【安栖と白神の確執②】

安栖の見回りの話。時系列としては本編が始まる4年前くらい。
真琴の母親としろ様(作中での明記は無し)が出てきます。
⚠︎︎暴力表現が含まれます。






「ところで真琴は元気ですか」

綾女の斜め前を先導して歩く安栖は、ふと呟くように聞いた。

…………貴方、よくそれを聞きますわね。そんなにあの子が気になるのですか?」

綾女は不可解と言いたげに怪訝そうに眉をしかめる。安栖は綾女と会う度に決まって真琴が元気にしているかを聞いていた。安栖は零一からの命により、白神家に近づくことすら許されていない。少し立ち寄って真琴の様子を確認する……ということも叶わないのだ。

「ええ、名付け親でもありますから」
「名付け親だからってそこまで気になるものですか? 本当に貴方は変わっていますわね」

安栖は真琴の名付け親だ。真琴が生まれる前まで、まだ仲の良かった零一に名付ける権利をもらったのだ。白神家は男しか認めないから男の名前で良いと言われたが、安栖は男でも女でも通用する名前を考えた。……あの頃まではまだ良かったのに。

「確かにそうかもしれませんね。それで真琴は元気ですか?」
……………………ええ、元気だと思いますよ」

安栖はさらっと受け流し、再度同じ問いを重ねる。
するとたっぷりの間を置いて、綾女は低い声で呟いた。長年の経験から分かる。これは不機嫌になりつつあるときの声音だ。
綾女は一見、おしとやかで穏やかな女性だ。しかしそれは表の顔。実際は……

「思いますよ?」
「言葉尻を取るのはやめてもらえるかしら。不快だわ」
「そんなつもりはありません。貴女にしては珍しく、断言なさらないのが気になって。母親である貴女が真琴をよく見ているはずですから」
……………………い」
……はい? 今なんと」

おっしゃいましたか、と言葉が続くことはなかった。
代わりに安栖は咄嗟に屈んだ後、一気に距離を詰めて綾女の右手首を強く握る。先程まで安栖の顔があったところには、小振りのナイフがきらりと先端を光らせていた。血走った目でナイフを握る綾女は簡単に避けた安栖を鋭く睨みつける。
安栖は笑顔のまま、ギリリ、と綾女の手首に力を込める。相手が女性だからというのは安栖にとって関係ない。背後から刺そうとした時点で通り魔と変わりないのだ、容赦する必要は無い。

「どうしたんですか、このナイフ。聡明な貴女らしくない無謀なことをさなるのですね」
……あんたはうるさいのよ……っ。質問ばっかり……ちょっとは自分で考えなさいよ、このバカが!!」
「さて、バカはどっちでしょうね」

冷えきった安栖の声音に怯んだのか、手首の痛さに耐えられなくなったのか、綾女の手からナイフが滑り落ち、カシャンと地面を鳴らす。大きさからして果物ナイフといったところ。おそらく家の台所から持ち出したのだろう。

「それにあんたはいったいどこに向かってるのよ!? 私でも分かるわよそっちじゃないことくらい!」

ヒステリックなキンキンとした声が耳に刺さり、安栖は顔をしかめる。
綾女はこのように豹変することがよくある。
突然人が変わるため安栖を除く村人たちは、彼女の扱いにひどく困惑したり、触らぬ神に祟りなしと関わることを極力避けている。

「零一様のところへ行きたいのでしょう? 零一様が今いらっしゃるのは白神家、貴女の家でもありますね、そちらへ案内しているだけですよ」
「は? なんで?」
「きっと入れ違いになったのでしょう。零一様は今外にはいらっしゃいませんよ」
……………………え」

安栖は淡々と言葉を落とす。綾女を見下ろす瞳は真っ暗で何も映していないようにも見える。
しかし、綾女はそんなことより夫と入れ違いになったことに対して動揺しているようだ。

「いつから、零一さんは……
「さあ? 少なくとも僕が電灯の下で佇む貴女に声をかける頃にはとっくに帰っていらっしゃったはずですよ」
……気づいていたならどうして言わなかったの?」
「言っても言わなくても貴女は帰らざるを得なかったでしょう。それならどっちみち同じことですよ。それより」

安栖は綾女の手首からようやく手を離す。容赦なく力を込められていたせいで握られていた部分だけ青紫色に変色していた。それに見向きもせず、安栖は地面に転がったままの果物ナイフを拾う。

「これは僕が預かっておきます。零一様や使用人に見つかったら厄介でしょう」

綾女の言葉を待たずに、安栖は果物ナイフを手持ちの布にくるんで懐にしまう。

「聡明な貴女なら分かると思いますが、この村だから許されたんです。この村から一歩外に出たら貴女のやったことは犯罪で、運が悪ければ即座に捕まります。この村の外から来た貴女ならお分かりですよね?」

綾女は先程までの威勢はどこに行ったのか、俯いて口を閉ざすのみだった。安栖に諭されて落ち込んでいるのか……いや、そうではない。家に帰ったときの使用人や夫に対する言い訳を必死に考えているだけだ。
この人はいつだって自分が一番大事で、他者のことは夫も含めて自分を引き立てるための道具としか考えていない。……自己中心的な夫婦の間に生まれた真琴が本当に不憫でならない。
安栖は舌打ちしたいのをこらえて。

「さあ、いつまでもここにいては風邪を引いてしまいます。今日はもう帰りましょう。ついてきてください」

努めて穏やかな声音で言うと、くるりと振り返って歩き出す。
少し遅れて控えめなヒール音が後ろからついてきた。