不破
2023-11-12 00:44:59
5624文字
Public 空戦
 

#15


「まったく、メイク道具も馬鹿にならないわね」

 各隊に与えられる談話室に入りながら、ニオは肩にかかった髪を払い除けながらぼやいた。
 自分が隊長を務めることとなったカノープス隊に与えられた談話室には、ウォールナットと鉄で作られた瀟洒なバーカウンターを始めとするインテリアがいくつか運び込まれており、シンプルなペンダントライトが照らし出す室内は洒落たバーのようなシックな雰囲気を醸し出している。
そんな洒落た空間の中で、黒い革のソファーに横になっている自身の副官、フュゼ・ナイトレイ。自分が勝ち取った初の部下であり、お世辞にも軍人らしいとは言えない粗暴なその男の左耳に着けられた黒い輪のピアスに目を細めた。



「その男が、連続殺人鬼であるからだ」

 王の間。受け取った魔導合金の刀を杖のように立て、身体の重心を傾けて立つフュゼがグリーディアの言葉を鼻で笑った。連続殺人鬼。パリというあの街に投げ出された、なんの罪もない10歳の子供の成れの果てが、最悪の罪を犯した外道であるとグリーディアは告げた。そして、その外道が悪びれることもなく此処に居る。まるで地獄にでも迷い込んだかのような感覚に襲われ、ニオは寒気を覚えた。

「さ、殺人鬼……

「そうだ。黒い鳥という通り名は聞いたことがあるだろう?」

 黒い鳥。その通り名はニオも聞いたことがあった。数年前までメルゼブルクと極東で数多の人間を襲ったという凶気の連続殺人鬼。パリで囚えられたというニュースを最後にその名を聞くことはなくなったが、まさかこの男が?

「パリを始め、メルゼブルクと極東で殺しの限りを尽くした稀代の連続殺人鬼。その正体がリベルタリアでも名家に数えられる家の血を引く者とは、よくもまあ今の今までわからなかったものだ」

 当然だ。稀代の連続殺人鬼とさえ称される外道の正体が、ナイトレイの正当な後継者だなどと誰が思うだろうか。シュタインベルク、カリストラトフと並ぶような、メルゼブルクに名を連ねる名家の血を引く人物がその手を血に染め、他者から命を奪って生きていたなど、悪趣味なサスペンス映画でもあるまいし、現実にそんな皮肉があるなど信じたくもない。

「黒い鳥……

 この殺人鬼の被害に遭ったと思われる死体はその多くが鋭利な刃物で斬り刻まれていたと聞く。満足に人の形を留めていたものの方が少なく、中には肉が削ぎ落とされているものや、噛み千切られたような痕のあるものも見られたらしい。

「ともあれ、今は我が配下メルゼブルクの軍人だ。過去を鑑みて保険はかけているがな」

「保険?」

 グリーディアの言葉を繰り返したニオ。グリーディアはフュゼを顎で指し、黒い目でフュゼに合図した。それを見たらしいフュゼが鬱陶しそうに舌打ちをしたかと思えば、左手で横髪を持ち上げた。髪の下に隠れていた彼の左耳が顕になり、イヤーロブと呼ばれる耳たぶの位置に黒い輪のピアスが着けられていた。シンプルなデザインではあるが、この男がわざわざ耳に穴を開けて着飾るとは思えない。ということは、このピアスがグリーディアの言う保険なのだろう。

「手綱代わりだ。魔導合金にエーテルを込めてある。お前の心臓が止まるとエーテルがそれを感知し、その男の頭を吹き飛ばす。簡単な術式だ」

 続けるグリーディア。手綱を握る自分が死ねば自動的にフュゼも死に至る。とてもシンプルでわかりやすいが、自分達の上下関係を示すには効果的と言えるだろう。が、ニオはそれに小さな不満を覚えた。



