豆炭々炬燵
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【ペニビル】おつかれ

元気のない道化師といつもより優しい兄ちゃんの話。


夜に飲み込まれるにつれ家々の明かりがともり出す。道を挟んだ向かい側、左右其々隣の家はみな明かりが点いているというのに其処だけぽっかり抜け落ちたように自宅には明かりが点いていない。静かすぎる理由はすぐに分かった。
今日は前々から両親が映画を見に行く予定だったはず。身に沁みついた動きで家の玄関を潜り電気のスイッチを押してリビングに向かう。テーブルに置かれた書置きには”ジョージィも一緒に行きたがったから一緒に連れていきます”と書かれていた。
書置きをテーブルに戻して今度は冷蔵庫に向かいドアを開ける。案の定、一人分の夕飯が行儀よく待っていた。
「(……食欲ないなァ)」
漏れ出す冷気に蓋をする間、もとより家の中にまで付いてきている白い存在に漸く向き合う気持ちが産まれた。
「な、なんで家の中にまで入って、く、来るんだよ?」
出来過ぎている違和感はこの際目を瞑る。普段ジョージィは両親が映画を見に行くのに付いて行かない、両親も夜遅くなるため幼いジョージィを連れていきはしない。だが、今回は違う。今回だけは違う。ジョージィは両親に付いていき、両親もまたそれを許した。
静寂な家の中に染み入るピアノの音色が全てを物語る。引手がいないピアノが調子の狂った音を乱暴に叩き勢いよく蓋を閉めた。
ピアノの鍵盤を叩く真似をしておちょくる白い手を掴んで、そのまま玄関の外へ放り出すことも出来た。だが、結局しなかった。
目の前で蠢く白い指の群れ。恐怖をひた隠し鬱陶しく顔を顰め背けるのを大いに期待しているのを根元からへし折った。
「ビ、ビル?」
意図せずどもり蠢く指の横を通り抜け階段を二歩上ったところで白い枷が手首に取り付けられた。手首から伝わる明確過ぎる困惑。引っ張る力も然程ない白い枷は軽く振るっただけで外れた。再び取り付けられる前に階段を素早く駆け上がり、自室扉の隙間に体を滑り込ませる。追いかけてくる奇声が扉一枚を隔て途切れた。しっかり鍵をかけ振り返る。
ついさっきまで扉の向こう側で奇声を上げていた存在がゼロ距離で立ち塞がっていた。しかも、肩でゼイゼイ息をしている。影を従え睥睨する金色。不満たっぷりな唸り声。首に伸びる白い手を避け脇の下を掻い潜りベッドに潜り込んだ。
「(着替えてない。ま、いっか……)」
意識を足元から這い上がってくる気配から逸らすも失敗。
「いきなり閉めるなんて酷いじゃないか。お陰で扉に鼻がぶつかって赤く腫れてしまった」
「お、お前の鼻はいつだって、あ、赤いだろ」
喋ってしまった時点で負け確定。吐息が掛かる距離。目と鼻の先。白目を剥き鋭い歯が乱雑に並ぶ大口がやおら開き始めた。咄嗟に枕を押し付ければ枕越しにくぐもる笑い声。
「私としたことがうっかり」
押し付けられた枕を退かした先にはすっかり獰猛な歯をしまい込んでいた。では、改めてと云わんばかり赤くぽてっとした赤い唇が近付いてくる。
「だ、誰がするか」
無理矢理進行方向を変え胸元に白い顔を閉じ込める形で抑え込む。間髪して上がる声は抗議というには余りにも懇願の色が濃く、背中や腰に巻き付きだした白い蔦の締め付けは強い。
「もうい、いいから」
抑え込んでいた力を弱め怖い夢を見て怯える弟の時みたいに明るいオレンジ色の髪を撫で頭を抱き締めた。心臓が食い破られる心配はほぼしなくていい。強張り身じろぐ気配に緊張がゆるり溶けていく。
「今夜だけ、一緒に、寝て、いい、から――
白い蔦の締め付けが緩み上がってくる気配に思わず身構えた。首筋を舐める熱く甘い吐息。不意に瞑った瞼の先、頬ずりする感触に薄く目を開けた。視界に映る白色とオレンジ色、金色は見えない。
絡み付いて離れない蔦が増えたのには苦笑するが寝苦しいほどじゃない。お返しに夢の旅に出る直前まで頭を撫で背中を撫で続けた。密着した体。容易に伝わる鼓動のリズムは一定で益々夢の旅支度を速めさせる。撫でている手が止まりそうになると、巻き付いた蔦の力が強くなる。催促している。もっと、もっとと強請っている。
……
空気の流れ息遣いの振動で何を言ったのか分かった。だが、残念な事にそろそろ夢の旅に出なくてはならない。
せめて其の身に巣食ったものが紛れるよう身を寄せ抱き締め夢の旅に出た。