵も鼻を摘まみ、椅子を下りて台所に向かい大量のチョコが入った菓子鉢を持って戻るなり、一個包装紙を取ったチョコを問答無用で少年霊の口に突っ込んだ。
「チョコは匂いをリセットさせる効果がある。ついでに物理的換気っ!」
身軽な動きで夜宵がリビングの掃き出し窓を豪快に開け放っていった。晴れ渡った青空がぐんと近くなる。端に寄せられたカーテンがふわり膨らみ匂いが籠った空気が新鮮な空気へと入れ替えられていき、深呼吸をすれば鼻腔内はおろか肺にまで溜まっていた匂いが消えまっさらな気持ちにさせてくれる。
夜宵が振り返った先、もごもごとチョコレートを食べては次のチョコレートを手に取り包み紙と格闘している少年霊の姿が目に入った。彼女は特に怒りもせず、彼に近付き包み紙の解き方を教え二個目のチョコレートを食べ終わるまで待った。
「おいしい」
「それは良かった。次からひとつ嗅いだらチョコ一個食べていいよ」
「ほんと?」
「うん」
夜宵もチョコレートを一個食べ、ふと少年霊の口元に付着していたチョコレートを彼女がティッシュペーパーで拭い、また二人は”好きな”匂いを手探りで作成し続けた。
そして、チョコレートの山が半分近く無くなり代わりに包装紙の小山が出来上がり始めた頃、明らかに少年霊の反応が違う匂いに辿り着いた。
「
……
いいにおい」
しみ込んだガーゼを鼻にあて匂いを嗅ぎ吐き出された少年霊の吐息の随分満ち足りたこと。夜宵も同じ匂いを嗅ぎ頷いては大元の香りを変えず多々他のものを混ぜ合わせ新たに出来たものを再び少年霊に嗅がせた。
「どう?」
「いいにおいのまんま」
「よし、匂いはこれで決定」
少年霊が気に入った匂いの成分表や配合量をスマホのメモ帳に残し、更には量を増やしたものを香水型の瓶いっぱいに詰めていった。ノズルを数回押してプシュっと出たものを手首に付けた夜宵は其れを少年霊の顔の前に差し出せば、少年霊は差し出された彼女の手首に付いた匂いをスンっと嗅ぎ取った。
「覚えられそう?」
「うん、おぼえられる」
「これからこの匂いがする相手は味方だから攻撃してはいけない。逆に匂いがしない相手は敵だから攻撃していい。分かった?」
「わかった。でも──、こっちのにおいのほうが、すき」
表情が乏しい少年霊の顔が夜宵の首筋に近付き鼻を鳴らす。目だけ追っていた夜宵は兎角嫌がる素振りを見せず、ハリのある黒髪を撫で「それは難しい」と言えば、少年霊が「ぼくはこっちもおぼえる」と返すのだった。
ようやく日の目を見れた精油セットを片付け、リビングの掃き出し窓を閉め終えた夜宵は未だチョコレートを食べている少年霊の様子を見ては頭の隅に置いていた一種の期待感を大きく膨らませていた。
チョコレート塗れな少年霊の口元をティッシュペーパーで拭い取り再び彼の隣に腰かける。夜宵の心なしかワクワクしている雰囲気を感じ取った少年霊は次のチョコレートを取ろうとしていた手を引っ込め彼女の方へ意識と視線を向けた。
「スケッチブックまた出せる?」
「うん」
何も無い空間からスケッチブックが少年霊の手元に現れた。
「貸してくれる?」
「はい」
少年霊からスケッチブックを受け取った夜宵は表紙を捲り徐にシャーペンを取り出してはノックボタンを押し先端から芯を出した。
「ここに私がイラストや文字を描(書)いても平気?」
「へいき」
「ありがとう」
少年霊から許可を得た夜宵は今まで彼がしていた戦闘形態をイラスト化、呼称を付け説明しながら書き綴る。その際、少年霊からも形態時がどのような状態で何が強みなのか訊いては頷き彼へ新たな呪いの応用法と戦闘知識を入れ知恵していったのだった。
「────で、第六形態で身を守りつつ力を溜め、新たな形態へ移行した際の
……
、デザインはこういうのでどう?」
第五形態『哭』を参考に描いたイラストは夜宵としても渾身の出来だった。出来だったのだが当の本人はあまりお気に召していないのか首を縦に振う気配すら漂わない。少年霊の反応を見ながら夜宵はその後、何度もデザインを描き直しては見せ、見せては描き直すをくり返しようやくご納得を頂けるまでに至った回数はなんと70回。
へとへとになりテーブルに突っ伏している夜宵とは対照的に、少年霊は随分嬉しそうに彼女が描いたイラストを眺めてはスケッチブックを掲げていた。
夜宵が微笑まし気に小さく笑い突っ伏していた上半身を起こし波ひとつない鏡面の如き水面のような声がリビングに響き渡る。その声を聞いた少年霊は振り返りその重瞳を無言で魅入り彼女の口が紡ぐ言霊に耳を澄ませた。
「今度から君の名は──」
