不破
2023-06-14 21:46:48
5236文字
Public 空戦
 

#14




「隣、良いかい?」

 言いながら、隣の席に腰掛けた女。フュゼはグラスを持った左手を一旦止めると、「梅酒を頼めるかい?」とカウンターの向こうのバーテンに告げた女を横目に見た。
 淡く緑色を帯びた白い髪に、自分と同じメルゼブルクの軍人であることを示す部隊章には蠍を背景に赤い星が描かれている。こちらを見る目は常磐色をしており、淡いランタンの照明を受けて爛々と輝いている。ああ、面倒な手合いだ。と、その目を見た瞬間に察しがつき、止めた左手を動かしてグラスに残っていたバーボンをぐいと飲み干して席を立とうとした。

「おおっと、待ちたまえよ。1杯ぐらい付き合ってくれてもバチは当たらないさ」

 と、言いながらこちらの肩に手を置いて制止し、バーテンに「同じのを彼に」と続ける女に、フュゼは隠しもせず舌打ちをする。コースターに新しいグラスが置かれるのを横目に頬杖をつき、唸るように深く息を吐いてからようやく女に問いかけた。

……なんの用だ?」

「そうツンケンしないでおくれよ。ひとまずは乾杯と行こうじゃないか」

 コースターに置かれた梅酒のグラスを手に取りながら言う女に怪訝な表情を浮かべながらも、フュゼは女が掲げたグラスを無視して、バーボンのグラスを口へ運んだ。「おやつれない」と溢した女だが、気にしない様子で梅酒を口に運んでから切り出した。

「私は俗世に疎くてね。君の、ナントカって呼び名に覚えはないんだが、君には興味がある」

 軽い口調で自分の通り名を口にした女に、フュゼは目を細めた。この女の言を信じるのなら、この女はこちらが何者なのかを知らない。勘の鋭さ故にある程度の目星をつけている命知らずか、興味本位で初対面の人間を詮索するような礼儀知らずかといったところだろう。どちらにせよ、面倒事を運んでくる前に始末してしまうのが手っ取り早いだろうが。

「少なくとも、君は多くの真っ当な人間とは違うようだったのでね」

 真っ当な、という言葉を鼻で笑った。なにを基準に真っ当などという言葉を用いているのかに興味など無いが、そういうこの女自身も、およそ真っ当とされる人種ではないと確信できたからだ。

「私は見た目より歳を食っていてね。君からすればとうに年寄りと呼ばれる身だが、このなりでやってきた。そんな怪物老いぼれでも、君のような怪物人でなしにはこれまで出会ったことがない」

 ゆっくりと、まるで海蛇が鎌首を擡げるようにしてこちらに身を乗り出した女が、常盤色の奥に輝く赤い色でこちらの顔を覗き込む。

你到底是什么人君は、本当は何者なんだい?」

 聞き慣れない言語で告げられた、イントネーションからおそらくは問いであろう言葉。こちらの顔を覗き込みながら問いかけてきた女の声は先程までとは打って変わって低い音をしており、見開かれた目には狂乱の色が滲んでいた。ぞわりと広がる水圧のような圧迫感に、カウンターの向こうのバーテンがぎょっとしてこちらを見るのが視界の端に見えたが、フュゼは目の前の女の目から視線を外すことなく、冷めた表情のままバーボンのグラスを口へ運んだ。

……くくく、はっはっはっはっは! いや、気にしないでくれたまえ! 君が何者かなど本当はどうでもいいんだ」

 と、肩を揺らして笑い始めた女が言い、カウンターに向き直ると梅酒をぐいと煽ってから続けた。

「一戦交えてみたいのさ、君と。君が如何ほどのものなのか、どれほどの戦いを演じられるのか、そこに興味がある」

 爛々と輝く常磐色に冷めた目を向けながら、フュゼは馬鹿にしたように鼻で笑い、一言だけ吐き捨てる。

「下らねえ」

「えー!」

 グラスに残っていたバーボンをぐいと飲み干すと、フュゼは今度こそ席を立った。

……またね、黒鳥コクチョウ君」

 後ろからかけられた声に舌打ちをしながら店を出ると、ドアに着けられたベルが背後で鳴った。