 ソファーに横になっているフュゼに近づくと、ソファーの側に膝をついた。そして右手を伸ばした瞬間だった。眠っていると思っていたフュゼが、口だけを動かして声を発する。

「なんの真似だ?」

いつの間にか夜の色をした左目だけを開いたフュゼの視線がこちらを捉え、ニオは少しだけ驚いて息を呑み、手を止めてしまった。

「私のものだという印も着けておこうかと思って」

 すぐにむっとした表情を浮かべて言いながら、手にしていたピアッサーで彼の黒いピアスの隣に新たなピアスを通した。この程度の痛みには反応すら示さないフュゼが少しだけ目を細め、ため息をついた。

……下らねえ」

 言いながら再び目を閉じる彼の左耳で、黒い輪の隣に通された金のスタッドピアスが淡い照明を受けて輝いた。
 この男がたとえどれほどの外道であっても、今は自分の副官だ。手綱を握るのは自分であり、他の誰であってもならない。国家として保険をかけるということに反発することはないが、それが杞憂であったと示してやる。

「よくって? 私の副官になった以上、貴方は私のものです。勝手な行動はもちろん、敗北することも死ぬことも、私の許可無くしては許さないわ」

「如何にも世間知らずのご令嬢が言いそうな注文だ」

 立ち上がり、仁王立ちで告げた言葉にフュゼが返してくる。気怠さと嘲りを含んだ声色に眉間の皺を深くしたニオは、両の手で彼の胸倉を掴んで力任せに持ち上げつつも顔を近づけた。がくりと首を揺らしたフュゼが鬱陶しそうに再び目を開くのを睨みつけながら、アザレア色の両目を見開いて言う。

「わかっていないようだから教えて差し上げますけれど、貴方が私の部下である以上、私の命令には従って貰います。その黒いピアスは私も不本意だけど、そういう類の保険だってかけられているのよ?」

 我ながらスマートではないと思うが、この男は初めて得た副官で、カノープスは自分が初めて指揮する隊なのだ。ここで躓いてなどいられない。しかし、強い言葉を放ったニオを前に、フュゼは眉1つ動かすことはなく左右異なる色の目を細め、馬鹿にしたように鼻で笑ってから返してくる。

「はっ、これはこれは。俺みてえなの相手にそんな鈍間な言葉が出やがるたあ、世間知らずは命の軽さも知らねえらしい」

 嘲笑の表情を浮かべるフュゼを前に、胸倉を掴んだ両手に力が籠もる。人の神経を逆撫でする天才とこんな形で出遭うことになるとは、扱いづらい手合いであるとは思っていたがよもやこれほどとは思っていなかった。

「命が惜しくないとでも言うつもりかしら? 伯爵。戦士を気取れるほど立派なのは血筋だけではなくって?」

「命が惜しいほど生にしがみついちゃいねえよ」

 返してくるフュゼの笑みからは感情が読み取れない。三日月のように歪んだ口元は確かに笑みを浮かべているのに、こちらを見る目は一切笑っていない。いや、そもそもこの男には心が存在しないのではないかと錯覚するほどに、その表情と言葉は異様だった。背筋に冷たいものを感じながら、有毒の霧が立ち込める夜に取り残されたような感覚に陥るも、ニオは呑み込まれまいとアザレア色の目で彼の目を睨んだ。

「生きるために多くの人を手に掛けた人間の言葉とは思えないわね」

「生きることに執着がなくても腹が減りゃ気分が悪いもんさ」

 腹が減れば、そんな言葉に言葉を失った。空腹などという子供のような理由で、この男は人の命を奪ったとでも?生きることに執着がないと吐き捨てたその口で。食うに困ったから人を殺したと言うのか?

「だろう?」

 唸るような低い声色で続ける彼の目に、およそ人のそれとは思えない異様さを見ながら、ニオは刺すように吹き出した冷たい汗が背筋を伝い落ちるのに身震いした。鼻で笑ったフュゼが、胸倉を掴んだこちらの手を払った。人間を欺く悪魔のような顔で嗤う彼を睨みつけながら唇を真一文字に結んで立ち尽くす。丸呑みにされてしまいそうなほど深い奈落のような彼の目から視線を外すことが出来ないまま、ニオは手を強く握りしめた。