不思議な緊張感が満ちていたリビングの空気がフッと軽くなったのと同時に旧I水門の霊改め──月蝕尽絶黒阿修羅の昏く黒い夜の川のような瞳が夜宵を見詰める。
「もう今度からそれで呼ばれないと出ちゃ駄目?」
「そういう事になる」
「
……
そうなんだ」
床下を眺め俯く黒阿修羅の瞳は寂しげで、されど夜宵はそれに気付いておらず彼の形代であるライオン人形に手を伸ばしかけたその時。
「待って」
黒阿修羅が声を掛けた。その何か言いたげな視線と共に投げ掛けられた言葉に夜宵は伸ばしかけた手を引っ込め彼の言葉の続きを待った。
「勝手に食べないから。目を瞑るから。僕の手を繋いで原っぱに連れていって」
「何のために、」
「お願い」
夜宵が投げ掛けた疑問の言葉を被せるように黒阿修羅の声が響き、そして彼の手の中からスケッチブックが音も無く消えた。何も持っていない黒阿修羅の手が夜宵に向かって差し伸べられる。いつの間にか明るい昼の日差しは遠のきリビングを照らす夕陽を背負い影が深くなっている黒阿修羅の表情から滲み出る、掴んで繋いで欲しいという気持ちに夜宵は一度伸ばしかけたライオン人形に手を伸ばす。
手を掴んでくれなかった事に黒阿修羅の目が伏せられ、夜宵に向かって差し伸ばしていた手を下げかけた刹那──。
「行こう」
黒阿修羅より小さな夜宵の手がしっかり彼の手を掴み繋ぎ玄関へと向かい歩き出していた。
ぎゅっと黒阿修羅の手を掴んでいる逆の手にはライオン人形を抱えられており、今彼女の両手を掴んでいるのは僕なんだと彼は胸の中で独り言ちる。
玄関先、靴を履いている夜宵を黒阿修羅が見下ろしていれば首を捻り彼女は彼に声を掛けた。
「靴、履ける?」
「履ける」
既に靴を履き終え玄関先に下りた夜宵を追うように黒阿修羅が玄関先に下りれば裸足だった彼の足元にスッと靴が現れた。靴を履いたのを確認した夜宵が「目、瞑って」というので黒阿修羅は素直に従う。
淡い暗闇の中、鍵が開き玄関扉の鳴き声を聞き、自分の手を引いてくれる夜宵に身を預け黒阿修羅は歩を進める。
夜宵は目が見えない黒阿修羅を気遣い車道側を歩いては彼が壁や電柱にぶつからぬよう手を引き、夕焼け小焼けの道を歩き彼がご所望していた近所の原っぱに辿り着いたのだった。
「もう目を開けて大丈夫」
許可が下り目を開ければ黒阿修羅の視界に映り込むオレンジ色に染まる小さな原っぱ。時間が時間なのか人影らしい人影は夜宵の他に誰もいなかった。原っぱを見渡し目当てのものを見つけた黒阿修羅は手を繋ぎ続けていてくれている夜宵にお願いする。
「すぐ戻って来るから行っていい?」
「いいよ」
繋いだ手が離れる感触は寂しかったが、それでも黒阿修羅は夜宵の傍から離れ原っぱの真ん中へ駆けていった。
しゃがみ込み風に揺れ動く中から一番のものを摘み取り、夜宵から離れた時より速度を上げ彼女のもとに駆け戻った。ふっくらとした花弁は夕陽の中でも負けないくらい鮮やかな黄色を称え夜宵のことを見上げている。
「たんぽぽ?」
「うん、貰ってくれる?」
一輪だけ摘まれたたんぽぽを両手で持ち差し出す黒阿修羅に夜宵が無言で受け取れば、彼は自分の形代を抱いている時と同じように彼女のことを大事に大切に抱き締めた。
自分より上背のある、だがやせ細った腕に抱き締められた夜宵は自身の腕も彼の背中に回す。貰ったたんぽぽを掴み離さぬよう、けれどしっかりと夜宵は黒阿修羅の背中に手を回し抱き締めた。
「ありがとう。大事にする」
夜宵の言葉を聞いて頷いた黒阿修羅は彼女から離れ形代に戻ろうとすれば今度は彼女に止められた。
「また目、瞑れる?」
そう言いながら差し出された夜宵の手に黒阿修羅が小さく「うん」と答え自身の手を小さな手に重ねた。たんぽぽはライオン人形を抱えている手に持ち直され空いた夜宵の手を掴んだ黒阿修羅はとても穏やかな笑みを浮かべていた。
その帰り道、黒阿修羅が軽く握った分だけ夜宵が握り返し二人は固く手を繋いだまま玄関扉を潜った。
「どうしようお昼ご飯そっちのけでやってたからお腹空いた。けど、このオムライス大きすぎる」
軽く見積もっても成人男性が食べる一食分よりある大きなオムライスが鎮座している冷蔵庫内を見ていた夜宵は未だ手を繋いでいる黒阿修羅を見上げた。
「一緒に食べよう」
「食べる」
温め直した大きなオムライス。夜宵と分け合い食べた黒阿修羅は久方ぶりに食べるご飯の温かさに目を輝かせ口元いっぱいに付けたケチャップをまた彼女に拭いてもらうのだった。
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